好きにはなれない (2)
教皇庁よりやって来た、オルディス領の新たな司祭。それを出迎えたマリアは、一応は恭しく彼らに挨拶をした。
「オルディスへようこそ、トマス司祭様。オルディスを治める公爵として、新たな司祭を迎えられること、とても喜ばしく思っております」
「これはこれは。公爵様自らお出迎え頂けるとは……」
トマス司祭は初老の、少しふっくらとした、穏やか笑顔が特徴的な男性だった。穏和で柔らかな微笑は、マリアに手紙を寄越してきた枢機卿クラウスと似ているかもしれない。
感じは良さそうな司祭だ。聖職者は色眼鏡で見がちなマリアだが、それでも彼の人柄の良さは認めざるを得なかった。
「トマス司祭様。オルディスではエンジェリク国教会を信仰しております。先王は平民たちから特に人気が高く、オルディスの民も同様でして……。ここでは、トマス司祭様にも国教会の流儀に従って儀式を執り行って頂くことになるのですが」
「それはもちろん。宗派の違いにこだわることなく、救いを求める者に手を差し伸べることが私の務め。彼らの慣れ親しんだやり方を尊重するつもりです」
「そうおっしゃって頂けて安心いたしました」
マリアも笑顔で頷く。
「それでは教会へご案内を……領主であるおじが、その役目を務めます。領内のこと、教会のこと、どうぞ何でも気軽におっしゃってくださいませ」
おじに連れられ、司祭は教会へ向かう馬車に乗り込む。一緒に来ていた修道士は、簡素な馬車に不満げだった。
「……司祭はいいけど、一緒に来た修道士は気に食わないわ。いかにも、こんなところへ来る羽目になって不愉快で堪らないって顔で」
というか、彼は一介の修道士に格下げされたのか。教皇特使を名乗ってマリアに破門を言い渡した男……以前は枢機卿らしい、それなりに高位の衣装を着ていたはずなのに……。
「オルディス公爵」
声をかけられ、マリアは破門を言い渡した男について考えるのを中断した。まだオルディス公爵としての仕事が残っている。
「聖堂騎士団の皆さま方も、ご苦労様でした。お帰りになる前に、オルディスでどうぞごゆっくり、旅の疲れを癒していってくださいませ」
聖堂騎士団は、武闘派の修道士たちによる組織だ。あくまで戦うことを許された修道士というだけであって、正式な軍隊ではない――建前上は。
発足当初は巡礼者を守る小規模な組織であったが、いまや強大な軍事力となり、教皇庁の堅固な守護者でもある。
聖堂騎士団の一隊が、エンジェリクに渡るトマス司祭を護衛するためにオルディスへやって来る――彼らを労い、もてなした後に見送るまでがマリアの務め……の、はずだった。
「公爵、その件についてなのですが、少々手違いがございまして」
手違い、とマリアは呟く。
司祭を護衛する一隊の隊長はシモンという修道士で、若く、なかなかの色男だった――髪の毛もふさふさだし。
「実は、公爵にお送りする手紙は二通あったのです。うっかり忘れてしまい……気づいたときには、もう船に乗り込む寸前。直接お会いしてお渡しするほうが早いと判断いたしまして」
何やら芝居がかったように話す修道士に、マリアはすこぶる嫌な予感がした。
手渡された手紙を踏みつけにしてやりたい衝動に駆られながらも、一応は読んでみる。
……そして、修道士シモンを睨んだ。
「……謀りましたね」
マリアの睨みに怯むことなく、修道士シモンはにっこりと微笑む。
「クラウス様から、オルディス公爵は聖職者に距離を置きたがる傾向にあり、正攻法での説得は難しいだろうとうかがっておりましたもので」
「最初の手紙が遅れていたのも確信犯ね……このクソ坊主。だから聖職者は嫌いなのよ!」
マリアが怒りを露にするのを見て、ナタリアたちが慌てる。しかし修道士シモンは、無礼な態度にも微笑むばかりだった。
