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紫色のクラベル~傾国の悪役令嬢、その貴種流離譚~  作者: 星見だいふく
第五部02 敵の敵は味方にはならない
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-番外編- 伯爵と少年・中編


「あれはキシリア宰相クリスティアン・デ・セレーナの娘だ。長女は父親に似ていると聞いている。彼の姿を見たことがある」


伯爵の言葉に、ノアはわずかに目を丸くした。

気付いていなかったのか、と愉快そうに問われ、ノアは素直に頷く。


「気付いていなかったというより、男か女なのか判断しかねていました。中性的な子だとは思いましたが、あれぐらいの年ですとそういうこともありますし。何より、性別など詮索する意味を感じなかったので」


ガーランド商会に訳ありの人間がやってくるなどしょっちゅうだ。

能力があり、商会にいる間は伯爵を裏切ることなくその有能さを発揮してくれればそれでいい。従業員たちは、互いを詮索しないことになっている。


伯爵は従業員の身元を調査してその正体を把握していることが多いが、彼がそれを行うのは従業員たちを守るため。能力主義だと言っても、本当に何も知らないまま雇うことはできないから。


「クリスティアン・デ・セレーナの娘ですか……フェルナンドが探しに来ますね」

「いまのところ彼に引き渡す予定はない。デイビッドはあの子を気に入っているようだし、人手が足りないのは事実だ。優秀さをデイビッドが認めているなら、しばらくは商会で匿うことにしよう」


ノアは再び頷く。

フランシーヌの支援を受けているフェルナンドのご機嫌とりをして、ガーランド商会や伯爵に特に利益があるとは思えない。


それに……頼る大人を失い、それでも妹を抱えて必死で生きようとしている少女を引き渡すなど。そんなことをしなくて済むのなら、それに越したことはない。

あの子が伯爵や商会に害を成すのであれば容赦なく始末するが、そうでないのなら、気の毒な身の上の少女を生贄にしたいとはノアも思わなかった。




マリア・デ・セレーナ――もとい、クリスの人となりを知る機会は、すぐにやって来た。

商会で働き始めたその日、クリスとばったり風呂場で出くわした。


キシリアの大貴族の令嬢として育ったクリスは、男性の裸など見たこともなかったのだろう。傍目にもはっきりと分かるほどおろおろと戸惑い、浴室に入って来た伯爵やノアを視界に入れないようそそくさと出て行こうとしていた。


それを引きとめ、身体を洗うよう伯爵が頼んだ時、思わずノアは彼に白い目を向けてしまった。

――妹のこともあって、伯爵の機嫌を害することはできないと思い込んでいるであろう少女に、何と言う不埒な真似を頼むのか。


「悪趣味ですよ。クリス君、嫌ならはっきり言って構いません。伯爵は、わざと人を困らせるようなことを言って相手の反応を面白がる幼稚な一面もあるんです。断ったからと言って、あなたに不利な真似はさすがにしませんよ」

「あ、いえ、大丈夫です」


クリスが断りやすいようにフォローしたが、当の本人が伯爵の頼みを引き受けてしまった。彼女のほうも、伯爵と話がしたかったようだし、ノアはそれきり黙ることにした。


フェルナンドやキシリアの情勢がどうなっているのか知りたがるのは当然だ。伯爵なら話題の取捨選択ができる。話術に関してノアが口出しをする余地などあるはずがない。

伯爵を言いくるめるのは不可能――クリスの知りたがりについては、伯爵に一任するのが一番良い。


「素直で利発そうな良い子だったな。鼻持ちならない高慢ちきな小娘ならフェルナンドに突き出してやろうと思ったが、そんな心配はなさそうだ」

「妹のほうも、ハンナさんから気に入られたようです。聞き分けも物覚えも良く、与えられた仕事を一生懸命やっていると。正体について詮索はしてきませんが、気の毒な身の上であることは察しているようです。商会でできるかぎり守ってやろうじゃないか、と私に訴えてきたぐらいです」

「そうか。性格も能力も申し分ないのなら反対する理由はない。健気で可憐な少女たちを守ってやろう。たまには私も、姫を守る騎士を気取ってみたい」


冗談めかして話す伯爵に、ノアもかすかに笑う。


「伯爵の考えに反対するつもりはありません――が、きちんと節度は守ってください。彼女は頼る大人を喪い、幼い妹を抱えて生き残るのに必死です。そんな状況で伯爵に口説かれては、拒絶することなどできないのですよ」


