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紫色のクラベル~傾国の悪役令嬢、その貴種流離譚~  作者: 星見だいふく
第六部03 嵐に襲われた城
209/252

正体 (2)


「急に聞かされたから、簡単にしかお部屋用意できなくて。えっと、ご不便なところとか、ないですか?」


たどたどしい敬語で、オフェリアはおずおずとエステルに話しかける。

部屋を見回すエステルは、いつものようにぼんやりとした表情で。エステルに代わり、侍女のポーラがにこやかに答えた。


「素晴らしいお部屋ですわ。とても配慮が行き届いていて……これは、オフェリア様が、ご自身で整えてくださったのですか?」


ポーラに問われ、オフェリアはおろおろとしている。

男性相手よりはマシだが、見知らぬ女性にオフェリアはすっかり緊張していた。

真意のまったく読めないエステルでは、オフェリアが戸惑うのも無理はない。マリアですら、エステルの扱いには時々困るのだから。


「はい――あ、えっと……実際はホールデン伯爵の……えっと、えっと……」

「贔屓にしている商人や侍女たちの助言を受けながら選んだ内装ですが、おおよそはオフェリアのセンスです。こういったことは、昔から私より妹のほうが才能があるので」


自分の言葉を、敬語で――慣れていないオフェリアの口調はたどたどしく、マリアはくすりと笑って妹の台詞を引き継いだ。


「エステル様も気に入っているご様子……分かりにくいでしょうが、実は喜んでいるのですよ」


エステルの変化がよく分からないマリアとオフェリアに向かい、ポーラは明るく笑いながら言った。

エステルは相変わらずぼんやりとした表情だが、部屋の中をうろうろと見回っている。


突然、マリアから宿泊客を招くことを知らされたオフェリアは、大急ぎで客室を整えた。エステルのために……。


いささか少女趣味の乙女チックな内装だが、あどけなさが残るエステルにはよく似合っていると思う。飾られた可愛らしい小物に、彼女もどうやら興味を示しているみたいだし。


鳶色の、手作りのくまのぬいぐるみ……ぬいぐるみが着ている衣装には、なんだか見覚えがあるような。


「手縫いのぬいぐるみですね。あら、そのくまが着ている衣装……」


エステルが手に取っているぬいぐるみを見て、ポーラも気付いた。くまのぬいぐるみが着ている男物の服――同じ服を、マリアも着たことがある。


「そのくまさんはお姉様がモデルなんだ。お姉様が持ってるお洋服、くまさん用にも同じの作ったの。ドレスもあるんだよ!」


そう言って、オフェリアはくまのぬいぐるみのそばに置かれた箱を開ける。

可愛らしい装飾の施された箱――中身はぬいぐるみの着替えだ。全部オフェリアの手縫い……そんなことに才能を無駄遣いして、とマリアは苦笑してしまった。


「オフェリア様は、刺繍もお上手なのですね。エステル様も刺繍は得意で……せっかくですから、お屋敷に置いていただいている間に、私たちも公爵くまの衣装を作りましょうか」


エステルが、小さく頷いた。打ち解けられそうな雰囲気に、オフェリアもホッとしたように笑顔を見せる。

まだまだぎこちなく、距離は少し開いているが、共通の趣味のおかげで、オフェリアは先ほどよりずっと落ち着いた様子でエステルに接していた。


「ありがとうございます。エステル様のこと、細やかに気遣ってくださって」


エステルとオフェリアが二人で刺繍を始めると、ポーラが小さな声でマリアに向かって言った。


「環境が変わるので不安な様子もありましたが……おかげさまで、すっかり寛いでおりますわ」

「それは何よりです。オフェリアも、エステル様と親しくなれたことを純粋に喜んでいます。本当は、もっと早くにオフェリアをエステル様に紹介させて頂きたかったのですが……」


オフェリアがエステルと仲良くなれたら――それは、前々からマリアもちょっとだけ考えていてことだ。

城には、オフェリアの味方となってくれる女性は少ない。だから、マリアに好意的なエステルとはせめて親しくしておきたかった。


……それをしなかったのは、王から受けた忠告が気になったから。

オフェリアをエステルに近づけさせないほうがいい。正確には、ポーラに……。


「……陛下から、オフェリア様を私に近づけぬよう言われたのではありませんか?」


ポーラからズバリ言い当てられ、マリアは苦笑いするしかない。彼女に下手な隠し立ては危険だ。マリアは素直に頷く。

ポーラも、苦々しく笑った。


「陛下のその忠告は至極真っ当ですわ。私も、自分の気性の激しさはよく知っておりますもの。私には、エステル様を失いかけた過去があります。そのときの取り乱しよう……陛下はそれをご存知ですから。あれでは危険視されてしまうはずです。陛下がエステル様を気にかけてくださるのは、単なるエステル様への親切心や憐れみだけでなく、迷惑な私を封じ込めるためでもあるのですわ。放っておくと、何をしでかすか……」

「例えば……パトリシア王妃を手にかけたり?」


そこまで踏み込んでいいのか、マリアにも躊躇いはあった。

だが、オフェリアの近くに彼女たちを連れてきてしまった以上、知りたくない、と言って目を逸らせるものでもない。


マリアの言葉に、ポーラは静かに微笑む。


「公爵は、私の正体を悟っておいででしたね――そうです。私は王妃パトリシアの姉。そしてエステルは、私の実の娘です」


やはり、としかマリアは思わなかった。

なぜ王妃の姉と姪が、王妃の娘となり、そんな娘の侍女となったのかは分からない。あまり考えたくもない闇が、彼女たちにはあるのだろう。


ただ、ポーラとパトリシアの姉妹の間には、酷く険悪なものがあるのは分かり切っていた。


「公爵とオフェリア様が羨ましく感じる時もあります。お二人は本当に仲が良くて……私とパトリシアには、絶対あり得ないことです。歪んだ両親によって、歪んでしまった私と妹の関係……。ええ、公爵のおっしゃる通り、私は妹を八つ裂きにしてやりたいほどその感情をこじらせておりますの。そして敵意が高まり過ぎて、妹の娘にまで……」


