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紫色のクラベル~傾国の悪役令嬢、その貴種流離譚~  作者: 星見だいふく
第五部02 敵の敵は味方にはならない
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茶番劇の終幕 (1)


ガーランド商会が、ホールデン伯爵からラスボーン侯爵のものになる。

商会を知る人間はみな衝撃を受けた。エンジェリクの民衆全員と言っても過言ではないかもしれない――当の商会従業員を除いて。


夫がガーランド商会で働いているナタリアなど顔を真っ青にして心配していたが、デイビッド・リースは平然と答えた。


「伯爵が辞めるのなら、私もガーランド商会を辞めます。しばらく無職になってしまいますが……離婚は、少し待って頂けませんか?」


妻の反応をうかがうように、最後のほうはちょっとおどおど気味にデイビッドが言えば、ナタリアは身を乗り出す勢いで、もちろんです、と即答した。


「伯爵のいない商会で働きたくないというデイビッド様のお気持ちは、もっともです。そんなことで見限ったりしません。どうぞ心おきなくお辞めになって……マリア様は、デイビッド様ならおじ上様の秘書に推薦することもできるとおっしゃってます。つまらないところに再就職をするぐらいなら、いっそそちらへ――」

「ちょ、ちょっと落ち着いてください。たぶん、再就職先を探す必要はありませんよ」


真剣に反論するナタリアに、デイビッドは焦る。


「私だけでなく、現在ガーランド商会で働いている全従業員が辞職するはずです。そしてホールデン伯爵が作った新しい商会に移ることになるでしょうね」

「新しい商会を作る……そういのって、すっごくお金かかるんじゃないですか?それに、店舗とかってどうするんですか?」


ベルダが不安そうに聞いた。


「そこはマリアさん頼みになってしまいますかね。ガーランド商会はオルディス領に支店を持っていましたが、その契約はホールデン伯爵の名で交わされています。つまり、ガーランド商会ではなく伯爵個人のもの――もっとも、ラスボーン侯爵は商会のものであり自分のものになるべきだと主張してくるでしょうから、マリアさんにその主張をはね返してもらう必要があります」

「それについては問題ないわ。マクファーレン判事と――メレディスのお兄様と一緒に、向こうの言い分を却下させるだけの材料を揃えているところだから」


マリアが言った。

伯爵から企みを聞かされ、マリアはすでに対応策を取り始めている。


オルディス領で大規模な工事が行われた際、マリアは伯爵から多額の金を借り、いまもまだその返済を行っている状況だ。

その担保として、マリアは伯爵にオルディス領の土地を差し出している。オルディス領には伯爵の土地が二か所あり、そのひとつにガーランド商会オルディス支店、もうひとつは農作地となっている。それらの土地で得られる収益は、当然ホールデン伯爵のもの。


さらには外国キシリアにも支店があり、諸外国との交易が盛んなその町は、商品を仕入れるための重要な拠点となっていた。


これらの土地は、もとはすべてマリアのもの。

そして伯爵は、非常にプライベートな理由でマリアと契約を結んでいる。利益がないわけではないが、当時は立て直しの途中で収益は確定ではない。愛人関係にあるマリアとだからこそ契約を交わした。


だから、ガーランド商会の会長という地位がなくなろうと、ヴィクトール・ホールデン個人の所有物と主張することができる。


「新しい商会を作る手立てがあるのは分かった。でもガーランド商会が持ってる資金は、そのまま全部ラスボーン侯爵のものになっちまうんだろ?悔しいよなー。その金だけでも、一生暮らすに困らないだけの金だってのに」


ララが悔しそうに言ったが、デイビッドはにっこりと笑うばかり。


「その資金は、ガーランド商会がラスボーン侯爵に譲渡する前に半分は減りますよ。ガーランド商会では、従業員は退職金をもらえる契約を交わしています。書面での契約で……契約途中での雇用側有責による労働形態変更を理由に辞職するのは、退職金が支給される対象になっています。トップの交代なんかも、経営方針が変わるということで労働形態変更の項目に該当し、辞職が認められる理由になるんですよ。全従業員が一斉に辞職したら、退職金は恐ろしい額になるでしょうね」


ホールデン伯爵が在任中に辞職してしまえば、伯爵は当然彼らに退職金を支払う。

ラスボーン侯爵は契約を破棄したがるかもしれないが、正式に譲渡するまでは伯爵の意向を外部の彼が口出しすることはできない。と言うより伯爵は、ガーランド商会を引き継いだ侯爵がその事実に気付くまで、都合よく忘れておくつもりらしい。


そうして退職金をもらった従業員たちがその金を抱えて伯爵のもとに戻ってくる――中にはそのまま去って行く人間もいるかもしれないが、どう選択するかは彼らの自由なのだから仕方がない。

少なくとも、デイビッド・リースは退職金を持って、ホールデン伯爵が作った新しい商会に合流する予定だ。


「博打であることに事実です。万一ラスボーン侯爵が伯爵個人の所有物まで手に入れてしまったら伯爵の再起は不可能になってしまいます、全従業員が本当に辞職するか……伯爵に追随するかは不確定です。ラスボーン侯爵につく人が現れるかもしれません。もしかしたら私も、無一文の職なしになってしまうかもしれません……」


