君が見てる世界
オフェリアを迎え入れるため、ヒューバートの離宮では大掃除が行われている。
しばらくはヒューバートも別室暮らし――遊びに来てくれたオフェリアとも、今日は普段と異なる場所で共に過ごしていた。
心地よい風が吹き抜ける中庭に出たオフェリアは、中心にある噴水に近寄った。
「噴水のお水がキラキラ光ってるね。とっても綺麗」
日の光が反射する水面は眩しい。そんなものにも目を輝かせて覗きこむオフェリアを見つめ、ヒューバートは愛しさを感じていた。
オフェリアはいつも、見たもの、聞いたもの、感じたものを前向きにとらえ、幸せそうに笑っている。
そんな彼女と一緒だと、世界はとても美しく、輝いて見えた。
「ユベルのお部屋も素敵だけど、お城の中にもたくさん素敵な場所があるね。ちゃんと全部、見つけることができたらいいな」
「きっとオフェリアなら見つけられるよ」
初めて彼女と出会った日から今日まで、オフェリアと一緒にいるとヒューバートはとても幸せな気持ちになれた。幸せしか感じなかった。
幽霊として生きるしかない自分は、幸せなんか感じても無駄だと分かっていたのに。オフェリアから与えられる幸福に次第に夢中になっていって。彼女が笑うたび、自分も幸せで堪らなかった。
「このお庭には、お花はあんまり咲いてないんだね。でも木がいっぱい植えてあるから、葉っぱの良い匂いがする」
「花が咲くものなら少しは分かるんだけど、木は僕も詳しくないな……。でも確かに、色んな種類の木が植えてあるね。一度ちゃんと調べてみようかな」
オフェリアの観察眼や着眼点には、時々本気で感心させられる。何気なく通り過ぎてしまいそうな、見過ごしがちなことも、オフェリアはよく見つけ出す。
この中庭も、来るのは初めてじゃないのに。観察してみれば、かなりの種類の木が植えられている――その事実を、いま初めてヒューバートも知った。
「果物ができたりしないかな?」
実が付いている木の周りをうろうろしながら、オフェリアが言った。
ヒューバートはくすくすと笑い、オフェリアの手を取る。
「お腹減ったなら、一度部屋に戻ろうか。僕も、オフェリアが作ってくれたケーキを食べたい。それに、新しい花茶も用意したんだ。気に入ってもらえればいいけれど」
仮住まいの部屋に戻り、ヒューバートはオフェリアのために茶を淹れる準備をする。
マルセルに手伝ってもらいながら用意を済ませれば、ベルダと一緒に待っていたオフェリアは熱心に絵を描いていた。
「中庭を描いてみたんだ」
描いた絵を見せて、オフェリアが言った。
メレディスのような芸術的な風景画ではないが、オフェリアの絵には独特の魅力がある。
木々の色は緑をベースにし、黄色、赤、青……それに紫や黒など、複数の色を混ぜて塗り込まれ、空の色は灰色とオレンジで描かれている。
そんな風景の中に描かれた、レモン色の髪をした人物――これはきっと自分だ、とヒューバートは思った。
絵の彼は、ちょっと間抜けな感じで満面の笑顔を浮かべていて……オフェリアの目に映る僕って、こんな姿なのかな……。
「お姉様にも、あとで見せてあげなくちゃ」
「マリアもきっと、素敵な絵だって褒めてくれるよ」
ヒューバートは相槌を打ち、オフェリアが描いた他の絵を眺める。
オフェリアのスケッチブックには、色んな場面、色んな人たちが描かれていた。
ページいっぱいに描かれたホールデン伯爵――きっと、これはオフェリアから見た伯爵の印象……とても存在感の大きな人だから。
最初、伯爵の肩から覗いているのは何なのか分からなくて戸惑った。背後霊か、描き損じかと悩んで……伯爵の従者のノアだと気付いた時には吹き出してしまった。
ナタリアにベルダ――二人のことが本当に大好きなのだろう。彼女たちを描く時は、いつも可愛らしい花を一緒に描いている。
ララとアレク――アレクの恋愛対象はマリアみたいだけど、あんまりオフェリアと仲良くしないでほしい。アレクのことも嫌いじゃないけれど、すごく複雑だ。
優しい笑顔のおじに、人の良さそうな笑顔のジェラルド・ドレイク卿――エリオット・オルディス氏は分かるのだが、ドレイク卿の顔がオフェリアにはこう見えるのだろうか。僕は嘲笑すら見たことがないんだが……。
実物よりももじゃもじゃ感が増したライオネル・ウォルトン団長……紙とペンを必ず持ってるメレディス……それから。
それから、美しく微笑むマリア。
その姿は聖母像を彷彿とさせた。
物心つかないうちに母親を亡くしたオフェリアにとっては、マリアの姿こそ母親のそれなのだ。
マリアの絵には、必ず彼女に寄り添うようにオフェリア自身も描かれている。
……やっぱり、オフェリアが一番好きなのはマリアだ。
特別な存在で……ヒューバートには立ち入ることのできない絆が、二人の間にはある。割り込みたいとも思わないが。
「ユベルと結婚したら、ユベルのお父さんの絵も描いてみたいな」
無邪気に話すオフェリアに、ヒューバートは苦笑する。
だけど、オフェリアの目にエンジェリク王がどう映っているのか――ヒューバートにも興味はあった。どんな男なのか、ヒューバートにも分からない人だから。
自分の目で確かめてみるのは怖くて……オフェリアなら、マリアにも劣らぬ観察眼で見抜いてくれるかもしれない。そんな期待が、ヒューバートの心の片隅にあった。




