渦巻く思惑 (1)
あれやこれやと妹を着飾らせていたマリアに、ついにオフェリアが怒った。
「もーっ!着せ替えもう疲れた!そんなにドレス選びがしたいなら、お姉様が着ればいいじゃない!」
「私が着たって意味ないでしょう。今日の主役はあなたなんだから」
ドレスや装飾品を部屋中に並べ、オフェリアを美しく引き立てる最高のものをマリアは探し続けていた。
ガーランド商会の協力もあって費用を一切惜しむことなくひたすら妹のための衣装を探すマリアに、さすがの伯爵も苦笑いする。
「綺麗なドレスが着れるのは嬉しいけど、疲れたよー……」
涙目で呟くオフェリアに、ついにベルダからのストップがかかった。ようやくドレスを脱ぐことができたオフェリアは、ぐったりと長椅子に横になる。
少しはしゃぎ過ぎたか、とマリアも反省した。
「だがオフェリア。今日は君の装いが非常に重要になるのは間違いない。何せ今日は、ヒューバート王子の婚約者として、君を披露する場でもあるのだからな」
伯爵に優しく諭され、オフェリアは神妙な面持ちで頷く。
オフェリアは今日、デビュタントを踏む――ヒューバート王子の隣で、ヒューバート王子の婚約者として。
王がついに、ヒューバート王子とオフェリアの婚約を了承した。
恐らく、王とマリアの関係を知ったチャールズ王子が婚約破棄を求めて父親に訴えたのだろう。
だから、オルディス公爵を確保するための予備策が必要になった――王家に繋ぎとめる第二の手段として、妹オフェリアとヒューバート王子の婚姻を認めざるを得なかった……。
「しかし、着飾る必要は君も変わらないはずだろう、マリア。年齢や整った容姿を考えれば、もっと華やかな装いでも構わないぐらいだぞ」
伯爵が不満そうに言ったが、マリアは首を振る。
「オフェリアより目立っては、妹を着飾らせる意味がありません。それに、今日の私は壁の花でしょう」
あの日以来、チャールズ王子はおろかレミントン侯爵からもマリアに接触してくることはなくなった。
侯爵が何を考えているかまでは分からないが、チャールズ王子はマリアともう関わりを持ちたくないと思っているはず。今日のパーティー、マリアへのエスコートすら期待できないだろう。
「さあオフェリア。ドレスは決まったから、今度は髪型よ」
「もう疲れたもん……」
城に着いたオフェリアを、ヒューバート王子が出迎える。
ヒューバート王子は慈愛に満ちた微笑みで、一段と美しく着飾ったオフェリアを見つめていた。オフェリアも、正装した王子に顔を赤らめている。
「ユベル、いつもよりかっこいいね」
「ありがとう。オフェリアもとても美しいよ、本当に」
オフェリアの手を取って王子は口付け、パーティーホールへ向かう。オフェリアは、不安そうにマリアを振り返った。
「パーティーは、お姉様も一緒なのよね?」
「会場にはいるわ。でもすぐ近くには行ってあげられないかもしれない。オフェリア、教えたことをしっかりね。殿下、オフェリアのこと、くれぐれもお願いしますよ」
今日のパーティーに向けて、オフェリアにマナーや自分の成すべきことを徹底して教え込んである。
にっこりと微笑み、できるだけ口を開かない。必ずヒューバート王子のそばにいて、王子が声をかけた人にだけ挨拶すること……。
数多くの貴族が出席する今日のパーティー。誰でも好きなように声をかけていいわけではない。
貴族にも格や順位があり、それを無視してしまうと厄介だ。オフェリアではそれをすべて覚えきるのは不可能――というより、そういったルールの意味が理解できない。
だからとにかく、王子が大切にしている人たちにだけ挨拶なさい、とマリアは教えたのだ。もともと、知らない人の前ではお喋りしないということを教えられてきた妹だったし。
「あれがオルディス公爵の妹……」
「ヒューバート殿下と並ぶとなんと美しい……一対の絵のよう……」
「オルディス家はやはり姉妹揃って美人ですな……」
「……しかし、ヒューバート王子までオルディスの人間と結婚するのは……」
パーティーは、予想通りヒューバート王子とオフェリアの話題で持ちきりだった。
何も気付いていないふりをして微笑んでいるが、大勢の人間から注目され、オフェリアが内心怯えていることは姉であるマリアには分かった。
そういったことは苦手な子だ。それでも耐えているのは、やはり隣にヒューバート王子がいるからだろう。王子も、オフェリアに寄り添い、守ろうとしてくれている……。
「今日の君は壁の花か。なんともったいない」
遠目からオフェリアを見守っていたマリアに、ウォルトン団長が声をかける。ドレイク卿も一緒だ。今日は二人も正装をしていて、いつもに増して貫禄がある。
きらびやかな軍服を着たウォルトン団長も、銀の装飾が入った濃紺の礼服を着たドレイク卿も、ご婦人方の熱い視線を集めていた――二人とも、女性関連は少々あれだが。