先ほどの風呂場でのやり取りを思い出し、ノアが釘を刺す。伯爵が内心動揺しているのを、ノアは鋭く見抜いていた。


「……分かっている。従業員には手を出さない。その誓いは守る……つもりだ」

「曖昧に濁さず、はっきりと断言してください。まったく」




それからほどなくして、フェルナンドの息がかかった人間が商会を検めに来た。

すでにそれを予見していた伯爵は、自分の執務室に役人を通した――机の上に、金貨を載せたまま。


「我がガーランド商会には、身元を詮索されたくない訳ありの人間も大勢いる。無論、フェルナンド・デ・ベラルダとは無縁の人間だ。それは私が保証しよう。さすがに私は、彼らの身元をしっかりと調査している」


言いながら、伯爵は机の上に無造作に出しっぱなしにしている金貨を袋に詰めていく。商会を検めに来た役人は伯爵の話を聞いているのかいないのか、その視線は金貨を捕えて離さない。


「痛くもない腹を探られて、従業員から不信感を抱かれては困る。そちらで上手く話をつけてはもらえないか」


伯爵は愛想よく笑いながら役人の手を取り、その掌に金貨を詰めた袋をそっと置く。ずっしりとした重みに、役人がごくりと唾を飲み込む音が聞こえた。


「ま、まあ、そうだな。ガーランド商会はキシリアにとっても重要な存在だ。その信頼関係を損なうのは、国にとっても良くないことだな、うん」


わざとらしい台詞を吐きながら、役人は笑顔で立ち去る。

最悪の事態も考えていつでも剣を抜けるように密かに構えていたノアは、拍子抜けした。


「フェルナンドはあまり人材に恵まれていないようだ。もしくは……その程度の人間しか集められないのか。我々にとっては喜ばしいことではある」


どこまでセレーナ家の姉妹を守るか――例えガーランド商会が存続の危機に瀕しようとも、それでも彼女たちを守ることを選ぶのか。

さすがのノアも、それについては悩んでいた。だがこの分なら、恐れていたほど酷いことにはならなさそうだ。

ならば何の憂いもなく、彼女たちを守ることができる……。


「フェルナンドが追いかけてきていることは、彼女たちに気付かれないようにしろ。それから父親のこと――」


伯爵が、一瞬言葉を切った。


「キシリアを出るまでは、彼女たちの耳に入らないようにしておけ。いつまでも隠し通せることではないが、何もいま知る必要はないだろう」


ノアは無言で頭を下げた。

クリスたちの心労を増やす必要は、ノアも感じない。




フェルナンド側の追及をのらりくらりとかわしながらガーランド商会は旅を続け、ついに港のある町に着いた。

あとは船に乗り、キシリアを脱出すれば終わる……はずだった。


「ノア。クリスをデイビッドから取り上げに行け。デイビッドには恨まれるだろうが仕方がない。あの子は私の部下ということにして、キシリアを出るまで私の手元に置く。妹のオフェリアのほうにも、手練れの者をさりげなく側に付かせるようにしろ」


