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紫色のクラベル~傾国の悪役令嬢、その貴種流離譚~  作者: 星見だいふく
第五部02 敵の敵は味方にはならない
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魔女の本性 (1)


「まったく、やってくれるね。おかげでチャールズが荒れまくって、手がつけられない状態だよ」


そう言いながらも、レミントン侯爵の顔から愛想の良い笑顔は消えない。エステルの侍女ポーラは不気味がっていた。


「いや、感慨深いなと思って。昔はあれこれこちらから仕掛けて相手を引きずり落としていたが、いまや私のほうが仕掛けられる立場になったのだな、と」

「リチャード様にしては珍しいことですのね。相手が動くのを待って、ご自分が受け身に回るだなんて」


ポーラが言った。


「ラスボーン侯爵のことで忙しくて後手に回ってしまったと言うのはあるかな。邪魔はしないって言ってたのに、酷いじゃないか」

「あら。私、濡れ衣を着せられそうになったおかわいそうな殿下をお慰めしたかっただけですよ。私の唯一の特技ですから」


マリアも笑顔で答えながら、レミントン侯爵の真意が別にあることは気付いていた。

チャールズ王子にとっては屈辱的なことだっただろうが、マリアもまた、かなり危うい真似をすることになった。


王子が自分の誘惑に乗ってくるのは分かっていた――その誘惑によって破滅の道を歩み始めたことも気付かないまま。だがマリアがそれをいままでやらなかったのは、失敗した時のリスクがあまりにも大き過ぎるからだ。

だから、レミントン侯爵は受け身に回っているのだろう。マリアを潰すのに侯爵が動く必要もない。マリアのほうの自滅を待てばいいのだから。


「健全な男性が女の身体を知ってしまうと抑制が難しいものなのでしょう。チャールズ殿下のこと、しっかり導いてあげませんととんでもないことになりますよ」


マリアが言えば、レミントン侯爵も涼しい顔で同意する。


「君の言うとおり――だがチャールズは心配いらない。健全な男の欲望を理解し、解消してくれる女性が身近にいて、しかも彼女は自分の婚約者。私も年長者として、チャールズの性欲が正しい方向に行くよう、しっかり教え導いていこう」


内心、マリアは舌打ちする。

チャールズ王子には男としての本能を余所へ向けてもらわなくてはならない。だがレミントン侯爵の言うとおり、まず王子がその本能を向ける相手はマリアだろう。婚約者で、王子より経験も豊富。何の問題もない。


レミントン侯爵は、必ずチャールズ王子の暴走が最小限で済むよう抑えにかかる――王子は、伯父の言葉には比較的従順だ。


「ああ、すみません、エステル様。ご本の続きですね」


マリアたちの会話に退屈したエステルが、しがみついていたマリアの腕をぐいぐいと引っ張ってくる。


今日はエステルの遊び相手としてマリアは離宮を訪ねて来ていた。

レミントン侯爵の登場は少し意外だった。マリアと王の関係が発覚してからはマリアに会いに来るようなことはなくなっていたのに……久しぶりに、私的な場で彼と顔を合わせることになってしまった。


