戦勝者のあれこれ (2)
ロランド王、ヒューバート王子、そして彼らの側近は、町長の屋敷に宿泊することになった。
王たちをもてなす夕食にララの姿はなかったが、誰もそれを話題には出さなかった。夕食は部屋にアレクが持って行き、ララと話をするそうだ。
「マリア、今回は必ずドラードの城へ来てもらうぞ。ヒューバート王子を始めエンジェリクからの友人を、余には歓迎する義務があるからな。王妃もそなたに会えるのを楽しみにしている」
酒を楽しみながら、ロランド王が陽気に話す。マリアも頷いた。
さすがに今回ばかりは、すぐにエンジェリクに帰るわけにもいかない。
「遅くなりましたが、王女殿下のご誕生、おめでとうございます」
「うむ。予定より早く生まれた。戦が終わる頃と聞いていたのだが……。おかげで私も、王都に戻ってようやく娘と対面を果たすことになりそうだ」
最初の御子は、王がその存在を慈しむ間もなく儚くなってしまった。マリアとしても、キシリア王女の誕生は喜ばしいものであった。
「せっかくだ。ヒューバート王子、王女の洗礼式に出席してはくれぬか」
「僕がですか?有難いお誘いですが、よろしいのですか?」
「もちろんだ。マリア、オフェリア。そなたたちも共に出てくれ」
オフェリアは幼い王女に会えることを心待ちにしているようだが、マリアはひとつ心配事があった。
「王都へ戻るのは、いましばしの猶予を。新しいミゲラの町長を決めてからでないと」
「もっともだな。その後任について、私から一人、推薦したい人物がいる」
王の視線の先を追う。
亡き父とも古い友人であった、古参の家臣、キシリア貴族サンチョ――マリアと目が遭うと、サンチョが頷く。
「実は、ガルナダとの戦が終わったら引退しようと考えていたのだ。もともとわしは隠居暮らし。クリスティアンへの義理と、王へのご恩から再び城仕えをしておったが、さすがにもう年だ。頼りない嫡男もしっかり者の嫁をもらい、家督を任せられそうでな。それでもしよければ、ミゲラの町をわしに任せてはくれぬか。クリスティアン……その弟ペドロ……セレーナの一族が代々守り継いできたものを、今度はわしが守ろう。おまえたちの子孫が継ぎに来る、その日まで」
本当は、マリアかオフェリアが継ぐべきなのだろう。
セレーナ家をマリアたちの代で終わらせたくはないが……二人とも、もうキシリアへ戻ることはできない。
オフェリアはよく知ったサンチョが新しい町長となってくれることを喜んでいるが、キシリアへ戻って来ることはできないのだと、理解しているのだろうか……。
夕食を終えると、マリアはララの部屋を訪ねた。
アレクの姿はなく、ララはベッドの上で横たわってぼーっと天井を眺めている。マリアがベッドに腰掛けると、もぞもぞと起き上がって来た。
「お父様の最期のこと、聞いたわ」
「んー……親父のことは、あんま気にしてない。ロクサーナのばーさんと、第一夫人が亡くなった時に、俺が敬愛してた親父も一緒に死んだ。あれは親父の姿をした別人だって、そう思うようにしてたからさ」
チャコ帝国スルタンは、味方の兵士の裏切りによって殺された。
第三皇子セリム率いる反乱軍と帝国軍の戦いは、戦場で直接刃を交えるより前から反乱軍側は計略をめぐらせていた。
反乱軍の間者によって、帝国軍の兵士たちには裏切りの勧誘が進められていたのだ。
――俺は反乱軍に寝返る、あいつも一緒だ、おまえも来い。
その誘い文句は、すでに不安と不満を抱えていた兵士たちには効果的だった。
そして一方で、間者が帝国軍の上層部に密告する。
――あいつは戦の最中、寝返るつもりだ。
こうして、戦が始まった時点で帝国軍の士気と状況は最悪だった。
