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紫色のクラベル~傾国の悪役令嬢、その貴種流離譚~  作者: 星見だいふく
第六部03 嵐に襲われた城
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-番外編- わんだふるストーリー


クラベル商会の従業員ポールは、リードを懸命につかみ、大きな犬を引っ張っていた。

もっとも、大型犬のマサパンの本気に、デスクワークが主な中年男性が敵うはずもないのだが。


「だーかーらぁああああ!少しは俺の言うこと聞け!俺を敬え!俺を労われ!俺はおまえよりずーっと先輩で、ずーっと年上なんだぞ!」

「ポールさん、諦めましょう。マサパンのやつ、遊んでもらってるとすっかり勘違いしてるみたいですよ」


眼鏡の青年――同じく商会の従業員テッドが、諦めたように溜息を吐く。

マサパンが大人しく言うことを聞く相手なんて、むしろ限られている。自由奔放な彼女は、ついにポールを振り切って走って行ってしまった。


向かった先には、白金の髪をローブに隠すヒューバート王子が……。


「マサパン……!?参ったな。君からは逃れられそうにないね」


尻尾を振って自分にじゃれついてくるマサパンに、王子は苦笑しながら柔らかい毛皮を撫でた。

少し遅れて、ポールとテッドが息を切らしながらマサパンを追いかけて来る。


「おーい、おーい!だから置いてくなって……おっ、こりゃ殿……いやいや、ヒューバート様、お久しぶりです」


殿下、と呼びかけそうになったポールを睨みつけ、マルセルが首を振る。ヒューバート王子は、クスクスと笑った。


「ああ、久しぶりだね。それにマサパンも……。相変わらず優秀だな、君は。僕がオフェリアのところへ行こうとしたのを、あっさり見つけてしまって」


さすがにマルセルを置いてはいけないので、彼だけ従者として伴って。ヒューバート王子はこっそり城を抜け出し、オフェリアに会いに行こうとしていた。

恐らくは、それを察してマサパンは走ってきたのだろう。


王子は、マサパンのリードを持つ。


「もし良ければ、マサパンはこのまま僕が連れて行っても構わないだろうか。マサパン、一緒にオフェリアやマリアに会いに行こう」


尻尾を振り、ワン、と親しみを込めてマサパンが吠える。

こうして、マサパンは大好きなオフェリアたちに会いに行くことになった。




後にマサパンと名付けられるその犬は、キシリアで、野良の母犬のもとに生まれた。

兄弟犬が二匹いて、いつも三匹身を寄せ合って母犬の帰りを待っていた。だがある日、母犬は帰って来なくなって……。


一番小さく生まれた兄弟犬は力尽き、眠ったまま起きなくなった。黒っぽい毛が混じった兄弟犬はどこかへ行き、母犬同様帰って来なくなった。


そしてマサパンは一人ぽっちになり、小さな身体で放浪を続けた。

餌にありつけない日もあった。他の獣に命を狙われ、怯えながら逃げ回り。いつの間にか、兄弟犬たちと一緒に過ごしていた場所から遠く離れ、自分がどこにいるのかも分からなくなっていた。

――オフェリアと出会ったのは、そんな時だった。


「ナタリア。わんちゃんがいるよ。ちっちゃい子……子犬だよね。お父さんもお母さんもいないのかな……ひとりぼっちなのかな……」


薄汚れた獣にオフェリアが近付くことを、ナタリアはあまり良い顔をしなかった。小さくとも牙やツメはしっかりしているし、噛みついてきたら、とナタリアはオフェリアを止めた。

しかし、うなだれながら小さく鳴き声を上げる子犬に、ナタリアも冷酷にはなれなかった。


「お腹減ってるみたい」


オフェリアは、自分のお昼ごはんにもらった肉の燻製を取り出し、子犬に見せてみる。

じーっと視線を逸らすことなく見つめる子犬の前に、オフェリアはそれを置いた――途端、ぱくっと食いつく。


「やっぱりお腹が減ってたんだね」

「親がいないのでは、餌を手に入れるのも難しいでしょうから」


守ってくれる相手を失った、小さく弱い存在。

その姿は、父親という大きな庇護を失って逃げ惑うマリアたちと同じで――どうしてもその子犬を放っておけなかった。


その後もオフェリアは、時間が空けば子犬に会いに来た。

犬が好みそうな食べ物を持ち、夜になるとこっそり風呂場へ連れて行って、汚れた毛皮を洗う。

お兄様に言ったら、反対されるかなぁ――オフェリアはそう呟き、マリアには内緒で子犬を世話していた。もっとも、隠し事の苦手なオフェリアの異変など、マリアはすぐに気付いていたが。

ナタリアの密告もあって、子犬のことはすぐにマリアの耳に入ることになった。


「放っておけない気持ちは分かるけど……別れが辛くなるわよ。私たちに、この子を守ってあげる余裕もないのだから」


そう言いながらも、マリアは反対しなかった。

子犬は無邪気にオフェリアに懐き、オフェリアの姉であるマリアをボス認定したようだ。マリアにも尻尾をふりふりし、愛くるしい瞳で見上げている。

そんな顔をされては、マリアも邪険には扱えないようで。苦笑いしながら犬を撫でるマリアを、侍女のナタリアが微笑ましく眺めていた。




子犬の運命が決まったのは、それからほんの数日後。


マリアを先導し、子犬は道案内をしていた。においをたよりに走っていく子犬を、白い馬が小走りで追いかけて来る。

頼りにされて、子犬は自分の使命を果たそうと一所懸命だった――追いかけっこみたいで、ちょっと楽しかったのもあるが。


だけど、においはだんだんと嫌なものになっていった。子犬は追跡を止め、においの正体を突き止めようとその場でグルグルと嗅ぎ回る……。


「きゃあああぁぁ!」


聞こえてきた悲鳴に、パッと顔を上げた。

見れば、マリアのように馬に乗り、そして武器を持った男たちが複数――本能的に、子犬は威嚇した。牙をむき出しにし、男たちに向かって唸る。だが小さな身体では、誰も気に留めもしない。


