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紫色のクラベル~傾国の悪役令嬢、その貴種流離譚~  作者: 星見だいふく
第六部03 嵐に襲われた城
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招かれざる客 (2)


「マリア様、ご自分が妊娠中だということを決して忘れないでくださいませ!なんという危険なことを……あのような野蛮で危険な男の前に飛び出していくなど!大切な御子を危険な目に遭わせるのでしたら、例えマリア様でも許しませんよ!」


寝衣に着替えている間も、カンカンになったナタリアの説教は続く。

マリアは苦笑し、一応しおらしい態度で説教を聞いていた。


「ごめんなさい。ララや王国騎士団の皆さんを放っておけなかったの。でもね、私を叱るのなら、ララのことも叱らなくちゃいけないと思うわよ。ララにとって彼らは友人なのかもしれないけれど、そのために主人の私まで危ない目に遭わせちゃダメでしょって」


悪戯っぽくマリアが言えば、もう、とナタリアが呆れたように溜息をつく。

その時、部屋の外でララが声をかけて来た。


「王族付きの女官ですか……陛下からの伝言でしょうか。マリア様、少し失礼いたします」


丁寧に頭を下げ、ナタリアは一旦部屋を下がった。


今夜、マリアは屋敷に帰らず城に泊まって行くことになっていた。

グレゴリー王から、なるべく城に留まって自分のそばにいることを望まれている……のをいいことに、フランシーヌの使者をできるだけ近くで観察していたかったマリアは、城での滞在を選んだ。


オフェリアは、当然屋敷に残している。

ベルダやアレクだけでなく、デイビッド・リースもいるし、ホールデン伯爵もノアと一緒に屋敷に泊まって行ってくれることになっている……マリアだけ城に泊まることを、オフェリアはちょっぴり拗ねていた。


ナタリアが部屋を出て行くと、マリアは豪華なベッドに腰掛けた。

座ると、膨らんだ腹がよく分かる。ずっしりとした重みを伝えて来る腹を撫で、マリアはくすりと笑った。


「とんだママのところに来ちゃったわね、あなたも」


でもきっと、この子なら乗り越えてくれるはず。だって、自分と伯爵の子なんだから。


「お待たせいたしました。マリア様、やはり陛下からでした。今宵は部屋に伺えそうもないので、先にお休みになるようにと」

「きっとそうなると思ったわ」


フランシーヌからの使者たちへの対応を、いまは宰相と膝を突き合わせて相談しなければならないはず。今夜ばかりは、王も浮かれていられまい。マリアのところへ来る余裕などないのも当然だ。


