茶番劇の終幕 (2)
ガーランド商会は、何十年と続く歴史ある商会ではなくホールデン伯爵が一代で築いたものである。
長年続いて来た商会で有れば、トップの交代も珍しいことではない。
しかしホールデン伯爵の手腕を持ってここまでの地位を得たガーランド商会については、それは当てはまらない。
「重要なのはホールデン伯爵の商会であるということであって、ガーランド商会の看板を掲げただけではどうしようもないんだよね」
メレディスの言葉に、マリアは同意するように笑った。
元ガーランド商会の従業員たちはホールデン伯爵を追ってオルディス領へ行ってしまったのだが、メレディスだけは王都に残った。
マクファーレン判事とホールデン伯爵を繋ぐ役割もあるし、単純に絵描きとしての仕事もあってそう簡単に王都を離れられないというのもあった。
「さすがに王都の良い場所に構えた本店はしぶといよ。でも、あの店を買い取ることができればガーランド商会は再び伯爵のものだ」
ホールデン伯爵は、ラスボーン侯爵にガーランド商会を譲り渡すにあたり、大量の仕入れを行っていた。料金を一切払わず。
当然支払わないわけにはいかない。キャンセルしようにも、キャンセル料について明記された書類がある。
仕方なく料金を支払うが……肝心の品はかなりどうでもいいもの。伯爵だったなら何とか売り切ることもできたかもしれないが、ラスボーン侯爵ではそうはいかない。
トップが替わってしまったガーランド商会からそんなものを買う義理もなく。前任者は別に新しい商会を作っている。それまで伯爵と取引をしてきた相手やお客は、迷うことなく新しい商会へ移った。
売り捌くことのできない大量の商品を抱えたまま――新しいガーランド商会の船出は、早くも暗礁に乗り上げ始めていた。
「それでも、伯爵にガーランド商会を手放させてしまったのは事実だわ。なんでもないことのように伯爵は言っていたけれど、自分が築き上げてきたもので他の人間を悦ばせることになるだなんて……それも、あんな浅はかで鬱陶しい男――そんな輩を、一瞬でも勝ち誇らせることになるなんて」
本気で悔しがるマリアに、メレディスが苦笑する。
あまりこの話題を続けないほうがいいと判断したのか、メレディスは絵描きをしながら仕入れた噂話やゴシップについて話し始めた。
「そう言えば、サーカスを見に来たチャールズ王子についてだけど……サーカスの団員さんたちからは、それほど評判は悪くなかったみたい」
「そうなの?それは意外」
「偉そうではあったけれど、彼らも諸外国を旅して来て偉そうな貴族や王族には慣れっこだから。許容範囲内ではあったそうだ。というか、モニカ・アップルトンが酷かったから、それに比べればはるかにまし、ということで悪くない評価なんだって」
「モニカ?彼女を連れて行ったの?」
ううん、とメレディスが首を振るので、マリアはわけが分からず眉をひそめた。
「一般のお客と同じように並びに来て、自分は貴族だから……と主張して優遇させようとしたらしい。その日は、たまたまチャールズ王子がラスボーン侯爵に招かれてサーカスを観に来ていた日で。王子の姿を見つけると、今度は自分も王子の連れだと言って割り込もうとしたとか」
「……予想以上の図々しさね。もうちょっと真っ当な子だと思っていたんだけれど」
いささか厚かましい子ではあったが、そこまで思い上がっているとは。
チャールズ王子に特別扱いされる内に、自分は本当に特別な人間だと思い込み始めたのだろうか。特別扱いされることが当たり前――だんだんと、そんな勘違いを……。
「絵描きの依頼で色んな貴族と話す機会があるんだが……彼女の評価は真っ二つだ。身の程知らずの無礼な小娘。物知らずな扱いやすい小娘。だいたいがこのどちらかだね」
「どちらであっても、そうとう見下されているのは変わらないわ」
そしてその増長っぷりから察するに、見下されていることも、利用されていることも気付かぬまま、彼女は愚行を続けているのだろう。
他人の悪意に気付かぬまま自分のやりたいことをやり続けるのだから、それはひとつの幸せな生き方かもしれない。そんな彼女を利用して、チャールズ王子を追い落とすことを企む人間がいなければ。
「そろそろ、私もチャールズ王子との婚約解消に向けて本格的に動き出すべきね。ホールデン伯爵にここまで足元固めをしてもらっているのだもの。私だけ、確実な安全策を求めるわけにもいかないわ」
マリアがそう言えば、メレディスが心配そうにする。何か危険なことを考えているのではないかと言いたげだ。
危険と言うか――まあ、何を企んでいるのか全て話してしまったら、大反対されるだろうな。
マリアのその考えが顔に出たのか、メレディスが眉間に皺を寄せる。
「そのお茶、ヒューバート殿下からいただいたの」
メレディスに出したお茶を指し、マリアが言った。
「花茶だっけ。不思議な甘さがあるお茶だよね」
「茉莉花という花の香りを茶葉に混ぜたものなんですって。そのお茶、ちょっとした秘密があるの」
「……うん、何となく分かった。まさか、これをチャールズ王子に使う気?」
メレディスの言葉に、マリアはにっこり微笑んで沈黙する。勘弁してよ、とメレディスは頭を抱え込んでしまった。
城の一室を訪れたチャールズ王子は、部屋にいた人物を見て目を丸くし、思わず叫んだ。
