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紫色のクラベル~傾国の悪役令嬢、その貴種流離譚~  作者: 星見だいふく
第六部02 妹の結婚
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女だらけの (1)


クラベル商会オルディス本店にて。

久しぶりにデイビッド・リースの仕事を手伝っていたマリアは、その日、信じられない言葉を聞いた。


「クリス君、今日はここまでにしましょう。残りは明日に回します」


いつもなら日付が替わろうとも残業し、徹夜なんか当たり前の勢いで仕事をするデイビッドが……自発的に仕事を切り上げるなんて。

マリアは目を丸くし、熱でもあるんですか、と反射的に言ってしまった。


「まだこんなに日も高いのに」

「だめです!今日はもう帰ってください!これ以上クリス君に仕事をさせて、万が一でもあったら……伯爵に殺され、ナタリアさんにまで恨まれてしまいます!ナタリアさんと離婚なんて、絶対嫌ですぅぅぅうっ!」


仕事よりもナタリアのほうが大事、と以前デイビッドが話していたことがあったが……一応、あれは本心だったらしい。

マリアの妊娠を察しているデイビッドは、驚いたことに、仕事を後回しにしてまでマリアの体調を気遣っている……。


「分かりました。ではこの書類だけやってしまって、今日はおしまいにしましょう」

「そうですね、これだけは片付けて――いやいやいや!ダメです!今日はもう、断固として、絶対に、もう終わりです!!」


いつもの半分どころか、十分の一以下の仕事で終わってしまったマリアは、ものすごく不満だった。


なにせ一事が万事この調子で。マリアの仕事は、どんどん取り上げられてしまう。


「マリア、何をしてるんだ!そんなことは私にやらせればいいだろう!」


蒼白になって叫ぶおじに、マリアは苦笑する。

おじの仕事を手伝っていたマリアは、参考資料を取るために書斎で踏み台に乗り、本を探していた。

それを見たおじは半狂乱になって、そう主張するのだが……左手と左脚が不自由で、杖をついている状態のおじにまかせるほうが、よっぽど危険だと思う。


「おじ様ったら大げさです。一メートルある脚立ならまだしも、三十センチもない踏み台ですよ?」

「それでも落ちたりしたら……!私に頼れないなら、せめて人を呼びなさい!私にはそう言って注意したくせに、自分が実践しなくてどうするんだ!」


クラベル商会でも仕事をさせてもらえず、おじの仕事も制限されてしまって。

ふくれっ面になるマリアに、ナタリアが呆れたように言った。


「お元気になられたのは嬉しいですが、元気になったらなったで、心配が尽きません」

「だって暇で仕方がないのよ。気晴らしに馬に乗ることもできないし――」


乗馬なんて絶対だめです!という台詞を聞かされるのは、もはや一度や二度ではない。マリアだって、さすがにそれはだめだな、という自制ぐらいはちゃんとしてるのに。


「お姉様。大人しく私のお裁縫を手伝うの。ナタリアたちに心配かけさせちゃだめ」


オフェリアにまでたしなめられ、マリアは仕方なく、オフェリアを手伝うことにした。

オフェリアがいましているのは、結婚式で着るドレスのリメイク。時代遅れのデザインだったドレスはばっさりとカットされ、オフェリアの手で可愛らしい妖精のドレスへと変わっていた。

真っ白なドレス……裾のレースに施された刺繍は、アイリスの花……。


昔、マリア、オフェリア、ヒューバート王子の三人で、それぞれをイメージする花を選んだことがあった。

ヒューバート王子はマリアのために紫色のクラベル――カーネーションを。マリアはオフェリアのために赤い薔薇を。そしてオフェリアは、ヒューバート王子のために白いアイリスを……。


「オフェリア様、マリア様、王都からお客様です」


黙々とドレスのリメイクを行っていたマリアとオフェリアに、ベルダが来客を伝える。

王都からいったい誰が……と出迎える二人の前に案内されたのは、華やかな女性たち。


「遊びに来ちゃいました!」

「ご機嫌よう、オフェリア様、オルディス公爵。突然の訪問、お許しください」


ハモンド法務長官の妻ダーリーンに、近衛騎士ラドフォードの妻ゾーイ。新しい友人の訪問を、オフェリアは喜んだ。


「二人とも、来てくれてありがとう!」

「オフェリア様、ヒューバート王子とついに正式に結婚されるんですよね?その報せをこっそり夫から聞かされて、居ても立ってもいられずお祝いを言いに来ました!」

「私も、喜ばしい報せについ、すぐにでもお祝いを……と逸ってしまいまして。前触れのお手紙を出すことも、すっかり忘れておりました」


無邪気に喜ぶダーリーンと、恐縮するゾーイ。対照的な二人だが、オフェリアを祝福してくれる気持ちは同じ。マリアも二人を歓迎した。


「ダーリーン様、ゾーイ様。お二人とも、オフェリアのためにありがとうございます。式にお呼びすることができず、とても申し訳ない気持ちでいっぱいですわ」

「正直に言えば、ちょっぴり残念です。でも仕方ないですよね。来月じゃ、たぶん夫も都合がつきませんし、招待の手配が間に合いませんもんね」


ダーリーンは少しだけ残念そうに笑い、ゾーイは穏やかに頷いた。


来月のオフェリアの結婚式には、客は呼ばないことになっている。

あまりにも急で、招待を受けたところで断るしかない人間がほとんど……断る手間を省くためにも、客は最初から呼ばないことにしてしまえばいい。そういった事情から、ごく限られた身内だけで行うことにしていた。


