魔女の本性 (4)
マリアがオフェリアのいた部屋の前まで戻ってみると、怒鳴り散らすベルダの声が聞こえてきた。
扉の外からでも聞こえる声――部屋の中では、ベルダが数人の近衛騎士相手に怒り狂っていた。
「この異人の女が……!誇り高き近衛騎士隊を侮辱するとは許さんぞ……!」
「なにが誇り高きよ!武器も持たない女性を襲って、負けそうになったら仲間呼んでくるようなみっともない人間の分際で!」
オフェリアは、アレクの背中に隠れて怯えている。部屋に入って来たマリアの姿を一番に見つけて、飛びついて来た。
「お姉様!」
涙を流した跡はあるが、見た目には無事そうだ。腕の中で恐怖に震える妹を抱きしめ、何があったのかマリアは問い詰めた。
「こいつが!オフェリア様を襲ったんです!」
一人の近衛騎士を真っ直ぐ指差し、憤怒の表情でベルダが訴える。
指差された近衛騎士は、以前マリアを尾行していた男だ――ストッパード伯爵の息子とか言っていたか。右腕を負傷したのか、手当てをされてはいるが服が真っ赤に染まっている。
激しい憎悪と敵意を込めてマリアを睨みつけて来るが、マリアはその視線を冷ややかに見つめ返した。
「自分が状況を説明します!」
ベルダも伯爵の息子も怒り狂ってまともに話にならず、同じく近衛騎士のイライジャ・ハックが口を挟む。
マリアとララが宰相に呼ばれて行ってしまった後、ベルダはオフェリアと二人で皆の帰りを待っていた。
そんなベルダを呼び出しに来たのが、先ほど案内係の侍女を叱り飛ばしていたほうの侍女。
――近衛騎士のマルセル様が、あなたに用があるそうです。
居丈高にベルダに向かってそう言った侍女に、ベルダはムッとなった。
明らかにエンジェリク人ではないベルダは、貴族はおろかそれなりに地位のある召使いからも見下されることが多い。肌の色も顔立ちも異なっているため、外国人の中でも特に蔑みの対象にされやすい。
マリアの周りにいる人たちは誰もそんなことをしないから、久しぶりに自分を蔑む視線を受け、ベルダも彼女を嫌う気持ちを隠せなかった。
「私が行っちゃったら、オフェリア様が一人になっちゃうじゃないですか。マルセル……様のところには、後で行きます」
つい普段通りマルセルを呼び捨てにしかけて、慌てて敬称をつける。オフェリアにクスクスと笑われてしまった。
そんなベルダたちのやり取りに、偉そうな侍女がこっそり嘲笑していたのをベルダは見逃さなかった。
「マルセル・ド・ルナール様は国は違えど正真正銘の貴族。あなたのような人間が待たせてよい相手ではありませんわ」
「マルセル様が貴族って言うなら、オフェリア様だってキシリアの名門貴族のお姫様なんですよ。ヒューバート王子の婚約者で、お姉様はエンジェリクの公爵です。マルセル……様よりオフェリア様が優先されるのは当然じゃないですか」
自分が侮辱されるのは構わないが、オフェリアを見下されるのは我慢ならない。
マリアも彼女を警戒していたみたいだし、この女は敵認定でいい――ベルダはそう感じた。
「ベルダ。私なら大丈夫だから行って来て。もしかしたらユベル……ヒューバート殿下に関わることかもしれないから。私、ここで待ってる」
オフェリアが言った。
オフェリアなりにベルダの立場を気遣ってのことだろうが、そんなこと気にしなくていいのに、とベルダは危うく口に出しそうになってしまった。オフェリアが許可を出したことで、ベルダはオフェリアのそばを離れなくてはならなくなった。
こんな女の指示を聞いて、オフェリア様のそばを離れるなんて絶対嫌なのに……!
