日だまりに落ちる影
ヒューバート王子の離宮で、オフェリアはホールデン伯爵を連れ回していた。
離宮のあちこちを忙しなく動き回り、家具や室内の装飾について、あーでもない、こーでもないと喋っている。
「ドレッサーはお屋敷の持ってくる。あれが一番お気に入りだもん、お城でもずっと使っていきたいわ。あとそこにね、棚が欲しいの。お人形さんたちを飾りたいの。壁紙は……お母様が作ってくれた熊さんと一緒が良いな。ベッドのシーツは、私の好きな色で良いの?」
オフェリアがヒューバート王子に確認すれば、もちろん、と王子は笑顔で頷く。
「そのベッドはオフェリア用だからね」
「夫婦になったら、私はユベルと一緒に寝るんじゃないの?」
無邪気なオフェリアの質問に、ヒューバート王子が固まった。
夫婦になったら、同じベッドで眠る。
その本当の意味も分からぬまま問いかけられ、王子は返事に困っている。
ホールデン伯爵は意味ありげに笑い、マリアもクスクスと笑った。そして、さり気なくフォローする。
「何かあった時のために、個人のベッドも持ってないと困るでしょう。例えば病気になった時、一緒のベッドで寝ていては殿下にうつしてしまうわよ」
「あ、そっか。そうだね。お互いのベッドも持ってないとだめだね。じゃあ、私のベッドはピンクがいい」
マリアの言葉をあっさりと信じ、オフェリアは納得していた。オフェリアの疑問を誤魔化せたことに、王子もホッとしている。
オフェリアとヒューバート王子の結婚が決まり、王子の離宮では、オフェリアを迎える準備が進められていた。
ホールデン伯爵が城へ来ているのも、オフェリアがこの離宮で暮らす家財道具を買い揃えるため。
クラベル商会は、オフェリア王子妃御用達の称号を得る。その報酬とオフェリアへのお祝いで相殺して、代金は必要ないと主張するホールデン伯爵。
妹の嫁入り道具なのだから、むしろ何がなんでもオルディス家から金を出したいマリア。二人は密かに火花を散らしていた。
「ひぃ……ひぃ……疲れたぁ……ただいま戻りましたー……」
へとへとになったベルダが、ナタリアに支えながら離宮へ戻ってきた。
オフェリアと共に城へ行くベルダも、オフェリアの嫁入りに合わせ女官の特訓中だ。
女官長から毎日のようにしごかれるベルダは、いつもくたくたになって帰ってきていたが、一度も弱音は吐かなかった。
オフェリアだけではない。ベルダもまた、マリアから離れてしまう一人。
侍女の先輩としてベルダの面倒を見て来たナタリアも、こっそり寂しそうにしていた。
「ベルダとアレクもお城で暮らすようになるんだから、二人のお部屋も作るんだよね」
「マルセルの部屋があれば、ベルダの分は新しく作る必要はないかもしれないわ」
マリアの言葉に、ヒューバート王子もにこにこしている。マルセルは平静を装いながらも、少し気まずそうに咳払いしていた。
「じゃあアレクのお部屋だね!アレクのお部屋も、私が口出ししていいの?」
『いいけど、ピンクはやめて』
ヒューバート王子との生活のために奔走するオフェリアを、マリアは微笑ましく見守っていた。
妹が望むものはなんでも叶えてやった――オフェリアを手放さなくてはならない寂しさは押し隠して。
「邪魔をするぞ」
前触れなく離宮にやって来た王に、ヒューバート王子は戸惑いを見せながらも応対する。オフェリアも、王の登場におどおどしながら王子の隣に並んだ。
「楽しい時間を邪魔して申し訳ない。オフェリア嬢が王子との婚姻の準備のために来ていると聞いて、ひとつ頼みたいことがあってな」
王が供として一人だけ連れて来た侍女は、大きな箱を持っていた。侍女はオフェリアにその箱を手渡す。
箱の中には、薄く丁寧なレースで編まれた、長いヴェールが収められていた。
「二十年ほど前、フランシーヌで流行したものですね」
