好きにはなれない (1)
「お姉様、会えなくてとっても寂しかったわ!」
マリアの姿を見るなり、オフェリアが抱きついてくる。マリアは、妹を抱きしめた。
「すぐにあとから来るって言ってたのに、全然来てくれなくって。お姉様が私に嘘をついてキシリアへ行ってしまった時のことを思い出したわ。すごく不安だったのよ」
オフェリアは以前、マリアの嘘でオルディス領に置き去りにされたことがある。
マリアが仇敵に呼ばれて、一人故郷へ帰ることになった時――あの時も、あとから行くからと言って、オフェリアを先にオルディスへ向かわせた。
何も知らないまま、オフェリアはマリアを待ち続け……音沙汰のない姉が実は敵のもとへ行ってしまったのだと知ったときの恐怖とショックは、きっと一生消えることがないだろう……。
その恐怖を思い起こさせてしまって、妹にはとても可哀想なことをした。
「ごめんなさい。私も、こんなに遅れてしまうとは思わなかったの」
「体調が悪かったって聞いたけれど、そんなにひどかったの?もう大丈夫?」
マリアは、オフェリアの後ろにいるベルダを見た。ベルダはすでに知っているはずだが、どうやらオフェリアには知らせていないらしい。
……マリアが直接打ち明けるべきことではあるか。
「それについては屋敷に入ってから話すわ。おじ様も……大切なことなので、一緒に聞いていただけますか」
城から、ようやくオルディス領へマリアは帰ってきた。
ヒューバート王子はまだ王都に残っている。オフェリアとの結婚を強行することになって、王子はさらに忙しくなってしまった。
領主であるおじの執務室に落ち着くと、マリアはオフェリアとおじに自分の変化を打ち明けた。
「あのね、オフェリア。私、妊娠したの。城からなかなか帰ってこれなかったのは、それで体調が優れなかったせいよ」
オフェリアがぽかーんと口を開け、大きな目を真ん丸にする。同席していたおじも、同じように口を開け、目を丸くしていた。
「赤ちゃん!?いつ生まれるの!?」
「まだまだ先よ。ようやく妊娠が分かったぐらいで……。安定期に入るまでは、私の妊娠は公にはしないわ。何があってもおかしくない時期だから、不幸な結果になる可能性も十分あるの。残念な結果は、聞かされる側も辛いわ。だからもう大丈夫っていう時期になるまでは内緒にしておくのが皆のためなのよ」
丁寧に理由を説明し、オフェリアに口止めをする。オフェリアは神妙な表情で頷き、誰にも言わないよ!と強く主張した。
「赤ちゃんのことを話していいのは、お姉様と二人きりのときだけだね!」
「いま一緒に話を聞いたおじ様、それからナタリアとベルダも私の妊娠は知ってるわ。でもそれ以外の人の前では内緒ね」
実際にはララやホールデン伯爵も知っている。アレクとノアも何となく察していることだろう。マリアからはっきり打ち明けられるまでは、気付かないふり、知らないふりをしてくれているだけで。
だがそれを教えてしまうと、かえってオフェリアは混乱してしまう。知っているのはおじとベルダ、ナタリアだけ――そのつもりで秘密を守ってくれたほうがいい。
「赤ちゃん生まれたら、私にもたくさん抱っこさせて!」
「いいわよ――オフェリアったら、いくらなんでも、まだお腹はぺったんこのままよ」
隣に座ってお腹をぺたぺたと触って来る妹に苦笑しながら、マリアが言った。
「それから、もうひとつあなたに話しておかないといけないことがあるの。オフェリア、あなたとヒューバート殿下の結婚が、来月執り行われることになったわ」
「来月!?」
姉妹の会話に口を挟むことなく傍観者の立場を取っていたおじが、堪らず言った。
「いくらなんでも急過ぎる。式の準備も、何もできていないままだ――」
「事情が変わってしまいまして。オルディス領で挙げる予定だった式を、そのまま正式なものにすることに……。大きな問題ができてしまったことは、私も理解しています」
ただの真似事のつもりだったので、マリアが放置してきたこと――正式な儀式となるなら、話は別だ。
――オルディス領には、司祭がいない。
かつてはオルディスにも、立派な教会があった。しかし十五年前……すでに十六年前か――昔起こった大火災で、教会は焼け落ちてしまった。
幸い修道士たちは全員無事だったのだが、当時の副院長は領主と共に被災者の救済に尽力し、病に倒れた。真面目で誠実だった彼の命を縮めたのは過労――若く有望な修道士であった。
それからほどなくして院長も亡くなった。こちらは高齢による寿命だ。自分の跡を継いでくれるはずだった副院長に先立たれたことによる精神的打撃も、彼の命を削ったのだろう。
建物はなくなり、院長と副院長も立て続けに亡くなった。財政難のオルディスは教会を立て直す余裕もなく。残りの修道士たちは解散し、各地の教会へ移るしかなかった。
こうして教会も司祭も不在のまま、オルディスは時が過ぎた。
有事の際には近隣の教会から司祭が派遣され、時折奉仕にやって来る修道士たちに助けられ……。
大火災の被害から立ち直ることを優先しているオルディス領では、教会や司祭の件は後回しにされていた。
「隣接するプラント領から、司祭を派遣してもらいましょう。いまはそれが一番良い手でしょうし」
