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紫色のクラベル~傾国の悪役令嬢、その貴種流離譚~  作者: 星見だいふく
第六部03 嵐に襲われた城
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正体 (1)


それから数日間は、城は平和だった――表面上は。

静かに、騒ぎは起き始めていた。


「法務卿ヴァントーズの正体が判明しました」


宰相の執務室で、ドレイク卿はそう報告する。報告の場に居合わせたマリアは、黙って警視総監の報告を聞いていた。


「やつの本当の職務は、秘密警察長官です」

「秘密警察……」


宰相と共にドレイク卿の報告を受け、ヒューバート王子は顔を曇らせる。


秘密警察――思想犯や政治犯を取り締まることを主とした、特殊な組織だ。

自由と平等を象徴とする国で。思想犯を取り締まる公的組織。


マリアは皮肉な思いで笑った。


「自由と平等を理念に掲げ、民衆のための革命……でも結局は、新しい支配者を生み出したに過ぎないわ」

「その通りです。旧い体制を破壊し、王や貴族を処刑して……そして新たな特権階級を作り出しただけ。だから僕は、連中が起こした革命を肯定する気になれないのです。ラプラス王家の人たちはことごく命を奪われ……それを革命だなんだと誇るのは、ただの聞き苦しい詭弁だ」


マルセルは吐き捨てるように、苦々しく言った。


「しかし、秘密警察長官と言えど、外国でその力を自由に振る舞うことはできないはずだ。法務卿は自身の部下を連れてきてはおらぬのだろう」


宰相が、警視総監に確認する。ドレイク卿も頷いた。


「それらしき人物との接触は見られません。軍務卿の残りの部下も見張らせていますが、彼らと接触する様子もありません」

「クレルモンは、新参者のヴァントーズを見下していました」


マルセルが口を挟んだ。


「内務卿ロランと、軍務卿クレルモンは、革命が起こる以前からデュナンの仲間でした。それに対し、法務卿ヴァントーズは革命後に参入した人間で……新参者のくせに自分と肩を並べるヴァントーズを、クレルモンは人目を憚ることなく侮蔑していました」

「内務卿との関係は?」


先日話をした男のことを思い出し、マリアが尋ねた。


すべてを信頼する気にはなれないが、一人の人間としてはかなりまともな人物に見えた。

だが本当にまともな人間なら、野蛮な軍務卿や秘密警察のトップにいる法務卿を、受け入れられないはず……。


「クレルモンがロランに強い敵愾心を抱いていることも有名です。デュナンからの信頼も、その実力も、格が違い過ぎる。それはクレルモン本人も認めています」


マルセルの答えに、ドレイク卿も同意する。


「後継者争いをする者同士、やはり三人の仲は芳しくないかと」


ドレイク卿は、部下たちが探って来た内務卿と法務卿のやり取りを報告した。




「……うまくやりましたねえ、ロラン殿。目障りなクレルモンを、実に見事に葬り去って」

「何のことだ」


不愉快な表情をしながらも、ロランの顔に驚きや戸惑いはなかった。彼もまた、こうなるのではないかと薄々予想はついていたのだろう。それほどまでに、クレルモンの浅はかさは有名だった。


「デュナン様の部下として競い合う相手だけではなく、男としても憎い存在だったのでしょう。クレルモン夫人……シャルロットでしたっけ?あなたの恋人だった彼女に目をつけ、あの男は無理やり自分のものにした……」


ロランはジロリとヴァントーズを睨み、ヴァントーズはおどけた調子で、怖い怖い、と呟く。


「けれどこれで、あなたがデュナン様の唯一の後継者になったのは事実ではありませんか」

「唯一……そうだな。おまえが死ねば、私が唯一の後継者だな」


本気とも冗談とも分からぬ言葉……むしろ、自棄になって飛び出したような台詞のようにも思えた。ロランはどこか投げやり気味だ――いまだけでなく、いつも。


「まさか、そんな、畏れ多いことを。新参者の私は、内務卿どころか軍務卿と肩を並べるのもおこがましい人間。結局、後継者候補などと言われていても、実際はロラン殿一強の出来レース状態ですよ……」




宰相の執務室での報告を聞き終えたマリアは、久しぶりに自分の屋敷へ帰るつもりだった。

そんなマリアに、レミントン侯爵が忙しなく声をかけて来る。


「オルディス公爵!見つかってよかった、君を探していたんだ」

「リチャード様……私に何の用でしょう?」


レミントン侯爵と話をするのも、ずいぶん久しぶりだ。チャールズ王子が城に帰ってきて以降、侯爵も忙しくてマリアを気に留める様子もなかった。


「君に頼みたいことがある。エステルとポーラを、君の屋敷で匿ってもらえないか」

「お二人を、私の屋敷で……ですか」


思いもかけぬ頼みごとに、マリアは目を丸くする。

いったいなぜ、と問い返せば、侯爵は珍しく難しい表情をし、真剣そのものの声で説明を続けた。


「アップルトン男爵令嬢だ。彼女が、フランシーヌ人にぺらぺらお喋りをしていてね。お喋りというか……相手に喋らされたというか」


マリアはピンと来た。

そう言えば、先日の使者歓迎のパーティーにモニカ・アップルトン男爵令嬢も参加していた――チャールズ王子のパートナーとして。


「リチャード様、もしや彼女がお喋りをした相手とは、法務卿ヴァントーズのことでは?」

「まさにその通りだ。やはり彼は胡散臭いのか。君が襲われたと聞いて、あの子の軽い口に原因があるのではないかと私も考えて……エステルたちのことも喋ったんだ。城に置いておくと、エステルも危ない」

