ミゲラ奪還 (1)
航海の後、キシリアに着くと、エンジェリクからの義勇軍はロランド王と合流するために南下した。
シルビオから知らされたように、ロランド王の機嫌は最悪だった。それでも、マリアやオフェリアを笑顔で出迎えてくれた。
「久しいな、マリア。息災そうで安心したぞ」
「恐れ入ります。ロランド様もお元気そうで。お会いできて嬉しいです」
「その後ろの少女はオフェリアか。すっかり大きくなったな」
マリアの後ろに下がり、ちょっとだけ隠れているオフェリアを見てロランド王が言った。
「いまは亡き母御によく似てきた。セレーナは姉妹揃って美人だな」
マリアは笑顔でロランド王の賛辞に応えながらも、オフェリアはなるべく王から離しておこうと思った。
ロランド王はなかなかの女好きだ。
さすがにオフェリアはその対象にするには幼すぎるが、無用なトラブルは避けるようにしておいたほうがいい。
「ロランド様、こちらはエンジェリクのヒューバート王子殿下です。教皇庁の求めに応じ、王と共に戦うため海を渡って来られました」
まずはエンジェリク側の指揮者をロランド王に紹介する。
シルビオが、以前エンジェリクへ来たときに出会ったヒューバート王子のことを、ロランド王にすでに話してあったようで、ロランド王は快く王子を受け入れてくれた。
「それからこちらは、紹介するまでもないと思いますが……」
キシリアでの内戦で共に戦ったばかりのオーウェン・ブレイクリー海軍提督のことは、紹介するまでもなかった。
恩のあるブレイクリー提督との再会で、ロランド王の機嫌はさらに良くなった。
「そして彼は……チャコ帝国の皇子ララ=ルスラン――私のかつての婚約者です。直接の面識はなかったと思いますが、私の婚約者の話はお耳に届いていたことかと……」
「聞いたことはある。そなたの婚約には、キシリアとチャコ帝国の友好もかかっていたからな。そのような男が、なぜそなたのそばにいまもいるのかは分からぬが」
笑顔のまま話しつつも、チャコ帝国の話題が出たことで、王の機嫌が急降下しているのをマリアは感じていた。
ララの頼みを聞いたら絶対怒り出すだろうな――ということをララ本人も悟りながら、それでも王の前に跪いた。
「キシリアの王よ。どうか私を戦陣にお加えください」
「ほう。チャコ人のおまえが、キシリアのためにチャコ帝国と戦ってくれると言うのか。それはなんとも奇特な話だ」
チャコ式の礼をするララは、地面に膝と手をつき、怒る王を前に顔を上げることができなかった。
「我がキシリア軍は、オレゴンの王都にも迫る勢いであった。それを……飼い犬に牙を剥かれてこの様だ。そなたの父は、実にすばらしい人物だ」
ララは一瞬押し黙ったが、それでも言葉を続ける。
「愚かな父の目を覚ますためにも、どうか。私は祖国を守りたい。そのためには、身命を賭してキシリア王と共に戦うしかないと……私も覚悟を決めております。父や、旧知の友人であっても、躊躇はしません」
ロランド王が溜息をつく。
まだ憤然とした表情ではあったが、少しばかり怒りも収まったようだ。
「ロランド王、意地悪もそこまでにしてやれ。メフメトを本気で見捨てるつもりではないだろう。メフメトを救出するためにはガルナダに潜入する必要がある。キシリア人の俺たちでは不可能だ――チャコ人の協力者は重要だろう」
シルビオが口を挟んだ。マリアも微笑み、王に声をかける。
「ロランド様は黄金の太陽が如く、偉大な王にあらせられます。例え異国の異教徒であっても、その輝きに陰りなく。すべての者の希望でいらっしゃいますわ」
「よってたかって、チャコ人の味方か。まったく」
ロランド王がもう一度溜息をつく。今度は、憤然とした表情も消えていた。
