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紫色のクラベル~傾国の悪役令嬢、その貴種流離譚~  作者: 星見だいふく
第五部02 敵の敵は味方にはならない
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-番外編- ライオネル


ライオネル・ウォルトンは、尼僧院の庭の片隅でひっそりとマリアの帰りを待っていた。


母の名の下に建てられた尼僧院にライオネルの立ち入りは認められていたのだが、うろうろするわけにはいかない。

ここには、顔を合わせるべきではない女性がいた。


「ライオネル様。お久しぶりですね」


尼僧院の院長が、ライオネルの姿を見つけて声をかける。ライオネルも、年長者の院長に頭を下げた。


「ご無沙汰しております。今度は弟まで厄介になって」

「お気になさらず。亡くなった方々のために祈りを捧げるのが私たちの務め。あなたのほうが心配だわ。ついに和解することもできず、実の弟とこのような別れ方を……」


ランドルフ・ウォルトン――ライオネルの母親を殺めた女の息子。ライオネルとは腹違いの兄弟でもある。


父の愛人だったジェーンは、息子を授かったことで欲をかいてしまい、正妻への憎しみを募らせてしまった。

母の事件の後、ジェーンは事情を伏せて処刑され、ジェーンの子どもたちはウォルトン家から遠く離れた場所へ……。


弟のその後を、ライオネルは改めて調べた。

それなりに裕福な家に引き取られたランドルフは、愛情深い養父母のもとで幸せに育った。


しかし何かの拍子に自分の出生を知った。母親が父親の愛人であったこと、そんな母を父は無情にも切り捨て、自分たち姉弟も見捨てたこと――多感な年ごろにそんな事実を知ったランドルフには、何もかもが敵に見えるようになった。

養父母の愛情も否定し、父と父の嫡男であるライオネルに一方的な恨みを募らせて生活は荒れ果て……。


弟が犯した罪は、決闘での違反行為だけではなかった。そういった荒れた生活の末にかなりの問題を起こしたらしく、ライオネルは庇えないことを悟った。

そして弟は処刑され、同母姉のいるこの尼僧院へ――。


「レオン様」


若いシスターを連れ、マリアが戻って来た。

ライオネルは笑顔でそれを迎えたが、マリアは困ったように笑っている。


「院長様、やっぱり彼女は罰せられるべきですわ。マリア様が上手く誤魔化してお話されているのに、横からあれやこれやと詮索して……結局、あの子は勘付いてしまいました!」


若いシスターが憤慨しながら院長に訴える。何のことかとライオネルはマリアの顔を見た。


「レオン様に頼まれた通りに、妹さんにランドルフ・ウォルトンのことをお話に行ったのですが……少しお喋り好きなシスターにあれこれ聞かれてしまいまして……すみません。私が至らないばかりに、どうやら彼女に、レオン様が絡んでいることを気付かれてしまったようなのです」


院長が溜息をついた。


「……あの子のことね。ごめんなさい。最近尼僧になったばかりで、俗気が抜け切れていないもので……」


ライオネルは苦笑した。


今日はマリアに頼み、ライオネルの腹違いの妹――ジェーンの娘で、ランドルフ・ウォルトンの同母姉がいる尼僧院に来てもらった。


自分は妹と顔を合わせるわけにはいかない。だからマリアから、ランドルフが亡くなったことについて、自分の存在は明かさず説明してもらえないかと、そう頼み込んだ。

ライオネルの頼みを引き受けたマリアは約束通りライオネルの名を出さずに話してくれたが、詮索好きなシスターが首を突っ込んで来て、どうやら誤魔化しきれなくなったらしい。


「もともと、いつかは彼女も気付くことだと分かっておりました。事情を説明しておこうなどという私の考え方が傲慢だったのです。妹のためにも、やはり私はここへ来るべきではなかった……」


愚痴っぽくなりかけて、ライオネルはにっこりと笑い、院長にもう一度頭を下げる。

院長は何か言いたげな顔をしていたが、ライオネルを引き止めることなく見送った。


マリアを連れて帰りの馬車に乗り込み、ライオネルはしばらく黙りこんでいた。

マリアも静かに微笑むばかりで何も言わない。こういう時、詮索したがらない彼女の気遣いはおおいに有難かった。


「……妹には、ジェーンが起こした事件について話していないんだ」


ライオネルが言った。


「事件そのものも公にされてはいない。父が隠した。母の死を嘆いてはいたが、父はジェーンを憎んではいなかった。当然と言えば当然か。文字通り自分が撒いた種なんだ。僕もジェーンを恨む気持ちはない。だから妹たちは、父が一方的に愛人関係を清算し、それで自分たちの母親は命を落としたと思っている」

