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紫色のクラベル~傾国の悪役令嬢、その貴種流離譚~  作者: 星見だいふく
第一部02 虚栄の公爵家 -強欲と冷酷と醜悪な女たち-
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冷血


朝、屋敷の者たちは皆、マリアを見るなり驚愕に目を丸くした。彼らが驚いていることなど気付かないふりをして、マリアはにっこりと微笑む。

内心では、露骨過ぎるリアクションが返って来ることに戸惑ったが。


「そこまで反応されるほど、男の私の姿ってひどかった?」

「ある意味逆です。男装似合い過ぎで……すっごい美少年でしたよ。それだけに、美しい女性の姿とのギャップがすごいっていうか」


マリアの美少年っぷりをベルダは絶賛し、オフェリアはドレスを着こなす姉の美しさを称賛する。


「お姉様、とっても綺麗。スカート姿は久しぶり」

「ありがとう。エンジェリクのドレスはコルセットにペチコートと……やたらと動きにくくなるから。男物の服のほうがやっぱり楽でいいわ」


コルセットで締め付けられる時には背中の傷が痛んだが、押さつけられた分、動作での痛みはマシなように感じた。


「伯爵の見立てはさすがです。本当にお美しいですわ」


マリアの着替えを手伝ったナタリアは、久々の女性らしい格好に感動しているようだった。


「あの男、昨夜は客室に泊まったのね。伯母様とは別の部屋で」

「はい。ただそれは、私たちのことがあったからというわけではないと思います。私があの部屋にいたのも、客室が必要になったから用意をするように言われて掃除をしていたからですし」


背中の傷に体を締め付ける装身具にスカート……。昨日よりずっと動きにくかったが、苦しい内心を見せることなくマリアは働いた。


伯母の部屋へ洗濯物を取りに行った時、身支度をしている伯母が鏡越しに自分を見つめているのを感じた。その視線を受け流し、ベッドシーツを集めたマリアは笑みがこぼれそうになるのを堪えた。


シーツについた赤いシミ。これでは、男の相手をできないはずだ。

――この様子では、あの男は今夜も伯母の寝室には行かず、別の部屋を使うに違いない。




ナタリアに代わってマリアが客室の掃除をしていると、予想通りあの軽薄な男はマリアを口説いてきた。

まとわりついて美辞麗句を並び立てる男に、マリアはただ笑顔を向ける。男は、目の前の女が昨日自分の軽率さのせいで鞭打たれた少女だということにも気付いていないようだった。


何もかもが軽くて浅い男……。

部屋の外で、強烈な憎悪をこちらに向ける女にも気付かない。あれに気付かないなんていっそ感心してしまう。


「あいつの浮気相手筆頭はエルザです。ほら、お嬢様の取り巻きやってる侍女の中で、一番年上で小賢しい女ですよ。奥様に媚びへつらってる癖に奥様の愛人に手を出すなんて、よくやりますよねぇ」


エンジェリク語が通じないという立場を利用して、ベルダは赤裸々な人間関係をよく把握していた。


女性らしい姿で男の気を引けば、あの腰巾着女が強烈な視線を送ってくる。

マリアはほくそ笑んだ。


――まずはお前よ。

ベルダの話によれば、伯母は明日にはまた屋敷を出ていく。おじが帰ってくるから。

問題は、その後。いまは母親によって屋敷を出されているいとこも、戻ってくるということだった。

伯母はこちらから接触しなければ実害はないが、いとこは違う。またオフェリアが狙われてしまう。そうなる前に余計な真似をする女は一人でも消えてもらわなくては……。


「ローズマリー様は、今夜も僕を呼ばない。寂しい僕を慰めておくれよ」


マリアの髪を取って口付ながら、男はそんな誘いをかけてきた。

死ねばいいのに、という心の声は表には出さず、マリアはただにっこりと微笑む。


「マリア様、どうなさるのですか?」


部屋を出ると、ナタリアが急いで寄ってきて声をかけてきた。


「いまの恋人に飽きてきたんですって。なら私が、本気で狙いにいくのもありかもしれないわね」


そう言いながら横目で物影に隠れてこちらを見ていた女に視線をやれば、彼女が怒りに顔を赤くするのが見えた。

マリアが不敵に笑いかけると、女は踵を返して立ち去って行った。


「馬鹿らしい。私があんな男、本気で欲しがると思うのかしら?争う価値もないわ」


自分たちのやり取りを信じ込む女を嘲笑う。


面白いほど自分の思惑通りに動く彼女たちのため、マリアも最後までやりきってみせよう。

客室の掃除をしたのは、何もあの鬱陶しい男の気を引くためだけではないのだから。




夜も更けた頃、屋敷がにわかに騒がしくなった。


悲鳴にも似た女の声に、聞きつけた召使いたちは不安そうに互いの顔を見合わせる。

騒ぎのもとは、伯母に引きずられ食堂へとやって来た。夕食の後片付けと明日の準備で、まだ多くの召使いたちが出入りしている。その中に、マリアもいた。


髪を鷲掴みにされて伯母に引きずられる女は、エルザだった。いとこの腰巾着でもあり伯母に取り入っていた侍女は、肌着を体に引っかけてはいるものの裸も同然の格好だ。

乱れたその様子に、何があったのか目撃した者たちの誰もが察した。


「お許しください……!どうか……本当に申し訳ありませんでした!」


大きな暖炉の前に放り出されたエルザは、恐怖で顔をひきつらせガタガタと震えながら伯母に謝罪する。

それを見下す伯母の瞳は、暖炉の炎の反射もあり、恐ろしいほど怒りに燃えていた。


暖炉に手を伸ばし、伯母は火かき棒を取る。それを見たエルザは四つん這いのまま必死に逃げ出そうとしたが、伯母の攻撃からは逃れられなかった。


「ぎゃあああぁっ!」


エルザの断末魔と肉の焼ける臭いに、目撃した召使いたちは恐れ慄き、顔を背けたり目を逸らしたりした。

伯母は無情に火かき棒を振り下ろし続け、次第にエルザの悲鳴も抵抗も乏しくなっていく。体を丸めて殴られるだけの肉の塊になっていく彼女を、マリアは眉ひとつ動かすことなく見据えていた。


