-番外編- ある日のメレディス
それはまだ、オフェリアとヒューバート王子の結婚式が行われたばかりのオルディス領でのことだった。
キシリアから帰って来たばかりだったが、そんなメレディスを労うこともなくこき使われ――もうこれが慣れっこだし、そうじゃなかったらむしろ戸惑うばかりなので、苦笑いしながらもメレディスは安心していた。
こうして今日もクラベル商会の事務所で働いていたメレディスは、上司のデイビッド・リースから声をかけられた。
「メレディス君、きみにお客さんが来てますよ」
「僕ですか……?」
きょとんとしながら顔を上げて出入り口を見てみれば、そこには兄アルフレッドの姿が。
「兄さん!」
「やあ、メレディス。キシリアから帰ってきたと聞いて、顔を見に来たんだ」
「わざわざありがとう。それにジーナまで……」
兄と共に自分に会いに来てくれた義姉に、メレディスは笑顔を向ける。彼女の腕には、ぽてっとした小さな赤子。
可愛い甥っ子に、メレディスはでれでれと相好を崩す。そんなメレディスに苦笑し、ジーナは抱っこしていた息子をメレディスに手渡した。
「おや、その子が噂の甥っ子くんですか」
デイビッドが赤ちゃんを覗き込めば、はい、とメレディスが頷く。
「甥のジョージです。もう目に入れても痛くないぐらい可愛くって」
昨年末に生まれた、マクファーレン家念願の後継ぎ。
家を出てしまったメレディスにとっては後継ぎ云々はどうでも良いことなのだが、甥っ子は可愛くてもうメロメロだ。
前に会った時より少し大きくなった甥は、久しぶりに見る叔父の顔を凝視していた――その目は、誰だお前、と言わんばかりに大きく見開かれている。
そんな姿も可愛い。そう呟くメレディスに、兄アルフレッドは笑う。
「おまえの叔父馬鹿っぷりには、私も苦笑するしかないよ」
兄夫婦と甥っ子に久しぶりに会い、キシリアでのことや何気ない世間話をしていると、事務所の外が騒がしくなった。
窓から外を見れば、シルビオとマリアが何やら言い合いをしながらこちらへやって来ている。
シルビオは、事務所に入って来るなりメレディスに向かって憤慨しながら言った。
「おい、メレディス。このあばずれの尻軽女、修道士まで誑かしてたぞ!聖職者は嫌いだとか言ってたくせに、色男と見れば見境なく色気を振りまきやがって!」
「今回ばかりは私は悪くないわよ、絶対。私が誘惑する間もなく、あの修道士は初対面から変態発言ぶちかましてきたんだから。理不尽だわ!」
まるで子供のような口喧嘩をしている二人に、アルフレッドとジーナはきょとんとしている。甥のジョージも丸い目をさらに丸々とさせ、賑やかな二人を見つめていた。
喧嘩に夢中になっている二人は他の客の存在に気付いていないようだったが、マリアが先に、メレディスが抱いている赤ん坊に気付いた。
「あら、可愛い。赤ちゃん……なんだかメレディスに似ているような」
「お前の隠し子か」
シルビオの言葉に、違うよ、とメレディスは即座に否定する。甥でしょ、とマリアはクスクス笑いながら言った。
「マクファーレン伯爵、ジーナ様、お久しぶりです。お見苦しいところを……大変失礼いたしました。シルビオ、この二人はメレディスのお兄さんとその奥方よ。マクファーレン伯爵、こちらはシルビオ。キシリアからきた客人で――」
「存じております。弟が近況を知らせる手紙でよくその名前を見ました」
アルフレッドは、親しみを込めてシルビオに向かって挨拶する。
「初めまして、シルビオ殿。メレディスの兄でアルフレッドと申します。弟がいつもお世話になっております。これからも、どうかメレディスの良き友人でいてやってください」
「ゆ……」
友達扱いされて、シルビオは返答に詰まっていた。メレディスも、友達なのかな、と思わず目を泳がせてしまう。
「あなたたち仲良しじゃない。親友と言っても過言じゃないぐらいに」
マリアの言葉に、それは過言だ、とメレディスとシルビオは同時につっこんでしまった。
