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紫色のクラベル~傾国の悪役令嬢、その貴種流離譚~  作者: 星見だいふく
第一部02 虚栄の公爵家 -強欲と冷酷と醜悪な女たち-
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次の始まり


眩しい陽の光によってマリアの意識は浮上し、次いで身体を襲う鈍い痛みで覚醒した。

ゆっくりと身体を起こし、思考がまとまらない頭で現状を把握する。隣に男が眠っているというのは、何とも不思議な光景だ。


ぼんやりと、前夜のことを思い出す。

――恐れていたよりは、ひどいことにはならなかった。

それがマリアの素直な気持ちだった。


果たして自分が本当に割り切って受け入れられるのか不安だったが、杞憂に終わったことには安心した。

安っぽいロマンス小説に出て来るような表現には程遠い感覚だったが、人肌のぬくもりは悪くなかった。


それにしても身体が重い。怪我とは違う痛みに苛まれる身体は、ベッドから降りるのも億劫だ。

手を伸ばして自分の服を拾い集めていると、マリアの背中におじが触れてきた。驚いて振り返れば、顔をひきつらせたおじがマリアの背中をじっと見つめている。

そうか、背中にはまだ伯母につけられた傷跡が……。


「伯母様の愛人が、ナタリアを口説いたんです。それで私が代わりに罰を受けて」


おじが改めて伯母への恐怖を感じているのがわかった。だが前のような動揺は見えない。

おじに抱きしめられ、マリアはそれに応えるようにおじの胸にしなだれかかった。


「おじ様、私とオフェリアを屋敷から出していただけませんか」


これはずっと考えていたことだ。

伯母の激しさを見たときから、オフェリアは安全な場所へ隔離しなくてはいけないと決心していた。

それにいとこがマリアたちの持ち物に手を出すようになったのなら、もうここには置いておけない。取り返しのつかない物にまで手をつけられる前に、離れなくては。


「王都ウィンダムに、オルディス所有の屋敷があるのですよね。そこに私を囲ってください。伯母様の目の届かない場所で、おじ様が時々会いに来てくだされば……。私とオフェリアは、安心して暮らすことができますわ」


書類整理をしていた最中に、オルディス家の財産目録に目を通す機会があった。

王都に屋敷を所有していることを知って以来、自分たちのものにしたいとマリアは企んでいた。


「屋敷を与えるのは構わないんだが、あそこも売れる物はほとんど売り払ってしまったから、人が住める状態じゃないよ」

「構いません。私たちにも多少の財産はあります。自分たちが生活するための体裁は、自分たちで整えます。そんな状態であれば伯母様も気にも留めないでしょうから、むしろ好都合ですわ」


逃げ出すときに、旅に困らないだけの金は持たせてもらっている。さらに、早々にガーランド商会に保護してもらい、生活のほとんどを商会に見てもらっていた。

予想以上に出費が抑えられただけでなく給料まで受け取っていたので、贅沢をしなければ当面生活に困らない程度の金はあった。


「そうか。なら、あの屋敷はマリアの名義に書き換えておこう」

「えっ。とても有難いのですが、よろしいのですか?」


そこまでおじが申し出てくれるとは思わなくて、マリアは目を丸くする。おじはすっきりとした笑顔で、何の迷いもない様子だった。


「ああ。あの屋敷は、王都におけるオルディス家の重要な基盤だ。だから完全に売り払ってしまうことだけは避けてきた。だが、ローズマリーがあの屋敷のことを思い出したら売り払ってしまうだろう。屋敷の物を売る僕を非難したが、自分も金のために色んな物を売り飛ばしたんだ。その中には、僕があえて手をつけなかった物まで……。本当は、彼女には、先祖代々の品への思い入れや愛着はないんだ」


売る物は選んだとおじは言っていたが、先祖の絵や一族が受け継ぐような物も残っていないことがずっと疑問だった。伯母が売り払っていたのか……。


「権利をマリアに渡しておけば、オルディス家が破産してもあの土地だけは残せるかもしれない。書類の書き換えは僕がやっておこう。公爵夫妻が亡くなったとき、ローズマリーは妹に遺した分まで自分のものにしている。それを逆に利用して、スカーレット様が継ぐはずだったということにしてしまえば容易に変更できるはずだ。日付にだけ気をつければいい。そうすれば、スカーレット様が亡くなったあと、マリアが自動的に継いでいたことになる」


マリアはおじに抱きつく。抱き返すおじの胸に顔を埋め、勝利に笑った。




マリアがおじの寝室をあとにしたのは日も随分高く昇っていた。

朝食の片付けを終えすでに昼食の準備を始めている厨房へ顔を出すと、オフェリアがすぐに飛びついてきた。


「お姉様どこへ行っていたの?ずっと姿が見えないから心配したのよ」

「ごめんなさい、おじ様の部屋に呼ばれていたの。急ぎの話があるからって、朝早くからいままでずっと」


ナタリアとベルダも厨房にいる。二人も呼び寄せ、厨房の片隅で話をした。


「屋敷を出ることになったわ。私たちを養うのが厳しくなったから、他の家に奉公へ出したという建前でね。王都にあるオルディス家の屋敷へ、私たちは移るのよ。おじ様が馬車の手配をしてくださっているから、昼過ぎにはここを発つわ。急いで準備をするのよ。いとこには気付かれないようにね」