裏切りたい兵士、裏切りを危惧する幹部……そしてスルタンは、異常な判断を下した。
精鋭を揃えたスルタンの親衛部隊に、裏切りや敗走の気配を感じさせる兵士を始末するよう指示を出したのだ。
その最悪の愚行に、チャコ帝国軍は戦わずして反乱軍に敗北する結果となった。
不満を募らせた兵士たちはその矛先を帝国軍の幹部に向け、スルタンの首を斬り、自ら反乱軍に白旗を挙げた……。
「親父より、兄貴のほうが問題かもしれねえ」
「セリム皇子?それとも、外国に逃亡していたムラト皇子?」
「どっちも。反乱軍を指揮したセリムも、反乱軍に応じて外国から兵隊連れて参戦したムラトも、今回の勝利は自分のおかげだと主張して譲らない。スルタンの座を巡って睨み合ってる」
どちらの皇子も、功労者ではある。
セリム皇子は帝国軍に呼掛け、策略を巡らせてその大半を寝返らせているし、ムラト皇子も外国より戦力を集めて参戦し、反乱軍の最初の戦力を築いている。
ただ、年齢はセリム皇子のほうが上だ。
「たぶん、セリムがスルタンになる。ムラトは……兄弟の情を信じてるが、セリムはもう弟の俺たちすら信用していない。兄弟であっても、容赦なく攻撃してくるはずだ」
セリム皇子は父であるスルタンの命令で捕らえられ、スルタンの愛妾でもあった母親、同母妹、妻、二人の息子、強い友情で結ばれた臣下をことごとく殺され、復讐心と猜疑心の塊のような男になってしまったという不穏な噂がマリアの耳にも届いていた。
……ララの様子から察するに、単なる噂ではなく事実……。
「帝国に帰ったら、ムラトは間違いなく処刑される。セリムは俺には友好的に振る舞っているが、それは俺の後ろにエンジェリクとキシリアがあるからだ。ムラトと対立している状況で、俺まで敵に回すわけにはいかない。だから……」
ララは言葉を切り、深い溜息をついた。
しばらくの沈黙の後、顔を上げてマリアを見る。
「マリア。俺とアレクを、このままエンジェリクのおまえのもとに置いてもらえねーか」
「私は大歓迎だけれど……いいの?」
暗愚と化したスルタンがいなくなり、ララは故郷へ帰ってしまうものだと思っていた。
オフェリアはララとアレクに懐いていたし、ナタリアやベルダも二人を頼りにしている。王国騎士団の騎士たちも、ララが故郷へ帰ってしまって手合わせができなくなることを残念がっていた。
二人が残ってくれるのは、マリアたちにとっては非常に有り難いことだ。
「アレクだけでも帰してやりたかったんだけどな。でも相談したら、自分も一緒に残るって。俺がいないなら、もう故郷に会いたい人もいないし……ってさ。俺は帰れない」
ララが決然とした面持ちで言った。
でもその眼差しは暗く。普段の陽気で明るい姿からは想像もつかないほどに。
「スルタンになれなかった皇子は処刑される――有名無実化したこの風習を、セリムは復活させる気だ。俺はエンジェリクとキシリアへの友好のため、マリアのもとに残る。それを口実に王位継承権を放棄して外国へ逃げれば、さすがのセリムも追ってはこないだろう。帝国の建て直しで精一杯のはずだからな」
ララはまた溜息をついた。
「おまえのところに残るのはいいんだよ、別に。もともと婿入りして、王位継承権は放棄するつもりだったし。外国の、異教徒にも寛大な場所で暮らせるならそれがベストだとも思ってた。でもこんなかたちで、国を出る羽目になるなんて……」
マリアはララの背中にそっと触れた。マリアの顔を見ると、ララはマリアの肩にもたれかかる。
