愛する (2)
その日、ドレイク警視総監の秘書として仕事に勤しんでいたマリアのもとを、フォレスター宰相が訪ねてきた――ハモンド法務長官を供に連れて。
いかにも何気なく息子に会いに来た風を装う宰相に、ドレイク卿は特に詮索することなくお茶の用意をして持て成す。
休憩にしましょうか、とマリアも声をかけ、一同は執務室の奥にある部屋でお茶を楽しむこととなった。
「……先日は、妻が世話になった」
やおら、法務長官が切り出した。
それを伝えるため、自分に会うためにここへ来たのだろうな、ということを予測していたマリアは、にっこり微笑む。
「いいえ。こちらこそ、妹が大変お世話になりまして。ダーリーン様が盛り上げてくださったおかげで、妹にとって、お茶会と言うものはとても楽しいものだと印象づいたようです」
今回のお茶会は、オフェリアに楽しんでもらうためのものだった。
お客もしっかりとマリアが吟味し、オフェリアが素のままに接しても受け入れてくれそうな女性を選んだ。
思慮深く慎ましやかなゾーイ・ラドフォードなら、オフェリアの幼さに気付いてもそれを口にするような真似はしない。
王子の婚約者に不快な態度をとれば夫君の立場を危うくしてしまうし、彼女自身、無粋な真似を好むとは思えなかった。
ダーリーン・ハモンドについては、オフェリア同様、彼女もまた貴族の妻には向かない性格なのを知っていた。
楽しくて華やかなことが大好きな女性――政治的な話題を徹底して避けたいオフェリアには、そういった、楽しいことだけを話せる相手のほうがいい。
オフェリアには政治の話はさせないと、マリアはそう決めていた。
危うい話題を上手くかわしていける知性がオフェリアにはない。だからそう言った話題をしたがらない女性や、避けていることを察してそれに乗ってくれる女性を選ばなくてはならない。
いつかは都合の悪い相手も客として招かなくてはならない日も来るだろうが、それはもう少し、オフェリア――そしてオフェリアをフォローするベルダが慣れてきてから……。
「妻はあの通り、物事を深く考えるといったことが苦手なのだ。私には、能天気なほど明るく前向きなところこそ、彼女の魅力だと感じているのだがな。貴族の妻としてやっていくにはいささか不利な気性をしている」
ハモンド法務長官が言った。
「それに、結婚前の噂のせいで遠巻きにされることが多く……妻には実家とも疎遠にさせているので、頼れる相手がいない。久しぶりに忌憚なく話ができる相手と出会えて、ダーリーンもとても楽しかったようだ。妻をオフェリア嬢の茶会に呼んで頂いたこと、感謝の念しかない」
「ダーリーン様は、ご自分の生家と疎遠になっておられるのですか?」
「私が拒否している。彼女の身内の、ダーリーンの扱いに疑問を抱いているのだ。恋人がありながら、その姉に鞍替えするような男を擁護するなど……私には信じられん。男を非難するどころか、捨てられるダーリーンに非があると責めるのだ。妹のいるオルディス公は、これをどう思う」
その話については、マリアも聞いた時ひそかに眉をひそめた。
もしも、ヒューバート王子がオフェリアを捨ててマリアに鞍替えしようとしたら。
それはもう、フルボッコなんて生易しい表現では済まさない。ふためと見ることのできない姿にした後、その姿を晒し者にして大勢の人間から罵倒させてやる。ましてや、そんな恥知らずのクソ野郎との結婚なんて有り得ない。
「やはりそう思うものだろう。どうもあの子は、親兄弟から不当な扱いを受けているように思えてならん。やたらと自分を卑下したがるのは、彼女の身近にいる人間が、彼女の良さをすべて否定してきたからではないかと」
「それが事実だとしたら、ダーリーン様が法務長官殿にベタ惚れなのも納得ですわね。いままで否定され続けてきたダーリーン様を強く肯定し、誰よりもその魅力を理解してくれているのですから」
