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紫色のクラベル~傾国の悪役令嬢、その貴種流離譚~  作者: 星見だいふく
第六部01 女の敵は女
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罪と罰 (2)


美しい寝室――それはどんな監獄よりも冷たく、重苦しい檻であった。

広い城の中には、まだまだマリアの知らない場所がある。長年に渡って受け継がれてきた王家の闇……この部屋も、それを象徴する場所のひとつ。


大きなベッドから降りることもなく、マリアは差し出された食事を口にする。

しかし、スープを一口すすっただけでも激しい嘔吐感に襲われ、反射的に皿を押し退けた。


「……もういいわ。下げて頂戴」

「そうおっしゃらず。もう少しだけ……お願いですから、もう少しだけ召し上がってください。お身体がもちませんわ」


ナタリアに懇願されるが、マリアは力なくベッドに横たわった。


甲斐甲斐しく世話をしてくれるナタリアには申し訳ないが、マリアは何もかもが投げやりな気分だった。

グレゴリー王に囚われ、そろそろ一ヶ月が経つ……らしい。囚われてからずっとこの部屋で過ごしてきたマリアは、日付の感覚も失っていた。


あの後、護衛として一緒に城に来ていたララは追い出された。

異教徒で、しかも男。マリアのそばにララがいることを、王は許さなかった。


ララから王の寵愛にマリアが囚われたことを知らされたナタリアが、急いで城に駆けつけ――ナタリアだけは、マリアの世話をすることを許された。


マリアは、城の奥深く、王だけが立ち入ることのできる場所で過ごすことになった。

腹心の部下である宰相すら訪れることのできない場所。部屋の外で何が起きているのか、マリアは知ることもできない。知りたいとも、思えない……。


王に囚われてから、マリアの身体は急激な変化を見せている。

本来なら、その兆候が現れるのはまだ先のはずなのに。まるでマリアに思い知らせるように、身体はその異変を知らせていた。


激しい吐き気に疲労感、思考を遮るように苛む頭痛……すべてがマリアの気力を奪っていく。


「マリア様。ならばせめて、お医者様の診察を……」

「いやよ」


マリアは頭を振った。

医者の診察なんか受けたくない。その事実を突きつけられたくない。

嬉しい報せになるはずだった。幸せな思いで、その結果を知るはずだった。

だが、いまは……。


「休むから、しばらく一人にして」


シーツを頭までかぶり、マリアはナタリアから顔をそむける。


知ったところで、どうしたらいいのだ。

お腹の子は、愛する人の子ではないかもしれない。ならば堕ろしてしまうか――愛する人の子かもしれないのに。

伯爵から与えられた命に手をかけるなんてこと、絶対にしたくない。でもこれが、王の子ではないという確信もない。


マリアが王に囚われたままなのも、マリア自身が逃げ出そうとしないからだ。どうしたらいいのか、道を完全に見失ってしまっていて――思考が囚われたままの自分が逃げ出したところで、どうにもならない……。


「……マリア」


いつの間にかナタリアは部屋を出て行き、代わりに誰かが自分を訪ねていた。


――王ではない。

この部屋を訪ねることができるのは、ナタリアか王だけ。


グレゴリー王は、伏せたまま全てを拒絶しているマリアを気遣って医者を呼ぶことだけは認めてくれていたが、それ以外では他の人間を近づけさせなかった。

そんな自分のところに、誰が……?


「マリア、僕だ」

「……ヒューバート殿下」


白金の髪をさらりと揺らし、心配そうに見つめるヒューバート王子をマリアは見上げた。


「見つけ出すのが遅くなってすまない。僕も教皇の件で忙しくて……つい先日、君が父に囚われていることを知ったんだ。オフェリアが心配している。城へ行ったまま、君が帰って来ないと」


オフェリア――大切な妹……あの子をまた一人にしてしまった。

マリアもすぐに行くと約束したのに。また一人、オルディス領に置き去りにされてしまって……姉からの音沙汰がなく、不安な思いをしているに違いない……。


「私も体調が悪くて……自分で逃げ出す気力がわかず……」

「そうみたいだね。酷い顔色だ。眠っている君は、死んでいるのではないかと勘違いしそうなほどだった」


労わるようにマリアの顔に触れ、ヒューバート王子が言った。マリアの顔を覗き込む王子に、何をしておる、と王が鋭く口を挟む。


部屋に戻ってきた王は、ヒューバート王子にすら厳しい視線を送っていた。

実の息子にすら男としての嫉妬を隠すことのない王――王子はそれに動じることもなく、落ち着いた様子で父王と向き合った。


「父上。マリアはオルディス領へ下がらせます。ここにいては、オフェリアのことも気になって彼女は落ち着かないでしょう」

「ならぬ。マリアは体調が芳しくない。無理に動かして、彼女の身に間違いでもあったら……」

「だからですよ。お忘れですか、父上。教皇猊下の追悼のため、やがてチャールズ王子が城へ戻ってきます。追悼の儀に、王子を無視するわけにはいきませんから。チャールズ王子はマリアと婚約していた――父上に奪われたかつての婚約者が妊娠していると分かったら、短気な王子がどのような行動に出るか……」


ヒューバート王子の指摘に、さすがの王も押し黙った。

マリアを自分の手元に置いておきたいが、それが難しいことにいまさらながら気付いたようだ。


「それに王妃もです。愛妾のことを視野にも入れていませんが、妊娠となれば、さすがの彼女にも心の変化があるかもしれません。王妃本人は動じずとも、周囲が勝手な配慮をする可能性も」


