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紫色のクラベル~傾国の悪役令嬢、その貴種流離譚~  作者: 星見だいふく
第四部04 小さな姫の大きな決意
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忙しない休暇 (3)


「ところで、男物の服を着ているということは、今日はドレイク卿のところへ行くつもりなのかい?」


ヒューバート王子が、マリアの衣装を見て尋ねた。


ドレイク警視総監のもとに働きに行く時以外、マリアは城へ赴く際は基本的に正装――ドレスを着ている。それなのに今日は男物の服を着ているので、オフェリアにまで不思議そうに首を傾げられてしまった。


「今日はエステル様にも会いに行こうかと……ヒューバート殿下は、エステル様のことはご存知ですか?」


エステルはパトリシア王妃の連れ子であり、ヒューバート王子と直接の兄弟ではない。面識すらない可能性もある。

事実、ヒューバート王子は悩んでいた。


「顔を合わせたことなら何度か。でも、ろくに話したこともない。何かあるほどの接触もなかったはずなんだが……僕は彼女に嫌われているみたいで。顔を見ただけでも警戒して、逃げ出されていたよ」


エステルは男性が苦手だと言っていた。エンジェリク王にすらその敵愾心は隠す様子がなく、ヒューバート王子にも同様らしい。


――むしろ、どうして私が気に入られたのかしら?

不思議だったが、とりあえず彼女の機嫌は取ったほうが良さそうだ。エステルという女性は、何か重要な鍵を握っているように感じられた。




「まあ、オルディス公爵。本当にまた会いに来てくださったのですね。さあ、中へどうぞ。エステル様が喜びますわ」


部屋を訪ねると、エステルの侍女ポーラがマリアを出迎えた。


男性が苦手なエステルのために今回はナタリアに供を頼んだのだが……異様な雰囲気が漂う部屋に、やはりララを連れてくればよかったとマリアは少しだけ後悔した。


エステルもヒューバート王子と同じく、人気のない離宮で生活している。

だが王子のところと違い、エステルの離宮は牢獄を感じさせるものがあり……どこか冷たく、歪だ。

調度品等はそれなりに高価なもので、エステルが過ごしやすいよう配慮はなされている。それなのに、なぜそんな印象を受けてしまうのか。部屋の主が、不思議な空気をまとっているからだろうか。


「ご機嫌よう、エステル様。今日も男物の服でお邪魔させて頂いたのですが、いかがでしょう。男性が苦手なエステル様には、やはりドレスのほうが良かったでしょうか?」


エステルは相変わらず何も言わず、真意の読めない顔で、それでもマリアにくっついてじっと見つめて来る。そのべったりさは、ナタリアですら目を丸くするほどだった。


「とてもよくお似合いです。まるでおとぎ話に出て来る王子様のようですわ」


何も言わないエステルに代わり、ポーラが朗らかに笑って答えた。

ポーラは今日も袖の長い服を着て、長い前髪を下ろしていた。そのような恰好の理由は、この部屋に来てポーラをよく観察するようになって分かった。

彼女は、身体に大きな火傷を負っている。顔にまで及ぶほどの大きな……だから、長い前髪で顔を隠していたのだ。


ぼんやりとした表情で真意の読めないエステル。不穏な火傷を負いながらも、その本心を読ませることなく笑うポーラ。

この部屋には、一筋縄ではいかない人間しかいない。


そこにリチャード・レミントンが加わると、もはや最悪でしかなかった。


「ご機嫌よう、オルディス公爵。貴女がこちらに来ると聞いて、私も挨拶に伺わせてもらったよ」


レミントン侯爵の登場に、マリアは危うく飲みかけていたお茶を吹き出すところだった。


マリアの腕にくっつくエステルはさらにマリアにくっついて不愉快そうに唸り、ポーラも冷ややかな眼差しを隠すことなく侯爵に向けた。


「リチャード様、お招きした覚えはありませんよ」

「相変わらず冷たいねえ、ポーラ。オルディス公爵が来るのなら、僕に知らせてくれてもいいじゃないか。僕も公爵とは、親しくしておきたいというのに」

「……見張るのは構いませんが、エステル様の楽しい時間に水を差さないでくださいませ」


エステルとポーラ以外誰もいないと思っていたが、どうやらレミントン侯爵の指示でこの部屋を見張っている人間がいるらしい。その人間が侯爵に知らせて、彼はやって来た……やはり供はララにすべきだった。マリアは内心舌打ちした。


「個人的に、貴女とは話してみたいと思ってたんだ。ふふ……世の中、何があるのか分からないものだねえ。本来なら、私は貴女と気軽に話せるような身分ではなかったというのに」


マリアは何も言わず、お茶を改めて飲んだ。


「私は先代当主の嫡子ではないんだよ。母親は娼婦……果たして本当に当主の血を引いているのかも怪しいと言われるぐらいで」


その話はマリアも知っている。対立する相手なのだから、レミントン家のことは調べた。

しかし、もとは伯爵という爵位すら名ばかりのものになっていた貧乏貴族で、あまり注目されるような家柄でもなかったレミントン家は、その注目度の低さから情報が少なく。

なかなか謎の多い一族だ。


「ご心配なさらずとも、リチャード様は亡くなった大旦那様に嫌な笑い方がそっくりですわ。お顔に関しては、見た目だけは良かったお母君に似たようですけど」


ポーラがせせら笑う。

リチャード・レミントン侯爵に対する気安さにマリアは驚いていた。この言い方から察するに、ポーラは元々はレミントン家の侍女のようだ。

そして彼女の忠誠心は、エステルにのみ向いているらしい。


……それにしても、王や本来の主人であるレミントン侯爵に対して、かなり不遜な態度だと思うが。


「レミントン侯爵、最近チャールズ殿下をお見かけしないのですが、私は本格的に嫌われてしまったのでしょうか」


チャールズ王子に会いたいとは思わないが、城にいて王子とまったく顔を合わせないという不自然さは気になっていた。

レミントン侯爵は事もなげに、地方に遊びに行ってるよ、と答える。


「狩りにでも出かけたらどうかと私が勧めた。権力争いなんてのは相手の手駒を奪い合うものだ。ゲームが始まる前から自滅されては困る。チャールズには、少し大人しくしてもらうことにした」


