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紫色のクラベル~傾国の悪役令嬢、その貴種流離譚~  作者: 星見だいふく
第五部02 敵の敵は味方にはならない
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魔女の本性 (2)


今日はヒューバート王子に会いに行くオフェリアについて、マリアは城へ来ていた。

城へ来たついでに先日少し具合の悪かったエステルを見舞い、長居はせずにまたオフェリアのいるヒューバート王子の離宮へ戻る――途中だった。


「オルディス公爵、王妃様が公爵をお呼びです」


一人の侍女に呼び止められ、マリアは目を瞬かせる。


自分のことにしか関心がなく、マリアの存在を覚えているのかどうかすら怪しいパトリシア王妃。そんな彼女からの呼び出しに、マリアは驚くしかなかった。


本当に王妃が呼び出しているのか疑問に思いつつも、断るわけにもいかない。いまはララを連れているから最悪の事態は回避できるだろうと判断し、警戒しながらもマリアは侍女の案内に従う。


部屋の手前で、侍女が振り返ってララを見た。


「申し訳ございません。この先は、王族以外の男性はお断りしております」


マリアとララが互いに見合う。

王妃のための私的な部屋なら、許可のない男の立ち入りが拒否されるのも当然だ。ララと離れるのは不安だが、連れて行くだけの言い訳もできない。


「ヤバいと思ったら、我慢せずに呼べよ」

「……そうする。外で待ってて」


部屋に通されると、侍女も早々に退散してしまった。


はっきり言って、印象の悪い侍女だった。

そつなくこなしていたがマリアに対して敵意を隠しきれていなかったし、始終こちらの動向を鋭く注視していた。

だからこの呼び出しも何か罠があるのか警戒していたが……マリアが部屋に入ってほどなく、チャールズ王子がやって来た。


「ご機嫌よう、殿下」


無視されるか悪態をつかれるか――どちらになるかどうでもいい。礼儀として、マリアはにっこりと笑い挨拶をする。

チャールズ王子は無言のまま、マリアに近づいてきた。


腕を引っ張られ、長椅子に押し倒され。

自分に覆いかぶさって服を脱がそうとするチャールズ王子に、マリアはピンと来た。


「王妃様の名前を使って私を呼び出したのは殿下ですね。悪い人だこと」


マリアがクスリと笑うと、不機嫌そうな王子がさらにムスッとする。

自分ではマリアが応じないと思ったのか、自分がマリアを呼び出したと思われるのが嫌なのか……マリアを呼び出したことを知られたくないと思ったのか……。


「チャールズ様の名でも、私はきちんとお応えしますよ。それに、殿下が婚約者を呼び出すのはごく普通のことでしょう。遠回しな真似をすると、かえって不審がられますよ」


王子が納得したのかどうかは分からないが、とりあえず服を乱暴に脱がせるのは抗議しておこう。丁寧にお願いします、とマリアは声をかける。


「男物の服ですから、ドレスのように勝手がわからないということもないでしょう。破られてしまうと帰りが困ります」


すでに、上着は強引に脱がされたせいでボタンが取れてしまっている。

王子はムスッとした顔は止めなかったが、それでもいくぶんか丁寧に脱がし始めたのには内心笑ってしまった。


自分の欲をぶつけるだけの関係。

王子はそんな言い訳して、軽蔑するこの女との関係を正当化しようとしている――と、マリアは思った。

だからマリアの声など聞いていないふりをして、ことが終われば自分だけ服を着てさっさと立ち去る……いかに冷め切った関係であるか、思い知らせるかのように。


本気でそうすればいいのに、それができない王子に苦々しくマリアは笑う。

マリアを無視しきれず、盗み見るようにこっそり振り返り、チャールズ王子は何度もマリアの様子を気にしていた。


チャールズ王子が出て行くと、マリアは溜息をついて前を締めれそうもない上着で胸元を隠し、部屋の外にこっそりと顔をのぞかせた。


「マリア、チャールズが来てたみたいだが……その格好で何があったか察した。おい、大丈夫か。それで帰れるのか」

「無理。上着を貸してもらえる?」

「貸すのはいいけどさあ。それで何とかなるレベルか、その悲惨な服」

「ならないわ。ヒューバート王子かマルセルから追い剥ぐしかないわね」


おいおい、とララから呆れられてしまったが、せめて二人のどちらからか服を借りれないと実際城から帰るのは難しい。とりあえずララの上着を借り、マリアはヒューバート王子のいる離宮に戻ることにした。


