鉄槌 (3)
「双方の合意のもと行われた決闘である。不正はなく、互いに堂々と戦った。その結果について、余は最初に提示された条件を果たすべきだと考える」
王の言葉に、ストッパード伯爵が青ざめた。
敗北したストッパード家は爵位返上、取り潰し……。
「この女が、俺の妹を襲った件についてはどうなる!?こんな卑劣な女を、公爵だからという理由で放置するつもりか!?」
「あなたのお父様が大事にして欲しくないと私に頼み込んだからの代案でしょう、この決闘は」
喚き立てながら騎士ストッパードが指差ししてくる無礼さを指摘するのも面倒で、マリアはそれだけ言って溜息をつく。
「イーサン・ストッパード。貴殿の訴えを受け、私のほうでも事件について捜査を行った」
ドレイク警視総監が静かに言った。
「イーストエンドに近い裏通りで、十日前の夕刻、貴殿の妹が襲われた。そのことに相違はないか?」
「ああ。妹は城へ行く以外、王都では滅多に外出しない。移動手段も馬車で……そんな治安の悪い地域に近寄ったこともなかった。だから外の異様さに気付くのも遅れた」
警視総監の問いに、ストッパードは胸を張って答える。
「その話にはおかしな点がある。十日前の早朝、イーストエンドに近いその裏通りでは事件があった」
ドレイク警視総監が話し始めた。
十日前の早朝、その場所で。とある店の娼婦たちが顔を合わせた。
一方は「パラダイス」という老舗の店。娼婦たちも少し年季が入った……もとい、ベテランだらけ。
もう一方は「エデン」という新規の店。若さが売りの娼婦たちが集まっている。
客の奪い合いに縄張り争い。ベテランの娼婦たちは若い小娘の鼻持ちならない態度が気に入らず、若い娼婦たちは年増女の傲慢な仕切りたがりが鬱陶しく。この二つの店の仲の悪さは有名だった。
仕事帰りの娼婦たちがうっかり顔を合わせ、火花を散らし、ちょっとした悪口からの大乱闘に発展するまで一時間とかからなかった。
「大勢の女たちの喧嘩が派手になり、ついには役人と王国騎士団がその鎮圧に向かうことになった。女たちは一人残らず逮捕され、騒動は終わったが……その裏通りには、その後大勢の人間が詰め寄ることになった」
どちらの店の娼婦も、貴族や金持ちの顧客を抱える売れっ子だった。
激しい喧嘩の末、彼女たちの所持品が散乱した――客からの貢物である装飾品が、裏通りのあちこちに飛び散っていた。引きちぎられてバラバラになったネックレス……純金のイヤリング……指輪から欠け落ちた宝石など。
それらを拾おうと近隣住民が集まり、その関心は三日経っても失われることはなかったそうだ。
「……貴殿の妹が襲われた時間、裏通りには大勢の人間がいた。ほとんどが地面に這いつくばり、金目の物を拾い集めようという目的ではあったが――そんなところに貴族の御令嬢が現れたら、必ず誰かが目撃していただろう」
つまり、女性を連れ込んで襲うなど不可能な状況であった。ドレイク卿の説明を聞いたストッパードは青ざめていた。
「そ、そのような事件……なぜ城で噂にもなっていなかったのですか!?」
「いささか事情があった」
ちなみのその事情が、先日宰相がマリアに警視総監への繋ぎを頼もうとした一件だ。
逮捕された娼婦を釈放してほしいと、高位の貴族から密かに嘆願があった。
――自分が贔屓にしていた娼婦……下手に取り調べをされて、自分との関係を暴露されたら……!
