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紫色のクラベル~傾国の悪役令嬢、その貴種流離譚~  作者: 星見だいふく
第六部03 嵐に襲われた城
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-番外編- クリスティアンの物語(3)


スカーレットの死後、クリスティアンは娘たちを王都に呼び寄せ、共に暮らすようになった。


もう二度と、家族の危機をあとから知らされるような恐ろしい経験をしたくはない。

それに、スカーレットを喪った悲しみを癒すためにも、いまのクリスティアンには娘たちがどうしても必要で。マリアとオフェリアを、手元に置いておきたかったというのもあった。


まだ死というものが理解できず、無邪気に笑うオフェリア。悲しみを堪えて、父親や妹を支えようと健気に微笑むマリア。

娘たちのおかげで、クリスティアンはなんとか立ち直ることができた。


キシリアも、黒死病の脅威はひとまず去り、王妃の葬儀もつつがなく終え、国の混乱も終息を見せ始めていた。

しかし、平和になったらなったで新しい問題が浮上するもの。




ある日、ロランド王太子の恋人であるアルフォンソが、城にいるクリスティアンを訪ねてきた。


クリスティアンは宰相としての仕事でしばらく城を離れていたのを帰ってきたところで、待ちかまえていたように自分に会いに来たアルフォンソに首を傾げた。


「お城に戻られたばかりでお疲れのところ、申し訳ございません。マリアのことで、どうしてもクリスティアン様とお話がしたくて」


アルフォンソは、母を亡くして王都へやって来たマリアやオフェリアのことを何かと気にかけ、細やかに気遣ってくれている。

マリアもアルフォンソのことを姉のように慕っており、特に父親が不在の時なんかは、オフェリアも連れて彼女のところを訪ねて行っているらしい。


「クリスティアン様が城を離れていらっしゃった間に、マリアが前触れなしに私の屋敷へ訪ねて来たことがありまして――いえ、それは良いのです。マリアもオフェリアも可愛らしくて、まるで本当に妹ができたよう。いつでもいらっしゃい、と言ったのは私のほうですし、マリアたちが訪ねて来てくれるのを楽しみにしています。そうではなくて、その……」


アルフォンソは顔を曇らせ、口に出すのを躊躇うように視線をさまよわせた。やがてクリスティアンを見つめ、小さな声で先日の一件を話し出した。




「ごめんなさい、アルフォンソ様。いきなり押し掛けてきてしまって」


幼いオフェリアの手を引いて屋敷の前に立っていたマリアに面喰いながらも、アルフォンソは二人の訪問を歓迎した。笑顔で招き入れ、無邪気にはしゃいでいるオフェリアにお菓子を出す。

だがマリアは、浮かない表情だった。


……無理もない。

恐ろしい病気で母を亡くしたばかり……寂しさも、心の傷も、まだ癒えていないはず。

苦しい内心を見せず健気に笑っているマリアにとって、自分が少しでも助けになるのなら……突然の訪問ぐらい、アルフォンソは笑って受け入れてあげたかった。

――なんて。そんな考えは甘かった。


「あの、実は……トリスタン様がいらっしゃって」


おずおずと、マリアが切り出す。


「お父様が不在で寂しいだろうから、遊びに来たとおっしゃってくださったんです。でも、なんだか私、あの方と一緒なのが落ち着かなくて……それで、とっさにアルフォンソ様と約束があるから、と言って出てきちゃったんです」


聞かされた真実に、アルフォンソは笑顔のまま凍り付いた。

――実は、アルフォンソのほうも恋人である王太子から相談を受けていた。父王トリスタンのこと……。


「母とスカーレットが亡くなり、それまで多少は自重していた父上も、いささか暴走している。クリスティアンそっくりのマリアは危険だ。いくら王の寵愛を得ることが女の名誉とは言っても、年端もいかぬマリアに、三十を越えた男の求愛など恐怖でしかないだろう。アルフォンソ、そなたからもマリアを気にかけてやってはくれないか」




