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紫色のクラベル~傾国の悪役令嬢、その貴種流離譚~  作者: 星見だいふく
第六部03 嵐に襲われた城
210/252

正体 (3)


事件が起きたのは、穏やかな昼下がりのことだった。


明後日には、フランシーヌからの使者たちも国へと帰る。だが彼らが帰国するにあたって、始末してしまった軍務卿クレルモンのことをどう言い訳するか――それについてマリアも呼び出され、謁見の間で王や宰相、ヒューバート王子と話し合っている時。


チャールズ王子の親衛隊を務めている騎士が、真っ青になって謁見の間にかけ込んで来た。

許可のない人間が許しもなく立ち入って良い場所ではないのだが、あまりの剣幕に、その騎士を諌めることもみな忘れてしまった。


「へ、陛下に申し上げます!法務卿ヴァントーズが、チャールズ王子殿下の私室にて、殿下を人質に取り立てこもりました!」

「は……」


その報告を聞いた時、王は口を大きく開け、信じられぬという表情で唖然としていた。宰相もヒューバート王子も……マリアも。

どこまでも野蛮で愚かなフランシーヌ人に、驚きを隠せない。


「……このエンジェリクの、それも城の中で、エンジェリクの王子を人質に立てこもる?そのような馬鹿げた話、聞いたこともないぞ。どこまで我々を侮る気なのだ……!」


王は、呆れと怒りが高まり過ぎて、いっそ脱力している。

マリアは、騎士が手にしている布を見た――その布は、血で汚れているような気がして。


「それは?」


マリアが指して聞けば、騎士が恐るおそる差し出す。

宰相が布を受け取り、うっと短く唸った。折りたたまれた布を、マリアたちにも見えるように開いてみせる。

布に包まれていたのは、人のツメ。それも十枚……。


王が息を呑んだ。


「……ヴァントーズが立てこもっているという部屋に案内せよ」

「陛下!」


宰相が諌めるように声をかけたが、王は首を振る。


「放ってはおけまい。このようなものを王に突きつけて来たということは、図々しくも余を呼び出しているということだろう。あるいは、ヒューバートを」




チャールズ王子の私室では、すでに人が集まっていた。

王子についているはずの親衛隊に、王子の世話をするはずの女官たち……事がことだけに内密にしておいたが、王子のそば近くに侍る彼らは王子が捕らわれていること知っている。

不安そうな表情をしながらも、部屋の前で立ち尽くすばかりで……。


「ヴァントーズ。エンジェリク王はそなたの呼び出しに応じ、自ら足をお運びくださった。お前も、フランシーヌを代表する人間ならば、直接話し合いの場に姿を現してはどうだ。それとも、礼儀知らずの野蛮人には、その程度の勇気もないか!?」


扉越しに、宰相が厳しく声をかける。しばらく沈黙が続き……やがて扉が開いた。

にたにたと卑しい笑顔を浮かべ、法務卿ヴァントーズが姿を現す。


「これはこれは。まさか、王自らお越しくださるとは。王族など、有事の際には我が身可愛さに真っ先に逃げ出す卑怯者ばかりだと思っておりましたが、エンジェリクにはなかなか気骨のある御方がいらっしゃるようだ……」


言いながら、ちらりと扉の前にいる王子付きの親衛隊や女官に視線をやる。

それまで野次馬精神を隠しきれずに成り行きを見守っていた彼らが、気まずそうにそそくさと物陰に潜んでしまった。

……彼らは、我が身可愛さにさっさと逃げ出したようだ。


「王子をどうした」


宰相の言葉に、法務卿は王を見ながら答える。


「ご安心を。チャールズ殿下には傷一つ付けておりませんよ。お届けしたツメは、殿下のものではございません。リチャード・レミントンとかいう、王子の伯父です。殿下を捕えた時にですね、周りの人間に聞いてみたのですよ。王子の代わりになる者はいないか、と。一斉に視線を逸らす者たちの中で、彼が即座に交代を申し出てきましてねえ……いやあ、これが手ごわい相手でして。かなり追い詰めたんですが、自分が助かるために王子を差し出す旨を一切口にしないんです。周囲の人間に見捨てられたチャールズ王子の、絶望する様を見たかったというのに……」


