招かれざる客 (3)
マリアは別の部屋に移ることになった――さらに警備は強化されたその部屋で、マリアはララの手当てをしていた。
「それじゃあ、連中に襲われて生き残ったのはララだけなのですか?いくら相手が武器を持って群れを成していたとは言え、警備にあたる近衛騎士とてかなりの手練れでしょうに」
警備についていた騎士はすべて、フランシーヌ人たちに襲われて死亡したらしい。
その報告をヒューバート王子から聞かされ、マリアは目を丸くした。
「一人ずつ襲って、確実に殺害していったそうだ。すべてが明らかになったわけではないが、少なくとも最初の二人はそのやり方でフランシーヌ人に殺されている」
「そんな知恵が回るような連中には見えませんでしたが……」
もしかしたら。武人としてはそれなりに考えて動くことができたのだろうか。マリアは考え込みながらララの包帯を巻き、マルセルを見た。
「助けてくれてありがとう。あなたが気付いて殿下やレオン様に知らせてくれていなかったら、本当に危なかったわ」
「いえ、礼を言われるようなことでは……。むしろ、後手に回りすぎたくらいです」
マルセルは恐縮した。
「軍務卿たちの動向は、イライジャ・ハックに頼んで見張ってもらっていたのです。最初から……。ヒューバート殿下を闇討ちするぐらいのこと、彼らならやり兼ねないと思っていたので」
それでハックは軍務卿たちがマリアのところへ向かっていることに気付き、マルセルに連絡してくれたわけか。マルセルの心配は、まさかの大当たりだ。
「ハックも、僕から頼まれた時は半信半疑でした。いくらなんでも使者として招かれていて、そんな浅はかな行動に出るはずがないと。だから連中を見張る時も、武器は所持していたものの軽装で。警備の者たちが襲われるのを助けにいくこともできませんでした」
「彼を責められないわ。私でも、先にあなたからその話を聞かされていたら、まさかと苦笑いしてしまうもの」
卑しくも国の代表が、そこまで馬鹿で浅はかで愚かだとは予想もできまい。
フランシーヌでの姿を知っているマルセルの言葉を疑いはしないが、エンジェリクにいる間は大人しくしているだろう、と。マリアでもそう考える。
「……陛下は、今夜は軍務卿一味のことで法務長官と口裏合わせね」
ヒューバート王子が淹れてくれた花茶を口にしながら、マリアが呟いた。
軍務卿たちを始末してしまったこと――しばらくはフランシーヌ側に隠さなくてはならない。
クレルモンたちは、宿舎での蛮行が過ぎ、王国騎士団の騎士たちと私闘を行って逮捕された。そういった筋書きで、彼らの存在を法務卿たちから引き離すことになった。
「他の二人は、エンジェリク側のこの言い分を信じるかしら?」
フランシーヌのことに詳しいマルセルに向かって問いかける。
「半々と言ったところでしょうか。逮捕も有り得ると考えるでしょうし、そういった口実でエンジェリク側が何かしらの制裁を下してしまったとも考える……少なくとも内務卿は、その言い分で大人しく引き下がるはずです。彼はクレルモンを嫌っている」
翌日の城内は、不気味なほどに平穏だった。
明らかに何かあったというのに、フランシーヌ側から抗議が起こることもなく。まるであちらも、こんなことが起こると予想していたかのように。
軍務卿に殴られた箇所は痛んだが、マリアも平静を装って城で過ごしていた。と言っても、城で自堕落に過ごすのは落ち着かないし、とりあえずドレイク卿の秘書として働いていた。
そんなマリアのもとに――ドレイク卿の執務室を、フランシーヌ人が訪ねてきた。
「失礼します。こちらに、マリア・オルディス公爵がいらっしゃるとうかがいまして」
内務卿ロランは、一人で姿を現した。
ポーカーフェイスのジェラルド・ドレイク卿が、ぴくりと反応する。表情に変化はないが、まとう雰囲気が不穏なものになったのをマリアは感じた。
「私に何の用でしょう」
「少し話をしたくて……お時間を頂けないでしょうか」
たまたま執務室に来ていたアレン・マスターズがマリアの護衛役としてついていくことは、半ば強制的に決定した。
本人も拒否するつもりはなかっただろうが、ドレイク卿が視線をやると、分かってますよ、と苦笑していた。
サロンに移り、マリアは内務卿と対面するように長椅子に腰かける。内務卿は、丁寧な態度でマリアに話しかけた。
「クレルモンが逮捕されたと聞きました。はっきり申し上げます。何があったか、私どもも予想はついております。恐らくそれに、あなたが関わっていることも……クレルモンが、あなたの名前を呟いて、かなりの悪態を吐いていたという証言もあるので……」
内務卿が力なく笑う。
こうして近くで観察してみると、内務卿ロランという男は本当にくたびれ果てているように見える。
革命という激動の時代を戦って生き抜いてきた男……のはずだが、いまの彼からは、時代を勝ち抜くための闘志のようなものは感じられない。
「クレルモンのような男が力と地位を得て、その欲望のままに好き放題暴れ回る……これがいまのフランシーヌです。あの頃の私が聞けば、きっと信じられないことでしょうね。あの頃の私は、この革命が必ず国のためになると……疑うこともなく突き進んでいました」
思い出を懐かしむ内務卿に、マリアは口を挟まなかった。
他国の人間の郷愁話にさして関心はないのだが、フランシーヌのことも、使者たちのことも、あまりにも知らなさ過ぎる。
