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紫色のクラベル~傾国の悪役令嬢、その貴種流離譚~  作者: 星見だいふく
第四部04 小さな姫の大きな決意
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忙しない休暇 (2)


「お姉様ったら!私のこと放ったらかしにして、一人で旅行に出かけちゃうんだから!」


ぷくうっと頬を膨らませるオフェリアの髪を、今日はマリアが丁寧に洗う。

ごめんね、とご機嫌を取るように妹を抱きしめれば、マリアの胸に顔を埋めたオフェリアは、こんなんじゃ誤魔化されないから!とまだ拗ねていた。


ララをお供につけてマリアがあちこちへ行っていた間、オフェリアは王都にある屋敷で留守番だった。

ナタリアもベルダも残っているし、以前に比べれば、デイビッドやアレクという新しい住人も増えた。ガーランド商会のメンバーも遊びに来てくれているし、ドレイク警視総監やウォルトン団長が遊びに連れ出してもくれて――オフェリアは留守番も十分に楽しんだが、それでも姉に放ったらかしにされたことにご立腹だった。


その詫びも兼ねて、今日は久しぶりに妹と一緒にお風呂に入っている。


「お風呂だけじゃ許さないから!明日は私と一緒にいっぱい遊ぶのよ!」

「はいはい。明日はあなたの好きなケーキをたくさん焼いて……それから、ヒューバート殿下にも会いに行きましょうね」

「ユベル!」


大好きな王子様の名前にオフェリアは目を輝かせたが、マリアがニコニコと笑っているのを見てハッと顔をしかめた。


「お姉様、ユベルに会えれば私の機嫌がすぐ直ると思ってるんでしょー!」

「あら。じゃあ、ヒューバート殿下に会いに行くのは無しにする?」

「やだー!ユベルにも会う!」


久しぶりに子供っぽいワガママを言うオフェリアに、マリアも終始笑顔だった。


ヒューバート王子が王子としての自覚と責任を持つようになった頃から、オフェリアもずいぶんと忍耐強く聞き分けの良い子になっていた――まるで、王子の妃としての自覚が芽生え始めたかのように。


妹の恋を支えることが自分の役目だと分かってはいるが、まだ妹を手放したくない。

そんな複雑な思いを抱えるマリアにとっては、久しぶりに幼く甘えてくるオフェリアが可愛くて堪らなかった。


ベッドに入る時間になると、オフェリアは本棚から山のような本を持ってきて、全部読んで!とマリアに命令する。はいはい、と頷いてマリアは本を読み始めたが、結局三冊目を読み終える頃にはオフェリアは眠りに落ちていた。


オフェリアが眠ったのを確認して、マリアは自分の部屋に戻る。

寛いだ様子でベッドに座っていたヴィクトール・ホールデン伯爵は、思ったより早かったな、と声をかけて来た。


「この分だと、あの子も早起きしてきそうです。明日はオフェリアに付き合わなければならなので、今夜はお手柔らかにお願いします」

「そうしてやりたいのは山々だが……君に問い詰めておかなければならないこともある」


マリアを抱き寄せる伯爵は、笑顔ではあるが目が笑っていない。

浮気をしてきたことは伯爵も承知のはずだが……それはさておき、自分は何かしてしまっただろうか。マリアは首を傾げた。


「ララから聞いた。元・財務大臣のコンラッド・エヴェリーまで誘惑してきたそうだな」

「はい?何かの誤解です。たしかに歓迎していただきましたし、コンラッド様も私に恩を感じていらっしゃるようではありましたけれど」

「無自覚か。魅力を振りまいて相手を夢中にしていたと、ララから告げ口があったぞ」

「魅力……と言われましても。協力者ですから愛想は良くしていましたが、それを色目扱いされるのは心外です」


と言いつつ、マリアにもちょっと心当たりはあった。

プラント邸から帰る直前、コンラッド・エヴェリーと握手を交わして別れたのだが……その時の自分を見るコンラッド氏の目が、何やら親愛を超えた感情がうかがい知れたような気がして。

まさかね、と思い、気にしないようにしていた。


「以前、ノアも話していたが、君は野心や向上心の強い男の征服欲を煽るものを持っているらしい。宮廷の中心で権力を握る男というのは、たいていそういう連中だ。城にいる男は全員、君を狙っていると考えるべきだ」


