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紫色のクラベル~傾国の悪役令嬢、その貴種流離譚~  作者: 星見だいふく
第六部02 妹の結婚
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女だらけの (3)


それは、トマス大司祭が不在のタイミングを狙って実行された。

トマス司祭は日中は領内を見回り、領民たちとの交流に勤しんでいるので、さほど難しいことでもなかった。修道士シモンの協力があれば、司祭の予定を把握することもたやすいし。


「ご機嫌よう、ヴィルヘルム様。本日、私は領地に帰りますので、その前に聖女様にもう一度お願いに参りました」


男のことならお任せ――だとキャロラインは思っている――マリアにドレスを選んでもらい、美しく着飾った姿でキャロラインは再び教会を訪ねた。


ヴィルヘルム副院長はそんなキャロラインを笑顔で受け入れ、別室での対話をすすめてくる。キャロラインはまんまと彼の誘いに応じ、二人だけで話をすることにした。

さりげなく肩を抱くこの男の手を払いのけてやりたかったが、グッと我慢だ。


愛する夫のためなら、美しく着飾ることも、少し媚びるように笑いかけることも苦痛ではないが、下劣な男のためとなると、かなり気力を要する。

オルディス公爵は自分がこの役目をすると言ってくれたが、キャロラインが断った。


たぶん、自分のほうが狙われやすい――子を望む女で、よその人間。

オルディスで暮らさなくてはならない副院長にとって、領地を治める人間に手出しすることはリスクが大きすぎる。

オフェリアに礼儀正しく接していたのも、やはり背後にいる彼女の姉――オルディス公爵の存在があったから。公爵の怒りを恐れ、その妹に対しては猫を被っていたのだ。


ヴィルヘルムは実に熱心にキャロラインの話を聞き、親身に対応してくれた。この男の正体を知っているはずなのに、もしかしたら自分が邪推し過ぎたのかも、とキャロラインが一瞬ためらってしまうほどに。

だがヴィルヘルムから飲み物を差し出され、疑惑は確信へと変わった。


「どうぞこちらを。心を落ち着かせる薬湯です」


実にさりげなく、それをすすめてきた。

悩みを聞いてもらっている内に自分の苦しい思いも吐き出した相手は、その薬湯に手を伸ばしてしまう。副院長も心から自分を労わるように振る舞っていて……。


キャロラインは、それを飲んだ。あらかじめ解毒薬も飲んである。完全に防ぐことは不可能だが、効果はかなり薄れるはずだ。


薬湯を飲んで数分後、効き目は緩やかに現れ始めた。

瞼が重くなり、自然と身体が傾く。副院長は、重荷を解いたことで気が休まり、身体が休息を求めているのだろうと説明した。

奥の仮眠室で休んで行きなさい――優しく微笑みながらそう言った副院長に頷き、キャロラインはあっさりと奥の部屋へ向かった。


ふらふらと仮眠室へ行き、ベッドに辿り着いたキャロラインは、髪飾りに隠しておいた仕掛け針を取り出し、自分の腕に刺す。ちくりとした痛みに、多少意識を取り戻せた。

横になり、眠ったふりをする……。


そうして副院長を待って数十分ほど経った頃だろうか。

部屋に誰かが入って来るのを感じた。キャロラインに触れ、眠っているのを確認する。

ごそごそと這いずり回る手の感触が気持ち悪くて堪らなかったが、前夫との苦痛に満ちた初夜に比べればどうってことはない。


気持ちの悪い温もりが、自分の服に手をかけ始めた……脱がしやすい服を選んでおいたおかげで、どうやら相手も手間取ることなく楽に事が進められているようだ。

胸元がすーすーとした空気に晒されているのを感じ取り、キャロラインはぱちりと目を開ける。


「きゃあああああっ!」


大声で悲鳴を上げるキャロラインに、ヴィルヘルムが慌てる。キャロラインの口を抑え、なんとか黙らせようと力づくで……。


「皆様、何か悲鳴のようなものが聞こえませんでしたか?」


仮眠室の外から、声が聞こえて来た。ヴィルヘルムがそちらに気を取られた――男と女の力の差はあれど、これだけ隙があれば女のキャロラインでもなんとかなる。


「誰か!誰か助けて!」


抵抗するふりをして、キャロラインはヴィルヘルムの衣服をめちゃくちゃに引っ張り、力任せに引き裂く。質素な修道士の服はもろく、意外と簡単に衣は破れていった……。


「まあ、大変!これはどういうことでしょう!」


ダーリーンと共に、大勢の女性たちが仮眠室に突入してくる。

彼女たちが見たものは、服を脱がされた怯える美しい女性と、あられもない姿を晒す副院長ヴィルヘルムだった。大きく前を開いた状態の変態的な修道士姿に、女性たちは顔を真っ赤にし、嫌悪と好奇心の入り混じった目で凝視していた……。




