思わぬ邂逅 (3)
着飾ったマリアは、鏡に映る自分を見つめて溜息をつく。鏡に映る自分も、憂鬱そうな表情をしている。
「気が重いわ」
「俺も、お前一人行かせるのは気が進まねーけど」
着飾ったマリアの出来栄えを眺め、ララが言った。
今日は王妃のお茶会に招かれている。目的は、チャールズ王子との親睦。
さすがに、男のララは連れていけない。レミントン侯爵がわざわざ招いてくれたというのに、最初からケンカ腰というわけにもいかない。城には同行してもらうが、茶会の席に連れていけるのは侍女のナタリアだけだ。
「お姉様、とっても綺麗よ」
ドレス姿のマリアに、妹のオフェリアは無邪気に賛辞を送る。マリアは困ったように微笑んだ。
それなりに着飾ったが、きっとチャールズ王子から何らかの評価をもらえることはないだろう。
別に褒められたいとも思わないが……最初から評価がわかりきっているのに着飾るのも、なんとも虚しい話だ。
王妃のお茶会にマリアが到着すると、王妃の侍女たちからはきょとんとされてしまった。侍女が王妃に確認に行っても、パトリシア王妃もきょとんとするばかり。
向こうの不手際ということにして、このまま帰らせてもらえないかな、なんてマリアは密かに期待していたのだが、チャールズ王子が律儀に対応した。
「母上、今日は僕が招いたのです。伯父上から、親交を深めるよう言いつけられまして」
「あらそうなの。リチャードが言うのなら、きっとそのほうがいいのね。おまえ、席を用意なさい」
王妃は侍女にそう言いつけたきり、自分の客のもとへ行ってしまった。
チャールズ王子が婚約者を招いた経緯に関心も示さず、マリアに挨拶もせず。
――王妃が可愛いのは自分だけ。
かつてそう評されていたのを聞いたが、それは限りなく事実なのだろう。息子のチャールズ王子にすらこの無関心さ……。
侍女に案内されてチャールズ王子と共に席に着いたマリアは、招待された礼を述べた後、黙り込んでしまった。チャールズ王子も沈黙して世間話を振ろうともせず。
レミントン侯爵がいれば二人の間を取り成したかもしれない。
マリアから、王子に歩み寄るつもりはなかった。マリアとの時間を沈黙でやり過ごそうとする王子の顔を、マリアは無遠慮に見つめていた。
「……殿下は、やはり陛下やヒューバート王子によく似ていらっしゃいますのね」
ぽつりと、マリアが呟く。
特に他意があったわけではなく、チャールズ王子の顔を眺めた素直な感想が口をついて出た。
ヒューバート第二王子とエンジェリク王は、よく似ている。見た目がというより、二人がまとう雰囲気がそっくりだ。
それに比べると、チャールズ王子は兄王子とも王とも異なる、異質な雰囲気がある。だが顔の造詣は、見比べてみるとやはり似ている。
「目元だけは……殿下はお母様似なのでしょうか。耳の形はお父様、お兄様と同じですね」
「……姉上とは似ているか」
返事があるとは思わなくて、マリアは目を瞬かせた。
チャールズ王子の姉――エステルのことか。
パトリシア王妃の前夫との間に生まれた娘。エンジェリク王とは血の繋がりはないが、チャールズ王子にとっては間違いなく実の姉だ。
「いいえ、目元は……あら、でも髪の色はお姉様も同じでしたね。それに瞳の色も」
赤みがかったチャールズ王子の金髪は、白金のヒューバート王子のもとははっきり違っている。
「父上も、若い頃は金髪だったと聞く」
チャールズ王子の相槌に、彼が何を言いたいのかマリアは察した。
「存じ上げております。お若い頃の肖像画を拝見しましたから。金髪というだけでよろしいのでしたら、私の母や妹も金髪です。少し色は違っていますが」
エンジェリク王は、息子であるはずのチャールズ王子には冷淡なのに対し、エステルには気遣う姿を見せている。知り合って日も浅いマリアですらその違いに気付くほどなのだ。チャールズ王子が、それに気付いていないはずがない。
エステルとエンジェリク王――二人の間には、何かがある。
「エステル様は、陛下と似ていらっしゃいませんわ」
「……そうか」
ホッとしたようにチャールズ王子が呟く。マリアを見もせず相槌を打ったが、その表情は年相応の幼さがあり、素直なものだった気がした。
エステルは、エンジェリク王の子ではないか。
そんな疑いを抱くチャールズ王子の気持ちも理解できる。年齢的に有り得ない話ではないし、そう考えればエンジェリク王の贔屓に納得ができる。
――だが、恐らく彼らの関係はもう少し複雑なものだと思う。
「ちょっと!なぜあなたがここにいるのよ!?」
少女の声に、マリアもチャールズ王子もそちらを見た。
チャールズ王子の同母妹ジュリエット王女だ。目を吊り上げ、マリアを睨んでいる。
「ジュリエット――」
「お兄様にまで色目を使うつもり?卑しい女――さっさと出て行ってよ!」
チャールズ王子は妹を諌めようとしたが、王女はマリアが兄に近づいているのが我慢ならないらしい。
腕を引っ張って追い出そうとする王女を、レミントン侯爵が止めた。
「やめなさい、ジュリエット。今日はチャールズの客として来ているんだ。兄の婚約者を、そんなに邪険に扱うものではないよ」
伯父に諌められても、まだ王女は不服そうだった。
「伯父様も所詮男だものね。そんな女の色香に騙されて……お兄様まで巻き込まないでほしいわ!」
