ドレイク卿の困った父親
自分のそばから自分を包んでくれていた温もりがなくなるのを感じ、マリアの意識は浮上した。
重い瞼を開けて見れば、まだ闇が室内を覆っている。
そんな暗い部屋の中で、ジェラルド・ドレイク卿が着替えをしているのを視界にとらえた。
「呼び出しを受けた」
マリアが目を覚ましたことに気付き、ドレイク卿が言った。
「急ぎ出て来る」
「では私も……」
家主が出かけるというのに、マリアが図々しく居残るわけにはいかない。そう思い身体を起こそうとすれば、ドレイク卿が優しく口付けて来る。
「……帰りを待っていてほしい」
暗に、まだゆっくりしていればいい、と気遣ってくれているのだと分かり、マリアは微笑んだ。
「お待ちしております。お言葉に甘え、もう少し休ませて頂くことにしますね」
そう言ってマリアはまたベッドに横になり、出かけるドレイク卿を見送る。ドレイク卿はもう一度マリアに口付け、寝室を出て行った。
正直、まだ眠っていてもいいと言ってくれたドレイク卿の気遣いは有難い。
改めて瞼を閉じれば、マリアはあっという間に眠りに落ちてしまった。
――ジェラルド様が帰って来た……。
まだ意識は闇に落ちたまま、マリアはそれを感じていた。
誰かが自分に触れている。その手の温もりも、肌から香る匂いも、覚えがある――ドレイク卿だ。
マリアの反応を探るように彼は触れ、マリアはくすぐったさに身をよじる。
「ん……ジェラルド、様……」
なんだか焦れったくて、もどかしくて。
マリアはねだるように、甘えた声で彼の名を呼ぶ。
まだ重いままの瞼をわずかに持ち上げれば、唇を塞がれた。
もう一度瞼を閉じて口付けを受け入れ、手を伸ばして彼の顔に触れる――パチリと。マリアは目を開けた。すべての眠気が吹っ飛んだ。
伸ばした指先が、鬚に触れた。ドレイク卿にヒゲは生えていない。
ドレイク卿そっくりのぬくもりと香り……鬚のある人物……それが誰なのかすぐに理解して、マリアは慌てた。
「ニコラス様、戯れもほどほどになさいませ!」
ニコラス・フォレスター宰相。
ドレイク卿の実父。
彼には以前から口説かれていた。冗談とも本気ともつかないそれを、マリアはいつも苦笑いでかわしていたが……。
「ちょっとした悪戯のつもりだったのだがな。思いの外、可愛らしい反応をする」
そう言って宰相はあっさりとマリアの抵抗を封じ、組み敷いてくる。焦るマリアは、ますます宰相の興味をそそってしまっているらしい。
「安心するといい。これでジェラルドが貴女を見放すのなら、これからは私が可愛がってやろう」
「そういう心配ではなくてですね……いえ、むしろ何に安心しろと言うのです!」
ドレイク卿には非常に申し訳のないことだが、強引な男に弱いマリアは結局流されてしまった。
当然、帰って来たドレイク卿がマリアと同じベッドにいる父親を見て怒り狂い――その様はまさに、怒髪天を衝く、であった。
「……なぜ父上がここに」
聞いたこともないような低く、冷たく、危険極まりない声で、ドレイク卿が言った。
「おまえがオルディス公を屋敷に連れ込んだと家令から聞いてな。陛下のお気に入りだぞ。なんと迂闊な真似をするのだ、と。一言説教をしに来た」
「私に説教をしに来て、なぜマリア……オルディス公を抱いているのです」
ベッドシーツに包まれただけのマリアを手放そうとしないまま、宰相はさらに答えた。
「来てみればおまえは不在で、オルディス公がおまえの寝室で一人眠っていた。試しに近付いてみれば、私を息子と間違えて甘く身をすり寄せてくる始末。あまりの無防備さに、彼女にもひとつ説教が必要だと考えたのだ」
本当に髪が逆立つのではないかと思うほど激怒するドレイク卿に、マリアは宰相の腕からなんとか抜け出して、彼のそばに駆け寄った。
「ジェラルド様。私のことはいくら罵ってくださっても、憎んでくださっても構いません。どうか、お父様のことはお許しになってあげてくださいませ……」
原因となった自分がそんなことを言うのもおこがましいとは思うのだが、最愛の父と死別しているマリアとしては、どうしても言わずにいられなくて。
宰相は亡き奥方をいまでも愛しているし、奥方の忘れ形見であるドレイク卿をとても愛しく思っている――その可愛い息子の愛人に手を出すのはどうなんだと問われると、返答に困るが。
ドレイク卿が父親と仲違してしまうことだけは避けたかった。
目に見えそうなほど怒りのオーラを発していたドレイク卿は、マリアの言葉にしばらく黙りこみ、それから大きく溜息をつく。
「あなたの前で、父と喧嘩をするのはやめておこう」
そう言って、ドレイク卿はマリアを抱き寄せ、額に口付けた。
「マリアは実に寛大で心優しい女性だな。おまえや陛下が夢中になる気持ちが良く分かる」
せっかく良い感じにまとまって来たのに、宰相がそうやって茶化すものだから、またドレイク卿は髪を逆立てんばかりの勢いで怒ってしまって。
「……父上。マリアが帰ったら覚えていてください」
妻のいる男はお断りだが、息子のいる男もこれからはちゃんと拒絶することにしよう。
マリアはそう心に誓った。