王子の離宮に出入りする人間については、マリアや宰相が口出ししても問題ない人事で固められている。なのでその一帯は、気を遣うことなく移動することができた。


だからと言って、誰かに会いたいとも思わないが。


「よう、マリア――なんて言うか、すごい格好だな」


ばったり出くわしたウォルトン団長に見つかり、マリアの異様な恰好に気付かれてしまった。


「んん?その服はララ皇子のものか。前々から思っていたんだが、僕のものは着てくれないのに他の男の服は着るだなんて酷いじゃないか。自分の服を君に着せるとかそんな楽しいこと、僕も経験してみたいのに」

「レオン様の服は大き過ぎるのです。十代の頃の服ですら、あまりにも丈と腰回りが合わなさ過ぎて」


マリアが普段着にしている男物の服は、実際に男性が着ていたお下がりである。

最初の頃はホールデン伯爵の従者であるノアから貰っていたが、お下がりを着ているということを知ったジェラルド・ドレイク警視総監からもお下がりを貰っている。


ウォルトン団長もぜひ自分の服を着てほしいといくつか持ってきてくれたのだが、長身で体格の良い彼は十代の頃からすでにその肉体が完成されていたらしく。女のマリアではあまりにもサイズが合わなかった。


「レオン様からのお下がりですと……せいぜい、シャツを寝巻にするぐらいでしょうか。私が着ると膝が隠れるほどですし、そういうかたちのワンピースだと思えば、なんとか」

「僕のシャツねえ。うん……裸の上に着てくれるならそれもありだな」

「……レオン様、一応ここはお城で、私はチャールズ王子の婚約者ですから」


言動を諌めるマリアの言葉を聞いているのかいないのか。ウォルトン団長は陽気な笑顔でマリアを抱きしめ、親愛の証さ、と抜け抜けと言ってのける。


「……マリア。君たちの後ろを男がつけているぞ」


マリアを抱きしめて陽気な雰囲気を崩さぬまま、団長が声のトーンを落として囁いた。

内心の動揺が表に出ないよう努めながら、マリアは団長の話に耳を傾ける。


「近衛騎士隊の制服を着ている。あれは……たぶん、ストッパード伯爵のとこの息子だ。どんな息子なのかは僕は知らんが」


団長の肩越しにララに視線をやれば、さりげなく手が動いている。

あれは手話だ。

オルディス家に居候をしているもう一人のチャコ人の従者アレク――彼は言葉が話せず、手話で会話をしている。アレクを可愛がっているララも、当然手話は覚えている。


さっきもいた――ララがそう伝えている。

さっき。チャールズ王子と密会したあの部屋か。用があるのはマリアか、チャールズ王子か……。




「ストッパードか。それは厄介な相手に目をつけられたね」


離宮に戻って尾行していた男のことを告げるなり、ヒューバート王子に複雑な顔をされてしまう。

どうやら王子のほうはストッパード伯爵の子息を知っているらしい。


「僕は彼に嫌われている。チャールズ王子の信望者というわけではないが、僕を恨むあまり僕に近い人間の弱みを探りに来たのかもしれない」

「近衛騎士で、ヒューバート殿下のほうを嫌っているとは珍しい」


衝立の向こう側で、ヒューバート王子から借りた服に着替えながらマリアが言った。


近衛騎士隊は、チャールズ王子が原因で先の隊長を反乱に追い込み、その鎮圧のために同士討ちをさせられている。どちらかと言えば、共に戦場に立って指揮を執ったヒューバート王子のほうに好意的だ。