「ララ=ルスラン。おまえの覚悟は試させてもらうぞ。楽な戦いにはなるまい」
ロランド王は、ヒューバート王子と共に軍の編成について話に行ってしまった。
本格的な戦の準備が始まれば女のマリアたちに居場所はなく、マリアはオフェリアを連れてガーランド商会の一団のもとに戻った。
ヒューバート王子と別れることを少しだけ寂しそうにしていたが、オフェリアは聞き分け良く王子を見送っていた。
「ロランド王の怒りの理由は、オレゴンからの撤退だけじゃなく、ミゲラの陥落を取り逃したこともある。奪還まであと一歩というところでガルナダの裏切りが発覚し、兵を引き挙げざるを得なくなった。ガルナダ兵の離反によって、兵力を分散させておく余裕がなくなったからな」
ガーランド商会の一団のところへ戻る道すがら、シルビオが説明した。
ミゲラは、かつてマリアたち一族の町であった。
先の内戦の際、オレゴンに奪われてしまい、必ず奪還すると王は約束してくれていた。その約束を果たそうとしてくれていたのだろう……そしてガルナダの裏切りによって阻まれてしまった。
それで怒り狂って……。
マリアは、ふっと笑う。
「王があの町を取り戻そうとしてくれるお気持ちはとても嬉しい。でもそのために、王やキシリアを危うくしてしまうのは本意ではないわ。次の機会がめぐってきたときにでも……」
「諦める必要はないだろう。手が届く目前にしてやり過ごすというのは、私の主義には合わん」
ホールデン伯爵が言った。
いつの間にやらマリアたちのそばにいて、話を聞いていたようだ。
「シルビオ、ミゲラの状況を詳しく説明してくれ。場合によっては、こちらで町が落とせるかもしれん」
ホールデン伯爵がミゲラ奪還を申し出たことで、ロランド王やヒューバート王子も作戦を聞きにやって来た。
「ミゲラを奪還すると聞いたが、キシリア軍の兵士は貸せぬぞ。兵士を割く余力がない」
「問題はございません。必要ならば、こちらで適当に傭兵を雇います。恐らく直接刃を交えることはなく、ミゲラを落とすことは可能でしょう。見せかけの兵力さえあればいい」
ガーランド商会のテントにて、ホールデン伯爵が作戦を説明する。
「マリアの記憶をもとに、ミゲラの地図を描いてみました」
言いながら、メレディスが簡易テーブルの上に地図を広げる。
おまえ地図まで描けるのか、とシルビオが感心していた。
「ミゲラは高い塀に囲まれた町で、さらに町の前に流れる川によって、出入りするには橋を渡るしかない。町への侵入を防ぐためのものだが、逆に言えば、こちらから町を閉鎖してしまうことも容易。キシリア軍との戦いでミゲラはすでに消耗し、困窮している。そこへ敗走したオレゴン軍の生き残りも逃げ込んでいるのなら、もはや町の物資は底を尽いているはずです」
「兵糧攻めということか」
作戦の意図を察し、ロランド王が言った。ホールデン伯爵も頷く。
「物流を止めるコツは商人の私がよく心得ています。いずれ町は自滅し、降参するしかなくなる……」
説明しながら、伯爵はマリアを見た。マリアが浮かない表情をしているのが気になるのだろう。
ミゲラはかつて、マリアの叔父が町長を務め、セレーナ一族が大切にしてきた町だった。
その町に兵糧攻めを仕掛ける――誰が犠牲になるのか、分かりきっていた。だから諸手を挙げて賛同できないことを、伯爵も気付いているに違いない。
「町が早めに降参してくれればよいのだが……長引けば、町民たちに大きな被害が出る」
ヒューバート王子が言った。
黙って話を聞いていたオフェリアも、ミゲラに訪れる悲劇に思いを馳せてマリアの服をぎゅっと握っている。
兵糧攻めをするということは、町の人間を飢えさせ、苦しめることになる。
