再会 (1)
王都にあるガーランド商会を見つけるのは簡単だった。
外国との交易によってエンジェリクに新たなトレンドを発信することもある商会は、ウィンダム市民の関心を集める存在らしい。
問題は、オフェリアとベルダがやたらと寄り道をするためなかなか進まないこと、マリアがそれを咎めないことだった。
何の憂いもなく新しい町を見て回れるようになったのだ。はしゃぐオフェリアを諌める気にはなれなかった。
これでは今日は商会へ行くのは諦めたほうがいいかもしれない。
マリアとナタリアはそう考えていたが、向こうからマリアたちを迎えに来た。
「オフェリア様、なんかやばいのがいますよ!」
通りの向こうから吠える大きな犬に、ベルダが目を丸くし、オフェリアの腕を引っ張る。
犬は、どうやらオフェリアに向かって吠えているようだ。リードはつけられているが、引っ張る男を振り切りオフェリアめがけて走ってくる……。
「あーっ!マサパンだ!」
「はい?」
オフェリアには、犬の正体がすぐに分かった。ベルダはきょとんとする。
「えっ。まさか、キシリアで拾ったあの子犬ですか?」
ナタリアが眉をひそめ、マリアは苦笑した。
「そんな名前つけてたの。オフェリアの好きなお菓子の名前じゃない」
ちぎれんばかりに尻尾を振り、マサパンはオフェリアやマリアに親愛の情を示す。オフェリアも嬉しそうに大きな犬を抱きしめた。
「おーい!少しは俺を労わってくれよ!おまえよりずっと年寄りで、ずっと先輩なんだからな!」
犬のあとを急いで追いかけてくる男にも、見覚えはあった。寂しい頭頂部が特徴的な彼は、リースと共に商会で働いているポールだ。
「ポールさん、お久しぶりです」
「ん?あっ!おい!おまえ、クリスか!?ウィンダムに来てたのか。いつこっちに?」
「ついさっきです。ちょうどウィンダムにある商会の本店を訪ねようとしていたところで」
「そうか。きっとみんな喜ぶぞ。おまえたちがどうしてるか、ずっと気にしてたからな」
ポールとマサパンに案内され、マリアたちはウィンダムにある本店をついに訪ねることになった。
リードをオフェリアが持つと、マサパンは尻尾を振り従順についてくる。その様子に、俺の時とは大違いじゃないか、と顔をしかめつつ、ポールは上機嫌で話しかけてきた。
「それにしても、おまえ本当に女だったんだなぁ。いや、女なのは知ってたんだが、前はほら、もうちょっと女って分かりにくい格好だっただろ。みんな、いまのおまえの姿見たら驚くぞ」
「そうですね。自分でも、いつの間にやら色々と成長したなと実感してます」
ちょっと前まで当たり前のように男物の服を着ていたのに、オルディス領の屋敷を出るときに久しぶりに袖を通したら、自分の体形の変化に驚かされた。
ずいぶんと女性らしい曲線を描いている。特に胸のあたり。
以前は大きめの服を着用していればほとんど分からない程度の膨らみだったのに、いまは男物の服を着ていてもはっきりとわかるほど、その存在感をしっかりと主張している。
……やはりそういうことをしたからだろうか。
そう思うと、女性らしい肉体の変化を素直に喜ぶ気持ちにはなれなかった。
「おーい、クリスがウィンダムに来たぞ!」
店に入ると、見慣れた顔がカウンターの向こうに座っていた。
相変わらず眼鏡をかけたテッドを始め、キシリアにもいた従業員たち。その中にリースの姿はなかったが、ポールはさらに奥の部屋へ声をかけに行った。
「おーい、デイビッド!クリスが来たぞ!」
マリアたちを見て、従業員たちは次々に近寄ってくる。安堵する者、再会を喜ぶ者、他の従業員を呼びに行く者……。
ナタリアも久しぶりに自然な笑顔を浮かべている。ベルダはオフェリアに紹介されながら、友好的に商会の人間たちと打ち解けていた。
「……クリス、君」
ポールに引っ張られ、リースが姿を現した。
エンジェリクには十分人手があると伯爵は話していたが、なぜキシリアにいた頃よりもリースはやつれているのだろう。 リースはマリアを視界にとらえ、うるうると涙を浮かべた。
「分かっていました……。君は、神の使いだと!」
