キシリアの二人旅
キシリアへ単身渡ったメレディスは港町でシルビオに出迎えてもらい、それからマリアの亡き父の親友が町長を務めるミゲラへ向かった。
ミゲラにはガーランド商会改めクラベル商会キシリア支店がある。商会の名前が突然変わってしまったことも含め、キシリア支店の経営状況をチェックするという役目もメレディスは担っていた。
ミゲラはキシリアの最南端。エンジェリクからの船が到着する港町はキシリアの北にある。
ミゲラへ向かう途中で王都に立ち寄り、キシリア王と王妃にも挨拶をした。ついでにシルビオを貸してもらえたことについての礼も伝える。
好きなだけ連れ回すといい、と王はにこやかに言ったが、シルビオからは物凄く嫌な顔をされた――シルビオの本来の仕事は、王の護衛だ。
こうして広いキシリアの地を縦断する旅を、シルビオと共にメレディスは続けていた。
「あーっ!僕のスケッチブック!どこへ行ったのかと思ったら、シルビオが隠し持っていたのか――こら、この期に及んでまだ隠そうとしないでよ!マリアの絵が欲しいなら、僕に依頼すればいいだろう!僕もマリアを描くのは好きだから、いくらだって譲るのに!」
しばらく愛しいマリアと離れ離れになるので、メレディスは彼女のスケッチをたくさん描いて、肌身離さず大切に持っていた。
絵に関しては自慢したくなるメレディスは、当然シルビオにもそれを見せており――いつの間にやら、彼に奪われていた。
「それで俺から金をぼったくるつもりだな」
「僕、自慢はしたいけど絵で金儲けするつもりはないよ。スポンサーやパトロンは十分いるし」
絵描きとしての評価は欲しいが、金銭は望んでいない。画材道具に金はかかるし、絵を描く環境を整えようと思ったら金は必要――そういった理由で絵を描き続けるための資金を求めてはいるが、物欲や金品への執着はない。
そう言ったら、おまえも鷹揚な坊ちゃん育ちだからな、とシルビオから笑われてしまった。
「相変わらずイイ女だな。女っぷりが増した。おまえの欲目のせいかもしれんが」
図々しくもまだスケッチブックをメレディスに返さないまま、シルビオは描かれたマリアの絵を眺めていた。
「僕の欲目がないとは言わないけど、マリアは実物のほうがずっと綺麗だよ。仕草とか、表情とか……目の動きとかも。そういうのがマリアの魅力を生み出してるんだと思う。だから静止画じゃ、どうしてもマリアの魅力を出しきれないよ」
「芸術的な観察眼は俺にはないが、言いたいことは分からんでもない。あいつの父親も大した美貌だったが、おまえが言ったような動きが加わってさらに拍車を掛けていたような気はする」
「そっか、シルビオは生前のクリスティアン・デ・セレーナに会ったことがあるんだっけ。じゃあマリアの魅せ方はお父さん譲りなんだ」
実に自分の魅力をよく理解した仕草だ。メレディスはなぜか納得してしまった。
「シルビオは?君は、自分の父親に似たところとかあるのかい?」
「さあ……俺は奴との共通点を見つけられていない。他人から指摘されたこともない」
「うーん。容姿もあんまり似てないってマリアが言ってたなあ。シルビオはお母さん似なのかな……」
そう言えば、とメレディスはふと気付いた。
シルビオの母親はどんな女性なのだろ。生きているのだろうか。
「俺の母親はキシリア貴族の令嬢だ。まだトリスタン王どころか、その父ベルナルド王の時代に結婚した女で――夫の死後、尼僧院に入った。死んだとは聞かないから、まだ生きてはいるだろう」
冷たいシルビオの声に、メレディスは黙り込んでしまう。気楽に聞いてよいものではなかったのかもしれない。
反省しているメレディスに、シルビオが珍しく苦笑する。
「別に気遣ってもらうようなことでもない。あの女は、昔から嫡子であるフリオのことしか見ていなかった。冷遇されたとは言わんが、俺のことは空気のように扱っていた。あの女の愛する夫、息子を手にかけたことで、いまやすっかり憎まれているがな」
「……そうなんだ」
メレディスも、父親との関係は良くなかった――そんな控え目な表現では言い表せないほど。
それでも、気弱で夫に逆らえない女であっても母は自分を愛してくれたと思うし、何より、兄には守られ、慈しまれてきた。
父が無理解で暴虐であったことを除けば、メレディスは家族には恵まれたほうだ。少なくとも、母や兄は自分の味方だった。
――もしかしたら。
もしかしたら、シルビオにとっては血の繋がった親や兄よりも、短い邂逅であったクリスティアンのほうがよほど重要な存在なのかもしれない。
自分を認め、道を示してくれた男……その男の言葉にあっさりと従って、シルビオは親兄弟を見限り、敵であるはずのロランド王について……そしてここまで来た。
「……おい。マリアの絵、一枚もらってもいいか」
スケッチブックのページをめくりながら、シルビオが言った。
「いいよ。というか、シルビオ用に一枚描くよ。キシリアでは度々世話になってるし、そのお礼も兼ねて。豪華な額縁つけてあげる」
「いらん。邪魔くさいだけだ」
ピシャリと断ったシルビオは、それに、と付け加えた。
「いずれ俺は他の女と結婚することになる。マリアの絵を堂々と飾っておくわけにはいかない。ここから一枚破って……それぐらい、気軽に保管できるもののほうがいい」
「結婚するの?」
「いずれな。先の内戦でキシリア貴族の結束は脆くなっている。諸侯同士の団結も要求されるようになるだろう。王に最も近い臣下の俺の結婚は、特に重要だ。家同士の繋がりを強めるためにも、どこからか嫁をもらうことにはなるだろう」
「そっか……」
エンジェリクの女公爵となってしまったマリアが、シルビオと結ばれる未来はない。貴族の地位を捨ててしまったメレディスも同じ……。
「愛だけじゃ乗り切れないこともあるものだねえ」
メレディスの呟きに、詩人としての才能はないな、とシルビオは笑った。




