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紫色のクラベル~傾国の悪役令嬢、その貴種流離譚~  作者: 星見だいふく
第一部02 虚栄の公爵家 -強欲と冷酷と醜悪な女たち-
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オルディス家の女 (3)


夜も更けた頃、マリアは庭の片隅にある古びた物置に侵入していた。


老朽化したそこは物置としても活用されていないようで、壊れて放り込んだまま処分されることなく存在すら忘れ去られている物が詰め込まれている。

壁は一部が腐って剥がれ落ちており、積もった埃が床一面敷き詰められていた。ただ、彼女が出入りしているからだろう、埃が払われた部分が道のように続いている。

その先には、毛布とも呼べないようなボロボロの布切れに包まるベルダがいた。


「ベルダ」


声をかければ、ぱちりと目を開けたベルダがキョロキョロとあたりを見回す。マリアと目が合うと起き上がって目を瞬かせた。静かに、と合図してベルダを物置から連れ出す。

一応誰にも見つからないよう警戒しながら、マリアはベルダを自分たちの部屋へ連れ帰った。


マリアがベルダと共に戻って来たのを見て、オフェリアは喜ぶ。


「ベルダだ!お姉様、本当に連れて来てくれたのね」


ベルダの手を握って笑うオフェリアに対し、マリアは溜息をついた。


「本当に物置で寝てたわ。ベルダ、罰を受けてたのならどうして私に言わないの。どうにでもしたのに」

「いやー、毎日のように何かやらかして罰を受けてたので、もうあそこが私の部屋みたいになっちゃってて。責任とか感じなくていいんですよ。今日もオフェリア様を助ける前から、すでに何度も怒られてたんですから」

「なら、私がここに連れてきても問題ないわね。毎日いたのなら連中もいまさら確認しないでしょ」


ベルダの手を握ったままのオフェリアが、ぐいぐいと引っ張ってテーブルに連れていく。テーブルには、マリアとナタリアが厨房からくすねた食事が載っていた。


「一緒に食べよ」

「え、いいですよ。夕飯抜きなんてしょっちゅうですし、朝は食べれますから。三人で食べるにも少ない量なのに、私まで食べちゃったら……」

「いいから食べなさい。あなたが食べないなら自分も食べないって、オフェリアが言い張って聞かないのよ」


少ない夕飯がさらに少なくなったが、オフェリアは満足そうだった。ベッドに引っ張って行った時も、ベルダは抵抗した。

部屋にベッドは二つ。ひとつはマリアがオフェリアと一緒に使っている。ナタリアが使っているもうひとつに、ベルダを寝かせた。


「床でいいですって」

「却下よ。あなたはナタリアと一緒にベッドを使うの。私がオフェリアと一緒にベッドを使ってるのに自分は一人で使うなんて、と悩むナタリアの罪悪感を軽くさせてあげなさい。まったく、すぐ床で寝たがる人ばかりなんだから」


マリアより年上のナタリアと、マリアより身長の高いベルダでは、ベッドは非常に窮屈に見えた。だがもともと主人に二人でひとつのベッドを使わせていたことに悩んでいたナタリアは気にしていないようだったし、ベルダも平気そうだった。

オフェリアを寝かしつけた後、マリアは隣のベッドで横になっているベルダに声をかける。


「この屋敷に来て、どれくらいになるの?」

「半年です。奴隷として売られていたところを、奥様に買われました。ただ、男だと勘違いして私のことを買ったみたいです。たしかに当時の私って、背だけは高かったけどガリガリに痩せてて、男なのか女なのか分からない身体でしたからねー」


明るく話をしているが、異国から奴隷として売られてきたベルダは、マリアたちとは比較にならないほど劣悪な環境で過ごしてきたに違いない。ナタリアも、それを感じているようだった。


「追い出されそうになったんですけど、旦那様の取りなしで屋敷に置いてもらえることになりまして。良い人ですよねー。奥様やお嬢様、それに取り巻きやってる連中からは軽んじられてるみたいですけど」

「おじ様は、自分の身分が低いことと、屋敷に不在がちなのが理由だと言っていたけれど……」

「うーん、そこらへんの事情は私もよく分からないです。あ、でも、お嬢様と旦那様は血は繋がってないらしいですよ」


え、とマリアとナタリアが同時に驚きの声を上げた。


「なんか隠してるわけでもないらしくって、周知の事実みたいです。奥様が他の男と作った子どもなんですって。旦那様は婿養子で、唯一の後継ぎのお嬢様とは血が繋がってないし、実際に執り仕切ってるのは旦那様でも名目上の当主は奥様。微妙な立場ですね」