「……そういった説明の仕方ですと、まるでレオン様のお父様が、邪魔になった愛人を排除したように感じるのですが」

「たぶん、妹たちはそう誤解しているはずだ。僕はその誤解を解くつもりはない。母親が処刑された理由――それを話すつもりがないからな」


幼い我が娘を利用して、正妻の子を殺そうとした――そんな事実を、妹たちに知らせるつもりはなかった。

その結果、妹は母を死に追いやった自分の父親も、ライオネルのことも恨んでいる。

ランドルフのほうは顔を合わせたことがなかったが、決闘の場で会った時の態度から察するに、同母姉と同じ誤解をしてライオネルを恨んでいたようだ。


「……それで私に、妹さんへの説明をお願いしたのですね」

「ああ。僕は妹に会えない。僕と会えば、尼僧となって心安らかに暮らしたいと願う妹の安寧を脅かすことになる。すまなかった。ろくな説明もせず嫌な役割を押しつけてしまって」


マリアは首を振った。


「レオン様は本当にお優しい方なんですから。ご姉弟がそんなレオン様の優しさを知ることができないのがお気の毒なぐらい……。でも、レオン様がお優しいことは、私とジェラルド様だけが知っていれば良いのかもしれませんね」


とぼけたように話すマリアに、ライオネルも声を上げて笑う。そこでジェラルドの名前を出すところがマリアらしい。

馬車の外を流れる景色に視線をやりながら、ライオネルが言った。


「……マリア。今夜は僕の屋敷に泊まって行ってくれないか」

「はい、是非。お邪魔させて頂きます」




マリアを自分の屋敷に呼ぶのは久しぶりだった。

王子の婚約者になり、王に気に入られるようになってから、さすがに独身の自分の屋敷に呼ぶのは控えるようにしていた――それでも時々は呼び出して、彼女と二人だけの時間をゆっくり過ごしていたが。


誰に気兼ねすることなくマリアと過ごせるのは、ライオネルにとっても貴重な時間だ。それなのに……。


「今日はどうしようもない一日だな」


ベッドに横になったままライオネルは静かに呟き、ベッドのすぐそばに置いてある剣に手を伸ばす。自分の隣で眠っているマリアを起こさないよう慎重に――下手に動くと、相手にも気付かれてしまう。


招かれざる客に、躊躇うことなく剣を振り下ろした。侵入者は悲鳴を上げ、ライオネルからの不意討ちによろめく。

利き腕を斬られ、侵入者は一転して逃げに回った。相手の正体を確認し、もう一撃。

なぜ自分を襲おうとしたのか問う必要もない。生かしておく必要性がなくなった敵を、ライオネルは確実に仕留めた。


「坊ちゃま!」


部屋に女が飛び込んでくるのは予想外だった。倒れた男に、女が駆け寄って泣き縋る。

女のほうは見覚えがある。最近この屋敷に雇われた召使い――ソフィーには、人を雇う時はもう少し身元をはっきりさせてから決めるよう言っておこう。

内心舌打ちをし、ライオネルは剣を握り直した。


この侵入者を手引きしたのは彼女だ。召使いとなってライオネルのことを探っていた。

ライオネルがマリアを連れ込んだことを知られた以上、彼女は生かしておけない。

敵を手にかけることに関して、ライオネルは躊躇しない。だがどうしても、騎士としての性が彼女への攻撃を制止させる……。


「レオン様」


いつの間にか目を覚ましていたマリアが、剣を持つライオネルの手にそっと触れて来た。暗い室内でははっきりと見えないが、どこか気遣わしげな緑色の瞳がこちらを見上げている。


