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紫色のクラベル~傾国の悪役令嬢、その貴種流離譚~  作者: 星見だいふく
第六部01 女の敵は女
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女たちの勢力図 (2)


コンスタンス・ペンバートン公爵夫人――先王の十三番目の妻となるはずだった女性。

先王とは、男女の関係というよりも、長い年月を共にした親友のような関係だったそうだ。


エンジェリクの王が替わろうとも、貴族社会における彼女の存在感は揺らぐことがなく。場合によっては、エンジェリクにとって王妃よりもよほど重要な女性であった。


今日は、そんな公爵夫人の誕生日。今年で彼女は七十五歳になる。


「ようこそ、オルディス公爵。こんな姿でごめんなさいね」

「いいえ。予定された時間よりも早く押し掛けてきたのは私です。どうぞお気遣いなく。気安く接してくださいませ」


公爵夫人の誕生日パーティーには、マリアも呼ばれていた。だが招待状に書かれた時間より一時間も早く、マリアは彼女の屋敷を訪ねた。

無礼は承知の上。マリアの存在は、彼女の評価を貶めてしまうのではないかと思って……お客のいない間に、彼女を訪ねてしまいたくて。


そんなマリアの内心を見透かしたように公爵夫人は微笑み、ベッドに横たわったまま手を伸ばす。マリアがその手を取れば、労わるように優しく手を握った。


「きっと今年が最後の誕生日になるわ――そんな顔しないで。もうこんな年齢よ。例え今夜命が尽きたとしても、悔いなんて残るはずもないのだから。私、今日は会いたい人たち全員に招待状を送ったの。あなたもパーティーに参加してちょうだい」


これが最後の我儘だから、と夫人に言われ、マリアは反論することができなかった。

結局断りきることができず、マリアは夫人から与えられた部屋でパーティーが始まるのを待つことになり……やはり落ち着かなくて、屋敷の召使いから気分転換に庭に出ることを勧められてしまった。


公爵夫人の屋敷の庭には、たくさんの樹木が植えられている。

公爵夫人の生家は森林の管理をする重要な役職に就いており、狩りが好きだった先王とはその縁で知り合ったらしい。彼女の家が管理する森林に、先王がよく狩りをしに来ていたとか……。