法務卿は、心の底から残念そうだった。


チャールズ王子は、ひとまず無事なようだ。身代わりとなってくれたレミントン侯爵のおかげで……。


「ヴァントーズ!お前は何を考えているんだ!フランシーヌを滅ぼす気か!?」


どこから話を聞きつけたのか、はたまた互いに見張り合っていたのか、内務卿ロランが蒼白な顔で怒鳴り込んで来た。

法務卿は、卑しい笑顔をぴくりと歪ませ、落ち着き払った態度で内務卿を冷たく睨む。


「他国に来て、その国の王子を人質に取るだと……!?挑発行為ではないか、戦争でも起こす気か!そうなったら、財政も厳しく、混乱の続くフランシーヌに勝ち目はないのだぞ!エンジェリクは教皇庁と和解し、キシリアとも友好関係にある。一方、王政を引っくり返した我々は、周囲の王制国家にとって煙たい存在……戦争になればどうなるか、その結果は日を見るより明らかではないか!」

「臆病のあなたの主張は、もう聞き飽きました」


法務卿は、内務卿に向かって馬鹿にしたように反論する。


「ご心配なさらずとも、三日後にはデュナン様がエンジェリクに到着されます。クレルモンが逮捕されたと聞いた時、密かに遣いを送っておいたのですよ」

「ランベールがエンジェリクに……」


胸を張り、誇らしげに語る法務卿に、ロランは落胆のため息を漏らした。

ランベールが誰なのか、マリアは一瞬だけ考え込んだ。デュナン将軍のファーストネームだ。ランベール・デュナン。それがフランシーヌ皇帝のフルネーム。


「お前はそれで全てが解決すると思って、こんなことをしでかしたのか……?ランベールが魔法のように解決し、何もかも上手くいくと……本気で……?」

「ロラン殿、デュナン様からの返事で知ったのですが、あなたはクレルモンのことを報告していなかったのですね。おかしいですなぁ。自分から報告しておくと、確かにそうおっしゃっていたのに……また臆病風に吹かれ、デュナン様を裏切ろうとしたのですか?裏切りはあなたの得意芸でしたからね。我々の計画を密告して、フランシーヌ王の一家を逃がそうとしたのはあなただ……」

「言いたいことはそれだけか、ヴァントーズ。いますぐチャールズ王子を解放しろ。もう手遅れかもしれんが、これ以上の愚行は同胞として見過ごせん」

「お断りします。いま王子を解放したら、私はそこのエンジェリク人たちによって八つ裂きにされてしまうじゃないですか。大事な命綱です。デュナン様が到着するまで絶対手放しませんよ」


そう言って扉の向こうに消えてしまいそうな法務卿を、待て、とロランが止める。


「ならばレミントン侯爵を、私と交代させてくれ。王子の身代わりを務められるのなら、誰でもいいのだろう?」


その申し出に、ヴァントーズがぴたりと動きを止めた。

敵視する内務卿を頭のてっぺんからつま先まで品定めし、にっと気持ちの悪い笑みを浮かべる。


「いいですよ。その申し出には応じましょう。あなたと侯爵を交代させてあげます。さあ……」


法務卿の合図と共に屈強そうな男が部屋から出てきて、内務卿の腕に拘束具をはめる。

拘束具につけられた鎖で引っ張られながら、侯爵を解放しろ、と内務卿が迫った。


「解放します。ある程度、あなたが王子の代わりを務めたら。解放した途端、さっさと逃げ出してしまう可能性があなたにはありますからね。多少は誠意を見せてもらわないと、信用するわけにはいきません」


内務卿は、悔しそうに歯を食い縛った。

フランシーヌ人同士で揉め、勝手な結論を出して、二人は部屋の向こうへ消えようとしていた……。


「お待ちください。ならばせめて、リチャード様の手当てをさせてはいただけませんか?手当てのために部屋に入るのは私一人……それでいかがでしょう」


内務卿は気遣わしげに、法務卿は品定めするように、二人のフランシーヌ人はマリアを見た。

マリアをじっと見ていた法務卿は、マリアの腹のあたりで視線を止め、いやな笑顔を浮かべる。


「たしかあなたは、王の愛妾だとか。しかも妊娠している。そんな女性が、危険に飛び込んで……実にすばらしい勇気だ。勇敢な女性に敬意を表して、その提案は私も快く受け入れることにしましょう」