「司祭……あ、そうだ」
おじが自分のデスクに戻り、引き出しを開けて何かを取り出している。
美しい装飾が施された手紙……なんとなく嫌な予感がして、マリアは眉をひそめた。
「君宛に、教皇庁から親書が届いていたんだが」
手渡され、マリアはそのまま破り捨ててやりたい衝動に駆られた。
絶対、面倒くさいことになる。この手紙を読もうが読むまいがきっと変わらないことなのだろうが……宗教が絡むことには、本気で関わり合いたくない。
「お姉様、お手紙はちゃんと読まなくちゃだめよ」
オフェリアにたしなめられ、マリアは渋々封を開けた。
ざっと目を通し、最後に書かれた名前に考え込む――枢機卿クラウス。
「枢機卿のクラウス……私に破門を言い渡した教皇特使の正体を明かしに来た修道士ね」
マリアはいま、教皇庁によって破門されている。エンジェリクでは同じルチル教でも宗派が違うし、教皇庁から破門されていても国内での儀式に差し障ることはない。
教皇庁と和解したいエンジェリク王からは良い顔をされないが……修道士嫌いのマリアとしては、このままでもいいかなと思っている。
「彼からは、悪印象を持たれていないはずだけど」
マリアは改めて手紙に目を通した。
手紙を読みながら、思いっきり顔をしかめるマリアに、おじが心配そうな表情をする。
「要約すると、オルディス領に、教皇庁が指名した司祭を据えてほしいという依頼です……一応。よろしくお願いしますと書かれてはいますが、お断りすることってできるのでしょうか」
「えーっと……無理じゃないかな。たぶん」
マリアから手紙を渡され、目を通したおじも難色を示す。
丁寧な内容だが、こちらの意向を無視した決定事項であり、ほとんど命令のようなものだ。
オルディスに教皇庁から指名を受けた司祭が――つまり、教皇庁の権威をオルディス領で誇示させろということ……。
「悪い見方をすればそういうことだけど……マリアやオルディス領にとってもマイナスなことばかりじゃないよ。教皇庁から直接指名を受けた司祭が置かれると言うことは、オルディス領はエンジェリクにとって重要な場所となるわけだし……」
教皇庁から直接指名された司祭だ。そのへんの教会にいる司祭とは格が異なって来る。
かつてはエンジェリクにも、教皇庁より指名された大司祭が各地に存在した。
先王が新たな宗派を作って教皇庁と仲違したために、彼らはエンジェリクから引きあげざるを得なくなったが。
エンジェリクと教皇庁が和解した証として、再び司祭を置きたいのだろう。とは言え、王都に直接派遣するわけにもいかない。王都は避け、エンジェリクの重要な場所に司祭を置いて行く――その最初の地として、オルディス領が選ばれた。
光栄なことのはずなのだが、修道士が嫌いなマリアとしては、苦々しい想いに頬を膨らませたくなる……。
「ちょうど新しい教会も建てたことだし、オフェリアの結婚式も近々行われるんだ。司祭をあたたかく受け入れようじゃないか。領主の私としては、オルディスで生まれた子が、オルディスで洗礼式を受けれるようになるのはやっぱり嬉しいよ」
オルディスの民のことを想って話すおじに、マリアは子供っぽく拗ねるのを止めた。
修道士は嫌いだが、日々の生活に教会や儀式は必要だ。人々の信仰心を否定するつもりはない。領民たちのために、領地に司祭を望むおじの言い分はもっともだ。
「分かりました。司祭を快く受け入れましょう――ちょっと待ってください」
笑顔で了承しようとしていたマリアは、手紙のある一文に頭を抱えたくなった。
「その司祭、今週中にはオルディスに到着するようなのですが……おじ様、この手紙、いったいいつ届けられたのですか?」
いくらなんでも、今週には司祭が来てしまうとか。もはやマリアの返事を聞くつもりもないのか。
え、とおじも困惑する。
「そんな――その手紙は、一昨日届いたばかりだ。それなのに今週にはもう司祭が来るって……?」
「この手紙を信じるのであれば、どうやら三ヶ月前には送られたようですよ」
そんな馬鹿な、とおじはやはり困惑していた。
三ヶ月前には送られたはずの手紙が一昨日到着した――いくらなんでも、届くまでに時間がかかり過ぎだ。
「……今週中には到着してしまうのなら、すでに司祭もオルディスに向けて出発してしまっているということですね。どちらにしろ、いまさら私も断ることもできません……まったく。連中ときたら、こういった小賢しい知恵は回るのですから……」
「ま、まあまあ……もしかしたら何かの事故で配達が遅れていただけかもしれないから……向こうが謀ったと決めつけるのは……」
おじがなだめるが、マリアは足を組み、フンと鼻を鳴らした。
「司祭がろくでもない男だったら、私の色香で堕落させてやるわ。すぐに教皇庁に返品させてやるんだから」
「もう……マリア様ったら」
聖職者への嫌悪感を隠そうともしない主人に、ナタリアも溜息をつく。
司祭や教会の必要性はマリアも認めている。マリア自身、信仰心がまったくないわけではない。でもやっぱりルチル教の神も修道士も好きになれない。
……好きじゃないものは、どうしようもないと思う。




