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紫色のクラベル~傾国の悪役令嬢、その貴種流離譚~  作者: 星見だいふく
第一部03 三者三様の転落 そして女公爵となる
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再会 (2)


かりそめの応接室に伯爵たちを案内すると、上座を伯爵にすすめ、おじは当たり前のようにマリアの隣に座った。

反対隣に座るオフェリアは何も疑問に感じなかったようだが、マリアには、おじの伯爵に対する牽制のように思えてならなかった。


「ずいぶん大がかりな工事をしているみたいだね」


改装中の部屋の前を通りがかったことで、おじが言った。


「思っていたより予算が浮いたので、少し贅沢をしようかと。浴室を作ってもらっているんです」

「風呂か。良い案だ。エンジェリクでは、自分で作らなければ風呂にもなかなか入れないからな」


伯爵の言葉にマリアも同意する。


「男のふりをしていて一番悔しかったことは、お風呂に入れなかったことです。せっかく、商会は大きな浴場を用意してくれていたのに」

「お姉様ったら、よっぽど悔しかったみたい。私とお姉様の部屋にはちゃんとお風呂を作ってもらったのに、大きなお風呂も作るって、勝手に決めちゃったのよ」


オフェリアが姉の独断を告げ口すると、伯爵は大笑いした。


「そう言えば、船に乗ってからはやたらと入浴していたな」

「隠す必要もなくなったので、エンジェリクに着く前に目一杯入っておこうと考えまして。もう風呂とは無縁の生活を送る覚悟でしたから、あのときは」


商会と別れ、自分たちだけでエンジェリクで暮らす。無謀な決意をしたあのとき……。

こうしてまた、伯爵と穏やかに再会できるとは思ってもいなかった。


「伯爵、あれからキシリアのほうは、何か動きはありましたか?」

「ロランド王の反撃も始まり、本格的に内戦へと発展している。そうなってくると、外国にいる私のもとへはなかなか情報が届かない。ただ、恐らく君にも無関係の話ではないだろう、フェルナンドがミゲラを侵攻した」


マリアとオフェリアが息を呑んだ。その様子に戸惑うベルダに、ナタリアが説明する。


「ミゲラはキシリアの最南端にある町で、セレーナの領地なのよ。セレーナ家の財政を担う重要な場所で、クリスティアン様の弟君ペドロ様が町長を務めていらっしゃるの」

「そうだ。交易の発達した町であるため、商人にとっても大きな関心が集まる場所だ。だから私たちの耳にも真っ先に届いた」

「お父様は、ミゲラ侵攻を予期していたのかしら。だから、叔父様のもとではなくエンジェリクへ逃げろと……」


ずっと不思議には感じていた。

親交のあった父方の叔父ではなく、親交もなく外国に住んでいる母方の伯母を頼れというのは、なぜなのかと。


エンジェリクを目指して北上すれば、キシリアの南方にあるミゲラには行けない。真逆の方向になるのだから不可能だ。

優しく頼りになる叔父のほうへ行きたい気持ちを抑え、あのときマリアはエンジェリクへ渡るために、北にある港町を目指した。


だがフェルナンドがミゲラに侵攻していたのなら、彼らとルートが重なる可能性もあっただろう。町に着いても、結局は町ごとフェルナンドの標的に……。


「ミゲラは町を挙げて抗戦し、その最中の流行り病で町長を含め町民の多くが亡くなったそうだ。それでもフェルナンド軍とはこう着状態を続け、最終的にはオレゴン軍の介入によりオレゴンに征服された」

「よりにもよってオレゴンですか。そちらもキシリアにとっては政敵であることに変わりはありません」


オレゴンはキシリアに隣接する敵国。いつも国境や領土を巡って争っている。キシリア王に仕えるセレーナ家の領地が敵国に奪われたなど、噴飯ものの屈辱だ。


「だがフェルナンドにとっては大きな痛手だろう。ミゲラを侵攻したのは単なるセレーナ一族への私怨だけではなく、セレーナの財産を狙ってのことだと私は推測している。連中は金に困っているに違いない」