「もう少し華やかなドレスでも良かったんゃないか。いや、似合ってはいるし、シンプルさが君の美しさをよく引き立ててはいるが……年配の既婚者が着るようなものだろう、それは」
飾り気のない深緑のドレスを見て、団長はそう評した。たしかに、未婚でまだ結婚適齢期ギリギリのマリアが着るには地味なドレスだ。
「あら。私、そろそろ年増と呼ばれてもおかしくない年齢になってきましたのよ」
「もうすぐ誕生日だったな」
ドレイク卿が言った。
そうか、とウォルトン団長は感慨深そうに何やら頷いている。
「もうマリアも十六か。初めて会ったときは、まだあどけなさが残る少女だったのになぁ。月日が経つのは早いものだ」
「……そういうことを口にするから、オフェリア嬢からおじさん扱いされるのではないか」
地味に気にしているらしいことを指摘され、団長がグッと呻き声を漏らしていた。マリアはクスクスと笑う。
「オフェリアには、まだ大人の男の魅力が理解できないのです。歳月を経て、レオン様はますます渋さと雄々しさを増して素敵になりました」
「マリアは男というものをよく理解している」
団長はいつもの調子でマリアを抱きしめようとしたが、ドレイク卿がそれを止めた。
「さすがにこの場ではやめておけ。貴公の軽薄さは有名だが、それでも公の場で、王子の婚約者にして良いことではない。オルディス公の名誉に傷がつく」
「私は構わないのですが、レオン様たちに貰い事故をさせてしまうのは不本意です。婚約解消ももう目前にまで迫ってきているのですから、いまは大人しくしておくべきでしょうね」
パーティーホールが、ざわ、と騒がしくなった。
ヒューバート王子とその婚約者に集まっていた視線が、別の場所に移る。
客の注目を集めるのは、チャールズ王子――と、王子の隣に並ぶ少女。
ドレイク卿もウォルトン団長も、チャールズ王子と彼にエスコートされる少女を見て眉をひそめていた。
「おいおい。今日のパーティーは陛下もおでましになられるのだぞ。婚約者を放って他の女を連れるとは……」
「見覚えのない顔だな」
「お前はそういうの疎いからな。あれはアップルトン男爵のご令嬢だ。母親は平民で、その母親が亡くなったことで引き取ったらしい」
「……男爵には妻がいただろう。愛人の子が男爵令嬢を名乗っているのか」
妻が生んだ子どもでなければ、本来はその家の子どもを名乗れない。正妻との間に子がいなくとも、愛人の子では権利が与えられない――実際は、例外や前例はいくらでもあるが。
それでも、王の御前に出てきて良い立場ではないはずだ。
そんな少女を連れてパーティーにやってくるとは、チャールズ王子の反抗心も、ついに一線を越えてしまったらしい。
反発している相手は、果たして王なのか、それとも……。
「ずいぶんと派手だな」
「パトリシア王妃の趣味だろう、あれは。派手ならそれでいいと思い込んでるようだからな」
モニカ・アップルトン男爵令嬢の装いに対して辛辣な評を下す二人に、マリアは失笑した。
相変わらずモニカは、彼女には似合わない、派手なドレスを着ている。
最近まで平民だったモニカは、ドレスを着こなすためのトレーニングは受けていないのだろう。豪奢なドレスの重みに負けて姿勢が悪く、スカートの裾を捌くのにもたついて、立ち姿はみすぼらしく、歩けば下品さを強調してしまっている。
特にエンジェリクで着るドレスの主流は、コルセットにペチコート。
身体を動かすにもコツがいる。マリアも慣れるまで鬱陶しくてたまらなかったし、オフェリアもドレスを着こなす特訓には時々弱音を吐いていた――ヒューバート王子の隣に並ぶため、と自らに言い聞かせてなんとか頑張っていたが。
きっとモニカには、もっと落ち着いた素朴な衣装のほうがいい。
いっそ地味で質素と言われそうなものでも、派手なものを着てみすぼらしい姿を晒すぐらいならそちらのほうがましだろう。
モニカ自身の容姿は悪くないのだ。大したことのないドレスを着ていても、本人の可愛らしさで十分補える。
チャールズ王子は、彼女の良さを引き立ててあげるつもりもないのか……。
「オフェリア嬢は、卒なく挨拶できているな」
「猛特訓しましたから」
ヒューバート王子が声をかけ、オフェリアを貴族に紹介する。
そこでオフェリアは初めて口を開き、簡単な自己紹介をした後はにこにこと微笑むだけで沈黙を守る。
それを徹底して、妹には教え込んだ。あとはヒューバート王子に全力でフォローしてもらう――王子も、それは自分の役割だと承知の上でオフェリアと結婚したいのだから。
「オフェリア・デ・セレーナです」
「これはこれは。実に可愛らしいお嬢さんですな。このような可愛いお嬢さんと王子の出会い、ぜひうかがってみたいものだ」
そう言って、王子から紹介を受けた貴族はオフェリアの手を取り口付ける。
あ、とマリアは声を漏らしそうになって口を閉じた。
見知らぬ男性に、オフェリアは怯える傾向がある。淑女としての笑顔をなんとか保ちながらも、内心激しく動揺しているのがマリアには分かった。
