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紫色のクラベル~傾国の悪役令嬢、その貴種流離譚~  作者: 星見だいふく
外伝 キシリア漫遊記
140/252

海軍提督大ピンチ


エンジェリクへと帰っていく船の上。

オフェリアは、一人の男に熱い視線を送っていた。


少女の注目を集める男は、平静を装いながらも困惑していた。


「……なあ。ワシ、そんな怖いか?」


ブレイクリー提督は、副官でもある部下の水夫二人に声をかける。


オフェリアのことは、提督も知っていた。提督の大切な恋人の、大切な妹。

もちろん、彼女には嫌われたくなかった。なるべく怖がらせないよう、提督なりにせいいっぱい丁寧に礼儀を尽くしているつもりなのだが……。


大柄な自分は、オフェリアのような少女を怖がらせてしまう自覚はある。だからオフェリアに怖がられてしまうのは、仕方がないと諦めてはいた。


「そりゃ怖いでしょうね。初対面から提督に全然怯えないマリアお嬢さんが特別なだけです」

「男でも、初めて提督を見た時はすくみあがるもんッスから。あんな可愛らしいお嬢さんじゃあ、泣き出さないだけでもえらいっていうか」


……諦めているけれど、当たり前のような顔で指摘されると、やっぱりカチンと来る。

ジロリと双子の水夫を睨み、拳を握り締めた。

だが。


「あっ、あっ!提督!オフェリアお嬢さんがこっち見てますよ!」


双子の片割れが焦ったように言えば、ぐっと提督は振り上げかけた拳を止める。

ちらりとオフェリアを見てみれば……ぶつの?やっぱり怖い人なの?と言わんばかりの表情で、じーっとこっちを見ている。


ぐぬぬ、と歯を食いしばるブレイクリー提督に対し、双子はニヤニヤ笑いを浮かべていた。


「どうしたの、オフェリア。あら、ブレイクリー提督のことを見てたのね」


聞こえてきた声に、提督はパッと振り返った。もう双子の副官のことなんか、どうでもいい。

愛しいマリアの声……マリアは、いつものように美しく微笑み、妹に話しかけていた。


「すごく大きいなぁ。お屋敷にも来てたよね、あの人」

「ええ。提督は優しくて紳士的な人よ。マサパンだって身体は大きいけれど、とても優しくて勇敢な子でしょう?」


マサパンというのは、マリアたちが可愛がっている犬のことだ。

キシリアで、提督たちも見た。大柄な犬だが人懐っこく、水夫や騎士たちも気に入って可愛がっていた。

……あれと同じ扱い……。


ちょっと複雑な思いがしながらも、オフェリアを連れてマリアが近づいてくるのを見て、ブレイクリー提督も彼女たちに視線をやった。


「ブレイクリー提督。とっくにご存知だとは思いますが、妹のオフェリアです」


オフェリアに向かって、提督はせいいっぱいの笑顔を向ける。

が、オフェリアはマリアの後ろに隠れ、不安そうな表情で提督をちらちらと見ていた。


「水夫さんたちをいっぱい怒ってたの。怖い人?」


怯えるオフェリアに、提督の笑顔も引きつってしまう。

怖い、と自分はよく言われる。むしろ、怖がられたことしかない。マリア以外は。


最初に会った時は怖いと思ったけれど、本当は優しい人なんですね――自分とちゃんと向き合ってくれた人でも、たいていこの評価だ。

最初からまったく怯えなかったのはマリアだけで。

むしろ、なんでマリアは平気だったんだ……。


「それは仕方がないわ。ブレイクリー提督は、たくさんの人の命を預かる立場にあるんだもの。提督のミスは、船に乗っている人全員の命に関わるのよ。お仕事中は、優しいだけではいられないのよ」


マリアは丁寧に説明し、オフェリアの誤解を解く。


「ジェラルド様やレオン様だって、お仕事中は怖い顔したり、部下の人を叱ったりしているでしょう?ヒューバート殿下だって、戦場に出たら怖い姿をすることだってあるのよ。でもそれが、その人の本性というわけではないわ。どんな人も、色んな場面で、色んな姿を見せるだけ」


姉の説明に、オフェリアは考え込んでいるようだ。


「……お嬢さんって、ほんと、できた人ッスねー」

「ほんと、ほんと。こんなに提督の仕事に理解ある人、なかなかいませんよ」


マリアが妹を優しく教え諭すのを聞いていた双子の副官たちは、感心したように頷く。

せやろ、と相槌を打ち、ブレイクリー提督は、なにやら自分のことのように誇らしげだ。


「ブレイクリー提督は、時々キシリア語を喋ってるの。キシリアの人?」


話を振られ、提督は目を丸くしてオフェリアに視線を戻した。


「あ、ああ。キシリアの……ド田舎の出身や。海に面した、小さい村で育ってん」

「私、海って、キシリアを出る時まで見たことがなかったわ」

「そないに珍しいことでもないで。キシリアは広いからな。生まれてから一度も本物の海を見ることもなく死んでしまう人間も、やっぱおるやろうなぁ」

「お船の旅は好きよ。提督は、お船が好きなの?お船が好きだから、海軍さんになったの?」


臆することなく話しかけてもらえるのは喜ばしいことだが……矢継ぎ早に質問され、提督はたじたじだ。

ブレイクリー提督は、女性の扱いに慣れていない。オフェリアは女性カテゴリーに入れるには少し幼いので、提督も子ども扱いでまだなんとか対応できているが。


「ふふ……申し訳ありません。オフェリアは、本当はとてもおしゃべりが好きなんです」


二人のやり取りを、マリアはクスクスと笑って見守る。

マリアの取り成しもあって、ブレイクリー提督は無事オフェリアとも打ち解けられたようだ。




キシリアからエンジェリクへと帰っていく船の中。

可愛らしい少女がちょこまかと後ろをついて来て、大きな図体でおろおろとする海軍提督の姿があったとか。


後々、双子の副官たちがそれをネタに提督を茶化して、ブレイクリー提督の拳骨が飛んでくるまでがこの船のテンプレと化すのだった。


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