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紫色のクラベル~傾国の悪役令嬢、その貴種流離譚~  作者: 星見だいふく
第五部02 敵の敵は味方にはならない
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魔女の本性 (3)


厳しい寒さも終わりが見え始め、もうすぐ春がやってくる――暦の上では。

まだエンジェリクを覆う雪は解けきれず、肌着同然の薄手の寝衣にガウンを羽織っただけの格好で過ごすには寒い朝だった。


「なあ、マリア」


一緒にベッドに腰掛けたまま、マリアの髪を丁寧に梳いていたララが声をかけて来る。彼も適当に服を羽織っただけなので、なかなか見た目からして寒そうだ。


「自分のこと、もうちょっと大事にしてやれよ」


ララの言葉の意味を察し、マリアは笑った。その笑みをどう受け取ったのか……ララは、マリアの気分を害したと勘違いしたらしい。


「お前の覚悟や決意に水を差すのはどうかと思うし、俺がそんなこと言える立場にないのは分かってる。別にお前のやりたいことを止めたいわけじゃなくて……でも、黙ってるってこともできなくて――」

「不快に感じたわけじゃないわ。むしろ逆よ。そうやって私のことを、私以上に気遣ってくれる人がいるから、私は人間でいられる――ちゃんと感謝してるのよ、本当に」


自分が人としてどうかと思う部分ばかりなのは、マリアも自覚している。そしてそれを改めるつもりがないことが、最大の問題なのだということも。


それでも人間らしい心を失うことなくいられるのは、そんなマリアの側にいて、マリアの心に寄り添ってくれる人たちがいたからだ。

何も感じていないと言い聞かせて自分の心を置き去りにするマリアを、時にはたしなめ、本当に凍りついてしまわないよう見守ってくれていて――。


「余計なお節介なのは分かってるんだがな。チャールズが何もかも悪いってわけでもねーし……。お前を痛めつけてやりたくてわざとやってるわけじゃなく、向こうも慣れてないからがむしゃらになった結果がこれなんだろうが……」


言いながらマリアの身体を確認し、ララが眉をひそめる。マリアも苦笑した。


チャールズ王子は、いままでの男性たちと比べてマリアの身体を労わってくれない。そういう性癖なのではなく、ララの言うように女性経験がないから手さぐりになって、マリアの身体に負担をかけているだけ……。


女性経験のない男性の相手を務めたことはある。彼らとの行為が酷いものにならないのは、相手が大人しくマリアに任せたり、素直に教えを乞うてくれたから。マリアと仲良くなどできるはずのないチャールズ王子はそんな真似ができるはずもなく。