賢明なご判断で。

皮肉まじりに内心で呟きつつも、侯爵の判断は真っ当なものであると言わざるを得なかった。


チャールズ王子を放置するのは悪手だろう。侯爵が積み重ねてきたものを、その軽率さですべて台無しにしている――マリアにとっては、付け入る格好の隙になるので有難いのだが。


「そう言えば、あなたのほうもトラブルが起きていたね。破門されたとか」

「お耳が早いのですね」


マリアは、初めてレミントン侯爵にまともな返事をした。


「教皇特使がうちにも来てね。あんな女を王子の婚約者にしておくのはちょっと、みたいな説教をされた」

「やはり、破門された婚約者など御免ですか?」


労せず婚約解消に持っていけるかも、という期待に、マリアは喜びそうになった。


「いや。私も無神論者だ。教会なんか、適当に金を払ってハイハイとしおらしく従う振りをしてやり過ごせばいい……と言うより、それ以上のことをするつもりはない」


レミントン侯爵はマリアの破門を問題視してもらって大いに結構なのだが。

そう簡単にはいかないか、とマリアは平然さを装ってまた茶を飲んだ。


「あなたの破門については私からも浄財を贈っておこう。ヴィルヘルム殿ならそれで撤回するよう取り計らってくれるかもしれない」

「失礼。どちら様ですか?」

「あなたに破門宣告をしに来た枢機卿の名前だよ。いまは少しばかり時の人だね」


興味がないものだから、例の枢機卿が何者なのか、調べようともしていなかった。

レミントン侯爵のほうが真剣に調べてくれていたことに、ちょっと意外な思いがした。侯爵の抜かりなさは、マリアも見習うべきだ。


「ヴィルヘルム殿は、次期教皇の座を巡って争っている人物の一人だ」

「教皇庁も、結局は権力争いですか」


どこまで行っても、人が集まる世界なんてものはそんなものだ。

俗世を捨てたはずの修道士も、実情はその程度。ますます修道士嫌いに拍車がかかりそうだ。


「私が言うのもなんだが、あまり好人物ではない。あなたの破門も、どうせ教皇になるための点数稼ぎのパフォーマンスだ。半島からエルゾ教徒を追放し、ルチル教徒のための地にすることは教皇庁の長年の夢。それを阻むキシリアの王――キシリア王ともエルゾ教徒とも親しいオルディス公爵……そのへんに目を付けられたのだろう」


恐らくレミントン侯爵は何気ない世間話のつもりだったのだろうが、マリアは不吉な予感が脳裏をかすめた。

ブレイクリー提督からもたらされた情報と、プラント領が突き止めた事実――その二つを繋ぐキーワードが見えたような気がして。


「大変ためになるお話でしたわ、レミントン侯爵。エステル様、申し訳ありませんが、本日はこれで……」


腕にくっついたままのエステルをやんわりと引き離そうとするマリアに、侯爵が声をかけて来た。


「侯爵という呼び方は変えてもらえないかな。その声で言われると、どうも違和感が」

「違和感と申されましても。では、何とお呼びすればよろしいですか?」


マリアが苦笑しながら尋ねれば、レミントン侯爵が目を泳がせた。

常に胡散臭いほど愛想よく笑う侯爵が、そんな人間らしい表情を見せるなんて。ほんの少しであっても、彼が悩む姿を見るのは初めてだった。


「……名前とか?」


しばらく悩んだ後、ようやくレミントン侯爵が口を開いた。


「リチャード様、ですか」


一応婚約者の伯父なのだし、名前で呼ぶほうが自然かもしれない。

それなのに、呼び方を変えろと言ってきた当の本人が一番動揺しているというのはどういうことなのだろうか。

マリアは目を瞬かせた。


「オルディス公爵、本日は申し訳ありませんでした。呼んでもいないのに余計な客が来てしまって、公爵には不愉快な思いを……。どうかまたエステル様を訪ねてくださいませ。次はリチャード様が来れないよう、私も気をつけますわ」


マリアを見送る際、リチャード・レミントンの登場についてポーラから申し訳なさそうに謝罪されたが、想定していたよりは悪くない展開だった。

教皇庁について、マリアは知識が浅い。教皇庁の事情を把握しているレミントン侯爵の情報はありがたかった。


「お気になさらず。リチャード様とお話できて、私も楽しかったです。むしろエステル様に会いに来たはずでしたのに、私のほうこそ何もできず……また日を改めて、参らせて頂きますわ」


レミントン侯爵と大きな衝突もなく無事にエステルの部屋を出れたことに、マリアはホッとしていた。


ただ、最後に見せたあの侯爵の人間らしい表情……。

マリアは少しだけ気になっていた。


常に余裕で構えるレミントン侯爵を動揺させる何かを、マリアは持っていただろうか。廊下を歩きながら、マリアは考え込んでいた。


チャコ帝国にガルナダ、教皇庁……それからレミントン侯爵。悩み事は増える一方だ。


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