伯爵の推測を聞き、マリアは父や家令の決断を思い出した。

キシリアの王都を脱出する際、王都にある屋敷は父の指示で焼き払われた。セレーナの財産を、キシリア王を倒すために利用されたくはないからと――。


「私のこの推測は、決してあてずっぽうではない。キシリアを出るまでにフェルナンドの息がかかった貴族や役人が我が商会を何度もあらために来たが、多少の賄賂を渡せば全員大人しく引き下がった。その程度の金で動く人間しか集められず、また、その程度の人間も満足に従わせられないのがフェルナンド軍の現状だ」

「待ってください。伯爵、賄賂を渡してくださっていたのですか?」


さらりととんでもない事実を聞かされ、マリアは驚愕した。


「出港が長引いたのがまずかったな。あれで役人の目を誤魔化しきれなくなり、役人の一人が個人的褒賞を求め上役を無視して密告に走った。私の詰めが甘かったために、最後に君を危険な目に遭わせてしまってすまなかった」

「そんな。伯爵に守られていた自覚はありましたが、そこまでしていただいていたなんて」

「恐縮する必要はない。物の価値も分からん年寄りのために有望な若者を死なせるなど、許されざる損失だ。だから私は君を守ることにした。マリア。君は、君自身の優秀さをもって自分の身を守ったのだ。君に守る価値がないと判断していれば、私は君たちのことをさっさと放り出していた」


真っ直ぐとマリアを見つめ、伯爵が言った。胸が熱くなるのを感じ、マリアははにかんだ。


これだから、伯爵と会うのは困るのだ。

マリアが望むものを、いつも期待以上に与えてくれる。それに甘えて、いつまでも彼のそばにいたくなってしまう。


「マリアがあなたのような人に会えてよかった。彼女たちが無事にエンジェリクに着けたのは、伯爵のおかげですね」


そう言いながら、おじはさりげなくマリアの手に自分の手を重ねて来る。

今度こそ、間違いなく伯爵への牽制だろう。マリアが伯爵に対して隠すことなく好意を示してしまったから、どうやらおじの機嫌を損ねてしまったらしい。


伯爵は表情を変えず見慣れた笑顔を浮かべていたが、おじの牽制行為を視界にとらえているのをマリアは見逃さなかった。




屋敷の様子を見て回った後、伯爵は帰っていった。

オフェリアはおじや伯爵とたくさんお喋りをして、楽しんだようだ。上機嫌で興奮気味のオフェリアを寝かしつけるのは、なかなか苦労した。


ようやくオフェリアを眠らせて自室に戻ったマリアは、扉を開けた途端おじに抱きしめられた。


「もう。せめて扉を閉めるまでは待ってください」


おじの背に腕を回し、マリアも抱き返す。おじは、さらにマリアを強く抱きしめた。


「伯爵とばかり話していた……」

「すみません。格別の恩がある方ですし、久しぶりにお会いしたので、話したいことがたくさんあったんです。おじ様とは、夜に二人だけになってからゆっくりお話しようと思っていましたよ」


おじの胸にもたれかかって甘えれば、少し機嫌を直したようだ。マリアの髪を優しく撫で、おじが顔を埋めてくる。


……そう言えば、いつの間にやら髪もずいぶん伸びた。

キシリアを出た頃には肩にかかるぐらいだったのに、いまは背中まで届いている。何もかも、男には見えない容姿になってしまった。


男であれば、マリアはきっとミゲラに向かい、叔父と共にフェルナンド軍と戦ったはずだ。女だから、逃げるしかなかった。

でも戦うことになっていたら、オフェリアを守り抜くことはできなかったかもしれない。流行り病に倒れた叔父のように、妹も命を落としていたかもしれない……。


――この期に及んでまだないものねだりをして悩むだなんて。下らない感傷だわ。

伯爵に会ったことで、つい足を止めてしまった。

伯爵はマリアにとって憧れだ。強く、賢く、自己を貫き通す逞しい男性。男に生まれ、伯爵のように生きたかった。


だが女に生まれたマリアには、伯爵と同じようにはなれない。ならせめて、自分が決めた道を引き返すような真似だけはしたくなかった。


「おじ様。せっかく部屋にお風呂を作ったのですから、おじ様も入っていってくださいね」

「今月の入浴日はまだ先なんだが」

「絶対入ってください。いますぐ。私が入浴の良さを教えます」


男に触れられるのは構わないが、相手も清潔でいてほしいという部分が譲れないのは、仕方がないことだと思う。




果たしておじが入浴の良さに目覚めてくれたのかは分からなかったが、マリアが一緒に入って身体を洗うからと誘えば受け入れてくれたので、今後も渋ったらその手を使おう。


そう言えば、キシリアにいた頃は、よく伯爵の身体を洗ったものだ。 いつからマリアが女だと気付いていたのかは知らないが、ノアが伯爵の身体を洗っているのを見たことがないし、ノアのあの反応から察するに、もしかして女だと分かっていたから頼んできたのだろうか……。