「お言葉に甘え、先に休ませてもらいましょうか」

「そうですね。隣で控えております」

「ララにも、途中で適当に休むよう言っておいて。城なら近衛騎士が警備をしているのだから、ララに寝ずの番をしてもらう必要もないでしょうし」


早めに就寝できる日は、さっさと寝てしまうに限る。特にいまは、体調管理が何よりも大事だ……。




近衛騎士に守られた城は、エンジェリク最高の安全を誇るはずだった。だからマリアも、護衛役のララに休んでもいいと声をかけたのだ。

――こんな事件が起こるなんて、正直予想もしなかった。




不穏な気配に、マリアはぱちりと目を覚ました。

気配には敏感なほうだとは思っていたが……まさか城で、自分がこんな反応をすることになるなんて。


「ナタリア」


マリアが呼べば、内扉で繋がった隣室からナタリアが静かに、急いでやってくる。

ナタリアも異変を感じ、不安そうにそわそわとしていた。


「マリア様もお気づきになられましたか?何やら部屋の外で物音がして……人の声も聞こえるような気がするのです」


マリアに与えられた部屋は、防音のしっかりした、貴賓用のつくりになっている。そんな部屋で、室内に聞こえてくるほどの物音。実際には、かなりけたたましい音に違いない。


「私の上着を取って」


久しぶりに、護身具の出番が来そうだ。

ナタリアから上着を手渡される直前で、部屋に大男が侵入してきた。


軍務卿クレルモンは、寝衣の姿でベッドに腰掛けたままのマリアを視界にとらえ、卑しい笑みを浮かべた。


「へっ、こんな豪華な部屋で……。あんた、王様の愛人だって?公爵なんて言っても、娼婦となんにも変わらねえじゃねえか!偉そうな口聞きやがって!」


自分を庇おうとするナタリアを、マリアは背中に押しやる。剣を抜いて見下ろすクレルモンに、怯むことなくマリアは嘲りの笑みを返した。


「娼婦であっても、客は選ぶものよ。おまえなど、私に選ばれる価値もない男だということを思い知りなさい!」

「この女……!」


ドタバタと音がして、ララが乱入してきた――が、すぐに他の男に捕まっていた。

どうやら軍務卿は、部下を連れてここへやって来たらしい。護衛のララが抵抗していたが、さすがに五対一は分が悪過ぎる。


「なんという無礼な真似を。自分たちの王を処刑台に送るような恥知らずは、人間としての理性と知性も失っているのかしら」

「俺たちの生活が苦しいのは、王様や貴族共のせいだ!」


マリアの侮蔑に、軍務卿が吠えた。


「あいつらを殺せば、国は良くなるんだ!俺たちはそのために戦った、英雄だぞ!」

「利用されるだけの捨て駒のくせに、そんなことにも気付かないで……。そちらのほうが幸せかもしれないわね。どうせ気付いたところで、何かできるほどの力があるわけでもないのだから」


軍務卿は怒りで顔を真っ赤にし、腕を振り下ろした。


「マリア様!」


悲痛な声をあげ、ナタリアが倒れ込むマリアを抱きしめる。


顔を殴られた衝撃でマリアは吹っ飛び――しまった、と思った時には遅かった。

とっさにお腹をかばってしまって……その行動が、自分の弱点を晒してしまうのに。


「……妊娠してるのか」


ニヤリと笑う軍務卿に、ナタリアは恐怖で顔を真っ青にし、マリアをさらに強く抱きしめる。

軍務卿はナタリアの髪をわしづかみにして、軽々と彼女をマリアから引き離してしまった。


「その腹、踏みつぶしてやろうか?え?赤ん坊どころか、あんたの腹そのものがぐちゃぐちゃになるかもなぁ」


軍務卿はそう言って、脅すように蹴飛ばすふりをする。

ニタニタと癇に障る笑みを浮かべるこの男に、絶対怯える様など見せたくない。腹を庇う手に密かに力を込めながらも、マリアは軍務卿を冷ややかに睨みつけていた。


「そこまでだ!」


ウォルトン団長が部屋に飛び込んで来て、ララに圧し掛かっている軍務卿の部下を蹴り飛ばした。

すでに剣を抜き、続けざまに他のフランシーヌ人を斬り捨てる……。


「ずいぶんとまあ、エンジェリクの城で好き勝手暴れてくれたものだな」


軍務卿も、ウォルトン団長相手では余裕の態度を貫くこともできないようだ。

俺は国賓だぞ、と苦し紛れに怒鳴った……が、いまさら何の切り札にもならない。


「陛下の愛妾と知って危害を加えようとしたのだ。しかも彼女は、いま子を宿している。尊い二つの命を狙った――即座の処刑が許される」


ウォルトン団長の本気を感じ取り、軍務卿はほとんど自棄になって団長に斬りかかった。そんなものが、ウォルトン団長に通じるはずもなく。

軍務卿クレルモンはあっさりと地に伏し、物言わぬ姿と化して血だまりの中に倒れ込むことになった。


軍務卿の五人の部下は、一人は部屋に飛び込んできた際にウォルトン団長に斬り捨てられ、二人は格闘の末ララに倒されていた。

四人目も、ララが仕留めようとしている。逃げ出そうとした一人は、さらに部屋に飛び込んできた騎士によって、容赦なく斬り捨てられた……。


「オルディス公爵、駆けつけるのが遅くなって申し訳ありませんでした」


剣を収めながら、マルセルが謝罪した。マルセルと共に、ヒューバート王子もマリアの部屋にやって来た。


「マリア、無事でよかった」

「ありがとうございます。おかげさまで助かりました。レオン様も……」


マリアはウォルトン団長を見たが、団長に普段の陽気さはなく、厳格な王国騎士団団長モードのままだった。


「マルセル、ラドフォードを呼んで来い。近衛騎士が廊下で数人倒れている。どうやらフランシーヌ人にやられたらしい。ララ殿、オルディス公爵とヒューバート殿下の守りを頼む。私は急ぎ陛下のもとへ行き、宰相閣下とフェザーストン隊長を呼んでくる」