「ラスボーン侯爵は、王都を出て行かれたとお聞きしましたが」

「うん。そろそろエンジェリクも出て行ったんじゃないかな。財産も信頼も失って、この国にはさすがに居づらいだろう」

「見事な追い払い方でした。私もまだまだ見習う点が多いですね」


ラスボーン侯爵の自称妹は、外国の間者だった――にわかにそんな噂が城に流れ、侯爵の妹(自称)も姿を消してしまった。

疑惑の目がラスボーン侯爵に向けられ、侯爵は必死で否定するも、じゃああの女は誰だったのか説明を求められると答えることができず……。


単なる愛人。火遊びの相手。

それが事実なのだろう。多くの者が、内心ではそう思っている。

だが大衆というのは、より醜聞な憶測のほうを語りたがるものだし、事実ではなく自分たちにとって愉快かどうかで判断することもある。

結局侯爵は火の車になった商会を捨て、残った財産をかき集めて一人で逃げ出してしまった。


そう言えば奥方はいたはずだがどうなったのか、とマリアが何気なく質問すると、尼僧になったと教えられた。

その尼僧院が、心を病み過ぎて夢の世界に閉じこもってしまった女性たちの行き着く場所だと知っていたマリアは、密かに苦笑した。


「あら……?エステル様、もしかして今日も体調が……?」


寒い季節が続き、エステルは体調を崩しがちになっている。マリアも着込んでいるのでわかりにくいが、ふと触れたエステルの手が熱い。

マリアの呟きに、ポーラがすっ飛んで来た。


「微熱があるようですね……これぐらいはしょっちゅうですが、念のため。公爵、申し訳ございませんが、本日はこれで……」

「風邪は引き始めが大事とも言いますし、仕方ありませんね。エステル様、いま休んでおけばすぐ良くなりますよ。また後日。今度は私が、エステル様に気に入っていただけそうな本を持って参ります」


マリアに帰ってほしくなさそうに拗ねるエステルに言い聞かせ、マリアは退出する。

一緒に部屋を出たリチャード・レミントン侯爵も、少し顔色が悪いような気がした。


「リチャード様も、お加減が悪いのではありませんか」


マリアの問いに、そうかも、と侯爵は素直に答える。


「エステルにうつされたかな。私も年を取ったからね。すぐ弱り、治りは遅い。若い頃は多少の無茶もやってのけたが……うん。実に感慨深い。やはり、いつの間にやらずいぶんと時間が経ったものだ。私も、私を取り巻く環境も、ずいぶん変わった」


弱音にも似たような独り言を呟くレミントン侯爵を、マリアはじっと見つめた。マリアの視線に気付き、侯爵はいつも通りの愛想の良い笑顔を浮かべる。


「君もいずれ、いやでも痛感する時が来るさ。私も……そうやって年寄りを見送って来たものだ」




エステルを訪ねた後、マリアはドレイク警視総監の執務室を訪ねた。

ドレイク卿の仕事を手伝いながら何気ない世間話をしていたマリアは、先ほどのレミントン侯爵とのやりとりを思い出して、密かに心の中に思い浮かんでいた疑問を口にした。


「ジェラルド様は、昔と比べてご自分の立場が変わったと感じる時がおありですか?」

「言われて振り返ってみれば、私もずいぶんと偉くなったものだ。だが、立ち止まって振り返るということはあまりない。己のことを振り返っていられるほどの余裕は、まだ私にはないと言うのが正確だろうか」


それがどうかしたのか、と言いたげな目でドレイク卿がマリアを見て来る。


「昔の自分に想いを馳せるというお話が出たものですから。ジェラルド様ならば、もうその境地に達しているのかと思ったのです。ジェラルド様ですらそう感じているのならば、私などまだまだ先の話になりそうですわ」


たしかにマリアも、気付けばずいぶん遠くまで来たものだ。

父を喪い、故郷キシリアから何も持たずエンジェリクへ逃げ出して来て、いつの間にか女公爵となって、王子の婚約者……いまや、国王にまで目をかけてもらうほどになった――それが良いことだったのかどうかはさておき。