どう反論するか悩んでいたベルダは、部屋の片隅で自分に手を振るアレクの姿を見つけ、握りしめていた手を下ろした。
いつの間にか、外で待っているはずのアレクが室内に侵入してきている。アレクがオフェリアのそばについていてくれるなら……ぎりぎり許容範囲だろうか。
「……分かりました。すぐ戻って来ますから!」
ベルダは人目もはばからず猛ダッシュして、マルセルがいる近衛騎士隊の詰所へ向かった。
自分の評価なんてどうでもいい――詰所に着くと、ためらいなく大きな声でマルセルを呼んだ。
「ベルダ殿、どうかされましたか?」
幸いにも、すぐに顔見知りが出て来て対応してくれた。
マルセルとそれなりに仲の良い、近衛騎士隊の同僚イライジャ・ハックだ。
「マルセルが私を呼んでるって聞いたんだけど」
「え、そんなはずは。マルセルは、会議に出ているヒューバート殿下の護衛で……」
最後まで聞かず、ベルダは詰め所を飛び出した。
――やっぱり。あの大嘘つき女め!
そう悪態をついて、尋常じゃない様子でベルダが飛び出して行ったものだから、ハックも何かを察してベルダについて来た。
そして部屋に戻って来てみれば、うずくまる近衛騎士と、部屋の片隅で怯えるオフェリア……そして血まみれの短剣を片手に、複数の近衛騎士に取り囲まれ一触即発の状態になっているアレクが。
ハックが慌てて止めに入り、状況の説明を求めた。
ところが近衛騎士たちは興奮してまともな説明ができず。アレクは会話ができない。オフェリアも怯えきっていて、男のハックが近寄るだけでもアレクの背中に隠れてしまう。
アレクと手話で会話ができるベルダに事情説明を頼んでみたところ……アレクから話を聞いた途端、ベルダも怒り狂って説明どころではなくなってしまった。
ハックから話を聞いたマリアは、アレクに視線を向ける。
「何があったの」
「そいつは我々近衛騎士に武器を向け、仲間を負傷させた!国賊だ――この場で始末すべきだ!」
アレクが答えるよりも先に、怒る近衛騎士が吠え、ベルダがさらに怒り狂う。ハックがそれを必死でなだめているが、マリアは全てを無視してアレクだけを見た。
最初にマリアに頼まれた時は半信半疑だった。けれどベルダまで部屋を出て行き、マリアの不安は的中しそうだな、と思った。
部屋に置かれた家具の陰に隠れ、アレクはオフェリアの様子を見守っていた。
オフェリアは長椅子に腰かけ、一人で退屈そうに足をぷらぷらさせている。部屋の扉が開く音がしてぱっと笑顔でそちらを見たが、入って来たのが見知らぬ男で一気に身体を強張らせていた。
「……オフェリア・デ・セレーナ嬢か。オルディス公爵の妹の」
男に声をかけられ、オフェリアは小さく頷く。オフェリアは身を縮込ませ、黙り込んでいた。
「下賤な身分の俺とは口も聞けないってか。あの女の妹だけあって、お前も鼻持ちならない傲慢な女だな」
知らない人との前では黙っていること――オフェリアは姉から言いつけられたことを守っているだけだ。それに、知らない男の人が怖いというのもある。
いつも自分を守ってくれるマリアも、ベルダも、ヒューバート王子もいない。そんな状況で、オフェリアが初対面の男を前に黙り込んでしまうのは当然だった。
しかしそんな事情を知らない男は、馬鹿にされたと受け取ったらしい。
近衛騎士の制服を着ている……王国騎士団のほうはララがよく出入りしていることもあって知り合いも多いが、近衛騎士はマルセルを始めごく一部の人間しか知らない。
自分が出て行っても対応できない。どうしたものかとアレクは悩んだ――あの男、オフェリアを見る目つきが明らかに異常だ。
「淫蕩な魔女どもめ……お前たちは、エンジェリクを滅茶苦茶にするつもりなのだろう……!」
何を言われているのかは理解できずとも、自分に向けられる憎悪や敵意はオフェリアですらはっきり感じ取れるほどだ。
オフェリアは怯え、長椅子から立ち上がって発作的に逃げ出そうとした。それよりも早く男が動き、オフェリアの腕や髪を掴んで引きずり倒す。
「いやぁ!お姉様!ユベル!」
泣き叫ぶオフェリアが煩わしいのか、男が腕を振り上げ殴りつけようとした。
それを、アレクが横から飛びついて蹴り飛ばす。オフェリアへの憎悪で見境を失っていた男は、アレクの存在にまったく気付いていなかった。