デイビッドは、申し訳なさそうにナタリアを見る。


「すみません。そんな重大なことなのに自分一人で決めてしまって。妻に相談もせず勝手なことをする私を、許してもらえますか……?」

「もちろんです」


ナタリアは再び即答した。


「私も、伯爵や商会の皆様……それにデイビッド様のことを信じております。きっと何もかもうまくいきます。それを支えるのが、私の役目です」


ナタリアはそう言い、デイビッドは嬉しそうに愛する妻を見つめ返す――夫婦の絆が深まったのは良いことだが、マリアもまた、伯爵のことは気がかりだった。




夜も更けたマリアの寝室。

今夜は予定していた相手からキャンセルされ、マリアは一人でベッドで寛いでいた。


ガーランド商会のごたごたが落ち着くまでオルディス邸で厄介になることになったマサパンが、マリアの寝室に侵入してマリアのベッドに座っている。


「オルディスにあるお店が拠点となるから、伯爵はオルディス領に行ってしまうし、商会を辞めたみんなもオルディスへ行ってしまうわ。あなたはどうする?」


マリアに問いかけられたマサパンは、いつもの愛くるしい瞳を向け、尻尾を振った。ふわりと触れる柔らかな尻尾を撫で、マリアも笑う。


「あなたまで行ってしまったら、とても寂しいわ」

「君にそんなことを言ってもらえる彼女が羨ましいものだ」


聞こえてきた声とともに、背後から優しく抱きしめられる。少し冷たくなっている伯爵の腕――いつの間にやら、雨が降り始めていたようだ。


「今夜も忙しいから、と予定をキャンセルされていましたよね?」


ガーランド商会を奪われ、再起を賭けた計画を実行している途中なのだ。マリアのことが放ったらかしになるのは仕方がない。

今回ばかりは、ワガママを言うつもりはなかった。


「雨が降り始めたのを見てな。雨が降った日は、君に会いに行かなければならないだろう?」

「もう、そんなことおっしゃって……来てくださって、とても嬉しいです」


マリアは伯爵に抱きついた。


「君が心を痛める必要はない。前にも話しただろう。私は、生きるのに邪魔なら名前も捨てる。ガーランド商会の看板が欲しければくれてやればいい」

「私はそうは割りきれません。ヴィクトール様が築いたものを、第三者が横取りだなんて……その一因が自分だなんて……」

「君のためなら、ガーランド商会を手放すこともおしくない――そう思えるまでの存在になったのだ。商会に夢中になると自分をすぐ放ったらかしにして、とマリアをよく拗ねさせていたからな。たまには、仕事よりも君のほうが大切だ、と言える実績を作っておこう」


冗談めかして話す伯爵に、マリアも苦笑する。

マリアを抱き寄せベッドに押し倒そうとしてくる伯爵に、マサパンが、とマリアは抗議をした。


「ついでにマサパンにも見せつけておこうと思ってな。彼女には負けられん」

「マサパンは雌ですよ」

「知っている。雄だったらこの程度の嫉妬では済まん」


伯爵が覆いかぶさってくる一方で、静かにマサパンが部屋を出て行ったのが見えた。

なんだか追い出したみたいで気が引ける――と零したら、さらに伯爵からヤキモチを焼かれてしまった。




「そう言えば、この計画について大きな落とし穴があることに気付いた。それを君に相談しに来たと言うのもある」


伯爵の腕の中――マリアは伯爵の胸にもたれかかったまま、なんでしょう、と尋ねる。


「新しい商会の名前だ」

「ガーランド商会を取り戻すまでの、繋ぎで作るものなのでしょう?そこまでこだわらなくとも」

「ガーランド商会の主だった利権は取り返すつもりだが、名前まで取り戻せるかどうかは微妙だ。下手にこだわらず、心機一転新しい名前に変更してしまったほうがいい。何かつけたい名はあるか」


マリアは返事に困った。

そういったことについて、自分にはいまいちセンスがない気がする。無難なものしか思いつかず、伯爵の長い指を弄びながら悩みこんだ。


「セレーナ商会でも構わないぞ」

「それはちょっと。なんだか恥ずかしいです」

「ならば……そうだな。クラベル商会にするか。セレーナ家の家紋にもなった花……君の好きな花だ」

「嬉しいです……けれど、やっぱりしっくりきません。ちゃんとガーランド商会の名前も、奪い返しましょう」




こうしてヴィクトール・ホールデン伯爵はガーランド商会会長の座を去り、新たにクラベル商会を創立した。


伯爵の辞任に伴い、それまでのガーランド商会の従業員は全員退職。

多額の退職金を支払ったことで資金ががっつりと減り、誰もいなくなったガーランド商会が引き渡され、ラスボーン侯爵は憤慨した――一瞬だけ。

これで自分の望み通りの人事ができる。むしろ人員整理のための余計な手間がなくなった。侯爵はそう喜んだ。


実際、退職金で大幅に削られたものの、それでもガーランド商会には潤沢な資金が残っている。ガーランド商会で働きたい人間も、ごまんといる。


この程度のこと、商会を奪われたことを悔しがるホールデン伯爵の最後の悪あがき。そう思い込み、ラスボーン侯爵はさして重要視しなかった。


――ホールデン伯爵の才覚とキャリアは金では買えない。

やはり伯爵は、商人としては抜け目も容赦もない男だ。


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