オフェリアが手にしているヴェールを観察し、ホールデン伯爵が言った。
フランシーヌ、とヒューバート王子が呟く。
「その商人の言うとおり、これはフランシーヌより持ち込まれた品だ。ジゼル王妃が嫁いできた折、余が取り寄せて彼女に贈った。フランシーヌの物はエンジェリク王室に持ち込めぬゆえ、心の慰みになればと思ってな」
話しながら、ヴェールを見つめる王の目には、思い出を懐かしむような、愛しむような光があった。
そんな王を、ヒューバート王子もまた、複雑な感情が入り混じった目で見つめている。
「余がジゼル王妃に贈り、唯一受け取ってもらえたものだった。王妃が亡くなった時にその棺に入れるかどうか悩んだが……オフェリア嬢、そなたさえよければ受け取ってはもらえぬか」
「私が……?」
「ヒューバート王子の妃となるそなたに譲り渡すのが道理。流行遅れのデザインで申し訳ないが……」
王は、オフェリアの反応をうかがっているようだ。
拒絶されるかもしれない。それを恐れているような――ヒューバート王子が絡むと、エンジェリクの威厳ある王も、ただの父親でしかない。
「ありがとうございます!ユベル……ヒューバート殿下との結婚式では、必ずこれを着けます」
「そうか……そうか。すまぬな。押し付けてしまって」
いいえ、とオフェリアは笑顔で首を振る。
王から渡されたヴェールを、キラキラと目を輝かせてオフェリアは見つめる。そんなオフェリアに、王もつられて笑っていた。
「良い娘を選んだな」
王子に向かって、王が言った。ヒューバート王子は、少し照れたような笑顔で小さく頷く。
「大切にしてやるがよい。彼女ならば、そなたの良き支えになってくれることだろう――オルディス公」
ヒューバート王子とオフェリアへの用事で王が立ち去ってくれることを密かに期待していたマリアは、視線を向けられ、内心の動揺を隠して笑顔を取り繕った。
「そなたにも用がある。時間は取れるか。ついて参れ」
「……はい」
わずかに頭を下げて頷けば、吊り下げられた右手が、かすかに痛んだような気がした。
マリアはいま、右腕を骨折していた。
そんなマリアに、治療を優先せよと言ってくれたのは他ならぬ王だ。
完治するまでは閨に呼ぶことは控えると王自ら言ってくれていたのだが……久しぶりに王に呼び出され、思わず緊張してしまうのも無理はないと思う。
だって、王をしばらく遠ざけるためにこの腕を折ったのだから……。
「そう固くなるな。そなたの身体に負担がかかるような真似はせぬ。治りが遅れては、余も困るからな」
「恐れ入ります。陛下――グレゴリー様からお声を掛けられると、つい……」
「抱けなければ、そなたに関心も示さぬと思うたか?余はそこまで薄情な男ではないぞ」
気分を害した様子もなく王は笑い、部屋の長椅子にマリアを座らせた。王は腰掛けることなく、長椅子の前のテーブルに置かれた箱を開ける。
箱の中身はヴェールだ。オフェリアがもらったものより、さらに旧いデザインの……。
「マリアンナが身に着けておったものだ」
「大伯母様が」
グレゴリー王の最初の妃マリアンナ。
マリアやオフェリアの大伯母――祖父の姉にあたる。グレゴリー王が愛情を捧げ、王を支えた良妻……。
「ジゼル王妃のものを探して、これも見つけた。このようなものをずっと保管していたとは……余の女々しさも、なかなかのものだ」
王は座ったままのマリアの背後に回り、ふわりとヴェールを被せる。そしてマリアの姿が映るよう、同じくテーブルに置かれていたスタンドミラーを動かした。
鏡に映る王は、じっとマリアを見つめていた。
「私は、マリアンナ様にそれほどよく似ておりますか?」
マリアが言えば、王は自嘲するように笑う。
「……すまぬ。そなたを、マリアンナの身代わりとして扱いたいわけではないのだが……」