血まみれの死体をすぐに片付けてしまうことはできず、マリアは隣の控え室に移った。


ナタリアがマリアの状態を確認してあれやこれやと世話を焼きたがったが、ナタリアも軍務卿の暴行を受けてひどい有様だ。それに恐怖を拭いきれず、マリアを世話する手は震えている。


「マルセルたちが戻って来たら、今夜は僕の離宮に二人とも泊まって行くといい。あとで花茶を淹れよう。花の香りが、心を落ち着かせてくれる」


ヒューバート王子は、ナタリアを労わった。

ナタリアは震えながら大きく息を吐き、なんとか平静を取り戻そうとしている。


「申し訳ございません。お見苦しい姿を……」

「いいのよ。あんなに怖い目に遭ったんだもの。平然としている私が異常なの」


前から、自分は普通の人とは違うとマリアは感じていた。

罪悪感の乏しさもさることながら、恐怖心というものもかなり鈍い気がする。

きっと、恐怖でいまも震えているナタリアのほうが普通なのだ。この城で――力を得るために奪い合いをしている場所で生き抜くには、うってつけの体質だとは思うが。


「近衛騎士が倒れていたとのことですが、つまり護衛の騎士は……?」


先ほどの団長の言葉を思い出し、マリアは王子に尋ねた。


「死亡を確認したわけではないが、恐らく死んでいる。軍務卿と、その部下たちのせいだ。警戒してはいただろうが、まさか城で本当に殺し合いを始めるとは騎士たちも思っていなかったのだろう。油断と言われれば、それまでだが……」


王子が、憂いを帯びた表情で言った。


護衛としては失格だ。警備の騎士のほうが人数が多いはずなのだから、少数の相手に負けて要人を危険な目に遭わせるなんて。

だが王子の言う通り、騎士たちも、敵がまさかそこまで愚かな真似をしでかすとは思っていなかったのだろう。彼らの油断を笑うのは、さすがに気の毒だ。


「……しかし、なぜ彼らはここに。いえ、恥をかかせた私を痛めつけたかったのでしょうが……闇雲に探して辿り着ける場所ではありませんわ」


そうだ。そもそも、軍務卿たちがマリアのいた部屋まで来たことがおかしい。

ここは王族の許可がなければ立ち入れない場所。エンジェリク貴族であっても、存在すら知らない者もいる。

――それほど私的な場に、エンジェリクに来たばかりの外国人が。


「マリア!」


呼び出されて最初に戻って来たのは、王と宰相だった。

フェザーストン近衛騎士隊隊長は、ウォルトン団長と共に被害者の騎士と加害者のフランシーヌ人を確認しているらしい。


王は、暴行の跡が残るマリアを見て顔を歪め、恐るおそる抱きしめた――マリアを痛がらせないよう、腹の子を労わるように。


「なんという……フランシーヌ人どもめ、許すことはできぬ!なんというふざけた真似を……!」

「父上。お怒りはごもっともですが、フランシーヌ側への抗議は待ってください」


そのままフランシーヌの使者に怒鳴り込んで行ってしまいそうな勢いの王を、ヒューバート王子が止めた。

王は、なぜだ、と怒りに満ちた目で王子を見た。


「いまマリアとも話していたのですが、今夜のこと……もしかしたら、そう単純な話ではないかもしれません。ここは、偶然探して見つかるような場所ではない。なのに彼らは、全てを見透かしたように行動している」


警備の近衛騎士を殺害しているのが、まさにフランシーヌ人たちが確信を持ってここへ来たことを証明している。


闇雲に探していて、いちいち警備の人間を殺していてはきりがない。自分たちの侵入に気付かれる危険も増すというのに――彼らの場合、そんな計算もできないほど愚かな可能性も捨てきれないが。


「……内通者がいると言いたいのか」

「いえ……断言できません。いまはまだ。それを確かめるためにも、ここは素知らぬふりでやりすごすべきかと」


今夜のこと……マリアが襲われたことなんて、実はかなりささいなことだ。問題は、どうしてマリアが襲えたのか、ということ。


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