「あの人、大丈夫なんですか?」
感激するリースに、ベルダはドン引きする。ポールたち従業員も、大げさなリースの様子に困惑していた。
「私が困っていたら、いつもタイミング良く現れ、助けてくれる。まさに救世主です!さあ仕事を片付けてしまいましょう。キシリア語の書類が手つかずのまま山積みになっていたところです。クリス君がいれば今日中には全部片付きますね!」
「おいおい。仕事させる気かよ……」
仕事をしに奥の部屋に引っ込むリースに一同は呆れ、マリアも苦笑した。
「構いませんよ。せっかくの再会ですから、リースさんを手伝ってきます。ところで、ウィンダムで生活するにあたって、新しい住居のために家具の調達や修繕をしたいのですが、商会を頼れないかと考えていまして。心当たりありませんか?」
「家具なら商会でも扱ってる。修繕のほうは……そうだな。チェザーレさんがそっちの方面にも顔が広いはずだ。腕の良い職人を、格安で紹介してくれるんじゃないか」
眼鏡のフレームを押し上げながら、テッドが答えた。
「なら、ナタリア、修繕のほうは、あなたがチェザーレさんと相談して決めてちょうだい。オフェリア、あなたはベルダと一緒に家具を選んでらっしゃい。ただし、購入するのはナタリアと合流して、予算をしっかり決めてからよ」
オフェリアは元気よく返事をし、ベルダと共に従業員に案内されながら家具を取り扱う店舗へ向かった。ナタリアはチェザーレを探しに店を出ていき、マリアはリースを手伝うべく奥の部屋で仕事に取り掛かった。
「エンジェリクは人手が足りてるんじゃなかったんですか?」
「クリスのせいでもあるんだぞ」
テッドが失笑する。
「おまえをこき使った感覚で従業員を使ったものだから、逃げたられたんだよ。キシリアで異常な仕事量に慣れたばっかりに、ちょっとリースさんはおかしくなって……」
「なかなか理不尽な言いがかりですね」
そう言いながら、キシリア語の書類を翻訳し、並行してリースが渡してくる下書きとメモだらけの書類を清書していく。書類に書かれたホールデン伯爵のサインを見て、マリアはリースを見た。
「伯爵やノア様は、いまどちらにいらっしゃいますか?改めてお礼も言いたいので、お会いしたいのですが」
「伯爵なら、地方に出ていていまはウィンダムにいませんよ」
「地方に……。お戻りはいつ頃でしょうか?」
「うーん、そこまで正確な日付は私にも分かりません。キシリアという大きな顧客を失ってしまっているので、新規開拓に勤しんでるみたいなんですよ。ウィンダムに戻るのは成果次第ですから、伯爵自身はっきりとした予定を立てて行動はしていないでしょう」
「そうなのですか。少し残念です」
伯爵に会えないのは本当に残念だ。いつかは王都へ帰ってくるだろうが、伯爵との再会を期待していただけにことさら強く残念感が胸を占める。
それでも、ガーランド商会の皆に会えたことはとても嬉しかった。
オフェリアとナタリアも同じ気持ちだったようで、マサパンとベルダを連れて戻って来たオフェリアは、詰め寄る勢いでマリアに訴えてきた。
「あのね、お家が空っぽでまだ住める状態じゃないなら、商会の寮に泊まったらいいよってハンナさんが言ってくれてるの!お姉様、今日はそっちにお泊りしようよ」
可愛らしく甘えてくるオフェリアに、なぜかリースまで便乗する。
「良い案ですね!寮ならばここから近いので、ぎりぎりまで一緒に仕事ができます!」
「どんだけマリア様を働かせる気なんですか」
ベルダは呆れかえっている。ナタリアも、マリアが酷使されていることにすっかり自分が慣れてしまっていることを反省しているようだ。
その日は結局、マリアたちは商会の従業員寮に泊まることになった。屋敷のあの状態では寝ることもできないというのは事実だったし、屋敷の修繕等についてチェザーレやリースと相談するのに都合がよかった。
リースとは予算の相談だったのだが、とんでもないことを提案されてしまった。
「支払いは私がします。クリス君を私的にこき使っているんです。給料代わりと思えば安いものです」