そこまで自意識過剰になるほうが難しいと思う。マリアは眉を寄せた。

マリアの内心を読み取った伯爵は苦笑し、マリアの額に口付ける。


「それぐらい自意識過剰になったほうがいい。そうでないと、その内、厄介な男を惹きつけて面倒なことになるぞ」

「……すでに厄介な男を惹きつけて、面倒なことになっている気がします」


伯爵の首に腕を回して、マリアが言った。


エンジェリクの国王グレゴリー。

マリアが惹きつけてはいけない男だった。幸い、いまのところ王はマリアを見逃してくれている。

しかし、あの男がマリアを手中におさめようと本気を出してきたら……。


そう言えば、王がマリアと理性的な距離を置くようになったきっかけ――エステルという女性。

また会いに行くと話していたのに、結局その約束は果たせないままだ。

明日オフェリアをヒューバート王子のもとへ連れて行く時に、自分もエステルに会いに行ったほうがいいだろうか。




翌日、ホールデン伯爵から贈られた新しいドレスをオフェリアに着せ、お気に入りの髪飾りをオフェリアに選ばせ、マリアは妹の髪を結っていた。

伯爵もマリアを着飾らせようとあれやこれや勧めて来るのを苦笑いで遠慮していると、ナタリアが慌てた様子でやってくる。


「マリア様!教皇特使と名乗る御方が、マリア様に面会を求めておいでです!」


教皇特使――教皇より臨時で遣わされる大使。

何かの間違いではないか、とマリアはそう思った。修道士嫌いで教会から遠ざかっているマリアには、教皇庁の指名を受ける心当たりがない。


しかしナタリアに言われて応接室へ行ってみれば、たしかにそこには、荘厳な衣装をまとう修道士がいた。衣の上等さから見るに、恐らく彼は枢機卿だ。


「マリア・オルディス公爵、私は教皇猊下より特命を受けて参りました」


マリアがもともと修道士嫌いなせいもあるだろうが、目の前に立つ枢機卿は愛想の良い笑顔が胡散臭く、なんとも軽薄さを感じさせる男であった。

マリアを見下す男の目には、明らかな侮蔑の色が浮かんでいる――枢機卿とは思えないほどの俗っぽさだ。


「公爵は淫蕩と散財に明け暮れ、罪を犯し、その罪を悔いることなく……また異教徒と通じる始末」


枢機卿は、懐から一枚の紙を取り出す。細やかな装飾が施された高価な羊皮紙。

まさか、とマリアは目を丸くする。


「教皇庁は、マリア・オルディス公爵に対し破門を宣告する」


ニヤリと笑い、宣告を終えた枢機卿は胸を張って出て行った。

それを見送ったマリアは、いまのはいったい何の茶番なのかと目を瞬かせ、しばらく枢機卿が出て行った扉を見つめていた。


マリアが……エンジェリクでも有数の貴族であるオルディス公爵が、教皇庁より破門された。

――だから、なに?




「百年前ならいざ知らず、いまの教皇庁にどれほどの権威があると言うのよ」


マリアの破門理由を書き連ねた紙を読みながら、長椅子に腰かけ、足を組んでふんぞり返ってマリアが言った。


「だいたいエンジェリクは宗派が違うじゃない。エンジェリク王そのものが教皇庁とは不仲だと言うのに」


先代のエンジェリク王はなかなか子に恵まれず、多くの愛妾を囲い、女が身ごもれば自分の妻にしていた。


ルチル教は本来、離婚が許されない。

だが世継ぎを切望する先王は、妊娠する気配のない最初の王妃と離婚し、妊娠した愛妾と再婚して王妃にしたがった。そのためにエンジェリク国教会という独自の宗派を作って改宗し、教皇庁から怒りを買って破門されている。