マリアが笑いながら言えば、法務長官は複雑な顔をする。
照れているのもあるのだろうが、それ以上に思い悩むものがあるようだ。それが何か、マリアはなんとなく察していた。
「……初めて自分を肯定してくれる相手……たまたまそれが私だったと言うだけで……私は、彼女のそんな感情につけこんで妻にしたようなものだ」
やっぱり。
マリアは思わずそう言いたくなった。
たまたま、最初の人間が自分だった。
何かが違えば、ダーリーンはもっと彼女にふさわしい相手と出会い、その男性と結ばれていたのではないか……若い彼女の年齢と釣り合う、若い男と……。
「それの何が問題なのです?ダーリーン様の世界を変えたのは、間違いなくハモンド長官です。いくら長官でも、ダーリーン様が他の男と結ばれたほうが良かったなんて、そんなこと口にしてはいけませんからね。あんなにお可愛らしいダーリーン様の想いを否定すると、私が許しませんよ」
長官が気まずそうに咳払いをする。どうやら、今度は本気で照れているようだ。
図らずも愛妻との惚気話になってしまい――宰相も警視総監も、涼しい顔で聞いているが。
「つまらんことを気にせず、自分の想いに素直に従って生きることだ。いつ、何時……別れが来るとも限らん。貴公は自分が年上ゆえ想像もしていないだろうが、存外、置いて行くのは貴公のほうではないのかもしれぬのだぞ」
宰相が言った。
フォレスター宰相は幼い頃からの想い人と結ばれ……そして、若くして彼女と死別することとなった。きっと当時の彼も、こんなにも早くに別れが来るとは思ってもいなかったことだろう。
それを知る法務長官は、神妙な顔でそうだな、と相槌を打った。
「……感傷的な雰囲気を壊して申し訳ないのですが。父上の場合は、いささか自分の欲望に素直すぎるかと」
ドレイク卿が、わずかに眉間に皺を寄せて言った。マリアは素知らぬ顔で茶を飲んだ。
「ところでだな、ジェラルド。先ほど執務室に入った時に思ったのだが、おまえはオルディス公に仕事をやらせ過ぎではないか?あの書類量……腕を負傷している彼女にやらせるものではないだろう」
話題を変える宰相に、ドレイク卿の眉間の皺がさらに深くなっていく。警視総監に代わり、マリアは苦笑しながら答えた。
「私からジェラルド様にお願いしたのです。しばらく領地に下がるので、私でできる仕事があるのなら片付けてしまいたい、いくらでもどうぞ――と」
「夏休みか?」
宰相が尋ねた。
まったく同じ口調でドレイク卿からも尋ねられたことを思い出しながら、マリアは頷いた。
「それもありますが、妹の結婚式の準備もしたいのです。オルディス領でも簡素な式を挙げ、領民やおじ様――亡き祖父にも、オフェリアの晴れ姿を見てもらおうと考えておりまして」
正式なものではなく、あくまで結婚式の真似ごとのようなものだ。
二人の結婚をオルディス領でも祝ってもらい、めでたい気分を共有する。
祖父の慰霊碑のそばには、すでに教会の建設を始めていた。そこで式を挙げ、オフェリアとヒューバート王子の結婚を、祖父にも祝福してもらう――。
「良い考えだ」
宰相が言い、ありがとうございます、とマリアは礼を述べる。
「陛下にも快く賛同していただきました。なので、私はしばらく領地に下がり、妹の結婚式の準備に専念致します」
ギルバート・オルディス――マリアの祖父にして、エンジェリク王の最初の妃の弟。
エンジェリク王の旧い友人でもあった彼の名を出せば、王は必ずマリアの提案に賛同すると思っていた。
祖父のために、領地で妹の結婚式を。
それを口実にすれば、マリアは確実に城を――王のそばを離れることができる。
腕の骨折はもうほとんど治っている。十分に男を遠ざけ、機は熟した。
