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紫色のクラベル~傾国の悪役令嬢、その貴種流離譚~  作者: 星見だいふく
第四部04 小さな姫の大きな決意
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出し抜き合う (2)


教皇庁からの指名を受けてキシリアへ行くことになったヒューバート王子は、ガルナダと戦うための義勇軍を募っていた。


他国の戦争に、エンジェリクの正規軍隊を利用するわけにはいかない。しかしヒューバート王子には、私兵がいない。

軍資金はガーランド商会、オルディス公爵領、プラント侯爵領から融資を受けて賄うことにして人員を募集したところ……予想以上の応募があった。


「海軍のブレイクリー提督は決定するとして、レオン様とカイル様は両方連れていくわけには参りません。さすがに王国騎士団の団長も副団長も不在にさせるわけにはいきませんもの」


応募メンバーの一覧が書かれた紙に目を通しながら、マリアが言った。


ヒューバート王子の離宮ではなく宰相の執務室。

そこで宰相から渡された応募者の一覧表を眺め、マリアはヒューバート王子が結成する義勇軍の編成について話し合っていた。


ヒューバート王子に会いに来たはずのオフェリアは姉たちの会話に混ざれず、退屈そうに長椅子に座って足をブラブラさせていた――宰相はしっかりとオフェリア用の茶菓子を用意し、オフェリアをもてなしてくれていたが。


「どちらか一方、となると」

「やはりカイル様でしょうか。国の治安を守るべき騎士団のトップが、国を空けるべきではありませんし」


国の治安を守るべき海軍のトップが国を空けているが……それについては言及しないことにした。たぶん彼を止めるのは無理だ。

チャコ帝国の海軍と戦えると知った時、絶対行く、勝手に船出してでも行く、むしろいまから乗り込みに行く、と豪語していた。


「ところでこの、イライジャ・ハックというのは?近衛騎士隊のようですが」

「スティーブ・ラドフォード三番隊隊長と、僕やヒューバート殿下が顔を合わせた時のことを覚えていますか?ほら、フェザーストン伯爵夫人の祝いの席で」


マルセルが言った。


近衛騎士隊隊長が昇格した際、隊長の妻フェザーストン伯爵夫人のもとでパーティーが行われた。その時にヒューバート王子に詰め寄っていた青年が、ラドフォード三番隊隊長だ。

近衛騎士隊からは、ラドフォード三番隊隊長及び三番隊メンバーが全員共同で応募している。しかしイライジャ・ハックという近衛騎士だけは、個人で応募してきていた。


「あの時、特に僕に対して食い下がって来た青年です。フランシーヌ人の僕が、フランシーヌと戦えるのかと聞いて来た彼……何やら僕は、彼に気に入られたようで。僕が殿下と共にキシリアへ渡って戦うのなら、僕の部下として一緒に戦わせてほしいと懇願されました」

「良かったじゃない。あなただって、部下は必要でしょう」


近衛騎士隊は副隊長格の三番隊と、マルセルの部下になりたがっているイライジャ・ハックで決定しそうだ。

王国騎士団は副団長カイルで決定したいところだが、絶対ウォルトン団長が拗ねるだろう。マリアが頑張ってなだめるしかない。


「すごい人数だな……リストを見るだけでも一苦労だ」

「それだけ殿下の人望も高まってきているということでしょう。特に軍部は、ヒューバート王子を支持する者が多い」


宰相が言った。


義勇軍への応募は、手柄を立てたいという功名心もあるだろう。異教徒が相手ならば遠慮する必要もない。思う存分剣を振るうことができる。

そしてもうひとつが、ヒューバート王子への個人的な思い入れ。以前の反乱で共に戦ったヒューバート王子は、軍部からの信頼も厚い。

そういった理由から、人材は特に労することもなく集まっていた。


「それにしても、教皇特使殿がヒューバート殿下を指名してきたのはいささか不可解だな。おかげで、チャールズ王子が地方へ行って不在の間に事が進められて楽では良いが。帰って来た王子は、不公平だと喚き立てるだろう。初陣の機会を、陛下と兄王子が奪ったと」

「好きなだけ吠えさせておきましょう」


マリアは鼻で笑い飛ばした。

レミントン侯爵がチャールズ王子を呼び戻して異議を唱えて来る可能性を考えて、キシリアへの出発はなるべく早く行うことにした。そのために、海軍提督の申し出も引き受けたのだから。