王子は、穏やかな笑顔で王を見据える。だがその姿には、王すら気圧される迫力があった。


「父上。城にいては、お腹の子ごとマリアも命を落としてしまうかもしれないのですよ。また、愛する女性や我が子を、喪ってもよろしいのですか?」


実に的確に、王の古傷を抉っている――横で聞いているマリアはそう思った。

最初の妃マリアンナは、出産の際に命を落としている。その悲劇が再び繰り返される――また、愛する女性と、愛する女性との間に成した子を喪ってしまう。それが王にとってとてつもない恐怖であることを、マリアもヒューバート王子も知っていた……。


「……マリアを、オルディス領へ下げる良い口実が見つからぬ」

「僕のわがままで、オフェリアとの結婚を早めたことにしましょう。猊下の死が公表されれば、しばらく慶事は控えねばなりません。当然、結婚は延期。今年……いえ、来年すら、式を挙げるのは難しい。それまで待てなくなった僕が、公表前に式を強行させることにしたと。急な結婚ですから、準備は間に合いません。オルディス領で略式に執り行う――姉のマリアがそれに参加するのは、ごく自然な流れかと」


短い沈黙が落ち、やがて王が溜息をついた。

ベッドに力なく横たわったままのマリアに近づき、労わるように頬を撫でる――その手つきは、息子のヒューバート王子とそっくりで。こんな状況なのにマリアは思わず笑ってしまった。


マリアの笑顔を見た王が、険しい空気をわずかに緩めたのを感じた。


「父上。マリアは僕にとっても大切な友人……そして家族となる相手です。彼女を害すること、尊厳を奪うようなことは、僕が許しません」


王子の言葉に、王は笑みすら浮かべている。高潔なる王も、醜い嫉妬に駆られるただの男であり……息子を想う父親だった。


「あいわかった。だが出発の前に、オルディス公を医者に診せよ。公爵の体調をはっきりさせておきたい」

「御意に」


激情に駆られている王を、王子は見事に説得してみせた。父子の情もあっただろう。実に良いタイミングで、ヒューバート王子は王との絆を深めたものだ……。


「まさか殿下に助けられる日が来るだなんて」


マリアが意地悪く笑えば、王子も苦笑する。


「普段なら、君があれぐらいのことを言って父を丸めこんでみせたはずだ。本当に弱っているみたいだね。医者を呼ぶから、ちゃんと診察を受けて……は、くれないつもりかな。君の説得は、彼に任せたほうがよさそうだ」


王子が出入り口を振り返る。静かに扉が開き、開いた隙間からトコトコとマサパンが入ってきた。

大きな犬はベッドに近づき、無造作に投げ出されたマリアの手をぺろぺろと舐める。マリアが目を丸くしていると、王子が笑った。


「マサパンなら君を見つけ出してくれるんじゃないかと思って、城へ連れて来たんだ。やっぱり優秀だね、彼女は」


そしてもう一人、部屋に入ってくる人がいる。彼を見て、マリアは息を呑んだ。


「……ヴィクトール様」


自分を見つめる伯爵の表情は優しく、愛情に満ちていた。

ベッドに近付いてマリアを抱き起こす彼に、堪らずすがりつく。伯爵は何も言わずマリアを労わるように抱きしめ、ヒューバート王子はマサパンと共に部屋を出て行った。


「ヴィクトール様、私……」


口を開きかけたマリアの唇に、伯爵が触れる。それ以上話すことを阻むように。そして、伸ばされた手がマリアの腹に触れた。


「君は、どちらの子だと思う?」


自分の腹に触れる伯爵の手に、マリアも手を重ねる。

――ここに、間違いなく子どもがいる。伯爵……王……どちらの子なのか、マリア自身、分からなくなってしまった我が子。


マリアは目を伏せた。


「ヴィクトール様の子です。だって、私が望んだのはヴィクトール様なのですから」

「ならばその子は私の子だ。母親の君が言うのだから、間違いはあるまい」


マリアは目を開けて伯爵を見つめた。


そんな綺麗事で受け入れられて良いはずがない。でも伯爵の言葉にすがりたくて。違う、と。口先だけの否定もできないほどに。

伯爵が与える許しに、良心も理性も捨ててマリアはしがみついた。


「私……元気な子を生みます。ヴィクトール様のために」

「そのためにも、医者の診察はしっかり受けなさい。それから、お転婆もほどほどに……ノアとナタリアが卒倒しそうな真似は控えてくれ」


からかうような伯爵の口調に、マリアも声をあげて笑った。


「自重します。自信はありませんけど」

「そこは断言しないか」

「自制は苦手なんです。ヴィクトール様と同じで」


それを言われると痛いな、と伯爵も笑う。そんな伯爵に手を伸ばし、彼の頬に触れた。


「ヴィクトール様は本当に酷いお人です。私を甘やかして……ヴィクトール様から、身も心も離れられないようにするのだから……」

「そう仕向けているのだから当然だ。前にも言っただろう。私の強欲さに、君が敵うものか」


そう言って顔を近付ける伯爵に、マリアは静かに目を閉じた。


――大好きな二人には、ハッピーエンドになってほしいわ!

辿り着く先は、二人揃って地獄の底。それがきっと、自分と伯爵のハッピーエンドだ。


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