「見事にうまくいきましたね!」


一連の騒ぎの後、オルディスの屋敷へ戻って来たダーリーンは満面の笑みで言った。


「あんな作戦を思いつくゾーイ様はさすがです」

「いえ。人懐っこいダーリーン様のお力は大きいですわ。あっという間にお友達をたくさん作られて……」


キャロラインから修道士ヴィルヘルムの正体を聞かされたダーリーンとゾーイは、彼女と共に不良修道士を懲らしめる計画を立てた。


明るく楽しいダーリーンは前日の公衆浴場ですでに親しい知人を作っており、彼女たちを誘って教会へ赴くように仕向ける。そしてキャロラインに不埒な真似をしようとするヴィルヘルムの、決定的な場に大勢の目撃者を連れて踏み込む――作戦は見事大成功だったが、ゾーイは浮かない顔だ。


「しかし、不届き者を成敗するためとは言え……キャロライン様を危険な目に遭わせ、その名誉も著しく貶めてしまいました……」

「自分から言い出したことです、どうかお気になさらず。それに私の名誉も……」


――未遂だったが、男に襲われた。

恐らく話は広がり、キャロラインが男に襲われたという部分だけが人々に語り継がれていくことだろう。既婚者とはいえ、かなりきつい悪評だ。

この作戦を立てた時、ダーリーンから心配され、ゾーイからは自分がやると提案されたのだが、頑としてキャロラインが譲らなかった。


「プラントにいる私の家族も領民たちも、必ず私の潔白を信じてくれます。彼らから信頼されていれば、私はそれで十分ですわ」


もう王都へ戻り、華やかな場所に出るつもりのないキャロラインにとっては、そんな噂も悪評もどうでもいいこと。


「キャロライン様、ダーリーン様、ゾーイ様。本当にありがとうございました。これで不埒な修道士もオルディスを出て行くことでしょう。これほどの恥をかいて、それでもオルディスに残れるほど厚顔な男ではないでしょうから……」


マリアは心から三人に感謝した。


彼女たちのおかげで、手間がひとつ省けた。大勢の人間の前で恥を晒した修道士ヴィルヘルム――彼が次に取る行動は分かっている。


マリアは、恥をかかせてオルディス領から追い出す程度では満足しない。自分の足元に飛び込んできた害虫は、念入りに踏み潰しておかないと気が済まない性分だ……。




暗闇に紛れ、ヴィルヘルムは足早に歩いていた。

供もつけることなく一人……約束の場所で、護衛となる聖堂騎士団の修道士と落ち合う予定だった。


川を下り、途中で船を乗り換えてそのまま海へ。そして自分は、教皇庁へ帰るのだ。

あそこへ戻れば、まだ自分の支持者がいる……まだどうにでも立て直せるはずだ……。


教皇の座も、決して無謀な夢ではなかった。和平主義のクラウスにまんまと出し抜かれ、枢機卿としての地位も追われ、こんな辺境の地で、かつては自分よりはるかに格下だった男の下につく羽目に。


クラウス――そしてあの女のせいで……あの女……オルディス公爵。


「こんばんは、ヴィルヘルム殿。こんな夜更けに、供もつけず、どこへお出かけです?」


白々しい台詞だ。驚きもせず……待ちかまえていたのだろうに。

公爵も、供は二人だけ。チャコ人の……赤毛の青年。ヴィルヘルムは彼の姿に見おぼえがあった。チャコ帝国の先代の王には、赤毛の王子がいたとか……。


「さすがに俺が誰なのか、心当たりはあるみたいだな」

「スルタン……もはや先代スルタンか。その息子であろう。私に復讐しに来たか」


ヴィルヘルムの顔色は悪いが、余裕の笑みを浮かべている。対峙するララは、傍目にも分かるほどはっきりと殺意を向けているというのに。


「フン、野蛮な異教徒めが。愚かにも皇帝などと自らを称し、ルチル教国に対抗してくる……奴らなど、半島からすべて追放し、滅ぼしてしまうべきだ」


ヴィルヘルムの侮辱に、ララがきつく手を握りしめる――爪が食い込むほどに。


「異教徒の皇子よ。おまえに良いことを教えてやろう。第六夫人アイーシャ……あの女をチャコ帝国に送り込んだのはこの私だ。彼女は優秀な私の教え子で……実にうまく、スルタンを動かしてくれた」


驚愕に、ララが息を呑むのをマリアは感じた。


ララの父王は、聡明な皇太后と賢妃だった第一夫人の死後、新しく迎えた寵姫の傀儡と成り下がり、暴虐な暗君と化した。

自らの兄弟を、息子を、忠臣を次々と処刑し、ララもアレクも、スルタンから逃れるために帝国を脱出してエンジェリクに……。


「王などとのたまっていても、所詮はその程度の男よ。アイーシャには息子がいたな。果たしてそれはスルタンの子か……。何せ彼女は非常に聞き分けが良く、私に全幅の信頼を寄せていたからな」