「公爵は実にお可愛らしく、美しい御方だ。そのような女性から侮蔑の眼差しを向けられ、罵倒される……私にとってはご褒美です」
「なんかヤバイですよ、この人!」
ベルダが青ざめ、早々にお引き取り願いましょうよ、とマリアの腕を引っ張る。
「……すぐにでも教皇庁に返品してやりたいところだけど、そうはいかなくなったわ。ナタリア、ハンナさんを呼んで来てくれる?彼らをしばらく滞在させるのに、クラベル商会の従業員寮の一部を貸してもらわないと」
クラベル商会の従業員寮の管理人ハンナ――彼女に頼んで、彼らを泊めてもらわないと。
「でも、聖堂騎士団の皆様にはすでに宿舎を用意して……」
「あれは一時的な住居よ。永続的に暮らすには、改装の必要があるわ」
「えっ」
まさか、という言葉を呑みこんだナタリアに、そうよ、とマリアは頷く。
「聖堂騎士団シモン隊は、このオルディスに常駐するんですって」
教皇庁の権威的象徴でもある聖堂騎士団が、一部とはいえオルディスに常駐する。いよいよマリアは頭が痛くなってきた。
それからしばらくの間、マリアは心の安寧を取り戻すためにも、やって来た修道士たちにはなるべく関わらないようにしていた。
意図的に彼らを避け……そうでないと、怒りを抑えることもできなくて。彼らの顔を見たら、また罵倒の言葉が口から飛び出しそうだ。
なのに……修道士シモンは、図々しくもマリアに接近してくる。彼が屋敷を訪ねてきたと知った時、裏口から逃げ出そうかとも考えたぐらいだ。
「最初の出迎えの時もそうでしたが、オルディス公爵は普段から男装をしていらっしゃるのですね。ズボンとブーツのスタイルは、あなたの美しいおみ足が強調され、実に素晴らしい……踏みつけて頂きたい衝動に駆られます」
「変態行為をしに来たのでしたら、後日にしていただけます?私、気分が優れませんので!」
この男の前では、男物の服は控えたほうが良いかもしれない。いや、男物の服でも、ゆったりとしたチャコ風の衣装とか、そっちのほうがいいのかも。
……結局、それを着ても、彼の変態発言はおさまらないような気はするが。
「これは失礼。どうやら公爵は私たちのことを避けているようなので、話をするためにはこちらから赴くしかないと思いまして――クラウス様の真意と、修道士ヴィルヘルムについてです」
マリアは溜息をつき、彼を応接室に通す。
おじの同席はやんわりと拒否されたが、ララだけは残らせた。シモンはララが残ることにも難色を示していたが、そんなものは無視だ。胡散臭い修道士……しかも変態発言を繰り返すような男と、二人きりになどなれるか。
「……これはまだ、各国の王にも伝えられていない極秘事項なのですが……次期教皇には、枢機卿クラウス様がほぼ内定しております。ヴィルヘルム殿は、かつては同じ枢機卿……次期教皇の椅子を巡って対立する相手でした。彼が失脚した経緯について、オルディス公はクラウス様から打ち明けられているとのことですが……」
「俺からすれば、まだあいつが破門されてないことのほうが驚きだ。ルチル教の傲慢さには、反吐が出る」
ララが辛辣に吐き捨てる。
ララは異教徒――そして、異教徒の国の皇子だった。教皇の座を狙うヴィルヘルムの策略で、彼の祖国はルチル教国との戦争に発展し、荒廃した……。
ララの父王に問題がなかったとは言わない。自滅も同然であった。だがやはり、ララとしては、戦争を煽ったルチル教徒にも複雑な思いがあって……。
「私も、ヴィルヘルム殿の行いを擁護するつもりはありません。しかし、権力闘争の末に異教徒との戦争を煽ったなど、公にできることでもありません。教皇庁の人間が彼を処罰するのは限界がある……それでクラウス様は、オルディス公爵を頼られたのです」