娘のいるポーラと、大嫌いな妹……そしてその妹の娘。それがどんな反応を生み出してしまうかは、想像に難くない。

……女同士の関係は、一度こじれてしまうと悲惨だ。


「チャールズ殿下も、殺めてしまいたいほどに憎んでいらっしゃるので?」

「……チャールズに対しては、もっと複雑ですわ」


ポーラはそう言ったきり、黙ってしまった。

それ以上は、いまは詮索しないほうがよさそうだ。下手に刺激して敵意を拗らせ、それがマリアやオフェリアにまで向いたら困る。


「そのチャールズ王子のこと……。彼は大丈夫なのでしょうか。城に残っているのですよね。私もフランシーヌ人にはあまり好意的になれないので、あの無礼者たちを勝ち誇らせるために王子を死なせたくはありません」

「それは私も同意です。今回ばかりは、殿下も大人しくしておりますわ」


マリアは、レミントン侯爵にエステルたちのことを頼まれた後、チャールズ王子とも顔を合わせる機会があった。

――驚くことに、向こうからマリアに声をかけて来た。




「伯父上はフランシーヌ人と……シャルロット?そのフランシーヌ人の女と親しくしているモニカと距離を置けと命じて来た。お前もそう思うか」


いつもの尊大さはなりを潜め、おどおどとした態度でチャールズ王子がマリアに尋ねて来る。

小さく笑い、そうすべきです、とマリアははっきりと答えた。


「み、民衆には、寛大さと慈愛を示すべきだ。民の心をつかめば、王は貴族諸侯に媚びへつらわずとも、その力で立っていられる……」

「リチャード王……先代のエンジェリク王は、たしかにそのようにおっしゃっておいででしたね。ですがリチャード王の指す民衆とは、エンジェリクの民のことでしょう?フランシーヌ人は、そのエンジェリクの民を脅かす外敵です。リチャード王ならむしろ、守るべき民の敵には容赦しませんわ」

「そ、そうだな……フランシーヌ人については、話が別だな……」


マリアの言葉に、チャールズ王子は露骨にホッとする。


卑しくもエンジェリクの王子だ。

しかもいまのフランシーヌは、王族貴族というだけで粛清を繰り返しているような有様。

さすがのチャールズ王子も、フランシーヌ人には恐怖を感じているらしい。


「……モニカは、きっと僕を非難する。シャルロットという女は気の毒な身の上らしく、親しくすべきでないと苦言を呈した伯父にも食ってかかった。僕たちも、憐れな平民を踏みつけにして見て見ぬふりをするのかと……」

「彼女は気の毒な女性かもしれません。が、私たちが手を差し伸べる必要は感じません。それは同じフランシーヌ人がすべきことです」


マルセルの話によると、シャルロットという女性は、革命時代に内務卿ロランの恋人だったそうだ。

内務卿に強い敵意と劣等感を抱いていた軍務卿は、なんとか内務卿の弱点を突けないかとその恋人を無理やり……。

身体や心だけでなく、名誉まで穢された彼女は、軍務卿と結婚するしかなかった。

そんな経緯で結婚した夫婦が、上手くいくわけもない。悲劇のシャルロット――その話は、フランシーヌでも有名らしい。

……マリアやチャールズ王子――エンジェリク側にとっては、すこぶるどうでもいい話である。


「チャールズ殿下、今回ばかりはリチャード様の忠告を聞き入れなさいませ。貴族というだけで、人を人とも思わぬ連中なのです。国王一家への容赦のない処刑……あれはもはや私刑ですわ。殿下もご存知でしょう」


チャールズ王子が頷く。


フランシーヌの王族たちの末路。

国王と王妃は処刑人による公開処刑であり、比較的まともな最期だ。若き王女たち、幼い王子への私刑は、悲惨極まりないものであった。マリアですら戦慄するほどに……。


「フランシーヌの情勢は日に日に悪くなってきております。平民たちも血の粛正に嫌気がさし始め、政府は民衆への人気取りに新たな生贄を求めていますわ。その生贄に、長年の対立国の王子を選ばないとも限りません」


チャールズ王子の顔は血の気を失い、真っ青を通り越して白くなっている。矜持よりも恐怖心が勝っているのは喜ばしいことだ。

今回ばかりは、王子には大人しくしておいてもらわなくては。


「殿下。私もエンジェリクの公爵です。フランシーヌのために、エンジェリクの王子を死なせるなんてことは望みません。リチャード様のおっしゃることをしっかり聞き入れ、モニカのことは、最悪お見捨てになりなさい。あの子は政治というものをあまりにも分かっておりません」


チャールズ王子はもう一度頷いた。珍しく、マリアへの反抗も侮蔑もなく……。


去っていく王子の背を、マリアは皮肉な思いで見た。

大嫌いで軽蔑する女のはずなのに、こういう時、相談できる相手が王子には他にいないのだ。本人はまだ自覚がないのだろうが……。

――それは、チャールズ王子が裸の王様であることを象徴している。


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