アルフレッドやジーナに笑われてしまって、二人は互いの顔を見合った。
アルフレッドとジーナはその後、夫婦二人でオルディスにある公衆浴場へ出かけて行った――風呂の布教を行っているマリアの強いすすめで。
その間、甥のジョージはメレディスが預かることになった。今日はもう仕事を終え、ジョージを連れてマリアの屋敷で世話になる。
マリアはジョージを抱っこし――その姿は、なかなか様になっていた。
「……いいなぁ。そういう姿見てると、僕もマリアとの子どもが欲しくなるよ」
マリアの絵を描きながら、ぽつりと。思わずそんなことを漏らしてしまった。
「俺が先だぞ。俺のほうが先に言い出したんだから」
隣でメレディスが描く絵を見ていたシルビオが、間髪入れずに口を挟む。マリアもメレディスも苦笑するしかなかった。
「まずはこの子を元気に生んでからよ。出産は命がけとはよく聞くけれど、どれくらい大変なのかしら。まだ人に妊娠を話せる段階じゃないから、経験者に聞いてみることもできなくって」
「こればっかりは男の僕たちは役立たずだね。僕もジーナに、それとなく聞いてみるよ」
マリアが不安そうにするのは珍しい。でも、それも当然だ。
自分以外の、もう一人の命を賭けているのだ。さすがに軽率にはなれない……うん。こういう時ぐらい、お転婆もほどほどにしてほしい。
「マリアの子なら、男の子でも女の子でも美人で賢い子になるだろうね。マリアそっくりの女の子だったりしたら大変だろうなぁ。周りの男が放っておかないだろうから」
「……大変などという表現で済めばいいのだがな。血で血を洗う凄惨な修羅場になる予感しかしないぞ、俺は」
大真面目にそう話すシルビオに、メレディスも笑顔を凍りつかせた。
「うーん……そうだね。そうかも」
「何気に失礼ね、あなたたち」
マリアはちょっと拗ねたように非難するが、言われるだけの心当たりはあるでしょ、とメレディスも反論したくなった。
オフェリアとヒューバート王子の初夜――そこで繰り広げられた、凄惨な争い。
浴びるように男たちは酒を呑み、競い合い……屍の山が築き上げられたあの夜。いまも、あの夜の犠牲者たちは重症で寝込んでいる。
――生憎と、二日酔いというのは酒を飲まないメレディスには無縁の苦しみだ。
「おじ様はケロッとした顔で、今朝も元気に政務に励んでいらっしゃったけど」
「あの男の底なしっぷりは異常だぞ。見ていただけの俺でも気分が悪くなりそうな量を飲んでいたというのに。おかげで助かったのは事実だがな」
シルビオが言った。
マリアへの夜這いの権利を賭けて行われた酒飲み勝負。
なぜかロランド王もそれに便乗し、領主に挑戦していた。あっさりと返り討ちに遭い、いまも客室で寝込んでいる。
ロランド王が身動きを取れなくなったので、今日のシルビオは王の見張りから解放されていた。
「なんだか可愛らしい声が聞こえると思ったら、赤ん坊が来ていたのか。メレディスの隠し子かい?」
ゆったりとした寛衣を着たヒューバート王子が、部屋にやって来た。
違います、とメレディスが答えれば、ヒューバート王子は笑った。
「冗談だよ。マクファーレン伯の子息だね。前に話していた、メレディスの甥……」
マリアから赤子を受け取り、ヒューバート王子は腕に抱いたジョージと見つめ合う。
ジョージはさっきから見知らぬ人に抱かれてばかりで、もう知らない人に動じることもなくなっている。人見知りをして泣く様子もないし、意外と肝が据わった子だ。
「きょとんとした目で見つめる顔は、メレディスにそっくりだ」
「殿下もそう思われます?実は私も、その子のちょっととぼけたような顔がメレディス……それにメレディスのお兄様にそっくりで、三人が並ぶと笑ってしまいそうになります」
実は、義姉のジーナからも言われたことがある。きょとんとした顔が三つ……そっくりで思わず笑ってしまう、と。
「名前はジョージだったかな。お父上の名を継いだんだね」
ヒューバート王子に言われ、メレディスは頷く。