「ならもうお別れなんですね」


マリアの話を聞いて、ベルダが寂しそうに言った。

そんな彼女の感傷を、マリアは鼻で笑い飛ばす。


「私があなたのことを手放すわけないでしょ。ベルダも一緒に行くのよ」


え、とベルダは目を瞬かせた。オフェリアは大喜びして、マリアにたしなめられた。




屋敷を出るため荷物をまとめるかたわら、マリアは男物の服に着替えていた。また男の恰好をしている姉に、オフェリアは首を傾げる。


「またお兄様って呼ぶの?」

「さすがに今度は男と誤魔化すのは無理があるけど、一応目眩ましにね。女ばかりでの旅は危ないから」


屋敷を出ることに何の感慨もなく、マリアたちは用意された馬車に乗り込んだ。

当然だが見送りはおじだけ。オフェリアは、おじが良い人だと信じて疑わなかった。


「おじ様、新しいお屋敷に着いたらお手紙書くね」

「旅の無事を祈っているよ。私も、ときどきは会いに行くつもりだ」


オフェリアには終始優しいおじだった。

だがマリアには、手を取り名残惜しそうに見つめてきた。


「来週あたり、僕もそっちに向かおう。本当に道中に気をつけて」

「ありがとうございます。おじ様が会いに来てくださるのを楽しみにしております」


今度のエンジェリクの旅は、ベルダが加わったこともあって、オフェリアは楽しそうだった。


「エンジェリクの王都は私も行ったことないんです。どんな場所なんでしょうねえ」


ベルダもまともな旅というのは初めてらしく、オフェリアと一緒にはしゃいでいる。


「ウィンダムにはガーランド商会の本店があるはずよ。着いたらさっそく訪ねてみましょう」


ガーランド商会の名前を聞いたオフェリアは、目を輝かせた。


「みんなに会えるかな?」

「私も商会の皆さんにお会いしたいです。無事に過ごしていることもお知らせしたいですし」


ナタリアも、商会へ行くことには賛成のようだ。それを微笑ましく見つめながら、マリアも伯爵に会えるのは嬉しかった。




旅は、特に危険もなく平穏なものだった。

宿は、多少金がかかってもきちんとしたところを選んだ。御者や護衛のための従者にも賃金は弾んだ。

おじはそういった人選はしっかりしていたが、さすがに伯爵が用意してくれたものよりは格が落ちる。というより、伯爵が別格過ぎたのだろう。


オルディス領を出ていく道中、マリアは領や領主に対する民の声をよく聞き集めていた。

やはり十四年前の火災以降、領民たちの生活は明らかに苦しくなったようだ。一方で、領主であるおじの評判は高かった。


いつも領地を視察、調査に回り、領民の話を積極的に聞く、気さくな領主として慕っている領民は多い。悪妻として伯母の悪名は広く知られているらしく、生活が苦しい等の不満は、すべて伯母が原因としておじを悪く言う者はほとんどいない。


皮肉にも、伯母がすべての反感を集めてくれるおかげで、おじは優しく立派な領主と見なされているようだ。

その諸悪の根源たる伯母をまったく諌められていないおじを絶賛するのはどうかとも感じたが、領民たちの純粋な気持ちに水を差すことはしなかった。


実際、財政はかなり苦しいはずだがおじは領の治安をよく保っている。

オルディス領は用水路だけでなく街道も領地全体に整備されており、さすがに裏路地にもなればかなり荒れてはいたが、メインとなる場所はしっかり点検と維持がなされていた。

やはりオルディス公爵領というのは豊かで恵まれた土地で、エンジェリクでも有数な場所であるに違いない。領内に限らず、領を出て王都へ続く道も舗装されている。


先代公爵夫妻が存命の頃は、栄華を誇っていたことだろう。いまは、その面影が残されているだけだが。




三日ほど馬車で揺られ、王都ウィンダムが見えてきた。

平坦な地形故エンジェリクでは馬車での移動が容易だ。しかしマリアはあまり馬車が好きになれそうになかった。

この距離なら馬に乗ってそれなりに走らせれば、一日で着いただろう……馬を走らせるほうが好きだ。


「大きな川に沿って塀が建ってますよ。塀からちらっと見えてるあれがお城ですか?」

「キシリアのお城とはやっぱりちょっと違うね」


馬車から王都の外観を眺め、ベルダとオフェリアが話す。


王都ウィンダムは川沿いに発展した都で、強固なレンガ塀に囲われている。ウィンダムに出入りする道は、川を横断する橋だけだ。


「人が多い……というか、すごく密集してますね」

「キシリアよりはるかに小さい国だもの。でもそんな国なのに、これだけ人がいて、キシリアにも劣らぬ国力を持っているだなんて」


オルディス家の屋敷は、おじの言った通り家財道具がまったくなかった。

ガランとした空洞で、あるものといえば床に積もる埃だけ。

ただ、完全に廃れてしまわないよう手入れは時々させていたのだろうか。人が住めないほどひどいというものではない。公爵家のものにしては寂しい見た目だが、外観はしっかり整えられている。


伯母に売り飛ばされたくないと言ったおじの気持ちがよくわかった。

ウィンダムでも王城に近い一等地に建てられているではないか。やはりここも、公爵家にとっては重要な財産だ。


「掃除道具もないからお掃除もできないね」


空っぽの屋敷を見回しながら、オフェリアが言った。


「最初に買う物が決まったわね。ガーランド商会を探して、人手なんかも色々紹介してもらいましょう」


何もない屋敷は、マリアを落胆させたりはしなかった。

むしろようやく手に入れた家に、喜びを感じていた。父親を失い故郷を逃げ出してから初めて、マリアたちは住む場所を見つけた。


エンジェリクでの生活は、これから始まるのだ。


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