遠い国の遠い人
主人同士の仲が良いことから、ベルダとマルセルも何かと行動を共にすることが多かった。
マルセルとは軽い口喧嘩をしつつ、主人たちからは喧嘩するほど仲が良い、なんてからかわれつつ。
今日は城に行商人が呼ばれていた。
買いたい物があるわけではないが、珍しい商品を取り扱っていると聞き、ベルダも好奇心が抑えられなかった。
見に行って来ていいよ、という主人の寛大さに甘えてベルダも行商人を見に行くことにした――なぜかマルセルと一緒に。
「何も買わなかったが、いいのか」
「いいの。別に欲しいものがあったわけじゃないし。カナルナガル王国の品物って言うから、ちょっと見てみたかっただけ」
「おまえはあの国の出身か」
「たぶんね」
ベルダの言葉に、マルセルが不思議そうな顔をする。ベルダはくすくすと笑った。
「マリア様が私の話を聞いて、たぶんそこだろうって。私、勉強するようになって気付いたんだけど、自分が生まれ育った国の名前すら知らなかったのよ。びっくりするぐらい、無知で無学だったの」
よく奴隷としてエンジェリクへ連れて来られたことを同情されるが、ベルダはそれを辛いと思ったことはなかった。生まれ育った国でも奴隷同然の扱いで……エンジェリクに来てからのほうが、よほどまともな人間扱いされているぐらいだ。
「カナルナガル王国にも身分制度があるんだけど……貴族と平民で分けられてるエンジェリクが可愛らしく見えるぐらい厳しいものだったの。私はたぶん、最低下層の身分だったんじゃないかしら。人間と見なされていなかったわ。故郷にいた頃にあんたみたいな偉い人にこんな口を聞いたら、その場でなぶり殺しにされてたでしょうね」
けろっと話すベルダに、マルセルは眉をひそめていた。
なんだかんだ喧嘩もするが、気安い口調で話すベルダを許してくれるマルセルは寛大だと思う。そしてとても変わり者だとも思う。
こんな自分を、ふりとはいえ恋人役に選ぶとか……。
「マルセル!こんなところで会えるだなんて!もしかして、私に会うためにここへ来たのかしら?」
廊下の向こうから現れたジュリエット王女が、ベルダの存在は思いっきり無視してマルセルの腕に抱きつく。
マルセルの隣に立っていたベルダは、突進してきた王女に突き飛ばされてしまった。
「ねえ、マルセル。前からずーっと話してるけど、いい加減ヒューバート王子の従者なんか辞めて、私の親衛隊になりなさいよ!そっちのほうがずっとあなたのためになるわよ!」
「王女殿下、有難いお言葉ですが……」
自分の腕に絡みつく王女をさりげなく振りほどきながら、マルセルが言った。
「愛しい恋人に誤解されたくないので。どうかご勘弁を」
「恋人……?まさか、その女が……?そんな女が??」
ベルダを見てジュリエット王女は嫌悪感をあらわにする。単なる嫉妬というより、おぞましさから顔をひきつらせている。
自分の肩を抱くマルセルに甘えるようにすり寄り、もうやだぁ、といかにも馬鹿っぽい声でベルダも芝居をうつ。
「王女様の前でそんな。照れちゃうじゃなぁい」
「ははは。僕は彼女にべた惚れでして。ようやく口説き落とした彼女なので、ちらとでも誤解をされるような真似はしたくないのですよ」
ドン引きするジュリエット王女は、信じられないものを見るような目でマルセルを見た。
「趣味が悪いなんてものじゃないわ。あなたの感性を疑う――こんな汚らしい肌の色の女を選ぶだなんて!」
後日。
ベルダはマルセルと二人で出かけていた。
先日の礼がしたいと誘い出され――最初、何のことか分からず首を傾げてしまった。
ジュリエット王女のこと。わざわざ礼をしてもらうほどのことでもなかったのですっかり忘れていた。マルセルに言い寄っていたあの女のたじろぎように、ベルダもざまあみろと思ったし、別に礼なんていいのに。
「でもせっかくの申し出なんだから、遠慮すべきじゃないわよね。ああ、美味しい。人のお金で食べる物ってなんて美味しいのかしら!」
以前、マリアとオフェリアのお供で連れて来てもらったカフェ。とても美味しいケーキが売られているのだが、ベルダ一人で来るにはあまりにも敷居が高く。
マルセルが財布になってくれるなら……もとい、一緒なら気楽だ。
「なによー。あんたが何でもしてやるって言ったんじゃない。文句があるなら最初からこれはダメって言いなさいよね」
「別におまえに奢ることが不満なわけじゃない」
浮かない顔をしているマルセルに向かってベルダが言えば、マルセルは首を振る。
「……不愉快な思いをさせて悪かった。ジュリエット王女が、あそこまで品のない人間だとは思わなかった」
マルセルの謝罪に、ベルダはきょとんとする。
――ああ、そう言えば。
「私の肌の色が気持ち悪いって罵ってたこと?気にしてないわよ。そりゃマリア様やオフェリア様、ナタリア様に言われたら傷つくけど。あんな女に何言われたって痛くもかゆくもないわ。そんなこと気にするなんて、あんたが殊勝過ぎるのよ。ああいう態度、いまさらだわ」
身近にいる人たちがベルダの異質さを気にも留めないから忘れがちだが、ベルダはエンジェリクでは異質な国の人間――風貌も、ずいぶん違う。
この見た目のことで侮られるのはいまさらだ。
「……不思議ね。私たち、生まれた国も育った環境も全然違って……なのにエンジェリクなんて遠い外国で、こうして出会ってるんだから。考えてみると奇跡みたいな巡り合わせよね」
快活に笑うベルダを、マルセルがじっと見つめる。
ベルダは構わずケーキを食べた。二人でいる時は、ベルダが一方的に喋ってマルセルが時折相槌を打つ。そんな状態がしょっちゅうだ。
「結婚しないか」
マルセルの言葉に、ベルダはケーキを吹き出しそうになった。おかしな声が出て、ベルダは目を丸くしてマルセルを見つめ返した。
「いますぐじゃない。殿下とオフェリア様が結婚して、お二人が落ち着いたら……。あんな交際の始め方だったが、僕はこの付き合いを本物にできたらと思っている。おまえのそばは落ち着くし、安らぐ……」
「あんた正気?そういう性癖?落ち着くとか、安らぐとか……私って、そういうのとは無縁な女じゃない?」
憎まれ口を叩きながらも、頬が熱くなるのをベルダは感じていた。
いつものように軽く返しているつもりなのに、なぜかひどく焦って、妙にしどろもどろになってしまう……。
「顔にクリームがついてるぞ」
「えっ、うそ。もー!あんたが変なこと言うから!」
ぺたぺたと顔を触ってクリームの場所を確かめようとするが、マルセルに苦笑されるばかり。
ここだ、とマルセルが指を伸ばし、ベルダの顎についていたクリームを拭う。そのまましばらく沈黙してベルダを見つめていたかと思うと、顎を持ちあげられ、マルセルの顔が近付いてくる。
なぜか反論することも忘れ、ベルダはそっと目を閉じた。