オルディス領に行くふりをして、マリアはホールデン伯爵と日を過ごす。彼の子を宿すため。
ドレイク卿のもとで仕事を片付けてきたマリアは、ヒューバート王子の離宮にいるオフェリアを迎えに行った。
オフェリアもマリアと一緒にオルディス領へ行くので、しばらくは大好きな王子様とも離ればなれ。
……たぶん、王子はお忍びでオルディス領にそのうち遊びに来るのだろうけれど。
「オフェリア、そろそろ帰りましょう――あら、ラドフォード様。ご機嫌よう」
離宮にはスティーブ・ラドフォードも来ていた。マリアが挨拶すれば、ラドフォードも丁寧に挨拶を返す。
「オフェリア様にご挨拶をと思いまして。先日は妻が、ありがとうございました。ゾーイもとても楽しんだようで……それに、ダーリーン・ハモンド伯爵夫人と親交を深められたことを喜んでいました」
ゾーイはその後も、ダーリーンと何かと親しくしているらしい。時々オフェリアを誘って、お買い物や女性好みのお店に遊びに行っている。
初めて会った時は年寄りのような地味な装いだったゾーイは、最近、少しだけ華やかになっていた。
――服装については本当に少しだけだが、明るい笑顔はずいぶんと華やかさを増した。
「ゾーイは昔から自分の容姿に自信がなくて。私は、彼女はとても美しい女性だと思っているんですが」
「ゾーイはね。ラドフォード様の婚約者ってことで、昔からいろんな女の人にやっかまれたみたい。それで嫌なこともたくさん言われて、だんだん自信がなくなっちゃったんだって」
ゾーイから本音を聞いたらしいオフェリアがそう言えば、やはりそうですか、とラドフォードが溜息をつく。
「ラドフォード家の嫡男である自分は、たしかに昔から言い寄られることも多く。それが厄介だからこそ、私の両親もさっさと婚約を決めたんです。私は幼い頃からゾーイ一筋で……それがかえって、女性たちの嫉妬心を煽ってしまったのもあります」
政略的な婚約なのに互いに想い合う仲で、円満で……。そうなると、引っかき回したがるような下卑た人間も引き付けやすい。
たぶんゾーイは、そんな人間の悪意をもろに受けて知って、自信をなくしていたのだろう。
ダーリーン・ハモンドとはまた別の理由だが、彼女も自信をなくした女性。そしてそんな自分を真摯に愛してくれる夫がいる――そこもダーリーンとの共通点だ。
性格は違えど共通点の多い似た者同士、二人の間には友情が生まれていた。
「友人ができて、ゾーイは自分のことについてずいぶんと前向きになりました。そのせいで他の男も彼女の美しさに気付き始めたので、複雑な気分ですが」
ラドフォードが苦笑しながら言った。
「愛する女性を自慢したい反面、その魅力は自分だけが独占したいと、つい思ってしまうものだ。矛盾していると分かってはいるのだが」
ヒューバート王子も苦笑し、ラドフォードに同意する。
「オフェリア様たちは、しばらくオルディス領へ帰られるのですね。王都へ戻られる日をお待ちしております。妻も、オフェリア様にまた会える日を楽しみにしています」
「うん。せっかく仲良くなれたのにしばらく会えなくなっちゃうの寂しいけど……ユベルと結婚したら、オルディス領も簡単には行けなくなっちゃうもんね。おじ様や、クラベル商会のみんなにもしっかり挨拶してくる」
オフェリアは、おじやオルディス領にいるクラベル商会の従業員たちに会えることを純粋に楽しみにしているようだ。
まだマリアが別行動を取ることは話していない。オルディス領へ行く際には必ず打ち明けるしかないのだが……妹にそれを話してしまっても大丈夫なのか、それだけはマリアも気がかりだった。
マリアが王以外の男と共にいること。定められた日が終わるまで、王に知られるわけにはいかない。
――オフェリアは、やはりマリアの弱みだ。