「なぜお前が――」
「陛下にお願いして呼び出して頂いたのです。陛下のお言葉なら、いくら殿下でも無視できませんから」
最後まで言わせず、マリアは答えた。
王に呼ばれて行ってみた部屋に、マリア・オルディス公爵が。父親共々はめられた。
その事実にカッと怒り、チャールズ王子は顔を赤くしてすぐにでも部屋を出て行こうとする。
「殿下。婚約者の私と親交を深めるよう、陛下は取り計らってくださったのですよ。陛下のお気遣いを無駄にするおつもりですか?」
怒りのあまり、チャールズ王子は叫ぶことすらできないでいるように見えた。興奮しすぎて言葉が出ず、強い憎悪を込めてマリアを睨みつけるばかり。
自分と王の関係をチャールズ王子が知っている、ということを考慮すれば当然だ。どう考えたって、マリアのほうが悪役だろう。
「それとも怖いですか?私の誘惑に負けてしまいそうで」
チャールズ王子はギリ、と音がしそうなほど歯を食いしばり、ドスドスと乱暴に歩いて来てマリアが用意した席に座った。
――本当に、浅はかで幼稚な男。
マリアは嘲笑を内心に押し留めて微笑んだ。
こんな見え見えの挑発に乗らず、さっさと立ち去ってしまったほうがいいのに。マリアを無視することもできず、誘われるまま、チャールズ王子は自ら破滅の道を進んでいく……。
「どうぞ」
マリアが差し出したお茶を、チャールズ王子は訝しげに見る。
絶対に手をつけるものかと腕を組む王子に、毒など入っておりませんよ、とマリアは言った。
「この状況で殿下を殺してしまったら、私は絶対に言い逃れできないではありませんか。いくらなんでも、もうちょっと疑われないようやりますよ。それでも念のため飲まない、という選択をしてくださっても結構ですが」
またしてもマリアの挑発に易々と乗り、チャールズ王子は茶を煽った。
「火傷しますよ」
「……うるさい。僕に用があるのなら、さっさと済ませろ」
口もとを乱暴に拭い、自分にとって一緒にいることは不本意なのだとアピールしてくる。この不愉快な時間を早く終わらせろと……。
ならば遠慮なく、マリアも自分のやりたいことを済ませてしまおう。
「殿下がいま飲んだお茶は茉莉花茶と言って、お花の香りを茶葉にうつしたものです。茉莉花そのものがこの地域では珍しい花なので、殿下にはなじみのないものかもしれませんが」
「僕は花に興味はない。せいぜい毒があるかどうかの知識程度だ」
「正直に言えば、私も花にさほど詳しいわけではありません。花茶も人から貰った頂き物で、妹は好んでおりますが私は別に……といった具合です。ただ、このお茶にはなかなか面白い効果があるのですよ」
テーブルの上に無造作に置かれたチャールズ王子の手に、自分の手を重ねる。びくっと身をすくませ、王子は慌てて手を引っ込めた。
「このお茶には媚薬効果があるのです」
「何を――っ!?」
王子の膝の上にするりと圧し掛かり、上着を脱ぐ。胸元が大きく開いた薄手のドレス――布越しにも肌の感覚やぬくもりがわかるほどのものに、王子が息を呑んだ。
「魔女め、この……っ!どこまで僕を侮辱する気だ!」
「男の方というのは実に理解に苦しむ生き物です。それほどまでに憎み、蔑む相手だと言うのに、身体のほうは反応するのですから」
「お前がそう仕向けたのだろう!」
マリアの身体を押し返そうとしているが、普段に比べればずいぶん弱々しい。少なくとも、王子はやはり男で、平手打ちで女を吹っ飛ばせるぐらいの力の差があるはずなのだ。本気になればマリアを押しのけるぐらいどうということはない。
自分の身体を押し付け、マリアはチャールズ王子の唇を塞いだ。
一応人払いをしてはあるが、騒がれて人を呼ばれると面倒だ。というか、チャールズ王子は人を呼んで止めさせるという方法もあったのだが……どうやら、柔らかい女の身体への好奇心と欲望のほうが勝っているらしい。
堪え性のない浅はかな王子――若く未熟な男が、マリアの誘惑に勝てるはずがない。
「……チャールズ様、もっと触れてください。私はあなたの婚約者ですもの。チャールズ様には、私を好きにする権利がございますのよ」
王子の目は、完全に正気を失っていた。勝利に微笑むマリアは、自ら服を戒める紐を解く。
白い足がスカートの裾から覗いた途端、王子が乱暴にマリアの服をはぎ取って来た。
――マリアが仕掛けた茶のせいだと、自分に言い訳をして。
「おまえのせいだ……!なにもかも……」
「ええ、私のせいです。可愛い御方……私が、女の愉しみ方を教えて差し上げますわ」
あの茉莉花茶。
媚薬に似た効果があるのは確かだが、普段から妹もマリアも飲み、花茶を愛するヒューバート王子も口にしてはいる。だからといって、マリアたちが衝動的な情欲に駆られることはない――それを知ったら、チャールズ王子はどんな反応をするだろうか。
茶のせいだと言い訳をしているが、すべては自分のせい――チャールズ王子は、欲望に負けただけだ。
だが、マリアはそれを指摘するのはやめておいた。それぐらいの情けはかけておいてやろう。
男を滅ぼすには、女を利用するのが一番効果的で残酷だ。チャールズ王子は男になり、そして最も恐ろしい弱みを得てしまった。
あの時、王子は部屋を立ち去るべきだった。
男と女として対峙した場合、マリアに勝てるはずがないのだから。