ライオネルは、我ながらわざとらしいと感じつつ、とぼけたように笑う。


「女性を手にかけるのは性に合わなくてね」

「……私も、丸腰の女性を斬るレオン様など見たくありません。女の扱いは、同じ女の私に任せてください」


マリアはベッドサイドのテーブルに置かれたグラスに酒を注ぐ――寝る前にライオネルが飲んでいたものだ。


自分の上着を漁り、酒の入ったグラスに小瓶の中身を入れた。可愛らしい小瓶の中身が何か、ライオネルは問わなかった。それが何かは知っている。

マリアの護身用の武器――女で、非力なマリアには、剣などよりよほど頼りになるものだ。


「何を嘆いているの?あなたの望みが叶うと言うのに」


グラスを片手に、マリアは自分たちに目もくれず泣き喚く女に声をかけた。

女は涙でぐちゃぐちゃになった顔を上げ、信じられないものを見るようにマリアを見る。


「これでその男性は永遠にあなたのものよ。それが狙いだったんでしょう?」

「何を言って……違うわ!私は、そんなこと……!」

「彼は貴族。あなたはそんな彼に仕える、ただの召使い。一生結ばれることのない関係だわ――この世ではね」


マリアの言葉は推測だ。女の様子や、「坊ちゃま」という呼びかけから察して、女にカマをかけているだけ。だが女は動揺している。

マリアの推測は大当たり――相変わらず、恐ろしいほどの洞察力である。


「だから、レオン様を襲うことに協力したのでしょう?レオン様を襲えば、彼は返り討ちに合う。レオン様の近くで様子を探っていたのなら予想はできたはずよ。闇討ち程度では殺せない。むしろ殺されるのは坊ちゃまのほうだって」


女は黙り込んでいた。

マリアの声には、不可思議な魅力がある。思わず耳を傾けたくなってしまうような……その言葉に、なぜか納得したくなってしまうような、魔性が。


「絶対に結ばれることのない愛しい人……彼は卑しくも近衛騎士。あなたが殺せる相手ではない。だからレオン様への復讐を利用した。良かったわね。彼を殺して自分も死に――これで永遠に、誰にも、あなたたちの仲を引き裂くことはできない」


今夜ライオネルを襲撃したのは、元は近衛騎士――ストッパードの一件で、彼に協力し、近衛騎士隊を懲戒させられた者だ。


近衛騎士隊隊長と旧知の仲であったライオネルは、隊長に頼んで彼らを解雇させた。

それでずいぶんと恨みを買ってしまったが……本当はストッパード同様、その場で斬り捨ててやりたかったぐらいだ。

逆恨みをしてライオネルへの報復を選ぶのなら、それでもいい。今度こそ、騎士の名誉を穢す恥さらしを始末してやる……。


「さあ、これをお飲みなさい。これであなたの望みが完全に果たされるわ」


グラスを差し出され、女はそれをじっと見つめた。まだわずかに抵抗を見せる彼女に、マリアは追い打ちをかける。


「さっさと彼のあとを追いなさい。そんなつもりじゃなかったなんて、自分を偽るのはやめるのよ。それに……あなたのせいで大事な坊ちゃまが死んだのは変えようのない事実だわ。なのにあなたが生きているだなんて――いまのあなたに、生きる意味なんか残ってないでしょう?」


ゾッとするほど冷酷な声で、むごい真実を突きつける――自分の罪を突きつけられた女は、どこか虚ろな表情でグラスを取り、中身を一気に煽った。


――ごめんなさい、坊ちゃま。

短くそう呟き、女はどさりと横たわる。

眠るように、女は息を引き取った。無用に苦しめる趣味はありませんから、とマリアが言った。


「ナタリアに頼んで、ノア様を呼んで来てもらいます。まだオルディスに戻らず、王都に残ってくださっているはずですから」


マリアが自分の侍女を呼びに行くと同時に、ライオネルも自分の屋敷の召使いを呼んだ。


生憎と、闇討ちに遭うのはこれが初めてではない。屋敷にまで侵入されるのは稀だが……内部の人間に裏切られて、命を狙われることには慣れてしまった。

屋敷の召使たちも、特に驚くこともなく部屋を片付けて行く。


二人の遺体は、マリアに呼ばれてやって来たノアに引き取られていった。

二人の死は、無理心中に偽装する――ジェラルドに頼むことになる。引き受けてはくれるだろうが、その代わりにマリアとの予定を譲る羽目になるだろう……。


「仕方がありません。今夜の闇討ちについて、公になると私が困りますから。ジェラルド様に必死でお願いして参ります」

「やれやれ。しばらくあいつに独占させることになるのか」


とは言え、さすがに今夜はもうそんな気分にはなれない。

マリアを抱き寄せて彼女の柔らかい髪に顔を埋めながら、ライオネルは苦笑した。




マリアへの感情が、愛や恋といったロマンチックなものなのかはライオネル自身にも分からなかった。ただ彼女と一緒にいるのは楽しいし、落ち着く。

ライオネルのことを振り回すくせに、自分の苦々しい気持にも寄り添ってくれて……。


もしかしたら、自分は本当に母親離れのできていない未熟な子どもなのかもしれない。

マリアに求めているのは、自分を甘やかし、辛い時には寄り添って受け入れてくれる母親としての役割なのかもしれない。


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