弓を持った男が乗っている馬に、子犬は飛びついた。子犬への警戒を怠っていた馬は驚き嘶いて、乗り手を振り落としてしまった。




――それから。

子犬はよろよろと歩き続ける。


じんわりと。毛皮に赤いものが広がっていき、体力は尽き始めていた。

自分を抱きしめてくれるオフェリアのもとに帰りたくて、ただひたすらに足を動かす。


だけど、それももう叶いそうにない。子犬は、どさりと地面に倒れ込み、その場で荒く、小さく呼吸を繰り返す。

目は開いているのに、視界はだんだん暗くなって。


そんな子犬の身体に、誰かがすり寄って来る。その温もりはかつて身を寄せ合ってきた兄弟を思い出した……母が……兄弟たちが、自分を迎えに来てくれた……。


「おーい、リーリエ!どこに行くんだよ!もう船に乗るんだ、頼むから大人しくついて来て……ん?あっ、おいっ、犬っころ!」


白い馬が、労わるように長い鼻を子犬にすり寄せてくる。その馬を追いかけて、馬番のチェザーレがドスドスと自分のところへやって来た。

大きな手で、ひょいと自分を小脇に抱える。


「改めて見るとこいつはひでえ……しっかりしろ、すぐ手当てしてやるからな」


男に連れられて、子犬はオフェリアたちのもとへ帰ることができた。

懸命な看護の結果――瀕死の重傷?なにそれ美味しいの状態でケロッと子犬は元気になり、今日も大好きな人たちの周りを元気に駆け回っている。




ヒューバート王子に連れられて屋敷へやって来たマサパンを、オフェリアは歓迎してくれた。ぎゅっと自分を抱きしめてくれるオフェリアに、マサパンも尻尾を振る。


最近はオフェリアも忙しいみたいで、なかなか会えなくなってしまった。

今日も、せっかく会えたのに、オフェリアはヒューバート王子と一緒に部屋に行ってしまって……尻尾も一緒にしょんぼりするマサパンを、マリアが撫でてくれた。


「そんなにがっかりしないで。今夜は私と一緒に寝ましょう」


マリアの寝室にマサパン用のふかふかクッションが用意され、そこに横になったマサパンを、マリアが丁寧にブラッシングしてくれた。

薄手の寝衣で自分のそばに座るマリアのお腹には、なんだか不思議なふくらみがあって……マサパンは、鼻を近付けスンスンとマリアのお腹を嗅いだ。


「うふふ……そうよね。もうマサパンも気付くわよね。このお腹の中に、赤ちゃんがいるのよ」


マリアの話すことがよく分からなくて、マサパンは首を傾げる。でも、とっても嬉しいことなのは分かった。話すマリアは、幸せそうに微笑んでいる。


「生まれてきたら、この子とも仲良くしてあげてね。あなたが守ってくれるなら安心だわ」




その日は、夜遅くからしとしとと雨が降り始めた。

ふかふかのクッションで眠っていたマサパンは、雨の匂いに目を覚ます。マリアは気付くことなく眠っているようで、ベッドからは小さな寝息が聞こえて来る。


なんだか落ち着かなくなり、マサパンはクッションから立ち上がって部屋の中をうろうろと歩き回った。扉の前に行き、じっと見上げる。

静かに扉が開き、扉の前に立っていたマサパンを見てホールデン伯爵が苦笑する。


「……やれやれ。君は私にとって、永遠のライバルかもしれんな」


マサパンの耳の付け根あたりをカリカリと撫でる伯爵に向かって尻尾を振り、親しみを込めてワンと吠える。しーっと伯爵が合図した。

伯爵は眠るマリアに近付き、額にかかる彼女の前髪を優しく払いのける。頬を撫でる伯爵の手に、マリアが身じろいだ。


「ん……ヴィクトール様……?」


わずかに目を開けたマリアは、伯爵の姿を確認して微笑む。そんなマリアに、伯爵は唇を落とした。


「もう、また子供みたいなことをなさって……」


非難するように言ったが、マリアの声には伯爵に対する甘えがあった。実際、自分を抱き寄せる伯爵に、マリアも積極的に身をすり寄せている。


やれやれ、という感じで、マサパンは部屋を出た。部屋の外には、伯爵の従者ノアがいた。

ノアは、部屋から出てきたマサパンに少し苦笑して見せた――ポーカーフェイスだが、微細な変化は多い人だ。


「お休みのところを申し訳ありませんでした。伯爵の気まぐれな思いつきに振り回されて大変ですね、お互い」


そう言って、ノアは犬用のおやつをマサパンに差し出した。


雨が降ると伯爵がやって来て、申し訳なさそうにノアがおやつを渡してくれる。

その一連の流れが出来上がったマサパンは、伯爵が……正確には、自分用のおやつが近付くのをすぐ気付くことができるようになっていた。


カミカミとおやつをかじり、マサパンはノアと一緒に部屋の外で待つ。

ヒューバート王子もホールデン伯爵も嫌いじゃないけど、オフェリアやマリアを独り占めするから、ちょっぴり複雑だ。


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