ノアはなぜ、と問うこともなく頷き、クリスを探しに行った。


伯爵がそんなことを言い出した理由は分かっている。

出港が先延ばしになり過ぎた。役人を誤魔化してきたが、そろそろ限界だ。


役人も、全てを買収できているわけではない。買収されて大人しく引き下がる役人もいれば、そんな同僚を不審に感じて商会や伯爵の周りを嗅ぎ回る役人も現れ始めている。

さすがにもう、クリスの存在を誤魔化しきれない。


デイビッドのもとへ行ってみれば、客の落とし物を渡しに行ったと言われ、町の中を探してみれば、落とし物をした客を追って町を出ていたと言われてしまう。

――不吉な予感がノアを襲った。


「ナタリア!わんちゃんが血まみれだよ!」


クリスの妹オフェリアが、腹を真っ赤に染め、よろよろとした足取りで戻って来た子犬を指して叫んだ。


クリスと一緒に町を出て行った犬が、剣で斬られて帰って来た。

……クリスは、敵に見つかったのだ。


「馬を借ります」


オフェリアと一緒にクリスの帰りを待っていた馬番に声をかけ、ノアは馬に乗って町を出た。

そんなノアを先導するように、血まみれの子犬が走り出す。帰って来たときのよろよろとした足取りが嘘のように……力を振り絞って走っていく……。


犬が導いた先には、血痕と馬の蹄で踏み荒らされた場所があった。

血痕は点々と続き、血の主が逃げた方角を示している。血を追っていくと、どうやらクリスは林の中に逃げ込んでしまったらしい。


うっそうとした林では、血の跡を探すのも一苦労――と思いきや、何か大きな獣のようなものが走り抜けた跡があちらこちらに残っている。

リーリエではない。クリスが乗って行った白馬は、スピードはあるがパワーはそれほどだ。もっと力のある馬が、脇目も振らずに走って……。


分析するのは止め、ノアはその馬のあとを追うことにした。何にしろ、クリスとまったく無関係ということはないはずだ。


障害物を避けながら追いかけ、武装した男に出くわした。男は何かに怯え、混乱していた。

ノアは直感した。

――この男を、生かしておくわけにはいかない。


フェルナンドの手の者なら、このままフェルナンドのもとに戻り、クリスの存在を知らされては困る。根拠はノアの推測だけだが、躊躇うことなく男を斬った。そしてそれが正しい判断だったと、すぐに分かった。


「クリス君!」


左腕を血で真っ赤に染めたクリスが、剣を持った男たちに囲まれている。

ノアの声にクリスが振り返り、わずかに安堵したような表情を見せた。男の一人が、クリスに向かって剣を振りかぶる――。


「クリス君、伏せて!」


剣を振り上げたことで無防備にさらけ出した男の胸めがけ、自分の剣を投げつける。剣は男の胸を貫いた。男の絶命を確認する間もなく、ノアは自分の剣を回収し、もう一人の男と対峙する。


黒い衣装に黒い馬に乗った男――ノアよりも若い。もしかすると、少年と呼べるぐらいの年かもしれない。だが武術の腕は、ノアにも劣らないだろう。油断なく彼を睨む。


「こんな状況じゃなきゃ、おまえとも腕試ししてみたかったんだがな。そいつをさっさと手当てしてやれ。興奮して忘れてるみたいだが、その出血量じゃ本当に死ぬぞ」


男は――シルビオ・デ・ベラルダはそう言って、あっさりノアたちに背を向ける。それを追いかけるわけにもいかなかった。

白馬の上で、クリスの身体がグラリと傾く。シルビオの言った通り、クリスは危険な状態だ。


慌てて自分の馬を寄せ、ノアはクリスの身体を支えた。

リーリエはクリスのことがかなり気に入っているらしい。乗り手を気遣うように身体の向きをノアの馬に合わせ、ノアはリーリエの助けも借りて彼女を自分の馬に移した。


クリスの負傷は、左腕の、ほとんど肩に近い部分を弓で射られていた。クリスの胸元に手をかけ、左肩にかけて服を破る。女性の衣服に手をかけるのは気が進まないが、いまはそんなことを言っていられない。


簡単な止血をしてからクリスの服を直し、ノアは彼女を連れて町まで戻った。


「お姉様!」


変わり果てたクリスの姿を見て、妹のオフェリアが半狂乱となり、思わずそう叫んでいた。

彼女たちの侍女であるナタリアは、オフェリアの失敗を咎める余裕もなく、クリスの怪我を確かめようとしている。


「ノア、そのままクリスを船へ連れていけ。すぐに出港させる。オフェリア、ナタリア、クリスが心配な気持ちは分かるが、いますぐにでもキシリアを離れるほうが優先だ」


伯爵の決定に逆らうことなく、ノアの腕に抱えられたクリスを心配しておろおろしながらも、二人は大人しく船に乗り込んだ。


クリスたちには一等区画の客室が与えられ、すぐに医者が呼ばれた。

デイビッドを始めクリスと親しくしていた従業員たちはクリスの身を案じ、代わるがわる見舞いに訪れた。彼女の正体については、誰も言及しなかった。


伯爵も頻繁にクリスを見舞い、クリスの容体が不安でならないオフェリアやナタリアたちを慰め、気遣っていた。だが伯爵本人も不安でならないようで、その不安を隠し切れていなかった。


だからクリスたちの部屋から賑やかな声が聞こえて来たとき、伯爵は心の底から安堵し、久しぶりに晴れやかな笑顔を見せた。


「ああ、やはり。賑やかな声が聞こえてきたので、君が目覚めたのではと思ったんだ」


緑色の瞳をぱっちりと開かせたクリスが、ベッドの上で身を起こし、伯爵たちを見て微笑んでいた。

その姿に、伯爵だけでなくノアもまた、密かに胸を撫で下ろしていた。


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