頭が痛くなる頼み事ではあるが、無用な醜聞は避けたほうがいい。宰相はその頼みを引き受け、ドレイク卿に便宜を図るよう声をかけるつもりであった。
「な……何か、勘違いがあったのだ!場所や時間など……妹が襲われたのは事実だ!そのショックで混乱してだけだ!なあ、デリック?」
ストッパードが家に仕える召使いに振り返る。
伯爵令嬢が襲われ、その犯行がオルディス公爵であることを証言した、重要な証人だ。この場に呼ばれているのは当然のこと。
主人に話を振られたデリックは、かすかに震え、やおら崩れ落ちるようにして地面に跪いた。
「申し訳ございません!」
突然の謝罪に、ストッパードが呆気に取られる。デリックは項垂れたまま、主人の顔を見ることすらできないでいた。
「お嬢様はヒューバート殿下をお慕い申し上げ……なんとしても殿下に振り向いて欲しいと……そのためには、オルディス公爵や妹御が邪魔でした。だから……」
デリックはみなまで話さなかったが、彼が何を言おうとしているのかは誰もが察した。突然の召使いの翻意に、騎士ストッパードは言葉を失っている。父親のストッパード伯爵のほうが、召使いを怒鳴りつけた。
「この……裏切り者が!主人を騙し……挙句、このようなタイミングで暴露するなど……!騙すなら騙すで、なぜ最後までそれを貫かぬ!?これでは、もはや我が家の破滅は避けられぬ……!」
倫理的には問題だらけの言葉ではあるが、ストッパード伯爵の怒りはもっともだ。
主人を欺くのならば、せめて最後までその覚悟を貫くべきだった。いまここで嘘を認めたばかりに、もはやストッパード側は言い逃れができなくなってしまった。
「ち、父上……」
「うるさい!都合が悪くなった時ばかり父などと呼ぶな!お前のせいでもあるのだぞ!由緒あるストッパード家の歴史がわしの代で終わるなど……なんという悪夢だ……お前たちがレベッカを追い出した時に、お前たちのことも追い出しておけばよかった……」
すがる息子を、もはやストッパード伯爵は見ていない。父親としては薄情で冷酷な男……マリアたちへのおどおどとした態度とは一転し、もはや開き直ったらしい。
「お前たち二人は勘当だ。どこへでも好きに行け。わしは自分が生き残るのに精いっぱいだ。お前たちのことなど知らん」
冷たく言い捨て、ストッパード伯爵はまだ地面に跪く召使いを見た。
「貴様、この王都で生きてゆけると思うなよ。恩を忘れ、主人に逆らった愚か者め……」
顔を上げることができず項垂れたままのデリックに、マリアはこっそりとほくそ笑んだ。
決闘が行われる前夜。
マリアは人を待っていた。賑やかな酒場の片隅で、なるべく目立たないよう地味な男装をして。それでも十分目立つので、しっかりマントを羽織って顔を出さないでくださいね、とノアから注意されてしまった。
「叔父さん!」
待っていた客の登場に、マリアと同じテーブルに着いていた女性が飛びつく。
デリックは怯える姪を抱きしめ、説明を求めた。
「すでに手紙が届いているでしょう。彼女の夫が事業に失敗して多額の借金を背負い、その返済を求められていると」
マリアが冷たく言えば、デリックは殴りかからんばかりの勢いで近付く。それを、他ならぬデリックの姪が止めた。
「お願い、叔父さん。私のことは良いの。夫と息子を助けて……!」
そう言って、姪は飾り気のないハンカチを差し出す。赤いシミがついたハンカチを、デリックが恐るおそる開く。中に入っていた物を見て、デリックは恐怖に顔をひきつらせた。
「婿殿をどこへやった……!?」
「心配しなくても生きているわ。彼らが望むのは彼女の夫の命ではなく、金だもの。金の都合がつくのなら殺す必要などない。むしろ生きていてもらわなくては。人質としての価値を失ってしまうじゃない」
せせら笑うマリアを、デリックが罵倒する。
喧嘩など日常茶飯事な賑やかな酒場では、デリックの悪態など誰も気に留めなかった。
「お話は終わりましたかね。それじゃあ、お嬢さん。そろそろ行きましょうか」
気味が悪いほど愛想の良い中年男性が話に割って入り、デリックの姪を連れて行こうとする。デリックは止めようとしたが、姪は静かに首を振って叔父を止め、見るからに怪しい男と共に酒場を出て行く。
デリックはマリアを見た。
「あの男はダイヤマン――もちろん、これはあだ名よ。炭鉱業を営んでいるの。彼の主な仕事は鉱夫の世話。鉱夫の扱いには非常に頭を悩ませているそうよ。過酷な労働環境に、閉鎖された男だらけの空間……暴動が起きて雇用者が殺されてしまうこともあるとか。だからダイヤマンは鉱夫の不満を解消させるため、常にペットを求めているわ」