無関心ならまだしも、恨んでいる、とは。


「正確には殿下ではなく、僕を恨んでいるのです。ウィリアム・ガードナーを手にかけた僕を」


マルセルが言った。


「ウィリアム・ガードナー副隊長を慕う人間は多く。彼の首を獲って、その功績で近衛騎士隊に入った僕を嫌う人間は少なくありません。それに加えて僕は外国人――フランシーヌ人です。そんな男を従者に選んでいるヒューバート王子に不満を持つ者もいて……」


自分のせいでヒューバート王子の評価に傷がつく。マルセルは苦しげな表情だった。


「マルセルも、あの戦いのことで傷ついていないわけではない。彼らは好感の持てる人たちだった。そんな彼らを犠牲にして自分たちの地位を上げたこと……そうでもしなければ得られなかったこと……僕にも、恥じるべきところはある」


ヒューバート王子がマルセルを擁護する。マリアは従者を気遣う王子を茶化す気にはなれなかった。


ヒューバート王子やマルセルの出世に大きな影響を与え、チャールズ王子とはっきり道が分かたれた出来事でもあった。エンジェリク王がマリアに強い執着を抱くようになったのもあれがきっかけで……いまもまだ、あの戦の傷跡は深い。


「そんな男がマリアのことを探ってるってのは、穏やかじゃねーな」


ララが口を挟んだ。


「しかもチャールズとの密会をばっちり見られた……なんであの男、あの部屋の周りをうろうろしてたんだ?チャールズがつけられてたのか?」

「チャールズ王子は王妃の名を騙って私を呼び出したわ。一介の近衛騎士にそんなことが分かるはずがない。最初から私がマークされていたのならまだしも、チャールズ王子を追いかけ回す理由はないはず……」


言いながら、ふとあることが脳裏をよぎる。

あの印象の悪かった侍女。マリアへの敵意が隠しきれないでいた、あの女。


「城に仕えてる侍女が、近衛騎士に情報を流したと?」


ヒューバート王子は不思議そうに首を傾げていたが、ララは納得していた。


「別に不思議でもなんでもねーよ。城に出入りしてる騎士が、同じく城に出入りしてる侍女に手を出して愛人関係にあるなんて珍しくもないだろ。チャコ帝国でも、女官と愛人関係になって男が後宮に人脈を作ろうとするとかよくある話だ」

「僕もララ皇子に同意です。フランシーヌで騎士をしていた時も同じような話はよく耳にしました。女官の情報網というのはすさまじいものですから。出世したい騎士や文官にとって、女官の愛人を持つことは必須条件のようなものでした」


マルセルが頷く。


「ただ……チャールズ王子と私の情事を知ったところで無意味だわ。私と王子は婚約しているのだし……別に、ヒューバート王子にとって不利益をもたらすものではないもの」


それに、敵意を隠しきれなくてマリアに勘付かれたりララやウォルトン団長にあっさり見つかったりと、どちらも底の浅そうな人間だ。レミントン侯爵ならともかく、あの二人にマリアを陥れるだけの何かができるとは思えない。


「油断はしないほうがいい。悪い見方をすれば、結果を計算しきれず浅はかな振る舞いをする恐れがあるということだ。そういう人間は、何をしでかすか予想しにくい」


ヒューバート王子に警告され、それもそうですね、とマリアは頷いた。


無能な人間ほど短慮に動いて物事を台無しにする――時にはこちらも巻き込んで。

損得を考えきれないからこそ、こちらの予想を超えた愚行を仕出かす可能性はある……。


マリアは、自分たちから離れたところでベルダ、アレクと一緒に花の世話をしているオフェリアを見た。


ヒューバート王子の泣き所。それは間違いなくオフェリアだ。そして恐ろしいことに、マリアにとって最大の弱みでもある。

二人に共通する弱点――そんな少女は無防備で、危険を回避する能力に欠けている。それに気付かせないようマリアたちが必死で隠してきたが、隠し通すにも限界はある。


マリアが狙われるのはどうでもいい。あんな底の浅い連中、どうにでもやり返せばいいのだから。オフェリアさえ無事なら――。


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