雨が降る日
突然の雨に、マリアたちは急いでいた。
マリアは自分も旅用のマントを羽織っていたのだが、さらにノアのマントを頭から被せられ、雨の中を走っていた。
道の端に大きな木を見つけ、雨宿りにそこに入ってようやくマリアたちは一息をつく。
空は暗く、打ちつける大粒の雨は冷たく。この様子だと、今日はもう、雨は止まないだろう。
「急に降って来ましたね。寒いでしょうが、我慢してください」
マントをより着込ませ、少しでもマリアを暖めようと気を遣うノアに向かって首を振る。
「歩いてでも行きたいと言い出したのは私だもの。弱音なんか吐かないわ」
「私の見通しが甘かったのも事実です」
小高い丘の上にある花畑――まだ両親が生きていた頃、家族で遊びに行った思い出の場所。
マリアはどうしても、そこへ行きたかった。馬や馬車では通れない道だと分かっていたから、近くの村に馬を預けて徒歩で向かい……そして、雨に降られた帰り道のことだった。
かなり村の近くまで戻って来たが、予想以上に雨が激しくなっていき、マサパンも自慢の毛皮がぐっしょりと濡れて重たそうだった。
「……私一人で走って村まで戻り、馬車を持ってきます。この分だと、そのほうが良さそうです」
マリアの足では、どうしても余計な時間がかかってしまう。ノア一人のほうが早く着くのは間違いない。マリアは頷いた。
だが、言い出したノアの表情は浮かない――ポーカーフェイスだが、不安と心配が渦巻くノアの内心を、何となくマリアも察した。
「マサパンが一緒だから大丈夫よ」
ブルブルっと身体を振って水気を振り払うマサパンを見つめ、マリアは笑いながら言った。
苦笑しながら、それもそうですね、とノアも同意する。
ノアが行ってしまうと、マリアは木の根元にしゃがみこんだ。隣に座るマサパンの濡れた毛皮を撫で、ぼんやりと、降り続ける雨を眺める。
「雨の日にあなたと一緒だと、なんだか伯爵が迎えに来てくれそうな気になるわね」
雨が降った日、マサパンがうろうろしている時は、必ずホールデン伯爵がマリアを訪ねてくれていた。
伯爵の腕の中が、マリアが一番寛げる場所だ。一人でぼんやりと雨を眺めていると、どうしても伯爵が恋しくなってしまう。
ふと、マサパンが顔を上げた。落ち着きなくウロウロし始めたマサパンに、マリアも立ち上がる。
――今回ばかりは、伯爵ではないらしい。
「今日はツイてるぜ。雨に降られてアンラッキーだと思ってたが……こんなところに美味そうなウサギがいやがる」
まさにノアが危惧したとおりのことが起きた。
道端に、無防備な女が一人きり。野盗にとっては格好の獲物だ。
ならず者は三人。全員が武器を持ち、二人はマリアの腕よりも太い木の棒を、一人は小振りの剣を持っている。
牙を剥き出しにしてマサパンは唸り、マリアと男たちの間に立ちふさがった。マサパンから離れすぎないよう、マリアもじりじりとならず者たちから距離を取る。
下手をすれば、人間よりもずっと大きく迫力のある犬だ。三人いても、マサパンに迂闊に近づこうとはしない。
それでも、向こうも武器を持っていてはマサパンのほうが圧倒的に不利だろう……。
木の棒を持った男が殴りかかってきたが、マサパンが大きく吠えただけでもその男は腰が引け、体当たりされてあっさりと倒れ込んだ。
倒れ込む男の腕に噛みついて、マサパンは男を引きずり回す。振り回される仲間の身体に、他の男たちもさらにマリアから距離を取った。
「こいつ!」
剣を持った男がマサパンに斬りかかる……のを、今度はマリアが体当たりして止めた。
女のほうの反撃は頭になかったらしい。バランスを崩して倒れ込む男に引きずられてマリアも倒れ込みながら、馬車が近づく音を聞いた。
――ノアだ。
「マリア様!」
御者席に座っていたノアは、異変に気付くとすぐ馬車を飛び降り、ならず者たちを斬り捨てていく。
少し離れたところで仲間の攻防を見ていた男が一人で逃げ出したが、馬車から下りてきた人物に容赦なく蹴飛ばされ、倒れ込んだところに追い討ちを食らっていた。
……あれは、なかなかえげつない攻撃だったと思う。
「マリア、無事か」
ホールデン伯爵はピクリとも動かなくなった野盗をこれまた容赦なく足蹴にして、マリアのもとへ駆け寄る。
あとでノアがこぼしていたのだが、マリアを優先したからあの程度の攻撃でおさめただけ、だそうだ。放っておいたら、あの男はもっと悲惨な姿になっていただろうと……。
「助けてくださってありがとうございました。でも、なぜヴィクトール様がここに?」
「商談で、私も近くまで来ていた。急な雨で休んでいたらノアと出くわしてな。このあたりを旅しているとノアが手紙で知らせてきていたから、会えるのではないかと期待してはいたが」
マリアに怪我はないかと、伯爵は忙しなくマリアの身体を確認してくる。
「申し訳ありませんでした。やはり、お一人にするべきではなかった」
「気にしないで。私のワガママがすべての始まりなんだから。私の身に何が起ころうと、それは自業自得だわ」
ノアを励ますようにマリアはそう言ったが、伯爵はマリアを強く抱きしめ、馬車に乗ってからも手放そうとはしなかった。
御者席に再びノアが座り、マサパンも馬車に乗り込む。
村へ向かって帰って行く馬車の中、伯爵の膝に座らされたマリアは、大人しく伯爵の腕の中におさまっていた。
「ヴィクトール様、ノア様のことを怒ったりしないでくださいね。ノア様は何も悪くないのですよ。今回はマサパンも一緒でしたし」
「ノアは君を想い過ぎる余り、選択を誤ることが多い。私から与えられた命令だけを冷徹にこなせなくなる」
マリアの濡れた髪を撫でながら、伯爵が言った。
「ムスタファに襲われた時、メレディスが狙われた時、キシリアで君から離れて戦場へ行ってしまった時……どれも君の意思を尊重し過ぎてタイミングを見誤り、かえって君を危険に晒してしまった」
「ううん。もしかして、遠回しに、私のワガママが過ぎると怒られてます?」
「怒ってはいない。危なっかしいぐらい、自分のやりたいことを貫き通そうとする君が愛しくて堪らないだけだ。私も――ノアもな」
「私が言うのもなんですが……皆さん、本当に、私をよってたかって甘やかしますね」
伯爵がマリアの額に口付ける。そのまま押し倒されそうになるのを、だめです、とマリアが止めた。
「マサパンが見てます」
「マサパンは誰にも告げ口をしないぞ」
「私の気分の問題です」
マリアは頬を膨らませ、伯爵の頬をつねる。
「二人きりになって、誰に気兼ねすることもない時にたっぷり愛してください。ヴィクトール様の腕の中にいる間は、他のことを考えたくありません」
恐ろしいほどの殺し文句だな、と笑い、伯爵はマリアの頬に口付けた。