恨めしそうに伯父を睨み、ジュリエット王女はマリアへの敵意と憎悪を隠すことなく去っていった。
以前から好く思われていないことは知っていたが、王女からの敵意はさらに増しているような気がする。
……まさかね、とマリアは悪い予感を頭の片隅に追いやった。
「女同士というのは、実に厄介なものだ」
「ジュリエットはモニカにもきつく当たっています。でもモニカに会う前は、キャロラインにもきつかったんですよ。モニカと親しくなってから、当てつけのようにキャロラインと仲良くするようになって……」
やれやれ、とチャールズ王子も首を振る。レミントン侯爵は溜息をつき、それからいつもの笑顔を浮かべてマリアと王子を見た。
「遅くなって申し訳ない。私も最近は忙しくてね。だが思っていたより和やかそうな雰囲気で安心した。チャールズが横腹を蹴飛ばされて倒れ込んでいるのではないかと心配していたのだが、二人で仲良く席に着いているみたいだし」
チャールズ王子が苦虫を噛み潰したような表情をし、マリアは「ほほほ」と涼しげに笑い飛ばす。
嫌味なのか冗談なのか、分かりにくい男だ。
「こんな女と仲良くだなんて、無理です」
「そうかい?もったいないなぁ……美人だし、頭の回転も良いし、妻にするにはなかなか面白い女性だと思うんだが」
「いつも男をかしずかせ、侍らせているような女ですよ。未来の王妃に、そんな女を選ぶわけにはいきません」
「前々から思っていたんだが、オルディス公爵が男を侍らせてるって言うのは、いったいどこ情報だい。たしかに親しい男性は多いようだが、城に出入りしていたらそういう知り合いが増えるのは自然だろう。男中心の場に来ていれば、親しくなるのは当然男ばかり。それで責められているのなら、いくらなんでも気の毒過ぎやしないか」
レミントン侯爵はマリアのことを庇ってくれるが、正直なところ心当たりしかないマリアとしては複雑だ。
チャールズ王子が偏見でマリアを責めているのは事実――だがその偏見が大当たりの場合、それは偏見と言えるのだろうか。
「どうぞお気になさらず。私、いまさら殿下に好かれたいとも思いませんもの。あばずれ扱いで構いませんわ」
マリアがレミントン侯爵に向かってにこやかに言い切れば、なぜかチャールズ王子が目を丸くする。
何をそんなに驚くのかと、マリアのほうが驚いてしまった。
「僕に好かれたいと思わない……?」
「思いません。ご自分の言動を振り返ってみてくださいな。殿下が男を侍らせる女を嫌がるように、私とて、婚約者がありながら他の女を側においている男など御免です」
モニカとはそんな関係じゃない、と王子は顔を赤くして否定する。その言い訳ももう聞き飽きた。
「殿下がどう主張しようと、事実がどうであろうと、私の目にはそのようにしか映りません。殿下も私の言葉など聞かず、実態を知ろうともせず、私がどういう人間か決めつけていらっしゃるでしょう?私も同じことをしているだけです」
神妙な顔をして黙り込むチャールズ王子に、マリアは意外な思いがした。
今日の王子は、ずいぶんとしおらしくマリアの話を聞いている。いままでマリアが見て来たチャールズ王子は、自分の思い込みと独りよがりな判断で相手の話を聞こうともしなかったのに。
マリアがまじまじとチャールズ王子を見つめていると、レミントン侯爵が愉快そうに笑った。
「気にしなくていい。寵愛が欲しくないときっぱり言われて、ショックを受けているのさ。誰もが王子の自分に好かれたがっていると思い込むチャールズには、良い薬だ」
「そこまで衝撃を受けられると、私のほうが戸惑ってしまいます」
チャールズ王子は、唇をへの字にして伯父を睨む。
「伯父上。僕が侮辱されているのに、そんな楽しそうな……」
「お前はすぐ鼻が長くなるからね。お前の鼻を、ぽっきりへし折ってくれるぐらいのお嫁さんが丁度いいよ」
レミントン侯爵はチャールズ王子の鼻を突つく。王子は不満そうに睨みながらも、険悪な様子ではなかった。
チャールズ王子も、レミントン侯爵と一緒ならいくぶんかまともらしい。幼稚さも、自分を可愛がってくれている伯父への甘えに見える。
――やはりチャールズ王子と私的な交流を持つべきではなかなったな、とマリアは思った。
――敵対することが決定している相手の、まともな部分など……知りたくなかった。
「今日はありがとう、オルディス公。思った以上に楽しい時間になった。チャールズとも打ち解けられたようだし」
見送りの際、侯爵からにこやかにそう言われてマリアは苦笑いするしかなかった。
チャールズ王子も、まだ不満は残っているようだが、それでも婚約者の礼儀としてマリアの見送りに同行している。
「私のほうこそ、お招きくださってありがとうございました」
「また折を見て、交流する機会を持とう。チャールズも、構わないだろう?」
頷きはしなかったが、チャールズ王子は否定もしなかった。
……またの機会は、できれば来て欲しくないものだ。
「チャールズ殿下と親しくなられるのは、私は良いことだと思うのですが……。マリア様も会話を楽しんでいらっしゃるように見えました」
屋敷へ帰る馬車の中、侍女のナタリアからそう言われてマリアは顔をしかめた。
チャールズ王子、レミントン侯爵を相手に、警戒心や敵愾心が薄れているのだとしたら大問題だ。
ヒューバート王子が、それを許すはずがない。