怒りで髪が逆立ちそうだ。なんだか目まいがする。妊娠中だと言うのに、頭に血が上るようなことを言わないでほしい。
マリアは怒鳴りつけたいのを必死で堪え、シモンを睨んだ。
「オルディスは、不良坊主の更生場ではありませんよ」
「あわよくば、を期待していないとは言えませんね。オルディス公爵の色香に惑うのではないか……私としても、それは十分にあり得ることだと感じております」
にっこりと笑うシモンに、マリアは卒倒しそうになった。
「……このように、修道士ヴィルヘルムに関しては彼の破滅を誘うための汚ない思惑込みの派遣です。私が送り込まれたのも、教皇庁から遠い国……宗派の違うエンジェリクでなら、最悪の場合私自身が手を下すことも可能だからと……しかし、トマス司祭は違います」
シモンが言った。その声はいままでになく真剣で、眼差しは真っ直ぐに、マリアを見据えている。
「トマス司祭は、我々のそういった思惑から外れた人事です。彼は心よりオルディスを想い、民と復興の役に立てればと願っております。オルディスの司祭になることが決まってから、彼はエンジェリクのこと、オルディスのことをよく学び、エンジェリク国教会の流儀も誠実に従うおつもりで……私や修道士ヴィルヘルムは俗物な生臭坊主ですが、トマス司祭は高潔な御方。どうか、彼の誠意は信じてあげてください」
マリアは沈黙し、茶を飲んだ。
トマス司祭の評判は悪くない。
第一印象と違わず穏和で誠実な司祭は、領主のおじにも劣らず熱心にオルディス領を見て回り、領民たちと交流を持ち、彼らの心に寄り添おうとしてくれている。
司祭の誠意を疑うつもりは、マリアにもなかった。
「……だからと言って、面倒事にオルディス領を巻き込んだことを許すつもりはありません。あなたがたの尻拭いをするのは、これが初めてではありませんもの」
放っておいたら、いつまでもマリアに後始末をやらせようとするのではないか。生憎と、聖職者たちのために尽力するつもりはない。オフェリアの王子妃が決定し、これからは特にオフェリアのことで忙しくなる。
妊娠して、いままでのように気楽に動き回ることもできなくなったし……。
「そのご懸念はもっともですね。こちらとしても、ヴィルヘルム殿のことは自分たちで片を着けたいと考えております。オルディス公爵に頼るのは、あくまで最後の手段と」
「是非ともそうしていただきたいものですわね。聖職者嫌いの私が思わず見直してしまうような、そんな結果になることを期待しておりますわ」
話を終えると、修道士シモンは紳士的な態度を崩すことなく、屋敷を出て行った。
「悪い奴じゃーないんだろうな」
マリアと一緒にシモンを見送り、ララが言った。
「修道士として、それなりに真面目で、使命感を持ってはいるみたいだし。変態くさい発言をするのがあれだが」
「オルディスやエンジェリクに対して友好的なのは事実ね。でもやっぱり、厄介事を持ち込んできたのは許せないわ」
たぶん、枢機卿……次期教皇クラウスは、オルディス公爵であるマリアの後ろ盾となるために、聖堂騎士団の一隊をオルディス領に送ってきてくれたのだとは思う。シモンもそのつもりでオルディスへ来たのだ。オルディスと……マリアと教皇庁の仲立ちをする役目を背負って。
トマス司祭のことも、彼なりに吟味し、誠実で優秀な人物を司祭に選んでくれた。オルディス公爵にもそれなりにメリットを得られるように、配慮してくれてはいるのだろうが……。
「オフェリアの結婚式が控えているのよ。害虫が飛び回ってるだなんてごめんだわ」
妹の結婚式までには、邪魔な虫は必ず潰しておく。
彼らの思惑にまんまと乗っかるのは腹立だしいことだが、修道士ヴィルヘルムはマリアが片付けてしまったほうが手っ取り早いに違いない。




