客人
面倒事も一応は片がつき、マリアはオフェリアの結婚式の準備に専念……するはずだった。
そんなマリアを訪ねる客が、また一人――。
「マリア様、お客様ですよ。マリア様がずーっと帰りを待っていたあの人です!」
嬉しそうに話すベルダに、マリアは首を傾げた。
ホールデン伯爵……ではない。王都から戻って来るのはまだ先になると言っていたし、マリアを驚かそうとするなら直接部屋まで忍んで来る人だ。
伯爵以外で、マリアが帰りを待っていた相手。もしかして、キシリアから……?
「メレディス!やっぱりあなただったのね。無事に帰ってきてくれて嬉しいわ!」
マリアを訪ねてきた客――それは、マリアの祖国キシリアへ行っていたメレディスだった。
少し日に焼けたメレディスを抱き締めれば、キシリアの太陽の香りがただよってくるような気がした。
「キシリアは変わりなかった?ロランド様やシルビオは元気?」
「うん、まあね……」
マリアの質問に、メレディスはなぜか目を逸らす。きょとんとなって見つめていると、ちょっとその話はあとで、とメレディスは言葉を濁した。
「オフェリアが殿下と結婚するんだって?エンジェリクに着いてすぐその話題が飛び込んで来て、びっくりしたよ。もちろん婚約してるんだから、いつかは結婚することではあったけど、こんなに急だなんて」
「驚いたでしょう。それについては事情があって……あ、待って。ブレイクリー提督は?一緒じゃなかったの?」
メレディスがキシリアへ行っている間に起きたことを説明しようとして、マリアは提督のことを思い出した。
メレディスを送るために一緒にキシリアへ向かって……メレディスが帰ってきているのなら、提督もエンジェリクへ帰ってきているはず。
マリアのもとに立ち寄ってくれるかなと期待してたのに。オルディス領には寄らず、そのまま王都へ行ってしまったのだろうか。
「ブレイクリー提督なら、船を港に入れるために迂回してエンジェリクに帰ってきてるんだ。僕たちは途中で小舟に下ろしてもらって、オルディスへ――だから、提督は少し遅れることになってるんだ」
「そうだったの。提督もご無事で……」
みんな無事に帰ってきてくれてよかった、とマリアは安堵しかけ、メレディスが何気なく口にした単語に引っかかった。
――僕、たち?
「メレディス、あなた、誰かと一緒にオルディスへ来たの?」
「えっ?あー……うん。キシリアから一緒に……マリアもよく知ってる人」
――キシリアから。
マリアも知っている……。
マリアはちょっと考え込み、心当たりを思いついて笑った。
「分かったわ、シルビオね。オルディスへ来てくれたのなら、今度こそ案内してあげなくちゃ」
「シルビオ……うん、シルビオも一緒。この場合、シルビオはおまけなのかなぁ……」
「……なんだか本当に歯切れが悪いわね。いったい誰を連れて来たのよ」
もごもごと誤魔化すメレディスに、マリアも眉をひそめる。さすがにこうも曖昧に濁されると、マリアとしても不愉快だ。
「うーん……なんて言うか、直接会ってもらったほうが早いかな。うん。マリア、とりあえずあとで紹介するよ。シルビオたちはせっかくオルディスに着いたからって、ちょっと先に領内を見に行ってて。あとで君に会いに来るって言ってた。僕もクラベル商会へ行かないと。キシリアへは、一応商会の仕事も兼ねて行ってたわけだから。伯爵はいるかな?」
マリアは首を振る。
「伯爵はまだ王都よ。ついにガーランド商会本店があった場所の買い取りを始めて……やっぱりあそこは激戦区ね。さすがの伯爵も手こずっているみたい。もっとも、伯爵の場合徹底的に勝ちにこだわってるから、無駄に手間がかかっているんだけど」
ホールデン伯爵は王都へ行ったきり、しばらくオルディス領から離れている。
相変わらず、商会に夢中になるとマリアのことすら放ったらかしにする人だ――マリアの周りにいる男はそういうタイプばかりだが。
デイビッドさんなら一緒に来てるわよ、とマリアが言えば、メレディスが頷く。
「じゃあ伯爵への報告は後日にして、とりあえずリースさんのところへ行こうかな。報告の間もなく仕事させられそうだけど」
メレディスは冗談めかして言ったが、たぶんそうなるだろうな、とマリアは思った。
なにせ最近、マリアは彼の仕事を手伝えていない。そうなると、そのしわ寄せは一気にメレディスに……。
「メレディス君!帰りをいまかいまかと待ちわびていましたよ!さあ、こちらの書類をお願いしますよ。それにこっちと、これも……ああ、いえ、こっちを優先してもらったほうがいいですね。法律関連の複雑なものは、私ではお手上げですから」
マリアの予想に違わず、事務所にメレディスが姿を現すなりデイビッド・リースは書類を乱舞させ始める。
メレディスは苦笑し、お変わりないようで安心しました、と言った。
「忙しそうですねデイビッドさん、私もお手伝いしましょうか?」
マリアがにっこり笑って言えば、デイビッドは苦悩する。私を誘惑しないでください、と嘆くデイビッドに、メレディスは首を傾げていた。
マリアが妊娠したこと、メレディスにも話しておいたほうがいい。シルビオが来ているのなら、彼にも打ち明けておかないと危険だ。庭先で襲うような男だし、警告しておかないと――マリアは事務所の外に黒い服を着た男を見つけた。
相変わらず黒っぽい男、なんて苦笑していたら、彼の隣に立つ人物に仰天してしまった。
妊娠中なのに仰天させられるとか、あんまりいいことじゃないと思う。