「ドレスはどんなの選んだんですか?」

「いま手直し中。ちゃんと可愛くできてるか、二人にも見ていって欲しいの」


リメイク中のドレスを見せれば、可愛い!とダーリーンは絶賛し、ゾーイも見事な刺繍に感嘆していた。


「可愛いですよ、これならきっと王子様もメロメロです!これ、オフェリア様の手縫いですか?」

「さすがに完全な手縫いじゃないよ。ちょっぴり形を変えて、レースの部分に刺繍をしてみたんだ」

「すごいです……こんなに細かい模様を、丁寧に……」


二人に褒められ、オフェリアは照れ臭そうに笑う。

結婚式やドレスについて話をするオフェリアたちを横目に、マリアもナタリアから声をかけられた。


今日は、もう一人お客が来る予定だった。


「ご機嫌よう、キャロライン様。ご無沙汰しております」

「ご機嫌よう。お元気そうで安堵しました。体調が優れぬと伺っておりまして……コンラッドも、公爵のことを心配していましたの」


コンラッドは、キャロライン・プラント侯爵夫人の父親……公にすることはできなくなってしまった男性だ。

マリアとは……お察しな関係なわけで。娘からやんわりとそれを指摘されると、さすがに気まずい。


「今日は、何やら賑やかなご様子ですが……」

「妹の友人が訪ねてきていまして。もうすぐ結婚式ですから、ドレスや髪飾りのこと、楽しくお喋りしているみたいです」


キャロラインの訪問を、オフェリアも歓迎した。ダーリーンとゾーイもキャロラインを見、キャロラインは少し気まずそうに会釈する。


「あっ、たしかエヴェリー侯爵の……」

「ダーリーン様」


素直な反応を見せるダーリーンを、ゾーイがたしなめた。

エヴェリー候は、公には処刑されたことになっている。かつてはチャールズ王子の婚約者候補でもあったのに、地方の年老いた貴族に嫁がされて……。


「ごめんなさい!私、考えなしだから、つい……また会えて嬉しくって……」


たしなめられたダーリーンは、慌てた様子で謝罪する。キャロラインは相変わらず気まずそうだが、気分を害した様子はなかった。


「いえ。私もダーリーン様にまたお会いできて嬉しいです。ダーリーン様はいつも明るく私に接してくれて……それなのに、あの頃の私は、ダーリーン様からの好意をむげに……」

「しょうがないですよ。王妃派と宰相派……でしたっけ。私の夫のアーネスト様は、宰相様と仲良しですから、王妃派のキャロライン様とは仲良くできるはずなかったんですよね、本当は。そういうの全然分からなくて……私のほうこそ、戸惑わせてしまって申し訳なかったぐらいです」


かつてエンジェリク貴族は、王妃派と宰相派、そのどちらにも属さない中立派に分かれていた。


王妃の息子――チャールズ王子の婚約者候補として、王妃側の人間だったキャロラインと、夫が宰相の後輩であったダーリーンでは、対立する派閥同士。きっとダーリーンは、そういった勢力図も理解できずにキャロラインに接していたのだろう。


近衛騎士の夫を持つゾーイは……。


「ダーリーン様が気に病む必要はありません。私など、同じ王妃派であったはずなのに、キャロライン様たち父子が窮地に立たされている時、救いの手を差し伸べることもせず……エヴェリー侯爵は、とてもお優しく素晴らしい方でしたのに」


近衛騎士隊は、もとは王妃派だった。

しかし、チャールズ王子が王妃派筆頭であった近衛騎士隊隊長を死に追いやったことで、その大半が離反してしまった。そしてキャロラインは、レミントン侯爵に切り捨てられたことによって父親を喪いかけた……。


「どうぞお気になさらず。それに、私に憐れみも必要ありません。私はいま、とても幸せです。プラント領の領主となり、いまの夫と共に領民たちのために日々を過ごして……プラントでは、私は私らしく生きることができる……。他人からは気の毒がられることも多いのですが、王都で暮らしていた頃よりずっと、私は自分のことが好きです。ダーリーン様やゾーイ様とも、何の忌憚もなくこうしてお喋りすることができますし」


にっこりと笑うキャロラインは、誰の目から見ても美しく輝いている。彼女の言葉は嫌味でも自嘲でもなく、本心からのもの。それは、ダーリーンやゾーイにも伝わったようだ。


「キャロライン様、本当にいまとっても幸せなんですね。なら良かった!私が出産で王都から遠ざかっている間に、エヴェリー家が取り潰されて、侯爵も侯爵令嬢も不幸に……なんて話だけ聞かされて。キャロライン様がどうしていらっしゃるのか、ずっと気になっていたんです」

「ありがとうございます。最近、四人目が生まれたとお聞きしましたが」


キャロラインが言えば、そうなんです、とダーリーンが笑顔で答える。


「四人目でようやく女の子に恵まれて!男の子も可愛いんですけどねー。アーネスト様そっくりだし。でも男の子ばっかりだったから、やっぱり女の子も欲しくて」

「……羨ましいです。私は娘が二人……夫はそれで私を責めたりしませんが、騎士の家ですから……」


父親と同じ騎士を目指してくれる息子が必要――そんなゾーイの心情を、マリアは察した。キャロラインは溜息をつく。


「子どもですか……。私も……その、いまの夫との子が欲しいと望んではいるのですが、なかなか難しくて……」

「そりゃもう、こっちから押し倒すぐらいの勢いで迫らなくっちゃ!男の人は、そういう場面になると意外とへたれですからね!」

「むむ……やはりそれぐらい積極的に行くべきでしょうか」


何やら人妻らしいお悩み相談が始まり、マリアは苦笑した。

オフェリアもきょとんとしており……オフェリアには、まだまだ無縁の話題だ。


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