「オルディス公爵ではありませんか。あなたも呼ばれていたのですね」


夫人の庭を眺めていたマリアは、聞こえてきた声に複雑な想いを抱きながら振り返った。


スザンナ・フェザーストン伯爵夫人。

近衛騎士隊隊長の妻。以前から親交があり……彼女から嫌われてしまうのは、いささかマリアにとって痛手であった。


「あら、失礼。陛下のご寵愛深いあなたに、私のような女が声をかけるだなんて、畏れ多いことだったかしら」

「そのような……」


フェザーストン伯爵夫人の嫌味な言葉に、彼女の取り巻きたちがクスクスと笑う。

伯爵夫人の取り巻きたちは、近衛騎士隊や王国騎士団の夫を持つ、正妻の立場にある女性ばかり。妻子ある男の愛妾をやっているようなマリアが嫌悪されるのは当然だ。

……覚悟の上ではあったが、フェザーストン伯爵夫人の友情を失ってしまうのは辛い。


「コンスタンス様も物好きだこと。愛妾など――罪の女を、ご自分の誕生日パーティーにお呼びになって」


伯爵夫人はわざとらしく溜息をつく。続けて彼女の口から出た言葉は、意外なものだった。


「けれど、妻の立場にある女がその責務を放棄してしまっている時。心の隙間を埋める女が他に現れてしまっては、夫が余所見をしたくなるのも責められないかしら」


まるでマリアを擁護しているような話しぶり。マリアは目を丸くし、伯爵夫人の取り巻きたちがさらにクスクスと笑った。


「スザンナ様ったら。そのように畏まった言い方をせず、はっきりおっしゃればよろしいのに」

「そうですわ。どうせ王妃様は、私たちからの同情など望みませんもの」

「同じ妻の立場にあるはずの王妃様より、愛妾であるオルディス公に肩入れしても構わぬはずです。あちらが、私たちからの慰めなど要らぬとはね退けているのですから」


どうやらマリアを侮蔑しているわけではない取り巻きたちを見やっていると、伯爵夫人はフンと鼻を鳴らした。


「それもそうね。私、あの女が大っ嫌いなの」


きっぱりと言い切る伯爵夫人に、マリアは苦笑した。


「勘違いしないでね。王妃様に何かされたわけではないのよ。いいえ、むしろ何もされないから嫌いなの。王妃にとって私は、視界にも入らない人間なのよ」


フェザーストン伯爵夫人が王妃を嫌う理由。マリアは何となく察した。


フェザーストン伯爵夫人の夫は、もとは王国騎士団の団長――貴族には重視されない役職だ。伯爵夫人の夫は爵位はあれど、決して貴族の中での地位は高くない。伯爵夫人本人も、生家は平民とほとんど変わらない貧乏貴族だったと聞く。


近衛騎士隊隊長の地位も、爵位の格上げも、棚ぼた人事……幸運に恵まれただけのこと。恐らく王妃は、フェザーストン伯爵夫妻を軽んじ、完全に見下しているのだろう。


相手から見下され、口を聞く価値すらないと無視される。それは時として、直接嫌味や皮肉を言われるよりも嫌悪感を煽る……。


「……ありがとうございます、スザンナ様。スザンナ様が私に変わらぬ友情を示してくださること……とても嬉しいです」


マリアが微笑めば、もう、と伯爵夫人が困ったように笑った。


「そんな可愛らしい顔をして。そうやって陛下のことも誑かしたのね。白状なさい」


そう言いながらも伯爵夫人の声に敵意はなく、からかうようにマリアの頬を指でつつく。取り巻きたちも朗らかに笑っていた。


「これがマリアンナ様やジゼル様であったのなら、容赦なくあなたを嫌ったんだけれど――まだ陛下の王妃がジゼル様だった頃、王が愛妾を持ったことに当時の貴族たちはずいぶん驚かされたものよ。敬虔なルチル教の信者でいらっしゃった陛下が、あのような女を愛妾に。それはもう、当時はその話題でしばらく持ちきりだったほど」


フェザーストン伯爵夫人が言えば、本当に、と取り巻きたちが口々に同意する。


「陛下が不倫などという恥知らずな行いをしたこともだけれど、選んだ女があれだなんて」

「ジゼル様はとても可憐な姫君で……そんな王妃様がいながらなぜ。趣味が悪いと話す人は、一人や二人じゃありませんでしたわ」

「あら。他ならぬあなたご自身がそうおっしゃっていたのではなくて?」


各々が好きなようにおしゃべりを始めてしまい、もうマリアが王の愛妾だとかそんなこと、彼女たちはどうでもよくなってしまったようだ。

マリアが伯爵夫人を見れば、彼女から悪戯っぽく笑いかけられてしまった。


「パトリシア・レミントンを愛妾に選んだことを思えば、陛下があなたを寵愛するのは納得しかないわ。いっそ妃の座も奪ってしまえばいいのよ。あの女も当時の王妃様からその座を奪ったようなものなのだから。今度は自分がその座を取って代わられることになったとしても、因果応報と言うものだわ」