しかもオレゴン軍の生き残りが逃げ込んでいるのなら、オレゴンの兵士たちが物資の奪い合いを行い、武力のない町民はさらに苦しい立場に立たされることに……。
「降参を早めることができるかもしれん。マリア、そなたはクリスティアンに瓜二つだ。かつて町を治めていた長の面影を残す娘……そなたが町の者を説得できれば、ミゲラに残るキシリア人が動く」
ロランド王が言った。
「そうですね……私、ミゲラへ行きます。町の人たちを説得して、町を再びキシリアに戻すために」
今度は伯爵が浮かない顔をしていた。何が言いたいのか、マリアには分かる。
ミゲラは先の内戦の際、フェルナンドからマリアやオフェリアを逃がすために囮となった側面があった。
どこまで町の者がその事実を把握しているかは分からないが、マリアたちこそ町をオレゴンに渡すことになった元凶でもある。
……もしかしたら、町の人たちからは憎まれているかもしれない。
町の人たちがマリアへの制裁を求めるなら、自分は甘んじてそれを受けるべきだ。マリアはそう思った。こればかりはマリアも逃げるわけにはいかない。
あの町は、セレーナ一族のために尽くし、犠牲になったのだから。マリアにはその報いを受ける義務がある。
「アレク、おまえは残ってマリアと一緒に行け」
赤い髪を黒く染めたララが、アレクに向かって言った。
「マリアのほうも危険があるかもしれない。俺はロランド王と共に行くから、そばにいれない。おまえがしっかり守れ」
アレクは頷いた。伯爵も、今回はノアを貸せん、と言葉を続ける。
「ミゲラへ潜入させるなら、マリアにも護衛が必要だ。ノアは再びマリアにつかせる」
「わかった。その代わり、メレディスをこっちに貸してくれ」
シルビオが言った。メレディスは目を丸くして、伯爵とシルビオの顔を交互に見た。
「ガルナダでの戦になるが、あの土地にキシリア軍は不慣れだ。先遣隊としてララ皇子に調査させ、その証言をもとに地図を作らせたい。メレディスの腕が必要だ」
「致し方ないとは思うが……メレディスは非戦闘員だ。あまり荒っぽいことには巻き込まないでくれ」
頼まれてくれるか、と伯爵に問われ、メレディスは苦笑しながら頷く。
「ユベル、気を付けてね」
「大丈夫だよ。エンジェリク海軍に近衛騎士隊、王国騎士団もいるんだ。僕の身には、きっと危ないことは起きないよ」
不安そうなオフェリアを励ますように、ヒューバート王子は微笑んで言った。
「この戦を勝ち抜けば、その手柄をもとに、殿下はオフェリアとの婚約を申し出ることができますわ」
マリアの言葉に、ヒューバート王子が「えっ」と驚く。ロランド王も少し目を丸くして、それから笑った。
「そうか。ヒューバート殿はオフェリアと……めでたいことだな。無事、エンジェリクに帰してやらねばならん」
「頑張ってくださいませ。俺、故郷へ帰ったら結婚するんだ……と話した人間は、たいてい命を落とすのが物語の定番ではありますが」
ほほほ、とマリアも笑う。ヒューバート王子も困ったように笑った。
「へなちょこ、少しは剣の腕もましになったんだろうな」
「なんとか様になる程度には」
シルビオが胡散臭そうに視線を送るが、ヒューバート王子もやや自信なさげに答える。
殿下のことは僕が守りますからご安心を、とマルセルが言い、王子をへなちょこ扱いするシルビオを睨んでいた。
マリアはララと向き合う。
「ララも気を付けて。無事に帰ってくるのよ。アレクもオフェリアも私も、あなたの帰りを待っているから」
「ありがとな。立派な装備まで買い揃えてもらったんだ。ちゃんと勝って帰ってくる……どんな展開になるかは、俺にもよく分かんねーけど」
キシリア・エンジェリク連合軍とガルナダ・チャコ帝国軍の戦が始まり、その傍らでマリアたちはミゲラ奪還に向かうことになった。