「給料として受け取るにしても、額がとんでもないことになりますよ」
「構いません。優れた労働力を金で確保できるのなら、これ以上有難いことはありませんから。どうせ、私はあまり使いませんしね。私が買うものなんて本ぐらいなんですが、仕事用という名目で経費で購入できるようになってしまったので、その出費すらなくなってしまいました。貯まる一方で使い道がありません」
援助してもらえるのはありがたいが、さすがに全額はお断りしよう、という方針を取ることにした。
リース以外にも、商会はマリアたちに便宜を図ってくれていたと思う。
チェザーレが伝手を使って紹介してくれた職人たちは仕事が早く、優秀だ。しかもチェザーレが仲介に入ったおかげで、彼らは割引までしてくれた。
家具のほうも、商会でなるべく安く済むよう手配してくれるらしい。いくら金を持っているとは言っても、王都で生活を始めたばかりなのだから出費が抑えられるのならそれに越したことはない。彼らの気遣いは、とてもありがたかった。
王都に着いて一週間が経つ頃には、人が住めるぐらいには体裁が整った。そしてその頃になって、おじから来訪を告げる手紙が送られてきた。
「明後日にはおじ様がこちらに着くそうよ。屋敷の様子を見てもらって、改めてお礼を言いましょうね」
オフェリアはおじの来訪を喜んだが、そのうしろでナタリアが顔を曇らせていた。
手紙に書かれていた通りに王都を訪ねてきたおじは、意外な人物を伴ってきた。
屋敷の前に馬車が止まり、御者席に座る男を見てオフェリアがマリアの腕を引っ張る。
「お姉様、私、あの人覚えてるよ!ノア様よね?」
オフェリアの指摘するように、御者をしているのはノアだ。彼が乗っているということは…。
「マリア、オフェリア。無事王都に着いてくれていて良かった。それに、ずいぶん屋敷も手入れが進んだみたいだね」
「おかげさまで」
出迎えるマリアとオフェリアを、おじは親愛を込めて抱き締める。
マリアを見つめる目には親愛を越えたものがあったが、おじのうしろから馬車を降りてきた人間に目を奪われたオフェリアは気付かなかった。
「やっぱり伯爵だ!」
あれほど会いたいと思っていた相手だったが、まさかこんなタイミングで会いに来るだなんて。
マリアは内心苦笑いするしかなかった。
「久しぶりだな。君たちがどうしているか気になってオルディス領を訪ねたのだが、どうやら行き違いになってしまったようだ。公爵のご厚意で、同乗させてもらった」
おじと伯爵に会えて、オフェリアは純粋に喜んでいる。
オフェリアに手を引っ張られながら、伯爵はマリアの前で立ち止まった。
「私が贈った服を着てくれているのだな。見立て以上だ。よく似合っている」
笑顔を返しながらも、マリアの胸中は複雑だった。
おじを出迎えるためまたドレスを着ていたが、あまりこの姿を伯爵には見られたくなかったという後ろめたさがある。
伯爵が贈ってくれた物をどう利用したのか。それを考えると少し胸が痛い。
「……伯爵からのプレゼントだったんだね」
オフェリアが伯爵と共に屋敷に入り、ナタリアとベルダが荷物をおろしに馬車へ行ってしまうと、おじがボソリと声をかけてきた。
「僕は……服一枚も君に買ってあげることができない」
「そんなことを気になさっていらっしゃるのですか?おじ様ったら。もう十分なほど私に与えてくださっているではありませんか」
伯爵への嫉妬心やコンプレックスをうかがわせるおじが可愛らしくて、マリアは妹をあやす時と同じように笑いかける。
それはおじの機嫌を取るためだけの科白ではない。伯爵が別格なだけで、マリアはおじにも感謝はしていた。
自らおじの手をつなぐ。
「それに、贈ってくださってもすぐ脱がせてしまうおつもりなのでしょう?なら、頂いてもあまり意味をなさないのでは?」
からかうように尋ねれば、おじは顔を赤らめながらも笑った。
おじの背後で、荷物をおろすナタリアたちを手伝うノアと目が合う。相変わらず何を考えているのか分からないポーカーフェイスから、マリアは目をそらした。
マサパンの犬種モデル:スパニッシュマスチフ