「よろしいではありませんか。マリアンナ大伯母様は私にとっても他人ではありませんもの。大伯母様のお話、ぜひ聞かせてほしいです。私、大伯母様をいまでも愛していらっしゃるグレゴリー様が好きですわ」
「そなたは実にうまく甘やかす。それゆえ、余はそなたを手放せないのだ」
ヴェールごと後ろから王から抱きしめられ、右手がまた少し痛んだ。思わず痛みに反応すると、すまぬ、と王が再び謝罪した。
「悪さはせぬ。これだけ許せ」
「許して差し上げます。私は甘やかし上手ですから」
からかい混じりに言えば、王は今度は朗らかに笑った。
背後の王に少しもたれかかり、王への信頼を示す――グレゴリー王の寵愛は重要だ。だが、寵愛も過ぎればマリアを縛る鎖になる……。
「オフェリア嬢は優しく、素直な良い娘のようだ。笑った顔はエドガーに似ておる――男に似ているは、褒め言葉ではないか」
王の冗談に、マリアも笑い返した。
「花のような娘だな。彼女を迎え入れることができること、余は喜ばしく思っている。これは世辞抜きに、本心からの言葉だ」
「ありがとうございます。グレゴリー様にそうおっしゃっていただければ、私も安心して妹を嫁がせることができますわ」
一瞬、マリアは言葉を切った。 これを口にしていいのかどうか、わずかに躊躇いがあった。そこまで踏み込んで、王の不興を買ってしまわないか……。
「チャールズ王子とああなってしまった以上、王妃様からの擁護はいただけないものと覚悟しておりますから……。私が嫌われるのは己が原因なのですから致し方ないにしても、妹まで敵視されてしまったら……」
王の不興を買うわけにはいかない。オフェリアは、王妃からの支持は決してもらえないのだから――王の愛妾となった姉がいて、好かれるはずがない。
「チャールズ王子やジュリエット王女はオフェリア嬢を嫌うかもしれん。特に王女のほうは同性で、年も近い。そなたのことがなくとも、これだけで王女の反発を買ってしまうことだろう」
それはマリアも同意だ。
王とマリアの関係がなくとも、ジュリエット王女とオフェリアは上手くやっていけないだろう。王女と仲良くするには、オフェリアは美し過ぎるし、王女もプライドが高過ぎる。
「パトリシア王妃は……果たしてどうであろうな。余はあの女に、薄ら寒いものすら感じる。良くもまあ、自分に都合のよい解釈ができるものだと感心してしまう」
パトリシア王妃と接触した時間は短いが、彼女の周囲への関心のなさはマリアも知っていた。チャールズ王子にすら、ほとんど関心がないようで……。
お飾りとしても扱われない、エンジェリクの王妃。
本来なら屈辱極まりないその地位で、彼女は苦悩している様子など一切見せなかった。自分の楽しみに夢中になっていた、お気楽な王妃。
「余の気がかりは王妃よりも、エステルのことだ。オルディス公、オフェリア嬢は、エステルにあまり近づけぬほうがよいかもしれん」
「エステル様に……?」
王と結婚する前、王妃は未亡人であった。
その前夫との間に生まれた連れ子のエステル。マリアよりはるかに年上なのに、幼い少女のような、不思議な雰囲気を持った女性だ。
なぜかマリアは彼女に気に入られ、時折、マリアは彼女のいる離宮を訪ねていたが……。
「エステルは純粋で無害な娘。しかし彼女に近付けば、ポーラとの関わりは避けられぬ」
ポーラは、エステルの侍女――のフリをしている、レミントン侯爵家の人間。公言されていないが、パトリシア王妃の姉だ。
だがポーラ本人は王妃にもチャールズ王子にも否定的で、エステルのお気に入りであるマリアに敵意は見せていない。
見知らぬ人間ばかりの城で、オフェリアを孤立させたくはない。精神年齢が同じぐらいのエステルとなら親しくなれるのではないか、ということを、実はマリアも考えていた。
しかし、王からの忠告は無視できない。
エステルの正体もポーラの本性も、マリアは何も知らないのだから。