「……なるほど、それで。最初に会った時の伯母様の言葉の意味がわかったわ」


マリアは、ベルダから教えられた事実をもとに、自分を含めたオルディス家の人間関係を整理し、考えた。


「私たちがいれば、おじ様が名実ともにオルディス家の当主になる可能性ができるのよ。直系の後継ぎとはいえいとこは婚外子。立ち回り次第では私やオフェリアでも後継ぎになれるわ」


だから、自分のものにすればと伯母は嘲笑ったのだろう。

マリアやオフェリアと結婚すれば、おじは正式に当主になれる。オルディス家の血を引いていてもマリアたちは外国人。伯母ほど強い立場ではない。

オルディス家は、思ってた以上に複雑で厄介な人間関係のようだ。


「うーん、旦那様はそこまで下衆だとは思いませんがねぇ。恩があるので私がそう思いたいだけかもしれませんけど。奥様といいお嬢様といい取り巻きの侍女たちといい、この屋敷で強烈な女たちに囲まれてるせいか、旦那様も女は苦手って感じに見えるんですよ。名目上の当主は奥様とは言え仮にも公爵で、まだ若くて、見た目だって悪くはないのに愛人の一人もいないなんて、やっぱりそのせいじゃないですか?」

「いとこや侍女たちは納得しかないけれど、伯母様は顔を合わせた時間が短過ぎてよく分からないわね」


伯母について確かなことは、決して良い印象ではないことだけ。自分たちの味方になることはないだろう。


「奥様なら、明日帰ってきますよ。いやでもどんな人か分かるんじゃないですかね」

「そうなんですか?そのような知らせ、私、全然知りませんでした」


ナタリアが目を丸くするのを、ベルダが悪戯っぽく笑う。


「お嬢様が明日遊びに出かけるって話をしてたでしょ?旦那様が不在の間にお嬢様が屋敷を出される時は、奥様が戻ってくるっていう合図なんですよ。どうしてかは明日になればわかります。あ、正確には今日ですかね」




ベルダの言った通り、いとこが昼過ぎに出かけ、夕刻頃伯母が屋敷へ戻って来た――男を連れて。

夫が不在の間に、娘を屋敷から追い出して戻ってくる。なるほど、とマリアは心の中で頷いた。


戻って来た伯母に身構えたが、拍子抜けするほど屋敷は平和だった。

いとこがいないのでオフェリアは昨日よりもずっと安全だったし、腰巾着共はマリアに嫌がらせをするより伯母の機嫌を取り失敗しないように努めるほうを優先させていた。


伯母は、いとこと違ってマリアたちに興味がないようだ。屋敷に戻るなり連れの男と寝室にこもり、ときおり食事や洗濯等に呼ばれた侍女が出入りする以外、屋敷の者が関わることはなかった。


伯母と接触することなく一日を終え、安心したような、残念なような複雑な気持ちで翌日を迎えたマリアは、やはり油断していたのかもしれない。

オフェリアからは目を離さず洗濯をしていたマリアのもとへ、ベルダが血相を変えて駆け寄って来た。


「マリア様!今すぐナタリア様のところへ行ってください!二階の客室にいますから!早く!」


マリアが抱えていた洗濯物を強奪し、ぐいぐいとベルダは背中を押す。


「奥様が連れてきた男、覚えてますか?あいつがナタリア様を口説いているところを、奥様に見られたんです!嫉妬深い奥様にそんなところを見つかって、ただじゃ済みませんよ!」