アルフォンソから話を聞いたクリスティアンは、目を吊り上げてトリスタン王の執務室を訪ね……いや、扉を蹴破る勢いで押し入った。


「戻ったか、クリスティアン。お前の帰りを待ちわびていたぞ」

「……股にぶら下がってるものを、ちょん切ってしまえ」


朗らかに自分を出迎えるトリスタン王に対して、おおよそ臣下が王に向けるものではない態度でクリスティアンは言った。

王は気分を害するどころか、全てを察したようにフン、と鼻で笑い飛ばす。


「安心しろ。十年後にはマリアを私の王妃に迎えてやる」

「何を安心しろと言うんだ、このクソ野郎が」

「なんだ嫉妬か?お前が私の寝所にすすんでやって来るのなら、娘には手出しせんぞ」

「馬に蹴られて不能になってしまえ!」


――マリアが危ない。

クリスティアンは、本気で娘の身を案じ、ただちに行動に出た。もちろんそれは、王の寝所へ行くなんてことではない。

王にすら異論を唱えることのできない男を、マリアの婚約者として迎えること――海の向こうの大国チャコの皇子との婚約を即行で成立させてきた。


初めてマリアとの顔合わせを行う日、キシリアの港に到着したチャコの皇子は、自分を出迎えるクリスティアンをじっと見つめた。

チャコ人には珍しい赤毛の少年は、警戒……というか、かなり緊張しているようだ。


「なあ、俺の婚約者って、あんたにそっくりなんだよな?」


じーっと。自分の顔から視線を離さないチャコの皇子に苦笑しながら、クリスティアンは頷く。皇子は、あからさまにほっとしたような顔をした。


「マリア・デ・セレーナでございます。どうぞ末永く、よろしくお願いいたします。ララ様」


顔合わせの場にて。

マリアを見たララは、ちょっぴり顔を赤らめ、まんざらでもない様子だった。


「呼び捨てでいいって。俺、王位継承権は捨てちまうし。おまえんとこ婿入りするわけだから、俺のほうが敬語使わないといけないぐらいなんだしさ」

「では……よろしくね、ララ」


後々、実は結構気と我が強い性格だったということが判明してマリアにたじろぐ場もあったが、ララはマリアと順調に仲を深めていった。

……姉や妹もいるララ曰く、まあ女って結局そういうもんだよな、とのことで。マリアの性格はララ的にはまったく無問題な許容範囲内だったそうだ。


トリスタン王は折に触れてマリアの婚約を解消させたがったが、クリスティアンはまるっとそれを無視した。




マリアを後妻に狙うトリスタン王が独身を貫くように、クリスティアンも再婚しなかった。


夫を亡くし、三人の息子を連れて婚家を追い出されてしまったはとこのロシータを愛妾に迎えたが、それは彼女たちの生活を保障するためのもので、男女の関係はない――いや、互いに連れ合いを喪った者同士、傷のなめ合いみたいなことはあったが。


息子たちが生き甲斐のロシータは、クリスティアンと再婚する意思はない。三人の息子たちもそれぞれの道を考えていて、セレーナ家の後継ぎはマリアで決定となった。


ララ皇子を婿入りさせるのも、セレーナ家の女当主としてマリアの地位を固めるためのもので。教師も、特別な者をマリアのために選んでいた。

優秀なマリアは教師からの評価も非常に高かったのだが、マリアは父に苦言を呈した。


「お父様、オフェリアには別の教師をつけるべきです。私はミリアム先生をとてもいい教師だと思うけれど、オフェリアには合っていないわ」


マリアの苦言を聞き、クリスティアンはすぐに授業風景を観察した――そして、マリアが正しいとすぐに理解した。


ミリアム先生は厳格で、生徒に限界少し上の結果を要求する教師であった。

マリアとは非常に相性の好い教師だ。

マリアは失敗に対し、負けん気の強さで食らいつこうとする性格で、完璧主義な教師を見返そうと張り切るタイプ。


一方のオフェリアには、最悪の相手であった。

オフェリアは失敗すると、失敗することを恐れて委縮してしまう性格だった。失敗に委縮して、普段ならできることもできなくなり、できないことは挑戦することも嫌がるようになり……と、悪循環に陥ってしまうタイプ。


……なるほど。これは教師を替える必要があるな、とクリスティアンは納得した。


「それは私が教師失格だということですか」


オフェリアの教師から外すことを伝えた時、当然ながらミリアム先生は憤慨した。

彼女は決して無能ではない。オフェリアのことも、その実力をしっかり見定めて結果を要求してくれている。

ただオフェリアには、どうしてもその教育方針が合わないだけで……。


「ミリアム先生。オフェリアはマリアと同じ教育方法では上手くいかない。だがオフェリアのために新たなやり方を考えるぐらいなら、その時間と手間をマリアにかけて欲しいんだ。セレーナ家の次期当主はマリアだ。あなたにもその覚悟で、娘の教育にあたることを期待する」


クリスティアンの言葉に、ミリアム先生はさらに背筋を正し、しっかりと胸を張って、誇りに満ちた姿で頷く。


彼女を説得するための詭弁が混ざっていないわけではないが、キシリアの大貴族の女当主となるのなら、生半可な指導は許されない。マリアに専念してほしい、というのはクリスティアンの本心だった。


