結婚式 (2)
「ところで、イヴァンカ大公国の名前が出て来るのはどういうわけだ。彼の国の女王は、いまはエンジェリクに戦を仕掛けるほどの余裕はあるまい」
ウォルトン団長が言った。
マリアは歴史と地理の知識を紐解き、イヴァンカ大公国について考えた。
エンジェリクよりさらに北方にある大国。いまの大公は女性……類まれなる政治力と多くの愛人を持つ女王だ。
その国土の広さはキシリアすら超越している。だがイヴァンカ大公国には致命的な弱点が――国土の大半が、不毛な土地であること。土地の大半、一年の大半を氷に覆われたあの国は、資源が乏しい。
「恐らくこれはブレイクリー提督からも報告があるだろう。北の海で、最近海賊が激増した」
シルビオが言った。
「それで調べてみたところ、今年のイヴァンカ大公国はかなりの不作らしい。ただでさえ資源の乏しい国だ。そこに夏の不作と来れば、何が起こるか説明する必要もないな」
自国での資源が乏しいならば、外国に求めればいい。特にイヴァンカ大公国は、そうやって国土を広げ、国力をつけてきた。
今年の冬は、資源を求めてイヴァンカがさらに南下し、近隣諸国はその対応に追われることになる……エンジェリクは、海ひとつ越えれば大公国だ。
「イヴァンカから、海賊になったならず者たちが押し寄せてきているということね」
「それでエンジェリクに討伐依頼をしに来たんだな。キシリアが、オレゴンとの戦に集中できるよう」
ウォルトン団長が訳知り顔で言えば、シルビオは不敵に笑った。
「ま、そういうことだ。キシリアにとっても北方の海賊は厄介だが、エンジェリクにとっても困った問題だろう。ぜひとも頑張ってくれ」
「やれやれ、調子のいいことで。だがイヴァンカの海賊は、たしかにエンジェリクにとって放置できる問題じゃない。そうなると、ヒューバート王子はまた王都を離れることになるな。新婚だと言うのに気の毒な」
団長は何気なく言ったが、マリアは目を瞬かせた。
ヒューバート王子が討伐に赴くことを、まるで当たり前のように……。
だが団長は、間違いなくヒューバート王子が行くことになる、と断言した。
「一年の間に二度も戦に出て、完勝して来たんだ。軍部における王子の支持は絶大さ。おそらく、いまは王よりも。軍事行為に関しては、もはやヒューバート王子に一任されるはずだ。海賊討伐も、王子が指揮を執ることになるだろう」
マリアは溜息をついた。
オフェリアにとってめでたい日だと言うのに、物騒な話ばかりで。
「悪かった。さすがに俺も、こういう日に無粋な話をするのはどうかとは思ったんだが」
シルビオは苦笑し、珍しく素直に謝罪した。
まだヒューバート王子は、エンジェリク王、キシリア王と共に話し合いの最中だ。だが教会の外に馬車が到着する音を聞き、マリアは外に出た。
馬車から、婚礼用のドレスに着替えたオフェリアが降りてくる――おじに手を引かれながら。新婦の父親の役割を任されたおじは感動し、少し涙ぐんでいた。
「ヒューバート殿下、花嫁の到着です。どうか祭壇の前へ」
マリアは王たちが引っ込んだ控室に声をかけ、王子を呼び出した。
重要な話し合いだったとしても知るものか。いまの王子には、オフェリア以上に優先すべきものなどないのだから。
「オフェリア……とても綺麗だ」
花嫁の美しさに見惚れる王子に、オフェリアは静かに微笑む。
ヒューバート王子をイメージする花――白いアイリスをモチーフにリメイクされた純白のドレス。そして、かつてはヒューバート王子の母ジゼル王女が被っていた美しいヴェール。
すべてがオフェリアの美しさを引き立て、幸福な花嫁は輝いていた。
――間違いなく、いま、世界で一番美しい花嫁に、オフェリアはなったのだ……。
「こんな急ごしらえの結婚式ですまない」
「ううん。ユベルと一緒に祭壇の前に立てれば、それだけでいいの。どんな大聖堂よりも、私たちにとっては大切な場所だよ」
おじからオフェリアを引き継ぎ、ヒューバート王子は共に祭壇の前に並ぶ。
トマス司祭が結婚の誓いを詠み上げ、新郎新婦は夫婦の契りを誓い合った。
「……そなたたちが幸せになってくれたこと、余は心より嬉しく思うぞ」
マリア、エンジェリク王と共に式の行方を見守っていたロランド王が、静かに言った。
故郷を逃げ出してからのことが、走馬灯のように思い出された。
泣きながら自分の後を追いかけてきた幼い妹……愛する男性に手を引かれ、祭壇の前に立って……。
自分を置いて、オフェリアは巣立って行く。胸の痛みを、マリアは見ないふりをした。
――よくやった、と。
きっとあなたも、私を褒めてくださいますよね。お父様……。
式を見届ると、エンジェリク王は即座に城に帰ることになった。
フェザーストン隊長の迎えがやって来て、早くお戻りください、と王を急かす。渋る王に、王子は苦笑した。
「ありがとうございました、父上。オルディス領に来てくださっただけで……それで十分です。どうか城へお帰りください。これ以上、父上を引き止めると、僕が城に帰った時、宰相から睨まれてしまいそうです」
王子が笑いながら言えば、エンジェリク王もわずかに笑った。息子を抱きしめ、別れの挨拶をかわす。
「オルディスで、新妻との時間を過ごしてくるがよい。城に戻れば、また忙しくなる」