急いでナタリアが掃除をしていたはずの客室まで走って行けば、部屋の中でナタリアが伯母に詰問されていた。血の気を失い、必死に身の潔白を訴えている。


「掃除をしていたところにこの方がいらしゃって……たしかに声をかけられはしましたが、お断りしました。お客様ですから強くお断りできなかっただけです!私は――」

「彼女が誘ってきたんだよ。ひどいなぁ。僕が断ったものだから、腹いせにそんなことを言って、罪をかぶせようだなんて」


ナタリアの言葉を遮るように、男がうそぶく。目が泳いで、明らかに挙動が不審だ。ナタリアがキッと睨めば、怯みながらもヘラっと笑った。


「僕はね、ローズマリー様に招かれてやってきた客だよ。その僕を、嘘つき呼ばわりするのかい?召使いの分際で。この僕に」


立場の差を思い知らせるように、男は一言ずつ強調して話す。怒りに顔を赤くしながらも、ナタリアは反論できないようだ。

伯母は後ろ姿しか見えないが、発した声は氷のように冷たかった。


「ベルトを貸していただけるかしら」

「へっ?ベ、ベルト?あ、ああ、構わないよ。もともと君に貰った物だし……」


そう言って、男は腰に巻いていたベルトを外して渡す。革で作られ、貴金属の装飾が施されたベルト――それを手にした伯母の目的を、マリアはすぐに察した。


「伯母様!」


ノックもなしに部屋に飛び込んだマリアに、ナタリアと伯母の愛人は驚いた。伯母は冷ややかな視線をちらりとマリアに向けただけだった。


「私の侍女が申し訳ありません。若く未熟故、伯母様に不愉快な思いをさせてしまいました。召使いの不始末は、主人である私の不徳の致すところ。不出来な召使いの代わりを、どうか私に務めさせてくださいませ」

「マリア様、そんな――」

「お黙り!あなたは口を閉じていなさい。私にこれ以上恥をかかせないで!」


ナタリアを黙らせ、マリアは伯母に向き合う。冷たい瞳には、残虐な色が浮かんでいた。


「服を脱いで後ろを向きなさい」


指示に従い、ベストとシャツを脱いで伯母に背を向ける。近くにあった椅子を引き寄せ、椅子の背もたれを握りしめてマリアは固く歯を食いしばった。


鋭く風を切る音とともに、ナタリアが小さく悲鳴を上げた。振り下ろされた革のベルトが背中に食い込み、焼けつくような痛みがマリアを襲う。ツメで切り裂くことができるのではないかと思うほど、マリアは強く椅子の背を握りしめた。


――大丈夫、あの時ほどじゃない。

フェルナンドの部下に襲撃された時に比べれば、耐えられないものではない。痛みの記憶と共に、あの時の屈辱を思い出した。

父の死を思い知った時、安穏な道よりも自分の矜持を優先させると決意した。それにオフェリアとナタリアを巻き込んだ。だからこれは戒めだ。二人に安穏を捨てさせた、その重みを思い知るためのもの……。


振り下ろされる鞭を、マリアは呻き声ひとつ上げることなく耐えた。何度振り下ろされたかは数えていない。

ようやく鞭打ちが終わった時、伯母が荒々しく息をする声だけが聞こえた。ナタリアは顔を押さえ、声を押し殺してすすり泣いている。伯母の愛人は、居た堪れなかったのかいつの間にか部屋を出て行っていた。


「……次はこれぐらいじゃ済まさないわ」


そう言った伯母は、やや疲れているようにも見えた。マリアが耐えてしまったことで、予想外に長引いてしまったのかもしれない。恐らく、泣いて許しを乞うような可愛気を期待していたのだろう。

当然、マリアはそんな期待に応えるつもりは毛頭なかった。


伯母が出て行った後、マリアは大きく息を吐いた。息をするたび、背中の傷が引きつって新たな痛みを生み出す。服を着ると、布が背中に擦れてかえって痛みが増すばかりだった。


「気をつけないとダメですよ、ナタリア様。あいつは女好きで、奥様の目を盗んでは美人を口説くんです。あれでも奥様が連れて来る男の中でもマシな部類なんですよ。口説かれるのをかわして逃げるか、奥様に見つからないように上手くやればいいだけだから」

「面目もないわ……」


ベルダに叱られ、ナタリアは反論することもなくうなだれていた。まだ涙が乾かず、真っ赤な目でマリアの手当てをしている。


「本当に申し訳ありませんでした。私のミスで、マリア様をこのような目に遭わせるなど……」

「次はきっと、かばいきれないわ。本当に気をつけて。あの様子だと、責め殺すことだってためらわないわよ、伯母様は」


血まみれになったシャツを見ながら、マリアが言った。


オフェリアの前で手当てをするわけにもいかず、オフェリアが眠るまで傷はそのままだった。

ベストで隠れていたが、脱いで血まみれになった背中を見せた時、卒倒してしまうのではないかと思うほどナタリアは青ざめていた。


「血のついた服は処分しておいて。オフェリアには見せられないから」

「はい。新しい服を……。またいくつかサイズを手直ししておきます」

「いいえ」


マリアはベルダを見た。


「あの男に口説かれて、伯母様に見つからないよう上手くやっている人間は誰なの?」

「あ、やっぱり気になります?」


ニヤッと笑うベルダに、マリアも不敵に笑い返す。


オフェリアもナタリアも、もう傷つけさせるわけにはいかない。マリアが大人しくしているのは――受け身に回るのはここまでだ。

――だって私は、自分の矜持を守るためにオルディス家へやって来たのだから。


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