「ほんの数年前まで、親兄弟と殺し合うことになるなんて考えもしなかった。親父とも、兄貴たちとも、下らないことで笑い合って、離れ離れになっても家族の絆は切れないって、そう思ってたのに。新参者の女に親父の心を易々と奪われて、異教徒の思惑に乗って国を衰退させて……」
ララがぎゅっとマリアを抱き寄せる。少し痛いぐらいに抱き締められ、マリアも優しく抱き返した。
幼子をあやすようにララの頭を撫でれば、ララはマリアをじっと見つめてきた。
「……悪い。今夜だけ、すがってもいいか」
マリアはクスリと笑う。
「今夜だけでいいの?」
「おまえ……本当、悪い女になったよな」
呆れたようにそう言いながら、ララは苦笑した。その顔には、少しだけいつもの明るさが戻っていた。
ララが弱音を吐いたのは、一夜限りのことだった。
翌日には普段の明るいララに戻っていたが、マリアの護衛に戻った彼は、やたらとマリアの匂いを嗅いできた。
「……なに?」
「いや……おまえってさ。香水とか使ってる?」
使ってないわ、とマリアは怪訝な表情で答える。
「オフェリアが嫌うもの。香を焚きこんで服に香りをつけたりはするけれど……キシリアに来て、そんなことやってる余裕はないわ。私、臭い?」
「全然。そうじゃなくてさ、伯爵から俺、すげー睨まれて。どうもおまえとの関係に気付かれたっぽいんだよ。そんな態度出したつもりねーのに」
「私も喋ってないわよ」
「知ってる。今日ずっと一緒にいたんだ。そんなこと話してる暇もなかったことは、自分の目で確かめてるし」
ララも自分の身体をクンクンと嗅いでいる。移り香で自分たちの関係が発覚したのかも、と考えたのだろうか。
「伯爵は目敏いから。それに、あなたも女性経験はゼロなんだし。うまく隠せてるつもりでも、経験豊富な伯爵の目はごまかせないのかも」
「んー、やっぱりそうなのかなー」
ララが女性経験がないことにはちょっと驚いた。
――皇子なのに、そういう女性を侍らせたこともなかっただなんて。
そうマリアがこぼせば、おまえとの婚約が決まってるのに、他の女と関係持つなんて危険だろ、と当然のように反論されてしまった。言われてみればそうか。
「後任の町長も決まったことだし、数日の内にドラードへ向けて出発することになるから。途中でサンタロッサ尼僧院に立ち寄るわ。オフェリアと一緒に、両親にも会いに行っておかないと」
サンタロッサ尼僧院は、マリアとオフェリアの母スカーレットが亡くなった時、父クリスティアンが建立した尼僧院だ。母はそこで眠り、そして父も……。
「サンタロッサにはエマもいるわ。覚えてる?ルカの……私の腹違いの弟を生んだ、父の愛人よ。直接顔を合わせるのは何年振りになるかしら……」
敵の罠に落ち、むごいやり方で命を落としてしまった弟。
弟の仇は討った。
それで弟が帰ってくるわけではないが、エマも、少しは心の平穏を取り戻していてくれたら。マリアはそう願うばかりだった。
「サンタロッサには、亡くなったガードナー隊長の嫁さんもいるんだったっけ」
「ええ。末娘のエイミー様がサンチョ様の嫡男に嫁いで、俗世への憂いがなくなったから。尼僧となって、静かに夫君やご子息のために祈りを捧げているそうよ」
亡くなった先代の近衛騎士隊長マクシミリアン・ガードナー――その妻と、娘たち。彼女たちはキシリアに渡り、王妃アルフォンソも配慮してくれていた。
故ガードナー隊長の次女の夫はキシリアの騎士団に入り、ロランド王のためにその剣をふるってくれている。
――そして三女は。
サンチョと共に後任の町長の身内として挨拶に来てくれたエイミーの笑顔を思い出し、マリアも微笑む。
すべてを乗り越えたわけではないだろうが、みな新しい生活を始められているのならよかった……。