「はい。お言葉に甘え、束の間の休息を楽しんで参ります」
再び馬に乗り、王は最後にマリアを見た。マリアは静かに頭を下げ、王を見送る。
マリアにとっても、束の間の休息だ。
ヒューバート王子が城へ戻る頃には、マリアも王都に戻らなくてはならない。王がその執着心を強め、歪めてしまう前に、マリアも城へ戻って王の心をなだめなくては。
王を見送った後、ヒューバート王子とオフェリアは婚礼衣装のまま、屋敷へ戻って来た。
屋敷はクラベル商会の従業員たちによって飾り付けられ、華やかで賑やかな姿に変わっていた。
結婚式はマリアと二人の王、マリアたちのおじだけが立ち会った。客を招待しない代わりに、身内にだけ限定して。
他の人たちは、祝う気持ちを抑えて教会の外で待っていた。そして戻って来た屋敷で、結婚祝いのパーティーを行うことになっていた。
「オフェリア様、ヒューバート王子殿下、ご結婚おめでとうございます。オフェリア様……そうなさっていると、ますますお母様にそっくりで……」
ナタリアは、花嫁衣装を着たオフェリアを見れて感無量で。堪え切れない涙を必死に拭い、泣きながら笑っていた。いつもなら涙もろいデイビッド・リースのほうが、妻を慰め、なだめるほどだ。
「お二人とも、とっても綺麗です。オフェリア様、本当によかったですね!」
ベルダも、笑顔で二人を祝福する。
王子妃となったオフェリアと共に、ベルダも城へ行ってしまう。もしかしたら、もうオルディス領にも気楽に来れなくなるかもしれない。
ベルダとは、オルディスのこの屋敷で出会った。それを思うと、やはり感慨深いものがある。
屋敷の前が賑やかになり、屋敷の召使いが馬車の到着を告げた。
馬車から降りてきたのは、もちろん、王都から帰って来たホールデン伯爵だ。
「遅くなって申し訳ない。なんとか結婚パーティーには間に合ったようだな」
「お帰りなさい、伯爵!」
オフェリアが、伯爵を出迎えて歓迎した。抱きつくオフェリアを、伯爵も優しく抱きしめ返す。
伯爵にとっても、オフェリアは娘のような存在だ。成長を見守ってきた少女が、結婚。伯爵もまた、万感の思いに駆られているようだった。
「おお、ジェラルド。お前も間に合ったようだな」
「……王都に帰ったら覚えておけ」
同じく到着した馬車から降りて来たジェラルド・ドレイク卿は、陽気に出迎えるウォルトン団長をジロリと睨む。
後日ドレイク卿から事情を聞いたところ、オルディスへ行くために、ウォルトン団長は王国騎士団の仕事の半分を、ドレイク卿に丸投げして来たらしい。それの後処理をさせられたドレイク卿は、かなりご立腹だった。
「ジェラルド様。お忙しい中、オルディスまでお越しくださりありがとうございます。王都に来てから最初に知り合った御方ですから、オフェリアも、来てくださってとても喜んでおりますわ」
マリアが言えば、ドレイク卿は空気を軟化させ、和やかな態度で――彫像のように美しくも完璧なポーカーフェイスだが、マリアにはそう感じられる雰囲気で接してくれた。
「いやぁ、ワシのような人間まで参加させてもらって、なんか悪いな。こういう場で、気の利いたことのひとつもできへんような男やのに」
ブレイクリー提督が恐縮しながら言った。
ちなみに、彼の副官たちもちゃっかりパーティーに参加している。こちらは提督にくっついてやって来ただけだったのだが、賑やかで明るい彼らはクラベル商会の従業員やオルディスの領民たちとあっという間に仲良くなり……オフェリアの結婚とは若干関係ないかたちで盛り上がっている。
「参加をお願いしたのは私のほうなのですから、どうぞ気楽に過ごしてくださいませ。同郷の方にも、ぜひオフェリアの結婚を祝ってほしかったのです」
……本当は。
もっとマリアたちの祖国――キシリアの人たちにもこの結婚祝いに参加してほしかった。
両親の墓にも報告に行きたかったし、キシリアの城で式を挙げさせたかったという思いもある。
もう帰ることができなくなった愛しい故郷……。その故郷出身のブレイクリー提督には、どうしてもこのパーティーに参加してほしかった。
「……なあに、ララ。じっと見てるけど、何か言いた気ね」
「言いたいことっていうか、なんか妙な気分だなと思って。まさかオフェリアのほうが、おまえより先に結婚するだなんてな」
ララの言葉に、マリアは笑う。
「私は立派な行き遅れね」
「や、別にそういうつもりで言ったわけじゃ」
「いいのよ。事実だわ」
マリアはオフェリアを見つめる。
花嫁の清らかさを象徴するような、純白のドレス。きっともう、マリアにあれは似合わない。あまりにも空々しくて。
不幸ぶるつもりはないが……失ったものの重みは、分かっているつもりだ。
「お姉様!」
大好きな人たちからたくさんの祝福を受け、幸せに笑顔を輝かせたオフェリアがマリアに抱きついてくる。
それを抱きしめ、おめでとう、とマリアは何度目になるのか分からない祝福の言葉を送った。
「あなたの幸せそうな姿を見ていると、私もとても幸せな気持ちになれるわ」
「ありがとう、お姉様。私、お姉様のことが大好き!」
「あら。結婚したばかりだと言うのにもう浮気だなんて、よくないわよ」
たしかに、マリアは尊ぶべきものを失った。でも後悔はしていない。
本当に大切なものは、守り抜くことができたのだから。