結局再婚した愛妾も死産をし……その後も、死産や夭折を繰り返し、ようやく十一人目の王妃との間にグレゴリーという男児を授かった。


そういった経緯なので、エンジェリクはルチル教を国教としつつも、教皇を神の代理人と仰ぐ宗派ではない。

エンジェリク貴族であるマリアにとって、教皇庁からの破門に恐れおののく必要がないのだ。


「破門の理由は?」


ルチル教への信仰心の薄い伯爵も、マリアが破門されたことについて気にする様子はない。


「色々と書いてありますが……複数の男との不適切な関係に、贅沢と散財……どれも身に覚えしかありませんね。でも贅沢と散財については伯爵たちのせいですよ、反省してください」


華美を求めたつもりはない。やたらと男たちが貢いで来るものだから、マリアも無駄に財産ができてしまうのだ。

……たぶん、それだけ財産を持ちながら教会にろくに寄付しないことが不興を買ったのだろう。

両親や祖先が眠る僧院にはきちんと浄財を贈っているが、教皇庁が重要視する教会には贈っていない。贈る必要も感じないし。


「あとは、異教徒を匿った罪とあります」

「俺たちだよな、当然」


ララはアレクと顔を見合わせ、少し気まずそうにしていた。

マリアと違い、彼らはそれなりに信心深い。異教徒に肩入れしたばかりに非難されてしまう――それに責任を感じているようだ。


「おかしなことを言うわね。異教徒だから助けるな、だなんて。汝隣人を愛せはどこに行ったのよ。神がいると言うのなら、聖母ルチルはどうしてこんな不肖の弟子たちに罰を下さないのかしら。だから私に軽蔑されるんだわ」


ルチル教の創始者たる聖母ルチル。マリアがけんもほろろに言い捨てるのを、ナタリアは苦笑するばかりだった。


「破門したければすればいい。それで私が泣いて頭を下げると思ったら、大間違いよ」


心からマリアはそう言い捨てたのだが、マリアの破門にヒューバート王子は本気で困っていた。

マリアの破門を知った王子は血の気の引いた顔で、マリアに詰め寄る。


「君が破門されたままだと、僕はオフェリアと結婚できなくなる」


問題はそこか、とマリアは心の中でつっこんだ。


「知っての通り、先王陛下は破門されていて、エンジェリクと教皇はあまり宜しくない関係にある。それを陛下は気になさって、教皇庁と和解しようと努力している。だから破門された姉を持つオフェリアとの結婚なんて、絶対に認めないはずだ」

「まあ……」


じゃあこのまま破門されていれば、オフェリアをヒューバート王子に嫁がせなくても済むようになるかしら?


なんてことを考えていたら、ヒューバート王子に鋭く見抜かれた。穏和な王子にしては珍しく、目を吊り上げる。


「マリア、こんなやり方で僕とオフェリアの仲を引き裂こうとするのなら、僕もさすがに怒るよ」

「……分かりました。とりあえず、反省文でも書いて提出しておきます」


だが教会に頭を下げるなんて真っ平だ。


「それにしても、ずいぶん奇妙なタイミングで破門されましたね。チャコ帝国とガルナダに不穏な動きがあるこの時に、チャコ帝国の皇子を匿い、キシリアに縁の深い公爵が破門されるだなんて」


マリアからの報告を聞いていたマルセルが口を挟む。

それはマリアも気になっていた。


エルゾ教徒の国で不穏な動きがあるこの時期に、エルゾ教徒を匿うマリアが非難された。その不穏な動きにも、教皇庁の人間が絡んでいるというのに。


「それらしい理由を挙げていたけれど、つまるところ、私がララを匿っているのが気に入らないんじゃないかしら」


マリアがララを追い出したら、帝国から亡命してきた異教徒のララは野垂れ死ぬしかない。

マリアが教会に頭を下げたくない最大の理由がそれだ。


破門理由に異教徒を匿った旨がある以上、破門の撤回にはララとアレクの追放が必要になる。オフェリアもララやアレクに懐いているし、二人を追い出すことは許さないだろう。

ヒューバート王子にどれほど詰め寄られようが、マリアができるのはせいぜい「調子に乗りましたごめんなさい」と適当な謝罪をすることだけだ。


しかし……教皇庁によるマリアの破門には、やはりチャコ帝国とガルナダの一件が関係しているのだろうか。

繋がりのようなものは見えるのに、それらを結びつける決定的なものがない。なんとも歯がゆいものだ。


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