彼の思い出話が単なる自己満足なのか、マリアを懐柔させるためのものなのか、見極める必要もあった。
「自分語りになって申し訳ない。こんなこと、いまや外国の、ほとんど面識のない外国人相手にしか話せなくなってしまったので、つい。私も、自分の発言には注意しないといけない。私は中流階級の出で、平民と言ってもそれなりに裕福な家庭の出身でして……寒さや飢えに苦しんできた平民たちからすれば、私は仲間ではないのです」
内務卿が言った。
「私は教師になりたかった。世を変えるためには、民衆の意識を変えなくてはならない。そのためにも教育の浸透が必要だ。一部の特権階級によってすべてが独占しているあの当時では、革命を起こして世の常識を覆すことが重要だと本気でそう思っていたのです。だが結局、革命がもたらしたのは……」
内務卿は一人話し続け、マリアはそれを黙って聞いていた。しかし突然乱入してきた客によって、話は中断された。
「エミール!」
美しいが、どこかみすぼらしい女性が、サロンに飛び込んできた。
女性は、内務卿の足下に憐れっぽくすがりつく。
内務卿は狼狽し、シャルロット、と小さな呟きを漏らした。
「お願いよ、私の話を聞いて頂戴……」
「私と関わると、君が辛い思いをすることになる。君の夫君が、いい顔をしないだろう」
「あの人は死んだんでしょう?エンジェリク王の怒りを買って、処刑されたと……お城の人たちはみんなそう噂しているわ!」
果たして彼女には、マリアが見えているのだろうか。
目の前で繰り広げられる芝居に、マリアは目を瞬かせて、観客に徹するしかなかった。
「シャルロット、すまない。私はもう、君の期待には応えられない。何もかも変り過ぎた」
内務卿は取り乱す女性をなだめようと必死だ。慎重に言葉を選び、彼女の反応に気をつけているように見える。
シャルロットと呼ばれる女性は、ぽろぽろと涙をこぼした。
「私がキズモノだから?あの男に穢されて……もうあなたには相応しくない女になってしまったから……だからあなたは、私に冷たくなってしまったの?」
こっそりとこの場を離れても、二人は気付かないのではないか。
マリアはだんだん馬鹿らしくなってきて、マスターズに振り返る。マスターズも、この事態に困惑していた。
「行かないで、エミール。お願いよ……」
内務卿は、振り返ることなくサロンを出て行ってしまった。
取り残された女性は、さめざめと泣き続ける――溜息をつき、マリアも立ち上がった。
「マスターズ様、私たちも仕事に戻りましょうか」
「え……よろしいのでしょうか、その……」
マスターズが女性を気にしているのは分かっていたが、マリアは無視した。
聞いてもいない不幸をぺらぺら喋る女性とは、関わらないほうがいい。慰める気も起きなくて、マリアは彼女を放っておくことにした。
サロンを出て行こうとすると、モニカ・アップルトン男爵令嬢が姿を現し、マリアを睨みつけて来る。
……マリアは苦笑いした。
「ご機嫌よう」
「ご機嫌じゃないです!あなたって、どうしてそうなんですか!泣いてる人を慰めるどころか、声もかけない……彼女が平民だから?平民がどうなろうと、あなたにはどうでもいいってこと?」
「その認識で構わないわ」
事実、どうでもいい存在なのは間違いない。
彼女は対立している国の人間で、そんな女性を助けたところで何の意義もない。そこまで考えたわけではないが、関わることにメリットがないのは事実だ。
「あら、チャールズ殿下もご一緒でしたのね。これは気付きませんで」
マリアがにこやかに笑いかければ、チャールズ王子はきゅっと唇を結び、視線をさ迷わせ……そしてマリアを見た。
なんだかいつもと反応が違う。マリアはおや、と思った。
「……私に何かお話でも?」
返事はないが、王子は何か悩んでいるようだ。侮蔑や罵倒もなく、真正面からマリアを見ている。
「チャールズ様、そんな人、関わっちゃだめです!意地悪で、チャールズ様のことも騙した酷い人……!陛下の愛人なんでしょう?それなのに、まだ王子様にも言い寄ろうとするだなんて……」
そう言って、モニカはチャールズ王子の腕にしがみつき、彼を引っ張る。マリアを睨む目には、嫉妬の色がありありと浮かんでいた。
……なんだか今日は、男女の修羅場に巻き込まれてばかりだ。
「もう結構ですわ。マスターズ様、今度こそ私たちは仕事に戻りましょう。気の毒な女性のことは、男爵令嬢が引き受けてくださるそうですから」
いい加減、付き合い切れなくなって、マリアは今度こそサロンを出た。
モニカは泣き崩れている女性のそばに寄り添い、彼女に声をかけていた。チャールズ王子は、マリアのほうを何度か振り返っていた。
「放っておいて、よかったのでしょうか」
執務室に戻る道すがら、マスターズが言った。
「それは、どなたのことを指しておっしゃっているのでしょう?」
泣いていた女性か、マリアに話がありそうだった王子のことか、それとも……。
「アップルトン男爵令嬢です。彼女がフランシーヌ人と接触するのを放置するのは、危険な気がして……」
マリアは返事をしなかった。だが、マスターズの心配はもっともだ。実はマリアも、その危険については考えていた。
ろくな教養もないまま城に足を踏み入れた彼女は、エンジェリクとフランシーヌの溝の深さ、消えることのない因縁を、きっと理解できていないことだろう。
そんな彼女がフランシーヌ人と――それも、要人と関わり合いのありそうな女と接触するのは、決して好ましいことではない。