マリアはただ苦笑するしかなかった。


王妃など、冗談ではない。

ヒューバート王子とオフェリアのことがある前から、マリアはチャールズ王子との婚約に否定的だったのに。

王妃となって、マリアが必死で手に入れてきた力を失いたくない――愛妾のままでいい。王の妃になど……いままでの努力が水の泡になってしまう。


王がなぜ、それほどまでにパトリシア王妃に執着したのかは分からない。どうしても王妃にしておかなくてはならない理由があると……。

まだ知る由もないことだが、マリアにとってなんら不都合はなかった。




パーティーには出ることなく、ペンバートン公爵夫人に挨拶だけして帰る。そのつもりが、公爵夫人に押し切られ、伯爵夫人に誘われ、マリアも参加することになってしまった。


二人の有力者が後押ししていることで、他の客もマリアの存在に異議を唱えることはなかった――表面上は。


「ご機嫌よう、宰相閣下、警視総監殿。今宵は親子揃ってのご参加なのですね」


ニコラス・フォレスター宰相に、ジェラルド・ドレイク警視総監――マリアが声をかければ、息子のドレイク卿よりも先に宰相がマリアの手を取って口付ける。

ドレイク卿が眉間に皺を寄せ、宰相は素知らぬ様子で息子の態度を諌めた。


「今夜は陛下もお越しなのだぞ。そのように不機嫌丸出しになるでない」


他人が聞けば、どのあたりが不機嫌を丸出しにしているのか問い詰めたくなることだろう。父親そっくりのポーカーフェイス――だがマリアにも、ドレイク卿の不機嫌さは察した。

……その原因を作った張本人に、言われたくはない。


「オフェリア嬢も来ているのだな」


ドレイク卿が、パーティー会場の真ん中で、ヒューバート王子の隣に立つオフェリアを見て言った。


「はい。ヒューバート殿下のパートナーとして、妹も参加しております」

「オフェリア嬢自ら声を掛けているのか」


今日は、ヒューバート王子に先導されて挨拶をするのではなく、オフェリア自ら相手に声を掛けている――もちろん、あらかじめマリアが選んだ相手だ。


「そろそろオフェリアにも、お茶会を主催させようと考えているのです。王子妃になれば、ご婦人方との交流も避けられませんから」


そろそろ、オフェリア自身にも人脈が必要になってくる。

だがオフェリアの幼い知性を、いまはまだ他人に知られるわけにはいかない。それはオフェリアの、そして引いてはヒューバート王子の致命的な弱点になってしまう。 オフェリアの幼さは隠し切れるものではないからこそ、付き合う相手は慎重に選ばなくてはならない。


「アーネストの妻か」


オフェリアが声を掛けている女性について、宰相が言った。


最初のお茶会に招く相手は二人。

その内の一人は、アーネスト・ハモンド伯爵の妻――ハモンド伯爵は法務長官。フォレスター宰相の司法官時代の後輩であり、司法官を監督し、まとめている。

警視総監や主席判事の権限に口出しすることもできる人物だ。実際、ドレイク卿が彼に権限を奪われる場面に、マリアは立ち会ったこともある。


「ハモンド長官は私も良く知っている。妻のほうは……なかなかのじゃじゃ馬娘と聞くが」


ドレイク卿の声は、やや不安そうだった。


ハモンド長官は宰相よりわずかに年下ではあるが、長官の妻はドレイク卿よりもさらに若い。つまり、親子ほども年の差がある夫婦ということ。

華やかで美しい妻と、年の離れた夫。邪推したくなるような関係だ。


「ハモンド長官は私も二、三度言葉を交わしたことがございます。とても感じの良いお方でした。それに、奥様を誠実に愛していらっしゃるようで。あの長官殿の愛情を得る女性なのですから、きっと悪い人ではありませんわ」

「果たしてどうかな」


宰相が言った。


「魅力的な女性を前にすれば、男の理性や良心などもろいものだ」

「……父上がおっしゃると、まこと説得力がございます」


ドレイク卿がチクリと嫌味を言ったが、宰相は聞こえなかったふりで反応しなかった。


ジェラルド・ドレイク警視総監はマリアの愛人なのだが、その事実にも構わず宰相はマリアを口説くことがあった。

……あまり、ドレイク卿の神経を逆なでするようなことを言わないでほしい。父子喧嘩の原因になってしまうことは、マリアも不本意だった。


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