マリアが言った。
「体力自慢の鉱夫の遊び相手をさせられるのはかなりの負担みたい。ペットの寿命が早くて――あなたの姪を紹介したら、とても喜んでくれたわ。買い替えが早いから、普段は訳ありの安価な奴隷しか買えないそうよ」
「――この悪魔が!」
マリアに掴みかかろうとしたデリックの腕を、ノアがひねり上げる。そのまま組み敷かれて跪かされたデリックを見下ろし、マリアはにっこり微笑んだ。
「あなたの姪は納得してあの男についていったのよ。私が彼女の夫の負債を全部肩代わりしてあげたの。返済の代わりに、ダイヤマンのもとで誰かを働かせることを条件に――姪を連れ戻したいのならそうすればいいわ。そうなったら、今度は彼女の息子をダイヤマンに引き渡すから」
「……あの子は、まだ十三歳だぞ!」
「声変わりもしていないし、鉱夫の遊び相手にはぴったりじゃない。実を言うとね、女より男のほうが欲しいのよ、ダイヤマンは。男のほうが体力もあるし、ペットの最大の死因である堕胎の心配がないから。息子のことを話したら、そっちのほうがいいと言われたわ。彼女が強く反対して自ら志願したのよ。我が子を守りたい母親の気持ちを汲んであげた私に、感謝してほしいものだけれど」
あまりのおぞましさに、デリックは言葉を失っている。マリアは組んだ足の先でデリックの顔を蹴飛ばした。
「私のことを悪魔だと言ったわね。その通りよ。そういう女だって、あなたは知っていたはずじゃないの?妹と王子の婚約を邪魔する女を、ならず者を雇って襲わせるような女なんでしょう、私は。そんな女を告発するというのに、あまりにも無防備じゃない?あなたに我が子同然に可愛がっている姪夫婦がいると知ったらどんな行動を取るか、予想しておくべきだったのよ」
マリアの皮肉に、デリックは撃沈した。
――こんなことになるなんて、思ってもいなかった。
そんな彼の心の声が聞こえてくるようで。
オルディス公爵を悪女に仕立て上げるはずだった。だがマリア・オルディスは、本物の悪女だった。敵は容赦なく叩き潰し、その周囲にいるというだけで罪のない人間を地獄へ落とすことも躊躇わない冷酷な女……。
「私に、どうしろと……」
「別に何も要求しないわ。私はもう、あなたの主人の嘘を暴く準備も終えているし、決闘にも必ず勝利するつもり」
でも、とマリアは言葉を続ける。
「あなたが主人を裏切ってでも姪を助けたいと言うのなら、その気持ちには答えてあげてもいいわよ。私だって、罪のない女性や少年を無用に痛めつける趣味はないわ」
あえてデリックの返事は聞かず、マリアは酒場をあとにした。
安っぽい酒の臭いがすっかり身体にうつってしまって、マリアは不快さに顔をしかめる。
「来てくれてありがとう、ノア様。ガーランド商会のほうもまだ忙しいのに――」
「いまはクラベル商会です」
間髪入れずにノアから訂正され、そうだったわねとマリアは苦笑した。
「ヴィクトール様もまだ忙しいのにあなたを貸してくださって、あの害虫たちを潰す算段までつけてくださって。本当に感謝しかないわ」
ダイヤマンと呼ばれるあの男は、伯爵がマリアに紹介してくれた。
その仕事内容を聞いた時、冷酷に彼のことも利用する決意はした――が、やはりさすがのマリアでも眉をひそめたくなるような内容だ。
「あくまでビジネス上の付き合いがあるだけです。ホールデン伯爵の個人的な知り合いではありませんよ」
「分かってるわ。ヴィクトール様だって、どうしてもそういう人種との付き合いが避けられないのは理解している。それに、ダイヤマンの仕事だって部外者が非難できることでもないわ」
女性をまるで家畜のように利用して……でもそれは、あくまで鉱夫たちの不満を解消するための手段であって、別にダイヤマン自身が女性を蔑視しているわけではない。事実、別にその役割は男であっても構わないとダイヤマンは考えているのだから。
炭鉱業は国が認める重要な事業だ。鉱夫を働かせるにあたって、ダイヤマンは彼らのケアを優先しただけ。
「ダイヤマンは、デリックとやらの姪を、いますぐ鉱山へ送ったりしないわよね?」
「それはご安心を。彼も商人のはしくれです。金が絡む取引で勝手な真似はしません」
「そう。ダイヤマンには、代わりを必ず用意するから待っているよう改めてお願いしておいて。それから、彼女の夫と息子のことだけれど……」
「そちらも問題ありません。父子はこちらで丁重に取り扱っています。軟禁しておいてそういう言い方もあれですが……危害は加えていません」
「あら。それじゃあ彼女に送り付けた夫の指は……?」
「偽物です。指も、血も――血は豚のものです」