ドレイク卿はマリアが突然そんな話題を振って来たことに多少関心を持ったようだが、それ以上追及してくることはなかった。


執務室にドレイク卿の部下アレン・マスターズがやってきて、マリアの関心がそちらへ向いたからだ。


「お久しぶりです、マスターズ様。お元気そうなお姿を見れて嬉しいです……と、声をかけたかったのですが……あの、大丈夫ですか?」


ナタリアの結婚で失恋したマスターズは、休暇を取って自分の実家へ帰っていた。

見合いをさせられて、それで休暇が長引いているとドレイク卿から説明を受けていたが、本当に結構長い間マスターズは帰って来なかった。


彼が今日、ようやく復帰してきたと聞いて、エステルに会いに行くついでにドレイク卿の仕事を手伝いに来てみれば……。


「ええ……いえ、自分でも、大丈夫ですと言い切っていいものやら。ドレイク様、報告が遅くなりましたが……このたび、自分は結婚することになりまして」

「それはめでたい……と、言ってよいのか」


めでたさを微塵も感じさせない顔で報告され、さすがのドレイク卿も困惑している。

マスターズも、マリアやドレイク卿の疑問を否定することなく、疲れ切った様子で重苦しい溜息をついた。


「もしかして、結婚してお仕事をお辞めに……?」

「それはありません。自分はこの仕事が好きですから。それだけは絶対に譲りません」

「それだけは……」


含みのある言い方に、マリアはマスターズの言葉を反復してしまう。

それだけは。ならば、他のことは譲歩したということだろうか。


「結婚相手なんですが……例の、親から見合いをさせられた相手です。とは言え、幼馴染みにあたる女性で……。白状しますと、自分は彼女が苦手なんです。悪い子ではないんですが、夢見がちで思い込みが強いところがあって、自分とは価値観が違い過ぎるので、結婚相手には絶対あり得ないと……」

「だが親は結婚させたがった」

「そうなんです……」


マスターズのげっそり具合から察するに、その幼馴染みの女性とやらはマスターズの両親からは気に入られているのだろう。マスターズにその気はないが、実際に結婚してみればどうにでもなるという甘い目算で結婚させようとしている――といったところか。

外堀を埋められてしまったのは気の毒だが、それで結婚まで押し切られてしまうとは。


「我が家は一応貴族ではありますが、本当に名ばかりで。田舎なので、周りからはそれなりに好く見られています。それで彼女も、貴族の奥方というのに妙な憧れを持っているんです。特に自分は王都に来て、城に出入りもしていて……何度か実態を説明したんですが、自分と結婚して一緒に王都に来れば、想像もできないような生活ができるに違いないと思い込んでいるみたいで」

「……たしかに、それは貴公の結婚相手には向かぬな」


ドレイク卿が同情した。

マスターズは、王都では平民と変わらぬ暮らしぶりだ。上司こそ宰相を父親に持つ侯爵だが、社交界に出入りできるわけでもなく、高位の貴族に声をかけられることもない。恐らくは、幼馴染み女性の憧れが叶うような結婚生活にはならないだろう。


「しかし、そこまで合わないと分かっている女性との結婚を決めてしまうだなんて……」

「うう……自分が迂闊だったんです……」


マリアが言えば、マスターズがうなだれてしまった。


「もともと自分は、仕事に没頭するあまり浮いた話ひとつなく……それで、いつ結婚するのかと両親はやきもきしていたんです。そこに、パートナーのいる女性に横恋慕した挙句失恋したという話が伝わってしまって、危機感に煽られた両親が彼女の策略に乗ってしまって……」

「策略……」


大げさな、と言いたげにドレイク卿が呟く。


「幼馴染みを招いた夕食の席で酒を飲んで……そこから記憶がないんです!気がついたら、自分は彼女と同じベッドで目が覚めて……」

「まあ……」


呆れと憐憫から、マリアは何とも表しがたい声で相槌を打ってしまった。

よくある手だが……自分の親までそれに加担してるとあっては、まんまと罠に引っ掛かってしまうのも無理はない。


「それで実家に軟禁されていたんです。彼女の結果が分かるまで家にいろと」


結果。

その言葉にマリアもドレイク卿も眉をひそめた。


「さすがにそれは卑怯だな」

「自分もそう思いますが、だからと言って責任を放棄するわけにもいかなくて……」

「……そうおっしゃるということはつまり、彼女は妊娠していたのですね」


マスターズは頷かなかったが、青白かった顔がさらに変化するのを見て、マリアたちも悟った。


意に添わぬ結婚が決定したのは、マスターズが責任を取らざるを得ない状況になってしまったから。

そうなってしまったそもそもの発端が、ナタリアへの失恋。マリアもさすがに責任を感じた。


「生まれてくる子に罪はありません。自分でも納得はできませんが……子どもには、良い父親でいたいです」

「立派なご覚悟です。私たちでお手伝いできることがあったら、何でもおっしゃってくださいね」

「ありがとうございます」


実態の伴わない憧れで始まる結婚生活――良い結果になるとはとても思えなかった。


身分違いの恋が苦しいのは、生まれ持った価値観の違いのせい。

互いにその自覚と覚悟がなければ、おとぎ話のように上手くいくわけもないのだ……。


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