秘密警察長官……この男が何を好んでいるのか、想像する必要もない。

妊婦だなんて、そんな面白そうな獲物。見逃すはずがないと思っていた。


ヴァントーズは、恭しくエスコートするようにマリアを部屋に案内する。そしてもう一人、法務卿に声をかける者がいた。


「ヴァントーズ。チャールズ王子の代わりを欲していたな。僕では不足か」


ヒューバート王子の言葉に、法務卿は目を丸くし、驚愕に息を呑んだ。

王や宰相も目を見開き、ヒューバート王子を見ている。


「ラプラス王家の血を引くのは、もう僕だけだ。フランシーヌ王族は悉く処刑してきたお前たちにとって、最後の生き残りにはどれぐらいの価値がある?」

「それは、もう……いや、なんと喜ばしい展開だ……」


法務卿は興奮し、頬は紅潮していた。

気持ちの悪い反応にも王子は動じず、冷たく法務卿を見据えている。


「話は決まりだ。レミントン侯爵の手当てのためにマリアと、チャールズ王子の代わりとして僕がその部屋に入る。内務卿殿は……」

「私も入ります。チャールズ王子を解放しても、今度はレミントン侯爵を人質に取ったままにするかもしれない。こいつは、それぐらいのことはする」


内務卿ロランの手厳しい評価にも、法務卿は笑うばかり。

こうして、チャールズ王子が捕えられている部屋に、マリア、ヒューバート王子、内務卿ロランが入室した。


部屋の片隅で、チャールズ王子はうずくまっていた。その傍らには、力なく横たわるレミントン侯爵が……。


侯爵は、明らかに異様な姿であった。

チャールズ王子は拘束されているが、侯爵には手錠のひとつもない。ツメは剥がされ、変形した指……腕の変色を見るに、折れているのは指の骨だけではない……そして足は……。


「伯父上……うぅ……」


すすり泣くチャールズ王子を無視し、マリアは侯爵のズボンをめくる。

靴を履いていない侯爵の足……指先は、鈍器のようなもので叩き潰されている……止血の跡を見るに、もしや足の腱が切られているのではないだろうか。

それなら、拘束されていない理由も納得だ。獲物を逃げられないようにして、じわじわ痛めつけてきたのだ……。


「……っ、オルディス公爵?」


具合を確認するためにマリアが身体を動かしたことで、侯爵が痛みに小さく呻いた。侯爵に視線を向けられ、マリアはぎくりとした。

……片目がない。

目があるはずの場所は醜く焼けただれ……熱を持ったままの火かき棒か何かで、侯爵は目を……。


「君たちを呼び出すとは……あのクソ野郎、そこまで調子に乗っているのか」


それでも笑ってみせて、何気ない口調でしゃべるレミントン侯爵には、さすが、とマリアも感嘆するしかなかった。


思った以上に手荒な拷問だ。

拷問のプロなら、もう少しスマートなやり方を選ぶかと思ったが……所詮、もとは単なる平民。秘密警察長官などという立派な肩書きを持っているが、中身はただの嗜虐趣味の変態だ……。