――それでこの有様である。


「女の身体に溺れさせるよう仕掛けているのだし、仕方がないことではあるのだけれど……そろそろ、矛先を別に向けてもらわないときついわね」


マリアが言った。ララが気遣わしげにマリアを見て来る。


「大丈夫なのか?身体を重ねてると、やっぱり情が移ったりしないか?」

「そういうことも人によってはあるでしょうけど、私はないわ」


あっさりと言ってのけるマリアに、今度はララが苦笑した。


ヒューバート王子も似たようなことを心配していた。

チャールズ王子に色欲を植え付けさせるためとはいえ、そんな関係を続けていてマリアの気持ちに異変が起きるのではないかと。

最初から目的が定まっているのに、どうしてそんなことが起きると考えるのか不思議だ。


――男って、抱けば女が屈服すると思っていませんか。

ついそんなことを口にしてしまいそうになって、心の内に引っ込めたのは秘密だ。


部屋の扉をノックする音に、マリアは顔を上げる。開いてるぞ、とララが返した。


「おはよう、アレク。今朝はあなたが食事当番だったのね。持ってきてくれてありがとう」


召使いが極端に少ないオルディス邸では、侍女のナタリアやベルダ以外でも食事を作ることがある。それどころか、朝食はララやアレクが用意することが多い。

ナタリアはマリアに、ベルダはオフェリアに。朝はそれぞれの身支度を手伝いに行ってしまうから、他の時間に比べてもララ、アレクが担当する頻度が高い。


アレクは持って来た朝食を広げながら、ララをじろりと睨む。

ララが相変わらず、適当に服を羽織っただけの寒そうな姿だ。自分を睨むアレクに気がついてそちらを見ると、アレクからなぜか小さく蹴られていた。それも何度も。


「やっぱり、こういう場所にアレクを呼ぶのは控えたほうがいいかしら」


アレクが食堂に片付けへ行ってしまった後、マリアはララに向かってそう言った。


姉を凌辱され殺される――その一部始終を目撃して以来、アレクは言葉を発することができなくなった。

アレクの声についてマリアは医者に診せたこともあったが、恐らくは心因性のもので、肉体そのものには何の問題もないとの診断が下されている。


さすがのマリアも、そんな心の傷を抱えているアレクに自分の奔放さを見せつけるほど悪趣味にはなれなかった。

ララとのことも。

隠し通せるとは思っていなかったが、できるだけ知られないようにしようと心がけていた……のだが、むしろ本人から気にしてないと言われてしまった。


『気を遣われると、かえって気になるからやめて』


他ならぬアレクがそう言うなら、と変に隠したり遠ざけたりしないようにした。

しかし先ほどのララへの攻撃的な態度を見ると、やはり少しは控えておいたほうがいいだろうか。


「いや、あれはそういうんじゃなく……まあいいか。気付いてないなら、あえて教えなくても」


意味ありげにララにそう言われ、マリアは首を傾げる。どういう意味なのか問い詰めたのだが、ララは答えてくれなかった。




その日も、マリアはオフェリアを連れてヒューバート王子に会いに来ていた。


ヒューバート王子の婚約者として堂々と城へ通えるようになったオフェリアは、忙しい王子に代わって離宮にある花の世話をすることに熱心だった。

――今日は王子が不在で、オフェリアは別の部屋で待たされることになった。


「離宮が立ち入り禁止?」

「はい。セレーナ様をお迎えするにあたって、一度大掃除するよう殿下から申しつけられておりまして。本日は清掃のため、殿下も別の部屋に移られています」


長年、必要最低限の世話しか受けていなかったヒューバート王子の離宮は、たしかに掃除や手入れが行き届いているとは言い難い有様だった。

まだ具体的な結婚の予定が決まったわけではないが、ヒューバート王子は改善に乗り出すことにしたらしい。


「皆様には、こちらでお待ちいただいて――」

「そこは男子禁制でしょう、何をしているの!」


ピシャリと厳しい声が聞こえてきて、マリアは振り返った。

突然聞こえてきた声の主は、先日顔を合わせた印象の悪い侍女――誰かさんの愛人ではないかとマリアたちが疑っている彼女だ。

マリアたちを案内していた侍女が、慌てて頭を下げる。


「王族以外の男性は、許可がなければ入れてはいけないとなっているでしょう!従者の方々は部屋の前で待つよう、ちゃんと言っておきなさい!」

「す、すみません。この部屋でしたっけ……?」


おどおどと答える侍女に、呆れた、と言わんばかりの顔で例の印象の悪い侍女が溜息をつく。そしてマリアに振り返り、そういう事情ですので、と護衛としてついてきたララ、アレクの退出を求める。


