女たちの勢力図 (3)
ペンバートン公爵夫人の誕生日パーティーに呼ばれた客の顔ぶれは非常に豪華なもので、城で重職に就いている者はほとんど来ているのではないかと思うほどだ。
他の客への挨拶に行ってしまった宰相親子と別れると、マリアはすぐに別の相手から声を掛けられた。
「やはり君も来ていたか。腕の具合はどうだ」
王国騎士団ライオネル・ウォルトン――レオンという愛称で呼ばせたがる彼は、まだしっかりと固定され、三角布で吊るされているマリアの腕を労わるように見つめていた。
「ご機嫌よう、レオン様。見た目は大仰ですが、怪我の程度は軽いものですわ」
「まったく。君も思い切ったことをするものだ。それほどまでに想われる伯爵に嫉妬してしまうぞ」
マリアは笑い、そう言えば、と沸き上がった疑問をぶつけてみた。
「レオン様は独身主義のようですが、庶子ぐらいはいらっしゃるのでしょうか」
我ながら無礼な質問をしている自覚はあったが、隠し子の一人ぐらいはいそう、というのがマリアの正直な感想で。そんな本音が顔に出てしまったらしく、ウォルトン団長から、こら、と額を小突かれてしまった。
「僕をいったい何だと思ってるんだ。そりゃ言われるようなことしかしてこなかったが」
「自覚はあるのですね」
「まあな。ただ……子どもは好きだが、自分が親になることについては気が乗らない。僕自身、庶子とのいざこざをこの歳になってもまだ引きずっている状態だからな。負の遺産まで我が子に引き継がせてしまうぐらいなら、僕の代で終わらせてしまったほうがいいのではないかとも思う」
ウォルトン団長の父親は生前、愛人との間に多くの庶子をもうけていた。唯一の嫡子であるウォルトン団長は、腹違いの兄弟たちとのいざこざが絶えることなく。
マリアが直接知っているのはそのごく一部だけだが、それだけでも陰鬱としてしまうような……やはり、骨肉の争いなど愉快なものではない。
「レオン様は本当に、お優しい御方ですわ」
私欲のために子を望むマリアとはまるで真逆だ。
「ところで、今日はオフェリアも来ているのか」
「はい。ヒューバート殿下のパートナーとして」
「それに、オフェリア自ら声を掛けているようだが……あれはラドフォードの細君か」
スティーブ・ラドフォード近衛騎士隊三番隊隊長。現在、近衛隊は正式な副隊長が任命されておらず、三番隊の隊長であるラドフォードが事実上の副隊長であった。
そんなラドフォード隊長には、同い年の妻がいる。
家同士の政略的な婚姻であったが、もともと二人は幼馴染みで、互いに憎からず思い合う仲。仲睦まじい夫婦だ。
ハンサムなスティーブ・ラドフォードに比べると、妻のゾーイはいささか地味な容貌であったが、賢く控え目な性格は非常に好感が持てた。
「オフェリアにお茶会を主催させる予定なのですが、彼女をお招きしようと考えておりますの」
「なるほど。悪くない人選だな」
ウォルトン団長も他の客への挨拶に行ってしまい、マリアは壁の花となってしまった。
有力者からの支持はあれど、王の愛妾であるマリアはやはり腫れ物だ。積極的に関わろうとするつわものは限られてくる。
しかもパーティーホールの中心ではダンスが始まっており、右腕を負傷しているマリアは声をかけにくい存在だった。
――だから、そんなマリアに笑顔で近付いてくる彼が、異端なのだと思う。
「オルディス公、よろしければ一曲踊って頂けませんか?」
リチャード・レミントン侯爵――チャールズ王子の伯父にして、パトリシア王妃の兄。マリアにとって、エンジェリク王と同等以上に対応に困る相手だ。
王子を追い落としたいマリアにとって、厄介な敵。チャールズ王子は浅はかで隙の多い青年だが、その王子の背後に控える侯爵は……。
いまのマリアでは、彼を崩す方法が見つけられないでいた。
「私、ご覧のとおりの有様ですよ」
「いいじゃないか。私も、踊りは大して上手くない」
マリアの手を取り、侯爵はいつもの愛想のよい笑顔でダンスの場に混ざる。
侯爵のこういったところが、マリアは非常に苦手だった。侯爵は間違いなく、マリアを対立すべき相手と見なしている。
しかし、敵意はない。
格上としての余裕なのか、何か別の思惑があってのことなのか……洞察力に自信のあるマリアでも、彼の真意はなかなか見抜けなかった。
「私もこの怪我でしばらく城から遠ざかっておりますが……チャールズ殿下はいかがお過ごしなのでしょう?最近、お姿を見かけません」
「また地方に引っ込ませているよ。陛下の怒りが収まるまでは自粛して、しおらしくしなさいと言い聞かせているところだ――君のせいで苦労させられるけれど」
そう言いながらも、侯爵は愉快そうだ。
チャールズ王子はマリアの仕掛けた罠にまんまとはまり、マリアとの婚約を破棄させられ、王からの期待を失った。
王位継承は、オルディス公爵の妹と結婚するヒューバート王子のほうが、断然有利になった。
――と言うのに、侯爵は焦る様子はない。たぶん、それは……。
「チャールズを王にするつもりは最初からなかったんだよ、私は。もっともパトリシアや、彼女に群がって王妃派などと称していた連中は、何がなんでもチャールズを王にしたいだろうけど」
やはりそうか。
レミントン侯爵は、権力を得る過程を楽しんではいても、権力を得ることそのものには関心がない。チャールズ王子が王になれるかどうか、心底どうでもいいと思っているに違いない……。