「おい、何してる。そいつの拘束は外して、両腕を抑えておくんだ。首を差し出すように跪かせろ」


法務卿が、男たちに向かって言った。

男たちは、軍務卿クレルモンと同じ軍服を着ている。ということは、クレルモンの部下……部下だったのか、法務卿側の間者だったのかははっきりしないが。


「斧はなかったか……これで殴りつければ、とりあえず死ぬだろ」


拷問具の中から長く太い棒を探し出し、法務卿ヴァントーズがぶつぶつ呟く。

ロランは、ヴァントーズのやろうとしていることを察して青ざめた。


「ヒューバート王子を処刑する気か?ランベールが来るまでの、大事な命綱だろう!?」

「ラプラス王家の人間に、そんな悠長な真似できるわけないだろう。奴らは皆殺しだ。ことごとく……その血は、絶やしてしまわなくては」


奇妙な使命感にとりつかれたヴァントーズは、荒い呼吸を繰り返しながらヒューバート王子に熱い視線を送る。

両腕を屈強な男に抑えられ、力づくで床に跪かされ――王子の白金の髪が、さらりと揺れる。


「……ひひ。そうしていると、フランシーヌ王妃の処刑を思い出すぞ。あんたのばあさんか」


ヴァントーズはこの上なく生き生きとした表情で、嘲るようにヒューバート王子に向かって話し続ける。


「あの女も、お前と同じプラチナブロンドでな。だが獄中生活で、その美貌も髪も最期には見るも無残な状態だったよ。断頭台に乗せて首を切り落とす前に、目障りなボロボロの髪も切り落としてやった」


短剣を取り出し、ヴァントーズはヒューバート王子の美しい髪を鷲掴みにする。掴んだ髪で顔を引き起こされ、王子は冷たくヴァントーズを見据えた。


「……この男たちは、軍人じゃないな。見た目こそ屈強だが、筋肉の付き方が戦で鍛えたもののそれと違う」

「ああ。こいつらはもともと俺の忠実な部下。クレルモンのところに送り込んでおいたスパイさ。優秀な拷問吏だぞ」


誇らしげに語るヴァントーズに、道理で、と王子は笑う。


「ヴァントーズ。ひとつ聞きたいのだが……拘束具と拷問具を使わなければ相手を痛めつけることもできない貴様が、武器を持っていないという理由だけで、僕に勝てると思ったのか?」


部屋にいる全員は、ヒューバート王子に注目していた――マリア以外は。


持って来た香水瓶。蓋を開け、ヒューバート王子の腕を捕えている一人の男に向かって投げつけた。

瓶は男の屈強な足にコツン、という小さな音を立てて床に転がり落ち、中身を零しただけだった……。


「この女、何を……」


ヴァントーズがマリアを見たが、香水瓶の一番近くにいた男がグラリと身体を傾かせ――次の瞬間には、ヒューバート王子がすべて終わらせていた。


戒めが解かれた腕で、ヴァントーズが持ち出した太く長い鈍器を奪い取り、まだ腕を捕えているほうの男の顎を下から殴り付ける。

香水瓶から発せられる毒ガスに苦しむ男も容赦なく鈍器で殴り飛ばし、突然の事態に混乱するヴァントーズを叩き潰した……。


拘束した相手を痛めつけることしかできない拷問吏と、戦場を生き抜いてきたヒューバート王子では、戦力に歴然の差がついていた。

優男の見た目に油断し、ラプラス王家の生き残りを始末できるという興奮に慎重さを忘れてしまったヴァントーズでは、勝ち目があるはずもなかったのだ。


マリアはそれを、息を止めて見ていた。

あの香水瓶は、かなり強力な毒ガスを詰めておいた。毒に耐性のあるヒューバート王子だから、あの至近距離でも耐え、行動できた。

そのヒューバート王子ですら、ヴァントーズを始末すると、わずかにふらついている。


「な、んなんだ、これは……」


チャールズ王子はマリアが仕掛けた毒ガスに気付いていないようで、思考が麻痺し、呼吸する度に不快な空気が流れ込む原因が分からず苦しんでいた。

そんなチャールズ王子を、ヒューバート王子が引きずるようにして扉まで連れて行く。


マリアも、できるだけ息をしないように呼吸を止めたまま……マリアも毒に耐性はつけてきたが、ヒューバート王子ほどではないし、いまはお腹に子どもが……。


内務卿ロランが毒ガスに意識を朦朧とさせながらも手助けしてくれなかったら、この状態で大の男を――レミントン侯爵を出入り口まで運ぶのは無理だっただろう。

チャールズ王子を扉の外に放り出したヒューバート王子が、すぐに引き返して来る……王子が自分に向かって手を差し伸べるのを最後に、マリアの視界は暗くなっていく……。


お腹に、小さな痛みが走ったような気がした。


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