その言葉がどういう意味なのか、考える必要もない。たまらず剣を抜くララに後ずさりしながらも、ヴィルヘルムは自身の優勢を疑わなかった。


「私を斬りたいのなら斬るがいい。女によって堕落させられる王の子など、たかが知れたもの。私を斬った瞬間、おまえは薄汚い復讐者という汚名を背負い、私は異教徒と最後まで戦い抜いた殉教者としての名誉を受けるのだ!」


なかなか口のうまい男だ。

枢機卿にまでのぼり詰めたのは伊達ではない。こうして相手を言いくるめ、自分に有利になるよう流れを作って来たのだろう。


誇り高い帝国の皇子が、復讐心にまみれて相手を斬る――相手に、殉教者としての名誉を与えて。

ララの矜持は決して低くはない。そんな屈辱にララは耐えられない。

ララには、ヴィルヘルムを斬れない。


ヴィルヘルムもそれを察して、恐怖を感じながらも笑みを浮かべているのだ。

――しかし、その笑みもやがて驚愕に目を見開き、その表情のまま凍り付いた。


「僕は薄汚い復讐者で構わない。こいつを殺したところで死んだ人たちが蘇るわけじゃないが……父と姉が命を落としたと言うのに、その原因を作った男が生きているなんて。そんなの耐えられない」


鮮血とともにヴィルヘルムの首が飛ぶ。それを、冷ややかな眼差しでアレクは見下ろしていた。手には、血に濡れた短剣が――。


「アレク、声が出るようになったのか……!?」

「たったいまね。怒りのあまり……気がついたら、自然と声が出てた」


一瞬、ララは泣き出すのではないかと思った。くしゃりと顔を歪めて笑い、ララは義弟を抱きしめる。


――これでようやく、決着がついた。

アレクの言う通り、これで起きた悲劇が変わるわけではないが。悲壮な決意のもと、チャコ帝国からエンジェリクへ渡った彼らにとって、ひとつの区切りにはなる……。


マリアは、夜闇の下に姿を現した修道士に視線をやり、皮肉げに笑った。


「遅いわよ。あなたはいつも遅れてばかりね」

「……今回ばかりは、あなたが早過ぎるのです。なにも、ご自分の手を汚さずとも……」


ヴィルヘルムの死体を見下ろしながら、修道士シモンは驚いた様子もなく静かに答える。


ヴィルヘルムは川を下り、船を乗り替えて海に出る。護衛に一人、聖堂騎士を連れて。

そしてその船は、ひっそりと海の上で姿を消すはずだった。ヴィルヘルムと――彼の護衛役を引き受けたシモンと共に。


「何もかもがあなたたちの思い通りだなんて御免よ。坊主は大人しく、教会に引っ込んでなさい」

「……オルディス公爵は、実にお優しく慈悲深い御方だ。クラウス様があなたの魂を愛した理由が、私にもよく分かりました」


修道士シモンが笑う。それは普段の薄ら寒い愛想のよい笑顔ではなく、限りなく彼の素顔に近い笑顔だったような気がした。


「私は、あまりにも多くの血を流した……もはや私の魂が救われることはなく、地獄へ落ちることも覚悟しておりました。そんな私に与えられた最後の使命……ヴィルヘルムと共にオルディス行きを命じられた時、これだと思っていたのです。裁きを逃れた罪人を道連れにすること……」


フン、とマリアは鼻で笑う。


「道連れがいなくなって残念だこと。諦めて、残りの人生は少しでも罪が許されるようお祈りでもしておきなさい。あなたたちの得意技でしょう」

「……そうですね」


馬鹿にしたようなマリアの言動にもシモンは動じることなく、穏やかに微笑む――まるで、マリアの思惑などお見通しと言わんばかりに。

俗世の煩わしさとは無縁に……心安らかに、静かに、ただ祈りを捧げていたい。そんな修道士の望みを、暗に叶えようとしてくれているのだと。

分かったような顔をするシモンに、マリアは舌打ちしたくなった。


「ありがとうございました、公爵。これで私は世俗から離れ、祈りに身を捧げることができます。私がオルディスへ来た本当の意味……それは、あなたの魂を救うためだったのかもしれません。神があなたに救いを与えるよう、残る生涯をかけ、私は神に祈り続けましょう」


馬鹿馬鹿しいと思ったが、マリアは反論することなく修道士シモンに背を向けた。

神に救いを求めない。犯した罪から目を逸らすつもりもなく、省みるつもりもないのだから。


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