ふと、開けっ放しになった食堂の扉の向こうに、こそこそと逃げ出す男の姿を視界にとらえた。


「もうお帰りですか?」


マリアが声をかければ、男はビクリとすくみ上がった。

見た目だけは辛うじて褒めることができたはずの伯母の愛人は、頬を赤く腫れ上がらせ、鼻血の跡が残る何とも間抜けな姿になっている。服も乱雑に着こんだのか、ボタンがチグハグでズボンはベルトがきちんと通っていない。


「私たちでは奥様を止められません。彼女を助けないのですか?このままだと、本当に殺されてしまうかも」


冷笑するように問いかければ、男は唇の端をヒクヒクさせながら何とか笑顔を取り繕う。


「いやぁ……ほら、彼女はこの屋敷の使用人であって、僕には無関係だから。主人であるローズマリー様の意向を、しがない客の僕では止めるわけにもいかないじゃないか。用事を思い出したんで、今日はもう帰ることにしよう。ローズマリー様によろしく言っておいてよ」


本当にゴミのような男だ。こんな男のために破滅する女も愚かとしか言いようがない。

食堂に視線を戻せば、ぐったりと倒れ込み、生きているのか死んでいるのかもわからないエルザがいた。


「この女を庭に放り出しなさい。木にでも縛りつけて、頭を冷やさせてやるわ」


恐ろしい命令に恐怖しながらも、召使いたちはエルザを連れていく。

いまの伯母に逆らうほどの勇気は彼らにはないだろう。逆らってまで助けてやるほど、エルザに思い入れのある人間もいなかった。


「マリア様」


こそっと近づいてきたベルダは、マリアから指示されて回収してきた物を手渡す。


――彼女の目を盗んで、部屋に逢いに来てほしい。 そう書かれた手紙を確認したマリアは、食堂に入り、暖炉の中にそれを放り込んだ。


「あー、やだなぁ。こんなに血まみれになって。絨毯のなんか絶対落ちませんよ、これ」

「捨てるしかないでしょうね。目障りな物は、いつまでも置いていても邪魔なだけよ」


床の掃除に思いを馳せるベルダに、マリアは答えた。マリアの言葉を聞いて、ベルダがにっこり笑う。


「怖いですね。平然と人をいたぶれる奥様も、それを仕掛けておいて顔色ひとつ変えないマリア様も」

「やっぱり血は争えないわ。あの女も冷酷だけど、私はそれ以上かも」


ついでに、伯母の愛人が書いた文書も暖炉に放り込む。伯母の部屋や、あの男の部屋を掃除した時に探して、手に入れておいた物だ。


商会で書記や書類整理にあたっていたマリアには、人の筆跡や文章の書き方に特徴があることを理解し、それを真似ることができるようになっていた。


マリアに煽られたエルザは、マリアを出し抜くためにあの男のもとへ夜這いに行っていた。それを確認したマリアは、あの男らしい書き方で、恋人と密会するような偽の恋文を作り伯母の手に渡るようにした。

もっとも、あの男と付き合いの深い伯母には偽の手紙を見破られる可能性はあった。他の誘導方法も色々と考えていたのに、驚くほど簡単に、マリアの思惑通りにすべてが進んでしまった。


ここまでうまくいくとは思わなかった、というのが正直な感想だ。伯母も、あの男の不貞に薄々感づいていて……だからこんな仕掛けに簡単に引っ掛かってしまったのだろう。

あの女も、身の回りの世話をしていたのだから、伯母の機嫌が良くないことは知っていたはず。それをわかっていながら男に飛び付くなど、主人を馬鹿にするにもほどがある。彼女がもう少し賢明であり忠誠心があれば起きなかったこと。同情心などわかない。


ベルダと共に自室へ戻ると、不安そうな顔をしたオフェリアがマリアに飛びついてきた。


「お姉様、なんだかとっても怖い声がしたわ。何があったの?」


寝かしつけられませんでした、という表情で、ナタリアが申し訳なさそうにマリアを見つめて来る。

騒ぎが起きる前に、オフェリアを眠らせておくはずだったのに……。


マリアは微笑み、オフェリアの頭を優しく撫でた。


「心配しなくても大丈夫よ。ゴキブリが出ただけだから」

「ゴキブリ?」

「ええ。虫一匹のために女たちがぎゃーぎゃー騒いで……みっともないわ」

「私もゴキブリ怖い」


怖がるオフェリアを抱きしめ、そのままベッドへ連れていく。大人しくベッドに入ったオフェリアは、不安そうに姉を見上げた。


「まだゴキブリいるの?」

「叩き潰しておいたから、もう出ないはずよ。でも、まだゴキブリが出た後の片づけが終わっていないから、食堂へは行かないようにね。それと庭も駄目よ。念のため、薬をまいて虫を殺すみたいだから」


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