「ぐあっ!」
無様に転がる男に今度はアレクが覆いかぶさり、持っていた護身用の短剣で男の右腕を刺した。
報復ではなく、牽制のため。
男は騎士の制服を着ているし、武器を持っているのも見えた。容赦なく行動を封じておかなくては。反撃されたら危険だ。だからアレクは躊躇なく攻撃を続けた。
念のために足も折っておこうとしたら、部屋にまた男が入って来た――同じ騎士の制服を着た男が複数。
この男は武器を持ち、万一に備えて仲間まで連れてオフェリアを襲いに来ていたのか。丸腰の少女相手に。
呆れ果て、アレクは男の腕から短剣を引きぬく。痛みに男が呻き、血が吹き出ようと冷酷にそれを無視して。
怯えるオフェリアを背に庇って、アレクは他の騎士たちに攻撃を仕掛けるタイミングをうかがう。
そこへ、ベルダが帰って来た――。
アレクが見たものを聞かされたマリアは、自分の心が恐ろしいほど冷え切っているのが分かった。自分は激情家で、ベルダと同じく、火がついたように激しく怒り狂う人間だと思っていた。
だが怒りも限度を超えると、かえって凍りつくものなのだと初めて知った――別にそんなことを知れて嬉しいとも思えないが。
「……この恥知らずが」
マリアはオフェリアを襲った近衛騎士ストッパードを見下ろし、憎しみを込めて低く呟く。
「恥知らずはどっちだ!姉妹揃ってエンジェリクの王子を誑かす魔女どもめ……!俺はお前たちに正義の鉄槌を下してやろうと思っただけだ!」
「正義だと?武器を持たない少女を集団で襲って、なにが正義だ!騎士の面汚しめ!」
イライジャ・ハックが怒った。
ストッパードの仲間の騎士が騒いで反論したが、さすがにウォルトン団長が登場すると、全員が顔色を変えて黙り込んだ。
「フォレスター宰相からマリアの様子がおかしいと聞いて駆けつけてみれば……。それでもエンジェリクの騎士なのか、お前たちは!?」
「ウォルトン団長も、その女に騙されているのです!」
ストッパードは必死で弁明する。
「聞いてください。私は見ました!その女は王子殿下を誑かし……先の反乱だって、その女が王子を唆してスティーブ・ガードナーを乱心させたんですよ、そうに違いありません!」
「お前は単に、マルセルがウィリアム副隊長を討ったことが気に入らないだけだろう!」
イライジャ・ハックが言った。ストッパードはキッと睨む。
「当たり前だ!ウィリアム副隊長は素晴らしい御方だったんだぞ!それを、あんな外国人に――」
「だがマルセルのことは気に入らないが、あいつに直接復讐することはできない。お前じゃ闇討ちしたって敵わない相手だからな。それで無抵抗で、自分よりはるかに弱いセレーナ嬢を狙ったのだろう。この卑怯者め!」
「俺を卑怯者だと……!」
「卑怯者だろう!オルディス公爵ですらなく、セレーナ嬢のほうを狙ったのがその証拠ではないか!」
言い合うハックとストッパードに、黙れとウォルトン団長が厳しく一喝した。
「何をどう弁明しようが、ストッパード、貴様は騎士としての名誉を穢した。集団で少女を襲うなど言語道断。いかなる理由があろうと情状酌量の余地もない。大人しく首を差し出せ。素直に従うのなら最後の情けぐらいはかけてやろう。苦しまないよう一思いに斬り捨ててやる」
ウォルトン団長が帯刀していた剣に手をかけるのを見て、ストッパードも青ざめる。仲間の騎士たちが慌てて擁護に入った。
「わ、我々近衛騎士隊の処分については……ウォルトン団長にその権限はありません!フェザーストン隊長の権限に口出しすることに……!」
「隊長殿には私からあとで謝罪しておく――つくづく見下げ果てた奴らだ。今日この時間。近衛騎士隊は会議に出ている王や王子のそばにつくため、隊長及び三番隊隊長ラドフォード、ルナールなど、お前たちに処罰を与えられそうな人間は全員不在。それを狙っての犯行だろう」
冷静に反論するウォルトン団長に、自分たちへの処罰は覆られないことをストッパードとその仲間たちは悟った。
ストッパードは冷や汗を掻き、必死で言い募る。
「私がオフェリア・デ・セレーナを襲ったのは、ガードナーの一件からだけではありません!その女は――マリア・オルディスは、ならず者を雇って私の妹を襲わせた!私はその復讐に、その女の妹を襲ったのです!」