「そして王になろうがなるまいが、チャールズがヒューバート殿下にとって非常に厄介な存在であることに変わりはない。ヒューバート殿下の足場は脆い。オルディス公爵という支柱を失えばたちまち崩壊してしまうほどに」
――そう。チャールズ王子が例え王子の地位を追われたとしても。
彼の存在は、それだけでヒューバート王子の弱点となる。
ヒューバート王子の後ろ盾となるのは妃の一族のみ。だがオフェリアもまた、姉以外の親族を持たない身だ。王子と王子妃を支えるのはオルディス公爵であるマリアだけ。
チャールズ王子がリチャード・レミントンという絶対的な支えを持っているのに対し、マリアはまだ、レミントン侯爵ほど強固な地位を築けてはいない。
「だから私は、君にとって敵だ。でも私にとって、君は敵じゃないんだよ。君が王の愛妾になろうが、陛下からの寵愛が深かろうが、私の地位が脅かされることはないからね」
「私への寵愛と、レミントン侯爵への寵愛は別の話ですものね」
王がレミントン侯爵を重要視する理由。それはきっと、侯爵が王妃派の中心人物だから。
王妃派は、王にとって面倒な人間が集まっている。
歪んだ功名心……逸る野望……国益よりも自己の利益を追求する者……王の内なる敵となりやすい人間の集まりが、王妃派。本来なら敵として王を永遠に悩ませる存在となる彼らをまとめ、手綱を取っているのがレミントン侯爵だ。
そういった人間を束ねれば、行き着く先は反乱――なのだが、権力欲のない侯爵は上手くコントロールし、王への不満を抑えている。
マリアが王の心の安寧の拠り所であるように、レミントン侯爵もまた、王の安寧を支える男なのだ。チャールズ王子への期待を失ったとしても、レミントン侯爵の重要性は変わらない。
そしてその侯爵が絶対の庇護者となっている以上、チャールズ王子も健在だ……。
「私のことはリチャードのままでいいよ。私は君のこと、嫌いじゃない。私と同じで、権力そのものには興味がない。なのに誰よりも好戦的で……。オフェリア嬢を守りたい君の邪魔をするつもりはないよ――チャールズが安泰な限りはね」
「リチャード様は……」
マリアは言いかけて、言葉を切った。
パーティー会場の空気が変わり、ついに王が来たのだと悟った。
ペンバートン公爵夫人が最後と決めて開かれた誕生日パーティーに、王が来ないはずがない。エンジェリク王の登場に客たちは踊りもお喋りも止め、一斉に頭を下げる。
近衛騎士隊隊長を供に連れた王は、楽にするがよい、と述べた。
「今宵は余も、客の一人に過ぎぬ。余のことは気に留めず、皆で賑やかに楽しんでやってくれ。コンスタンスもそれを望むであろう」
王の言葉に、中断されていた音楽が改めて奏でられ、客たちもお喋りや踊りを再開した。
王はヒューバート王子に短く声をかけると、すぐにマリアのもとへやって来た。
気に留めないふりをしながらも、客たちが密かに注目するのをマリアは感じていた。
「そなたも来ておったか」
マリアと侯爵を見ながら、王が言った。
「レミントン侯爵、オルディス公を連れて行くぞ」
「御意に」
侯爵は笑顔で引き下がり、マリアは王の手を取る。陛下、とレミントン侯爵が呼び止めた。
「チャールズ王子を、そろそろ城へ呼び戻しては頂けませんか?」
「……あの男爵令嬢とは手を切ったのか」
王の声は冷たい。レミントン侯爵ははっきりとは答えず、曖昧に笑った。
「余への当てつけのように、ますます手元に置いて寵愛しているそうだな。反発するにしても、やり方というものがあるだろう」
モニカ・アップルトン男爵令嬢は、チャールズ王子の恋人だ――恐らく。
マリアが婚約していた頃の王子の浮気相手。
ただ、王子がどこまで彼女に本気なのかは分からない。愛しているのか、単に欲求のはけ口として側に置いているのか……どちらであっても、マリアにとってはどうでもいいこと。
平民育ちの彼女は無防備で危なっかしく、チャールズ王子の大いなる隙となっている。王子を破滅させるのに、これ以上ないほど利用しやすい女。マリアにとって重要なのはそれだけだ。
「オルディス公。コンスタンスには会えたか」
「パーティーが始まる前に一度。短い時間でしたが」
主役のペンバートン公爵夫人は、パーティーを始める挨拶の時に姿を現したきり、部屋に戻ってしまった。それ以上の滞在は体力的に厳しいらしい。
高齢ゆえ、かなり弱っているそうだ。パーティーが始まる前に押し掛けてきたマリアと対面した時も、ベッドに横になったままだった。
「そうか。負担を強いるのは不本意だが、これが最後となるかもしれぬ。今宵はコンスタンスと会っておきたい」
もう少しの間、公爵夫人には生きていて欲しい――いや、生きていてもらわないと困る。
公爵夫人が没すれば、王はまた大きな支えを失ってしまう。マリアへの執着をますます強めてしまうことにもなる。王の寵愛が深まり過ぎることは、決して喜ばしいことではないのだ……。
「あっ、お姉様と陛下だ」
公爵夫人の部屋の前で、マリアはヒューバート王子とオフェリアに出くわした。
オフェリアは姉に会えたことを素直に喜んだが、王子と王は互いに目を丸くしていた。
「そなたも呼ばれておったのか」
「はい。実は今日のパーティーも、話したいことがあるからと公爵夫人から強く参加を依頼されまして」
公爵夫人は、先代のエンジェリク王とも親交があった女性。エンジェリク王家の歴史にも詳しい。そんな彼女が、王子に話したいこと。
ヒューバート王子の言葉を聞いた王が複雑な表情をしているように見えるのは、きっとマリアの気のせいではない――。