長く続く家では、親の名を子につけるのが一般的だ。しかしジョージという名は、アルフレッドやメレディス、それに義姉にとってもあまり好感の持てるものではない。
そんな名を大切な我が子に受け継がせることを了承してくれたジーナの心の広さには、まったく頭が下がる思いだ。
「こうやって抱いていると、やっぱり僕もいつかは父親になりたいと思ってしまうな」
「お気持ちはお察しします。けれど、しばらくはご勘弁を」
マリアの頼みに、分かっている、とヒューバート王子は言う。
子どもを生むには、さすがにオフェリアはまだ幼い。身体がもたないとマリアは反対していたし、ヒューバート王子も、オフェリアを危険に晒すことは望まなかった。何よりも大切なのは、オフェリア自身なのだから……。
「おい、ところでお前なにを描いてるんだ。マリアの絵じゃないのか」
メレディスのスケッチを見ていたシルビオが、口を挟む。
「ああ、これはスケッチだけど、下絵というよりイメージをつかむためのもので……ほら、オルディスに新しい教会を建てただろう?あの教会に相応しい聖母像を作ろうと思って」
「メレディス、あなた、彫刻もできたの?」
目を丸くしながらマリアに問われ、メレディスは首を振った。
キシリアで著名な彫刻家と知り合ったので、イメージ図を描いて彼に送り、それで作ってもらおうと――メレディスが話せば、そう言えば、とシルビオが何かを思い出したようにマリアを見た。
「こいつ、法律大学出身だったんだな」
「そうよ。法律家としても結構優秀みたい。その知識でクラベル商会も助けられてるし」
「そうだろうな。キシリアでも機転を利かせて、ロランド王を助けてくれていた」
――それは、ある夜、キシリア王都でのこと。
城を抜け出し、護衛もつけずに一人町をうろついていた王は、酒に酔って女性に絡む男を目撃した。
王は正体を隠したまま仲裁に入り、酔っ払いが剣を抜いて斬りかかってきたため、仕方なく反撃。相手を死に至らしめてしまった。
それから数日後、ある貴族から訴えがあった。
父親が、通り魔に遭って殺されてしまったと。王はその訴えを真摯に聞き入れ、犯人を見つけ、必ず捕えてその首を晒す……そう約束した。
おおよその予想はついたと思うが、その殺された父親というのは件の夜に王が殺害してしまった酔っ払いのことであり、首を晒すべき下手人はロランド王であった。
その真相が判明してさあ大変。
まさか王を処刑するわけにもいかないし、かといって王たるもの、口にしたことを違えるわけにもいかない。
訴えた貴族も、相手が国王、しかも自分の父親に非があった真実を知り、さりとて訴えをいまさら取り下げることもできず……。
そこにメレディスの登場である。
丁度キシリアを訪れていたメレディスはその話を聞き、王のために一計を案じた。
知り合った彫刻家に頼んでロランド王の彫像を作らせ、その首を晒す――これで間違いなく、王はその務めを果たした。
恐るべき通り魔の首は王の言葉通りに晒され、訴えた貴族も王の采配に感謝して事件の収束を認めた。こうして、ロランド王は危機を脱したのである。
……ちなみにその後、一人で勝手に城を抜け出した挙句斬り合いをして、しかも彫像とは言え王の首を晒し者にするとは何事か、とロランド王は王妃からこんこんと説教されていた。
「なかなか見事だったぞ。ロランド王も感心していた。あれで法律家にならぬとは、いささか惜しい気もする」
珍しく素直に感心するシルビオに、メレディスは照れつつも困ったように笑った。
「法律を学ぶのは嫌いじゃなかったよ。父に強制されたのでなければ、もしかしたら僕にもその道があったのかもしれない」
もっとも、いまはもう有り得ないことだ。
クラベル商会のためにその知識を活かしてはいるが、メレディスが目指すの絵描きとしての道。
マリアをモデルに描いた聖母像のイメージ図を眺め、メレディスは選ぶことなかった道について考えることを止めた。