ベッドでおじがゴソゴソと動くのに気付いて、マリアは余計なことを考えるのをやめた。


「おじ様、朝ですよ。そろそろ起きてください」


着替えの服を手に、おじに声をかける。

おじはまだ眠いのか、うっすらと目を開けた。


「もう起きてるのか。君たち、意外と朝が早いな」


少し前に目を覚ましたマリアは、肌着だけ身に着けていた。


ドレスを着るならナタリアの手伝いがいる。

だがおじがいる間はナタリアを部屋に呼べない。まだナタリアには、マリアがおじとの関係を受け入れたことについて、わだかまりがあるようだ。そんな彼女を部屋に呼びいれて、辛い思いをさせたくなかった。


「マーガレットなんかは昼前まで寝ているような子だった。もっとも、あの子の場合は生活習慣に問題があったんだろうが。私も仕事に没頭して夜遅くまで起きているものだから、朝は苦手なんだ」


いとこの名前を聞き、マリアはふと思い出す。ぼんやりとしているいまなら、おじに尋ねることができるかもしれない。


「マーガレットとおじ様は、本当に血が繋がっていないのですか?」


まだベッドから起き上がれないおじにのしかかり、何気ない世間話を装って問いかける。


「本当だよ。ローズマリーが妊娠したときにわざわざ僕に宣告してくれたし、僕の子である可能性はほぼゼロだ。なにせ僕とローズマリーは、結婚して以来夫婦生活がなかったんだから」

「結婚してから一度も、ですか?」

「初夜は迎えたが、そのときに散々罵倒されたんだ。彼女はいままでの男たちと比較して、僕がいかに退屈な男か語ってくれたよ。それ以来、夫婦生活というか……僕のほうが、ちょっと問題を抱えて」


言葉を濁らせ、おじはマリアから目を逸らす。


「女の人に反応しなくなったんだ」

「え」


嘘だ、という言葉が喉まで出かかって、マリアはなんとかそれを堪えた。

しかし疑うような眼差しを思わずおじに向けてしまった。おじもそれは感じ取ったのか、苦笑している。


「嘘じゃないよ」

「にわかには信じられません。言われるだけの心当たりはおありでしょう」


昨夜のことを指摘すれば、おじも反論できないようだ。マリアが、いったいどれだけおじの相手をさせられたと思っているのだ。


「でも本当なんだ。僕自身、いまの自分の反応に驚いているぐらいで」

「我慢は身体に良くないということでしょうか……」


おじの胸に頭を置いてもたれかかり、マリアは考えた。

おじが嫌いで、他の男との間に子どもを作るというのは、まあわからなくもない。わざわざ他の男だと宣言するのも、おじへの当てつけとしてはありなのかもしれない。

だが……。


「ローズマリーは、マーガレットの父親は僕じゃないと言い張って憚らなかった。他の男に妻を妊娠させられた、間抜けな男として僕も揶揄されたよ」


苦々しく話すおじに同情する振りをしながらも、マリアは疑問に感じていた。


憎い夫を貶めるために、そこまで自分を貶められるものだろうか。

結婚した女性が、夫以外の男の子を生む。当然、妻とて無傷ではいられないはずだ。伯母が、自分も傷つく方法を取るような女性には見えない。


「マーガレットの本当の父親は、どなたなのでしょう?」

「それは話さなかったな。こういうことを言いたくはないんだが、彼女自身、誰が父親なのかもわからないんじゃないか」


おじは興味がないようだが、マリアは気になって仕方がなかった。

いとこの父親として、別の人間がオルディス家の権利を主張してきては困る。おじは無欲だが、マリアは違う。

オルディス家を乗っ取ることが、いまのマリアの新たな目標だった。


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