「ロランド様!?キシリア王がなぜここに!」
「あ、戻って来たんだ」
事もなげに呟くメレディスに、マリアは目を見開く。まさかそんな。キシリアからメレディスと一緒に来た人物って。
「息災にしていたか、マリア。どうだ驚いただろう!」
「どうだって……そのような呑気なことをおっしゃってる場合ですか!驚いたなどと言うものではありません!ロランド様、なぜ……!?」
「オフェリアを祝いに来たに決まっているではないか。先の宰相の娘が、エンジェリクの王子と結婚。実にめでたい。キシリアの王もこうして祝いに駆けつけてやったぞ――そうだ、マリア。このオルディス領は公衆浴場が有名だと聞いた。あとで私にも入らせてくれ」
「それは構いませんが……」
意外とこぢんまりしているのだなあ、などと言いながら、王はマリアの狼狽を意にも介さずクラベル商会の事務所を見て回り始めた。
そんな王に、シルビオは溜息をつく。マリアはシルビオに近づき、声をかける。
「まさか、王は本当にオフェリアを祝いに……?」
「そんなわけあるか。二人の結婚式を聞いたのは、エンジェリクに着いてからだぞ。こじつけに決まっている。内戦続きでキシリアも疲弊したからな。今年はもう戦はなしだ。それで、まあ……王も退屈になって。エンジェリク観光に……」
王が国を空けて、外国へ観光に。頭が痛くなりそうな話だが、言って聞くような王でもあるまい。何とも豪胆なロランド王らしい、とマリアは思わず笑ってしまった。
「どうぞごゆっくり、と言って差し上げたいところですが、なるべく早めにお帰りくださいませ。冬が来てしまうと船も出しづらくなってしまいますし、王妃様も心配なさっておいででしょうから――でも、お会いできてとても嬉しいです、ロランド様」
「そうか。そなたにそう言ってもらえただけでも、来たかいがあったな」
王の楽しそうな姿を見ていると、とても説教をする気にはなれない。オフェリアの結婚祝いが単なる口実でも、王と会えたこと、マリアにとっても嬉しいことだ。
――気がかりはあるが。
「ロランド様はエンジェリクを楽しみに来られただけなのかしら。それともエンジェリク美女を楽しみに来られたのかしら」
さりげなくシルビオに近づいて尋ねてみれば、どちらもだろうな、とシルビオに言われてしまった。
ロランド王はかなりの女好き――平和になるとすぐ浮気に走る、悪い癖がある。
「マリア!いま帰ったで!」
「お帰りなさいませ、オーウェン様。無事のお帰り、安心いたしました」
提督の到着はメレディスたちからかなり遅れ、どっぷりと夜も更けた頃だった。
熱烈にマリアに口付けて来る提督の腕を、マリアはぺしぺしと叩いた。
「お久しぶりのオーウェン様にこれ以上我慢を強いるのは心苦しいのですが、そういうことはもうしばらく控えて頂きますよう、どうかお願いいたします。身体に障ることはできなくて……」
「なんや。体調が悪いんか?」
お預けを食らい、叱られた犬のようにしゅんとなる提督に心くすぐられるが……こればっかりは譲れない。
「メレディス、シルビオ、あなたたちにも話しておかないといけないわね。私、妊娠したのよ」
驚きのあまりメレディス、シルビオ、提督は口を開いたまま言葉を失い、ロランド王は喜びの声を上げた。
「なんと、それは。オフェリアの結婚もあわせて二重にめでたいな」
「ありがとうございます」
いち早く復帰したシルビオが、誰の子だ、と詰め寄る。
「やはりホールデン伯爵か?おい、俺のほうが先に言い出したはずだろう!」
「あなたの子も生むわよ。ロランド様にも言われたもの。最低でも三人……私が三人で済ませるわけないでしょ。王子妃……王妃となるオフェリアのためよ。世界記録に挑戦する勢いで生むわ」
メラメラと謎の闘志を燃やすマリアに、メレディスは心配そうだ――マリアなら本当にやりかねない。
「マリア!」
ようやく金縛りが解けた提督は、やおら床に跪く。地面に手をつき、必死な表情でマリアに向かって叫んだ。
「頼む!ワシの子も生んでくれ!」
……なんだか見慣れた光景だ。既視感にマリアが苦笑していると、提督は言葉を続けた。
「無謀で身の程知らずな頼みやっちゅーのは分かっとる。でも言わずにおれん……罵りたければ好きなだけ罵れ!アホボケ死ねカスとでも何とでも!」
この流れもなんだかすごーく見覚えがある。もういっそ、罵ってあげたほうがいいのかもしれない。
「オーウェン様はやたらと私に罵られたがりますが、そういう趣味なのですか……?」
そう言えば最近、やたらと罵倒され、侮蔑されたがる変態修道士がマリアの近くに来たばかり……もしかして、マリアにはそういう性癖の持ち主を惹きつける何かがあるのだろうか。
「うむ、そなたの血を残すことは重要だ――ところでだな、マリア。私もそれに協力してもいいのだぞ」
意味深な流し眼を送りながら、マリアの肩を王がそっと抱く。
メレディスは何か言いたげな顔で苦笑いし、シルビオが盛大に溜息をつく。提督はきょとんとなって、目を瞬かせていた。
「おほほ、面白い冗談ですこと。王ったら、ご冗談がお上手になられて」
マリアは笑顔を浮かべながらも、自分の目がまったく笑っていない自覚があった。
冷たい眼差しに、王がたじろぐ。
「王のセンスが上達したと、アルフォンソ様にもしっかりお伝えしておきますわ」
「いや、その必要はないぞ。いまのは我ながら下手なジョークであった。つまらんことを、王妃にいちいち教えんでよろしい」




