愛しい思い出
ドラードへ帰る道中、マリアはかつてガーランド商会で働いていた頃に訪れた町を再訪していた。
「何か買いたい物があるんですか?」
洋裁店を覗くマリアに、ノアが声をかける。
「違うわ。伯爵との思い出を懐かしんでいただけ」
それはまだ、マリアがクリスと名乗ってガーランド商会で働いていた時の話である。
初めてのお給料――その大半は今後のために貯金をしたいマリアが預かったが、お小遣いとして、オフェリアにもいくらか渡しておいた。
お小遣いをもらったオフェリアはナタリアと共にお買い物に出かけ、可愛らしい服や服飾品が並ぶ店を熱心に覗きこんでいた。
「君はオフェリアだな。クリスの妹の」
通りがかった伯爵に声をかけられ、初めて会う大人の男性にオフェリアは怯える。
自分の後ろに隠れてしまったオフェリアに、ナタリアが優しく言った。
「オフェリア様。この方はホールデン伯爵ですよ。私たちを雇ってくださった」
「ガーランド商会の、一番えらい人?」
ナタリアの後ろから顔を出しておずおずと伯爵を見つめれば、伯爵はオフェリアを安心させるように笑いかけ、頷いた。
「今日は買い物かな。なにか不足している物でも?」
「十分過ぎるほど良くしていただいております。初めてのお給料を頂いたので、オフェリア様と、個人的な物を買い求めにやって来たのです」
ナタリアが説明する。
買い物を思い出したオフェリアは、お洋服って高いんだね、ともう一度洋裁店を覗きこんだ。
「もらったお小遣いじゃ全然足りないの。もうちょっと貯めなくちゃ」
「ならば今日は、私からの贈り物ということにして何か買わせてもらおう」
伯爵の言葉にオフェリアは目を輝かせ、「いいの?」と尋ねる。
「デイビッドは加減知らずにクリスをこき使っているようだからな。それぐらいの特別手当は必要だ」
貰った給料の大半が、マリアの残業代であることを思い出してナタリアは苦笑した。
フリルがついた可愛らしいリボンを買ってもらったオフェリアは上機嫌でマリアのもとに戻り、親切な伯爵のことを語った。
明日はこれで髪を結ってね、と楽しそうにお喋りしながら眠ったオフェリアを見つめ、マリアは起こさないようにそっと妹の髪を撫でる。
美しい金色の髪は黒く染められ、服は味気ない灰色のものばかり。
同じぐらいの年の女の子が可愛らしく着飾っているのを、オフェリアがたびたび羨ましそうに見ていたのはマリアも気付いていた。
「あんなに明るく笑うオフェリア様を、久しぶりに見ました。伯爵は、本当にお優しい方ですね」
ナタリアも、すっかり伯爵のことが気に入ったようだ。
伯爵やガーランド商会は、間違いなくマリアたちの恩人である。経済面だけでなく、精神的な面でもマリアたちを大きく支え、助けてくれている。
つくづく、自分たちは良い出会いに恵まれた。
妹におしゃれをさせてあげたい、なんて。そんなことを悩んでいられる余裕があるのだから。
それから数日後、マリアはオフェリアたちが覗いていたという洋裁店に来ていた――オフェリアには内緒で。
オフェリアが欲しがっていた服を、貯めておいた金で購入してあげたかった。
まだ自分たちの旅がどうなるのか分からないのだから、本当は少しでも貯めておくべきだとわかってはいたのだが、どうしてもオフェリアに買ってあげたくて。
オフェリアは次の給料まで我慢すると言っていたが、次の給料日までにはこの町を発ってしまう。
しかし、店内に入って商品を探してみても、オフェリアが欲しがっていたというピンク色のワンピースが見当たらない。
「ピンク色のワンピースを探しているんですけど。エプロンドレスで……裾に花の刺繍が入った」
「ああ、それはもう買い手が決まっててね。悪いけど諦めてくれるかい」
店員に声をかけてみれば、そう言われてしまった。マリアががっかりしていると、ホールデン伯爵が店にやって来た。
「クリス、来ていたのか。丁度良かった。君を探す手間が省けた」
伯爵を見た店員が奥に引っ込み、すぐに商品を持って来た。商品の入った箱を受け取った伯爵は、そのままそれをマリアに渡す。
「君の妹が欲しがっていただろう。ムスタファの一件で迷惑をかけてしまったことだし、口止め料込みの特別手当だ。受け取ってくれ」
「そんな」
反射的に渡された物を受け取ってしまったが、マリアは箱と伯爵を見比べながら首を振った。
「僕自身の油断が招いたことです。むしろ僕のほうが、伯爵たちに迷惑をかけたぐらいなのに」
「だが君が受け取ってくれないとなると、その服は無駄になってしまう。私が着るわけにもいかんだろう」
伯爵が笑う。
本当はとても嬉しくて、有難くて、すぐにでもこれをオフェリアに渡しに行ってあげたい。そんなマリアの内心を見通したかのように、伯爵はマリアの頭をぽんぽんと叩いた。
「……ありがとうございます。とても嬉しいです。妹もきっと、大喜びします」
「君が買ってあげたことにしておきなさい。私から貰うより、そのほうが彼女もより喜ぶことだろう。私は君から感謝されただけで十分だ」
さすがにマリアの手柄にするほど図々しくはなれないが、伯爵の心遣いを無駄にするのも無粋な気がした。
働き者のオフェリアに、妖精さんからのプレゼント――ということにして、オフェリアが眠っている間にこっそり枕元に置いておく。
朝、目を覚ましてプレゼントを見つけたオフェリアは、大喜びだった。
「お兄様、見てみて!とっても可愛い!」
買ってもらったリボンをしっかり髪に編み込んで、淡いピンク色のワンピースを着たオフェリアの笑顔は輝いていた。
マリアもそんな妹につられ、自然と笑っていた……。
「あの頃からずっと、伯爵には甘やかされて、守られてばかりだわ」
心身共に、マリアたちは伯爵やガーランド商会に守られていたと思う。
あの後も、オフェリアはずっと、買ってもらったピンクのワンピースを大切に着ていた。丁寧に手入れをして、ほつれたらすぐに縫い直して、成長に合わせてサイズの手直しまでして……。
「そうですね。伯爵は、あの頃からあなたのことを何かと気にかけていました。ここまでのめり込むとは、当時の私も予想していませんでしたよ」
ノアも、思い出を懐かしむように相槌を打つ。
辛いこともたくさんあった。けれど、ガーランド商会そして伯爵と出会い、共に過ごした日々は、マリアにとってとても大切で、愛しい思い出であった。