「申し訳ありませんでした。私がしっかりと対応していなかったばかりに……」


案内係の侍女は恐縮しまくってぺこぺこと頭を下げる。

オフェリアは気にしないで、と笑顔で答えたが、マリアは例の侍女のことが気になった。

部屋を出て行く時、こちらをうかがっていたような……。


彼女の動向を気にしながらも、マリアは平静を装ってオフェリアと共にヒューバート王子を待っていた。

また案内係の侍女が戻ってきて、マリアに声をかける。


「オルディス公爵様。フォレスター宰相様がお呼びです」

「宰相閣下が。私に何の御用と?」


マリアが当たり前の質問をしてみれば、「えっ」という顔をされてしまう。


「す、すみません、うかがっていませんでした……」


小さくなっていく侍女に、マリアは苦笑する。


気が利く侍女ならそれとなく理由を確認しておいてくれるのだが、どうやら彼女はそういった機転は利かないほうらしい。一介の侍女が宰相ほどの人間にあれこれ詮索できない、というのは分からなくもない。

いつもならマリアも気にせず宰相の執務室へ向かうのだが……今回はいささか抵抗があった。


部屋の外に出てララに声をかける前に、アレクを呼んだ。


「アレク、こっそり部屋の中に侵入しておくことってできる?宰相閣下に呼ばれて、私はここを離れなくちゃいけないの。オフェリアを残しておくのが心配で」


マリアが言えば、アレクは頷いた。マリアが出て行くのとすれ違いに、アレクがするりと部屋の中に入って行く。

アレクとベルダがいるのなら、少しは安心できる。


「ナタリアも連れてくればよかったわ。私の供はナタリアに任せて、ララもオフェリアのもとに残して行けたのに」

「マリアにも危険がないわけじゃないんだろ」

「それはそうなんだけど」


ララを従者として連れているときは、ナタリアは屋敷に残っていることが多い。召使いをほとんど雇っていないあの屋敷では、ナタリアに残ってもらって雑事を片付けてもらわないといけないといった側面もあり……。


「やっぱり、もう少し人を雇うべきなのかしら」

「公爵家とは思えないぐらい、人がいないのは事実だよな」


宰相の執務室――フォレスター宰相は不在だった。代わりにいた宰相の部下に呼び出されたことを伝えてみれば、たしかに公爵に用があるといった旨を話していた、と言われてしまった。


マリアは椅子に座り、宰相の帰りを待った。


「オルディス公爵、来ていたのか」

「はい。閣下が私に御用があるとか」


戻って来た宰相に挨拶をする。宰相は頷いた。


「少し厄介な頼みごとをされてな。ジェラルドに頼もうと思うのだが、私から頼みに行くと事が大きくなる可能性がある。貴女に繋ぎの役目を依頼しようと考えていたところだ」


宰相がマリアを呼び出したというのは、虚偽ではなく事実だった――自分の考え過ぎだったかとマリアは胸を撫で下ろしかけ、宰相の次の言葉に凍りついた。


「貴女が立ち寄ってくれて丁度良かった。呼び出す手間が省けた」

「……閣下が、私を呼び出したのではないのですか?」


なんのことだ、と宰相が返す。マリアは戦慄した。


「私は……閣下がお呼びだとうかがってこちらへ参ったのですが……」

「今日は忙しく、貴女を呼ぶよう命を出す暇もなかった」

「……申し訳ございません。私、本日はこれで。ジェラルド様への繋ぎは、後日改めてうかがいに参ります」


目を丸くした宰相が引き留める間もなく、マリアは急いで執務室を出た。


やはり呼び出しは嘘。

宰相の名前を出してまで、マリアをオフェリアから引き離そうとした。

――どうしてなのか、考えたくもない。


「あっ!オルディス公爵様!」


宰相が呼んでいると伝えに来た案内係の侍女が、マリアの姿を見つけてすっ飛んで来た。


あの嘘は、彼女が考えたものではない。このおろおろした姿からも、そんな大胆な企てができるような子には見えない。

マリアは、オフェリアがどうしているのか尋ねようと足を止めた。


「大変です。すぐにさっきのお部屋にお戻りを。公爵様の妹様が、近衛騎士に襲われて――」


侍女の言葉を最後まで聞くことなく、マリアはオフェリアのいた部屋に走る。

――怒りで、目の前が真っ赤になったような気がした。


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