ヒューバート王子が戦争へ行くことだけは理解したオフェリアは、悲しそうな顔をしている。


「ユベルもキシリアへ行っちゃうの?お姉様もララも行っちゃうんでしょ?」


教皇特使が帰ってすぐ、マリアから真相を聞かされたララに頼み込まれた――自分を、キシリアとチャコ・ガルナダ戦争に参加させてほしいと。キシリア軍の戦陣に加わることをロランド王へ取り成してほしい。マリアにそう頼んできた。


「キシリア軍と共に戦って、手柄を立てて、それでチャコ帝国を見逃してもらえるようロランド様に懇願したいそうよ」


チャコ帝国は、まともにキシリアとは戦えない。そのまま帝国にまで攻め込まれたら、国そのものが滅んでしまうかもしれない――エルゾ教徒を滅ぼしたい異教徒の思惑に乗せられたまま。

それは、チャコ帝国の皇子であるララには耐えられないことだった。

どうにかして帝国の滅亡だけは防ぎたいと、ロランド王に許してもらえないか話をしに行きたいらしい。


だからキシリアの遠征には、マリアも同行することになっていた。ララがロランド王と話ができるよう、マリアが間を取り持つ必要がある。


「オフェリア、今回は、あなたも一緒にキシリアへ来る?」

「いいの?」


オフェリアが、マリアに向かって身を乗り出す。


「さすがに戦場には一緒に行けないわよ。私もララのことをロランド様に取り成したら、早々に離れないといけないぐらいだから。でもヒューバート殿下のそばにいたいのでしょう?」


こくこくと、夢中でオフェリアが頷く。ヒューバート王子のほうが不安そうな顔をしていた。


「オフェリアが一緒に来てくれるのは嬉しいけれど、危なくはないだろうか。彼女を危険に晒してしまうのは本意ではない」

「お気持ちは分かります。ですが私はキシリアへ行き、経済面で殿下やロランド様をバックアップするためにホールデン伯爵も共にキシリアへ渡るとなると、本当にオフェリアは一人で留守番をすることになってしまいます。そちらのほうがよほど不安です」


軍資金の大半はホールデン伯爵の出資となるし、マリアがロランド王に会うためにキシリアに行くとなれば、むしろ伯爵がエンジェリクに残る理由がない。

そうなると、オフェリアは残していくよりも連れていったほうが安全だ。


マリアがキシリアへ行くことを決めた時点で、オフェリアも連れていくつもりであった。


「お父様とお母様へのお墓にも、一緒に行きましょうね」

「うん」


今度は一人留守番ではなく一緒に行ける。そのことを、オフェリアは喜んでいるようだ。


宰相からは、遊びに行くわけではないのだが、と眉をひそめられたが、だからこそオフェリアを連れていくのだ。

遠くにいて、オフェリアの安否を心配している余裕はない。




教皇特使よりキシリア救援依頼がエンジェリクに要請されてから十日と経たず、ヒューバート王子率いる義勇軍は出港した。


ガーランド商会のホールデン伯爵が船を手配し、船を動かすのはブレイクリー提督含む彼の部下たち――すぐにでもキシリアへ行きたい提督が自身の部下をこき使って船の準備を進めてくれたおかげで、義勇軍の正式な結成よりも先に船は出港できる状態になっていた。

チャールズ王子が城に帰ってきて余計な口出しをする前には出発してしまいたいとは思っていが、ここまで迅速なものになるとは、マリアも予想できていなかった。


「オーウェン様。キシリアへ再び戻ることになって、オーウェン様のお力をお借りできるのは大変心強いのですが……大丈夫なのですか?今回は教皇庁より依頼があったとは言え、エンジェリクの海軍提督が国を離れることになって……」