そしてオフェリアのために、新しい家庭教師がやってきた。

エマという、若い女性。平民で、とびきりの美人と言うわけではないが、明るく親しみやすい笑顔はなんとも魅力的で。


オフェリアはすっかりエマに懐き、クリスティアンもまた、彼女の明るさに強く惹かれていった。




「ねえ、お父様」


ある朝、朝食の席で、マリアが澄ました顔で声をかけて来る。

なんだい、と問い返すクリスティアンに、マリアはちょっと含みのある視線を向けた。


「私、エマのことは好きよ。でもお父様が早朝彼女の部屋から出て来るのを見るのは、とっても複雑な気分だわ」


ブッと、口にしていた水を吹き出してしまった。

行儀の悪い父に、オフェリアが目を丸くする。知性の幼いオフェリアにはマリアが話している意味が分からず、きょとんとした顔で朝食を食べていた。


「……すまなかった。私の配慮が足りなかった。エマには住居を与えて、彼女に会いたくなったら私がそこに通うことにしよう」

「そうなさって」


娘の寛大さに感謝しつつ、その鋭さには苦笑いするしかなかった。幼くても、やっぱり女なんだな……。




父の二十回目の命日には、ミゲラの町に全員で集まった。

マリア、オフェリア、愛妾となったエマと、エマとの間に生まれた幼い息子を連れ、クリスティアンは弟を訪ねる。

弟ペドロのもとには、すでに先に到着していたもう一人の愛妾ロシータと、彼女の息子たちがいた。


ロシータとエマが顔を合わせるのは初めてだったが、険悪な雰囲気にはならなかった。

ロシータの息子たちも、初めて顔を合わせるルカ――クリスティアンとエマの息子を、とても可愛がってくれた。


「兄上、ディエゴを私の養子に迎えようと考えています。私には子がおりませんし、彼があとを継いでミゲラの次の町長となってくれたら安心だ……」


ディエゴとは、ロシータの三人の連れ子の内、二番目の息子のこと。ロシータと本人が納得しているのなら、クリスティアンに異論はなかった。


弟ペドロもまた、黒死病にて自身の妻を喪っていた。しかも当時の彼女は妊娠中で、お腹の子もろとも……以降、ペドロも再婚せず、独り身を貫いている。

マリアやオフェリアを我が子のように可愛がり、もう自分の子を持つことはないと強く決心していて……。


弟ペドロとの話が終わると、今度はロシータが声をかけてきた。


「クリスティアン、ペドロから、ディエゴを養子にする件を聞きました。あの子もこの町が大好きで、町の人たちと共にミゲラを守っていきたいと懸命に努力し、勉学に励んでいます。私は反対するつもりはありません。長男のエンリケも、ロランド様にお仕えして、騎士として立派に成長しました。あとは三男ウーゴだけ……でもあの子も、もうすぐ私の手を必要としなくなります。そうなったら、今度こそ私は尼僧になろうと考えております」


夫を亡くした時からずっと、彼女が尼僧になりたいと望んでいたことをクリスティアンも知っていた。ただ息子たちのことが気がかりで、先延ばしにしていただけで。

彼女を引き止めることはできなかった。


「私がセレーナ家を離れたら、エマと結婚してあげてはいかがでしょう。明るくて気立ての好い娘さんで……マリアとオフェリアもよく懐いていますわ」

「……ありがとう、ロシータ。たしかに、エマは私にとってかけがえのない存在だ。エマが生んでくれた息子も……だが、結婚はしない。セレーナ家を継ぐのはマリアだと決めている。エマと結婚してルカに権利ができれば、兄弟で揉めることになってしまう。庶子と嫡子の間に確執ができてしまうようなことは、あらかじめ避けておきたいんだ」


エマにも、結婚しない旨は伝えてある。ルカにもエマにも、与えられるものは可能な限り授けておきたい。けれどこれだけは譲れなかった。

クリスティアンの決意を快諾してくれたエマのためにも、情にほだされて争いの種を作り出すような真似はしなかった。




久しぶりに全員で顔を合わせた後、皆それぞれの場所に向かって別れることとなった。

ロシータは尼僧院を探すためにもしばらくミゲラに残り、彼女の次男ディエゴはペドロのもとで町長としての教育を受ける。

三男ウーゴは騎士になることを希望し、彼の奉公先も探すことになった。


長男エンリケはクリスティアンたちと共に王都へ帰る。王太子ロランドに仕える彼は、王太子の出陣に併せて戦に赴くことになっていた。

無事を祈る母や弟たちと別れの挨拶を交わし、エンリケは馬に乗った。


「クリスティアン様、私はルカを連れ、クリスティアン様のご生家を訪ねて参ります」


エマはクリスティアンの生家に向かう。あの家の近くには、セレーナ家の祖先を奉った僧院が――クリスティアンの父も眠っている。


「ルカと共に、亡きお父様にご挨拶してきたいのです」

「道中気をつけて」


バイバイ、と無邪気に手を振る息子の額に口付け、エマとルカを見送った。

護衛はついているが、幼い息子を連れていては大変だ。本当は自分も一緒についていきたかったが、そうはいかない。


「お父様、トリスタン様はまた、オレゴンとの戦に赴かれるのですよね?」


王都へ向けて帰る馬車の中、マリアが言った。

久しぶりの叔父や義理の兄たちにはしゃいで遊び回ったオフェリアは、マリアの膝を枕に眠っている。しっかり者のマリアを頼って、ついオフェリアのことは任せきりに……。


「ああ。今度は私は城で留守番だ。ロランド王太子も南部の反乱の鎮圧へ行ってしまうから、私が残って連絡役と王都を守る必要がある。しばらくは城から離れられない……お前達にも、寂しい思いをさせてしまうね」


マリアの頭を撫で、クリスティアンは微笑んだ。


――戦から帰ってきたら、またマリアを王妃にすることを蒸し返すと言っていたな、トリスタン王は。

不意にそんなことを思い出し、クリスティアンは溜息を吐いた。


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