結婚式 (3)
「マリア。少し遅くなったが、ここで一度、みんなで乾杯しないか。乾杯の音頭はマリアが」
そう言って、おじはマリアに酒の入ったグラスを渡す。マリアは困ったように笑い、おじ様がお願いします、と首を振った。
「私、お酒が苦手でこういった場は避けてきましたので、やり方がいまいち分からず……それに、いまはジュースでお願いします」
「えっ……あ、そうか。ごめん、うっかりしてた」
おじが、慌ててマリアの持っているグラスをジュースに取り替える。メレディスも、僕もジュースで、と急いで口を挟んだ。
「父が酒に弱い人で。兄も弱いほうなので、きっと僕も酒はだめだと思うんです」
「俺も酒はなしだ」
シルビオが便乗する。
「俺が酔った隙を狙って、ロランド王が何をしでかすかわかったもんじゃない。酒に酔って王の乱行を見逃したとなったら、国に帰った時えらい目に遭う」
「私を何だと思っているのだ」
ロランド王が抗議したが、シルビオが白い目を向けることにマリアも甚だ同意した。
……信頼しろというほうが無理だ。前科があり過ぎる。
「ヒューバート殿下も、飲むのは構いませんがほどほどになさってくださいね。このあと初夜を迎えるのですから、酒に酔ってオフェリアに乱暴なことをしたら許しませんよ」
「えっ」
ヒューバート王子が目を丸くするのを見て、マリアまで目を丸くしてしまった。
「姉として、私が苦言を呈するのがそれほどおかしいですか?」
「いや、そうじゃなくて。僕はオフェリアとは、しばらく白い結婚を貫こうかと……」
「はい?」
白い結婚――つまり、初夜を迎えることのない結婚。
妻がかなり若く、年の離れた結婚だとそういったことも時々ある。オフェリアは、貴族の結婚適齢期から言えば少し幼い。ヒューバート王子の考えも分からなくもないが……。
「オフェリアをお飾りの妃にして、伽に他の女を侍らすつもりじゃ……」
マリアが冷たいを通り越して凍りつくような眼差しで睨めば、王子はものすごい勢いで否定した。
白い結婚なんてものは、たいていが離婚を前提としたやり方だ。夫婦関係がないことを理由に、婚姻無効を申し立てるための布石。
なぜオフェリアが、そんな結婚を強いられなくてはならないのやら。
「僕としては、オフェリアの負担を考えて……」
「オフェリアのために配慮してくださるのは有難いことですが、殿下、絶対に暴走しないと誓えますか?男の方というのは、我慢を重ねるとその反動がものすごいことになるようですが」
実体験と偏見込みの意見を述べれば、王子が言葉に詰まった。
……やっぱりヒューバート王子も男なのね。
「殿下。ご無理はなさらず、オフェリアと初夜を迎えてください。下手に我慢されると、暴走が怖いです」
「僕は、女性との経験は……その。オフェリアを傷つけてしまわないか不安だ」
「そうだろうなとは思っておりました。お立場を考えれば、気軽に女性に近付くわけにいきませんから、殿下の場合。ロランド様が異常なんです。殿下ぐらい慎重なのが普通ですよ」
女性と関係を持って、万一にもその相手が妊娠したら。
いや、本当に王子の子かどうかなんてどうでもいい。妊娠したと主張されて、否定できないだけの根拠を相手に与えてしまうのが問題だ。
特にヒューバート王子は、数年前まで幽霊として生きていた。無害な人間を装わなくてはならない王子にとって、子供ができる事態は絶対に避けなければならなかったはず……。
「オフェリアへのフォローは、どうぞ私にお任せください。そういったことは、女がすべきことです」
「うん……」
しかし、ヒューバート王子は浮かない表情で。ララやメレディスに近付いて、こっそり相談を持ちかけていた。
「ララ皇子とメレディスは、マリアが初めての相手だったって聞いたんが……」
「あー、何が言いたいのかはだいたい察した。頼りにならなくて悪い。俺たちの経験は何の参考にもならないと思うぞ」
ララが首を振り、即座に拒否する。メレディスも、決まりが悪そうに笑った。
「その……マリアが慣れてたから、初めての時はほとんど彼女にリードしてもらって……」