マリアが心配そうに尋ねれば、ブレイクリー提督よりも先に提督の部下である水夫のジョンとベンが口を開いた。


「大丈夫じゃないですよ、本来なら。でもどうせ言っても聞きませんから」

「そうそう。お嬢さんに良いところをみせたい、なんて言ってたッスけど、それすら言い訳ッス!どうせチャコ帝国の海軍と戦ってみたかったんッスよ!」

「しゃーないやろ」


提督は、悪びれることなく開き直る。


「バサンが不意打ちで死んでもうて、最強の座を争うことは永遠にできんようなったんや。せめてチャコ帝国海軍ぐらいは蹴散らさんと、やってられへん!」


提督は豪快に笑い飛ばし、マリアも苦笑したが、ララは複雑な表情をしていた。

果たしていまのチャコ帝国に、ブレイクリー提督とまともに戦えるだけの軍力が残っているのか、甚だ不安なようだ。


近衛騎士隊の一同は、ヒューバート王子に挨拶に来ていた。


「殿下と再び共に戦えること、光栄に感じます。あの……ヒューバート殿下?大丈夫ですか?」


ラドフォード三番隊隊長は、明らかに大丈夫じゃない顔色をしているヒューバート王子を気遣う。


「殿下は船に乗られるのが初めてで」


答える気力もないヒューバート王子に代わって、マルセルが答えた。


「慣れない内は仕方ないかもしれませんね。我が隊も半数が船酔いで、部屋で寝込んでいます。私も、初めて乗った時はフラフラでした」

「心配をかけてすまない……。でも部屋に戻るのはちょっと……もっと気分が悪くなりそうだ……」


王国騎士団からは、副団長のカイルが部下を連れて来ていた。


「帰ったら絶対、ウォルトン様にいじめられます。戦いたがってましたし、マリア様とも一緒に行きたがってましたから。見送りの時、かなり恨みがましい目で見られちゃいました――気にせず結局来ちゃったんですけど」


船に揺られながら、マリアは新しく届いたシルビオの手紙を読む。

ロランド王に会い、チャコ帝国の赦免のために尽力しなければならないララは、そんなマリアを不安そうな面持ちで見ていた。


「……ガルナダの裏切りが確定して、ロランド様は怒り狂っているそうよ。オレゴンの王都にまで迫る勢いで進軍していたのに、それを引き返してガルナダ鎮圧に向かわなくてはならなくなったから」


王をなだめに来るならさっさと来い、俺たちでは限界だ。

ものすごく切羽詰まった手紙に、マリアは苦笑するしかなかった。もっとも、祖国の命運がかかっているララにとっては苦笑ではすまないが。


「チャコ帝国軍は、半島に着いてるのか」

「帝国軍の本隊はまだみたい。メフメト王の使者によると、スルタンが派遣した先行隊がガルナダ宮廷に入り込んで、ユスフの反乱を後押ししたそうよ」


教皇特使との約束を守り、マリアはエンジェリク王にもキシリア王にも反乱の真実を教えていない。

エンジェリク王はともかく、キシリア王は、真実を知ったら教皇庁に戦争を仕掛けかねない。教皇庁への義理ではなく、キシリア王の名誉を守りたくて沈黙していた。


ガルナダ裏切りの確定情報は、皮肉にもガルナダ側からもたらされていた。


ガルナダの裏切りを、宗主国キシリアの王に知らせたガルナダ王国の王メフメト――彼は反乱を起こしたユスフに捕えられ、一応はどこかで生きているらしい。

らしいというのは、メフメトの忠実なる臣下が探しまわっているがいまだに見つからないからだ。


メフメトの臣下はロランド王に合流してガルナダ宮廷で起きた陰謀の一部始終を密告し、ユスフの裏切りを知らせた。

臣下がメフメトの救助も懇願しているが、チャコ帝国と組んでいることから、まずはガルナダを鎮圧させることを優先しなくてはならない……マリアが危惧してた通り、キシリアは人員不足だ。


「きゃーっ、オフェリア様!なんてところに登ってるんですかーっ!」


ベルダの悲鳴が聞こえてそちらへ行ってみれば、少年服に着替えたオフェリアが見張り台に登っている。マリアも青ざめた。


「オフェリア、危ないでしょう!落ちたらどうするつもりなの!」

「マリア様が言えたことではないような……」


オフェリアを叱り飛ばすマリアに、前回の航海で心配ばかりかけさせられたナタリアが呟く。


「殿下、何してるんですか!船酔いしてる場合じゃありません!オフェリアを連れて戻ってきてください!水夫の皆さんやノア様なら、あの子をおぶってでも降りてこれるんですからね!」


初めての船旅ですでに青ざめていたヒューバート王子に向かって、マリアが怒鳴った。

無理を言うな!とマルセルが反論し、こんな王子に任せたらかえって危険です!とベルダも激しく首を振る。


仕方なく、マリアも見張り台に登った。動きやすいように男物の服を着ていてよかった。


「お姉様、見て見て!あんなに遠くまで見えるのよ!あっちにキシリアがあるんでしょう!」


妹を迎えに来たマリアに、オフェリアが無邪気に言った。


オフェリアも、キシリアへ帰るのは久しぶりだ。

もう二度と帰れないかもしれないと思って出て行った故郷。ヒューバート王子やマリアと一緒に戻れるのが嬉しいのだろう。

……気持ちはわかるが、だからと言って、危ないことは見過ごせない。


「キシリアは、私が知っている頃と変わってないのかな……それとも、すごく変わっちゃったのかなぁ……」


オフェリアを叱りかけて、マリアは言葉を失った。代わりに、妹を抱きしめる。オフェリアもマリアにぎゅっと抱きついた。


愛する故郷は、再び戦場となっていた。


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