「法務卿ヴァントーズの正体は、フランシーヌの秘密警察長官です」


頷きながらマリアが言えば、侯爵は重苦しく溜息をつく。


「最悪の相手だな。ならやはり、君が襲われたのはアップルトン男爵令嬢のせい……そして彼女を私的な場に招いて、情報を与えてしまったチャールズのせいだ」


マリアたちが疑っていた、内通者の存在。エンジェリク側の内通者はモニカだった。

本人はそんなつもりはなかったのかもしれないが、やらかしたことが大き過ぎる。取り返しは付かない。だがいまは、彼女のことは放置だ。

レミントン侯爵が危惧するように、エステルの安全を優先すべきだ。


「エステル様とポーラは、私の屋敷で匿います。ですが、王妃様や王女様は……?」

「彼女たちのことも、君に助けてもらおうかと。レミントン家が把握している場所はだめだ。あの子がどこまでフランシーヌに情報を漏らしたか分からない。それだけに楽観的な考えもできない。ちょうどいま頼みに行こうと思ってたんだが、君からも陛下や宰相閣下に口添えしてもらえないか。王妃と王女の部屋を、一時的に余所に移してほしいと」

「承知いたしました」


マリアは素直に了承した。


王妃も王女も、マリアにとって目障りな人間――いずれ排除すべき人間だが、フランシーヌのような、王侯貴族はとりあえず殺せばいいと思っているような敵対国に利用されるのは癪だ。

それに、王妃や王女の命を盾に王やヒューバート王子に迫る可能性もある。こちらの安全のためにも、彼女たちも守らなくてはならない。


「部屋を移ることに関して、文句は言わないよう私からパトリシアたちに言い含めてある。さすがに彼女たちも、野蛮なフランシーヌ人たちに殺されるかもしれないと脅せば、素直に頷いていた。それにチャールズにも。アップルトン男爵令嬢とはしばらく距離を置けと命じてある」

「殿下は納得されたのですか?」

「今回ばかりは。チャールズだってエンジェリクの王子だ。エンジェリクとフランシーヌの因縁の深さを知らないわけじゃない。フランシーヌ人に対する恐怖は持っている」

「ではチャールズ殿下も部屋を移されるのですか?」


ヒューバート王子のいる離宮はチャールズ王子の知らない場所だ。問題はない。

だがチャールズ王子の部屋は、モニカも出入りしたことがあり、当然、フランシーヌ側にも知られている……。


「……いや、チャールズの部屋は移さない。アップルトン男爵令嬢のこと……彼女の迂闊さと無防備さは前々から、色んな人間から警告されていた。それにもかかわらず彼女を側に置き、危険を招いた……チャールズには、少し責任を取らせたほうがいい。私も……あの子を甘やかし過ぎたツケは払おう」


今日のレミントン侯爵は、にこりともしなかった。常に愛想のよい笑顔を浮かべている彼が、いまは険しい顔をしている。


「それに、チャールズまで部屋を移すと、フランシーヌ側にさらなる情報を与えることになってしまうだろう。私たちがまだ、内通者の存在に気付いていないと思わせたほうがいい」

「たしかにその通りではあるのですが、危険が大き過ぎませんか?チャールズ殿下が囮になってしまうことに……」

「君がチャールズのことを気にする必要はない。あの子を守るのは私の役目だ。君にはエステルたちを守ってもらって……チャールズのことまで心配をかけるわけにはいかないからね」


そう言って、レミントン侯爵は初めて笑顔を見せた。だがその笑顔は、悪い未来を感じさせるような、どこか不安なものだった。


「どうぞお気をつけて。ヴァントーズたちのこと、何か新しいことが分かれば、リチャード様のお耳にも届くよう心がけますわ」

「恩に着るよ」


そう言って、レミントン侯爵は足早に立ち去る。


たぶん、本当に忙しいのだ。マリアとこうして話している時間も惜しいぐらいに。

なにせ、フランシーヌ側に渡った情報は、チャールズ王子のほうが比重が大きいのだから……。




「王妃と王女の一件、あい分かった。こちらで早急に手配しよう」


早速宰相の執務室を訪ね、マリアは王妃と王女の部屋の移動と、エステルたちを屋敷へ連れ帰る許可をもらった。

宰相は二つ返事で了承し、マリアから聞かされたことについて考え込む。


「エンジェリク側の情報提供者はモニカ・アップルトン男爵令嬢か……決め付けは危険だが、彼女の無防備さは常々危惧されていた。ついにその杞憂が、現実になったというところか」


この実現は、さすがのマリアも歓迎できないものだった。もうちょっと穏便な失敗で済ませて欲しかったものだ。


「男爵令嬢への責任追及は後日にしよう。ジェラルドに言って彼女の動向を見張らせ……どのように情報が行き渡っているのか確認する必要がある。法務卿に渡ったはずの情報が、なぜ軍務卿の知るところになったのか」


マリアも頷く。


後継者争いで揉めているはずの当人同士で、情報のやり取りが――有り得ないことではないが、いささか考えにくいことでもある。

まだ何か、マリアたちが見えていない部分があるはずだ。

それをしっかり見つけ出すまでは……。


モニカが愚かな情報提供者だと分かったからと言って、何かが解決したわけではなかった。

エンジェリクの城を襲う嵐は、まだ止んではいない。


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