「やはりそうか……そうだよな……どちらも完全初心者の僕たちとは、話が違う……」
ちょっとがっかりしながら、ヒューバート王子は自分の従者にちらりと視線をやる。
マルセルは、明らかに目を泳がせていた。
「そいつの経験人数は俺にも劣らんはずだ。女を抱きこんで情報を集めている姿を、俺ですら見たことがあるぐらいだからな」
シルビオに暴露され、マルセルはシルビオを睨んだ。
かつてフランシーヌにいたシルビオは、同じくフランシーヌにいた頃のマルセルを知っている。そういった事情を把握しているのも当然だ。
ヒューバート王子の目は冷たく、すすす、とララとメレディスの後ろに隠れてしまった。
「……マルセルの裏切り者」
「で、殿下……!」
マルセルは釈明しようとしたが、ヒューバート王子よりも先に釈明すべき相手が白い目を剥けていることに気付き、慌てている。
「へえー……ふーん……ほー……」
「な、なんだその目は。仕方がないだろう!フランシーヌで生き残るためには、女を利用せざるを得ない時もあって……僕はおまえを責めたりしないのに、不公平だ!」
ベルダの視線に耐えきれずマルセルが逆上気味に言ったが、隣で聞いていたナタリアが目を吊り上げた。
「マルセル様、それはどういう意味ですか!?まさか、ベルダの純潔を疑っているのですか!?なんという恥知らずな……見損ないました!」
怒り狂うナタリアの言葉に、マルセルは目を瞬かせた。マリアはくすりと笑い、事情を説明する。
「ベルダはもともと、医療目的の奴隷だったのよ。処女の血は万能の薬という、あれ」
そういった趣旨で売られている奴隷のはずなのに、なぜか男の子がいる――マリアの伯母はそう勘違いをし、ベルダを購入した。
本来は女しかなれない奴隷の中に、男が。何か特別なものを持っているに違いないと期待して。
実際は、単なる伯母の勘違いだったのだが。
「え、つまり、ベルダは……」
マルセルが言いかけて、バチーンと小気味よい音が炸裂する。ナタリアの平手が、見事なまでにマルセルの頬を引っ叩いていた。
「最低です!そんな男に、ベルダを嫁にやれません!」
「落ち着きなさい、ナタリア。肝心のベルダが置いてけぼり状態よ」
怒りで興奮気味のナタリアを、マリアがなだめる。
マリアの言う通り、当事者であるはずのベルダは目が点状態だった。マルセルにちょっとヤキモキしてたはずなのに、ナタリアがあまりにも怒り狂うので、怒る機会を逃してしまったようだ。
ベルダは、ナタリアに髪を梳いてもらい、寝衣の準備をしていた。
普段は実用的なものしか着ないベルダは、レースとリボンがついた可愛らしい寝衣に戸惑っている。
「何も、そんなに気を遣ってもらわなくても」
「だめよ。だってあなた、すぐ逃げ出そうとするでしょう。マルセル様の部屋まで付き添わないと……今夜は、他のことは全部忘れなさい」
ナタリアの物言いに、マリアはクスクスと笑った。ベルダは居心地が悪いのか、もじもじと寝衣の裾をいじっている。
「それでは、マリア様、ベルダを送って参ります」
「よろしくね。ベルダ、オフェリアの世話は私とナタリアでするから、明日は早起きしなくていいわ。ゆっくり寝坊してらっしゃい」
ベルダは、半ばナタリアに引っ張られるようにして部屋を出て行った――マルセルのいる寝室へ向かうため。
姉と共にベルダを見送ったオフェリアは、不思議そうな顔でマリアを見上げる。
「ベルダも、マルセルと今夜夫婦になるの?」
「そうよ。二人ともお似合いのカップルだわ。幸せになって欲しいわね」
マリアが言えば、オフェリアも笑顔で頷く。
マリアは、オフェリアを抱きしめた。
薄手の寝衣に、香の匂いを焚きこんで。甘い花の香りがするオフェリアは、いつもよりずっと大人びていて、女性らしさが強調されていた。
「私も、今夜が終わればユベルと本物の夫婦になれるんだよね」
「そうよ。ヒューバート殿下も不慣れだから、あなたに辛いことや我慢を強いるかもしれないけれど……こういうのは、二人で慣れていくべきなの。だから、なるべく殿下には素直な気持ちを伝えてあげなさい。どうしても我慢ができなくなったら私を呼ぶのよ。隣の部屋にいるから」