相手に気付かれないよう、そのまま堪えていてほしいところだが……やはり、直接オフェリアの手に触れた貴族には、妹の動揺を見透かされてしまった。
「どうかされましたかな?」
ごく自然な挨拶をしたはずなのに――貴族が、不思議そうに尋ねてくる。
自己紹介以外のお喋りを教えられていないオフェリアに代わり、ヒューバート王子がにこやかに対応した。
「彼女は緊張しているようだ。こういった場は初めで……。それに僕自身、威厳ある侯爵の前では委縮してしまう。それが伝わったのもあるだろう」
「ほほ。実の孫ですら泣かせてしまうようなあなたの怖い顔では、可愛らしいお嬢さんが怯えるのも当然でしょうよ」
侯爵の妻は気遣いのできる女性のようで、王子のフォローに合わせて場を和ませた。夫人の冗談に、周囲も明るく笑っている。
「オフェリア、あちらは――」
ヒューバート王子は、フォレスター宰相の有能な補佐でもある子爵を紹介しようとオフェリアを誘導する――それを、一人の少女が阻んだ。
「こんにちは、オフェリアさん!」
一同が、ぎょっとなった。
モニカ・アップルトン男爵令嬢に声をかけられ、オフェリアは硬直している。
ヒューバート王子が声をかけた人間にだけ自己紹介をして、それ以外は絶対喋らない。その約束を守らなくてはいけないのに、挨拶をされて。
自分はどうしたらいいのかと、オフェリアの困惑した視線がマリアの姿を探している。
「あれはまずいな。オフェリアの性格では無視を決め込むことができん」
マリアのそばで、一緒にオフェリアの様子を見守っていたウォルトン団長が言った。
オフェリアは、あの割って入った少女に答えてはいけない。モニカは、公式な場でオフェリアから声をかけてもらえるような身分を持っていないのだから。
貴族社会の暗黙のルールを無視してモニカに声をかけてしまえば、それは彼女への贔屓を表明したことになる。
デビュタントを踏んだばかり――これから貴族たちにアピールしていくオフェリアがそんな真似をすれば、さっそく敵を作ってしまう。
マリアなら容赦なくモニカを黙殺してやるが……オフェリアにはできない。
「しかしあれは、チャールズ王子にも問題がある。王子が連れを止めるべきだろう」
「止めると思うか?貴族諸侯を見下していて、何かと貴族社会のルールを馬鹿らしいと嘲笑っている王子が」
ドレイク卿の言葉を、ウォルトン団長が一蹴する。
モニカの割り込みもまずいが、それを止めるべき立場にあるチャールズ王子が何もしないのも大問題だ。
ヒューバート王子は、明らかに宰相補佐である子爵に声をかけようとしていた。それを割り込ませてしまえば、子爵にも恥を掻かせることになる。むしろ恥を掻かせるために割り込ませたとすら思われかねない――侮辱行為だ。
「私より年下の子って初めてだから、会えてすごく嬉しい!仲良くしてね」
差し出された手に、オフェリアはおろおろしている。
ヒューバート王子は、飲み物を持ってそばを通り過ぎようとした侍従にさりげなく手を伸ばし、彼の持っていたトレーを引っくり返した。
派手な音を立ててグラスが床に転がり落ち、侍従は真っ青になった。
「申し訳ございません!」
「いや、手をぶつけてしまったこちらが悪い。すまない」
片付けようとする侍従と共に王子が跪けば、侍従は卒倒しそうなほど真っ青に……いや、血の気が引き過ぎて真っ白になっている。
「殿下、お怪我はございませんか」
宰相補佐の子爵が声をかけた。
「ああ。みっともない姿を見せてしまった。美しい婚約者を連れて、僕も舞い上がっていたようだ」
王子が冗談交じりに言えば、子爵だけでなく周りの貴族も朗らかに笑った――そうすることで、この場の空気を変えようと。
騒ぎに気付いた侍従長がすっ飛んで来て、王子に頭を下げる。
彼を罰しないように、と侍従を庇うヒューバート王子を眺めながら、マリアは密かに胸をなでおろしていた。
「悪くない逸らし方だ。それにこれで、ヒューバート殿下とチャールズ王子の、連れの女性に対する扱いの差がはっきり出た。もはやアップルトン男爵令嬢はオフェリアの良い引き立て役だな」
ウォルトン団長の言葉に、マリアもまんざらでもないように笑う。
トラブルによってモニカの割り込みはうやむやとなり、ヒューバート王子は改めて子爵に声をかけた。
何事もなかったかのようにオフェリアを紹介し、オフェリアも教えを守って挨拶する――。
モニカの無礼さを放置して、彼女の評価を下げるチャールズ王子。
自分が道化となってでも、オフェリアの名誉を守ろうとするヒューバート王子。
こればかりは、連れの女性に対する誠意や思いやり、愛情の差だ。
ヒューバート王子は真実オフェリアを愛しているが、チャールズ王子はモニカにさほど思い入れがない。そんな女を、わざわざこのパーティーへ連れて来た――婚約者のマリアを無視して。
その理由は、マリアには分かるような気がした。