マリアは、オフェリアの髪を優しく撫でる。
一応それなりの教育はしてあるが、オフェリアには口で説明しても分からない部分のほうが多いだろう。いまマリアが言っていることに対しても、よく分からない、という顔をしているし。
「これだけは忘れないで。ヒューバート殿下は、あなたのことを愛しているわ。時には愛情を無視する人もいるけれど、やっぱりこれは愛し合う者同士ですべきことなの。殿下はあなたに貞節を捧げてるわ。だからオフェリアも、殿下お一人を慕い続けてあげてね」
オフェリアは、笑顔でもう一度頷いた。
寝室の扉を、控え目にノックする音が聞こえる。
「どうぞ」
マリアが声をかければ、緊張した面持ちでヒューバート王子が部屋に入って来た。
王子も夜着に着替え……無邪気に自分に抱きついてくるオフェリアに、困惑している。
「私は隣にて控えております。念のためではありますが……できることなら、野暮な真似はしたくありません。どうぞごゆっくり……」
すがるように自分を見つめて来る王子に、マリアは笑ってしまった。
「大丈夫ですよ、殿下。こう見えて、オフェリアは意外と肝が据わった子ですから。それに殿下のことも、心から愛しておりますもの。愛があれば何をしてもいいわけではありませんが、愛というものが時に思いもかけぬ力を発揮するのは事実です」
内扉で繋がった隣室に移動し、マリアは長椅子に腰かけた。大きく溜息をつき、ぼんやりと視線をさ迷わせる。
ナタリアはまだ戻って来なかった。
向こうも、ベルダをマルセルの下に送り込むのに手こずっているのかもしれない。ベルダも普段は肝の据わった子だが、女性らしいことになると、途端に及び腰になる。
……ナタリアだって似たようなもののくせに。お姉さんぶっちゃって。
ふわりと。身体にかかるブランケットの感触に、物思いに耽っていたマリアは引き戻された。
いつの間にか部屋に来ていたアレクが、マリアを気遣ってくれたようだ。
「ありがとう。パーティーのほうはどう?」
「まあまあ皆楽しくやってる。誰がマリアに夜這いをかけるか揉めだして……酒飲み対決が始まった。で、それをマリアのおじさんが全部返り討ちにしているところ」
マリアは声を上げて笑った。
おじは底なしの酒豪だ。勝てるはずがない。
誰もマリアのところへ来て抜け駆けしようとしないから、不思議に思っていたのだが……そんな激戦が繰り広げられていたとは。
「さすがのホールデン伯爵も、白旗を揚げてた」
「なら、今夜はオフェリアの姉としての役目に集中できるわね」
本音を言えば……少しだけ、がっかりした。
オフェリアの姉として、妹の初夜から目を逸らせないというのは辛いものがある。
いつまでも可愛い妹でいて欲しかった少女が、女になる――それを目の当たりにさせられるのは複雑だ。
誰かが無理やりマリアの気を逸らしてくれないかと。期待していなかったと言えば嘘になる。
「……僕が一緒にいるよ。これからは、オフェリアの護衛として城にも一緒に行くんだ。それの予行演習だと思っておく」
「アレクは優しい子ね」
マリアが言えば、アレクは複雑な表情をする。
……そんなつもりはなかったのだが、子供扱いがお気に召さなかったらしい。
「それにしても、アレクってそんな声だったのね。まだちょっと慣れないわ」
「僕も慣れない」
アレクが顔をしかめて言った。
アレクは、声が出ない間に声変わりが来てしまったらしい。声が出るようになった時、他ならぬアレク本人が、一番自分の声に驚いていた。
「自分が自分ではなくなってしまうような変化は、やっぱり戸惑うわよね……」
その感覚は、マリアも身に覚えがある。
男を知った身体は、マリアの望むと望まざるとにかかわらず、急激に女へと変貌した。それに煩わしさすら感じたことすらある……いまでも、時々。
「オフェリアはそういうの、大丈夫なのかな」
「大丈夫だと信じるしかないわ。それに、大丈夫なようにフォローしてあげるのが私の役目よ」




