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紫色のクラベル~傾国の悪役令嬢、その貴種流離譚~  作者: 星見だいふく
第四部03 離反者
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引っくり返る


「この男のことは、あなたがたもよくご存知だろう。我が国を苦しめた、朱の商人その人だ」


マリアは朱の商人を、直接見たことはない。ドレイク卿ですら、その姿を目にするのは初めてだろう。

だが宰相、そしてエンジェリク王は、明らかに顔色を変え、動揺していた。レミントン侯爵の言葉は、事実なのか……。


「私の父は朱の商人を先王陛下に近づけ、さらに自らの罪を隠匿するように彼を匿っていた。当時は私もまだ若く、レミントン家の当主に逆らう勇気のない臆病者だった。父の悪事をただ見ていることしかできなかった……ずっとそれを心苦しく思っていてね。次に彼に会うことがあれば、必ずこの手で仕留めてやろうと思っていた」


悲劇の英雄を気取るかのように、芝居がかったレミントン侯爵は話す。だがその茶番を、誰も嘲笑うことができなかった。


「コンラッドには悪いことをした。朱の商人を確実に捕えるために、奴から信頼されておきたかったんだ。結果として、コンラッドを切り捨てるしかなくなってしまった」


キャロライン・プラント侯爵夫人の従者の男が、沈黙を守りながらも困惑するのをマリアは見逃さなかった。

己の立場を守るための詭弁だと彼も分かっているはずなのに、もしかしたら、という疑念が振り払えないのだろう。


「ヒューバート殿下は、チャールズよりよほど王に相応しい資質を持っているようだ。しかし、君の足場は脆い」


ヒューバート王子から視線を移し、にっこりとレミントン侯爵がマリアに笑いかける。


「どうかな、オルディス公爵。チャールズが頼りない王子であっても、彼を擁護する私の権威――いまのヒューバート王子にこれを引っくり返すことはできない。君も、仮にもチャールズの婚約者なのだから、もう少し肯定的に接してあげたらどうだい」


浅はかで、自分本位なチャールズ王子。王子の無防備さと短慮さを突いて彼の力を削いでやったというのに、レミントン侯爵はそれをものともせず反撃に出た。


国敵とも言える朱の商人を始末したレミントン侯爵の功績は大きい。

単なる思いやりのなさからスティーブ・ガードナーを切り捨てたチャールズ王子と違い、レミントン侯爵は国敵を捕らえるために仕方がなく味方を犠牲にした――その大義名分も得てしまっている。

チャールズ王子ほど、レミントン侯爵の非情さにつけ入ることはできない。


「……そうして差し上げたいと思ってはおりますが、殿下の方も私を嫌っておりますし。私、嫌われている相手に肯定的な感情を抱けるほど、器の大きな人間ではありませんもの」


マリアもにっこりと笑い返す。

あれほど盆暗な王子を、自分はまだ蹴落とすことができない。その敵意も、はっきりと示すことができないのだ。


チャールズ王子の後ろに控える男は、その周到さも経験も自分よりはるかに上。いままでが上手く行き過ぎた――チャールズ王子への敵意と嫌悪は、いったん隠してしまおう。

これ以上調子に乗ると、マリアの方が破滅させられてしまう。


一度足止めを食らうぐらいの挫折は必要だ――だからまだ、焦ってはいけない。




宰相はマオを呼び出し、朱の商人の遺体を確認させた。

初めて会ったときはヘラヘラとした姿が印象的だった青年も、さすがに神妙な面持ちで遺体を確認していた。


「……うん、こいつが俺の追ってたターゲットだ。アンタたちが朱の商人って呼んでる男で間違いない。この刺青は素人に彫れるものじゃないし、この遺体も間違いなく死人――薬で仮死状態にしてるとか、そういうのでもなさそうだ」

「そうか」


マオの確認が取れると、宰相は深いため息をつく。


「長年探していた敵が、こうもあっさり片付くとはな。喜ばしいことなのだが、最後までレミントン家に振り回され続けたことを考えると複雑だな」


同席している警視総監、主席判事も重苦しい表情で頷いていた。


「追跡調査は不可能かと。レミントン侯爵のあの自供がある以上、捜査の必要性が認められません」

「残念ながら」


捜査ができなくなったことで不愉快そうに眉間にしわを寄せるドレイク警視総監に、マクファーレン判事も捜査の続行を否認する言葉を続ける。


「レミントン侯爵も拒否なさるでしょうし、侯爵の意見を却下させるだけの物証がないとなれば、裁判所も捜査の続行を認める判決を出せません」


これで朱の商人について追及することは不可能になった。もともと、歴史の闇に葬って公にできない事情があった一件だ。穏便に片付くのならそれに越したことはない――それを逆手に取られた。


「過程がどうであれ、俺のほうは裏切り者が無事片付いたからそれでいいんだけどねー。これで俺も帰国できるよ」


マオはあっさりと宰相たちに別れを告げた。

きっとセイランに戻って、組織とやらに報告に行くのだろう。もう会うこともあるまい……。




リチャード・レミントンは、薄暗くなり始めた廊下を一人で歩いていた。

あくまで国のためではあったが朱の商人に加担していた。それについて、役人から事情聴取を受けていたのである。

探られたところでどうということはない――どうせ、連中にはそこまで自分を探ることはできないのだから。その余裕から、レミントン侯爵は丁寧かつ紳士的に聴取に応じた。

そして日も暮れはじめた頃、ようやく聴取を終えて、帰路に着くところだった……。


不用心に歩くレミントン侯爵を、不穏な影が襲う。

それを阻んだのは、フランシーヌ人だった。


「ちっ、やっぱ気付いてたか。だよなー。でなきゃ、侯爵なんてお偉いさんが、一人でのこのこ歩いてるわけないよな」


舌打ちをするマオは先ほどまでのおどけた口調は変わらず、しかし、その手にはしっかりと獲物が握られている。

それを弾き返したマルセルは、剣を構えたまま、敵を睨んでいた。


「なぜリチャード・レミントンを襲う。君の目的は、朱の商人だろう」


リチャード・レミントンは必ず狙われる。

宰相からそう聞いていたヒューバート王子は、マルセルと共に彼を密かに追っていた。


レミントン侯爵も、自分が襲われること、それを防ぐために王子たちがついていることは気付いていたのだろう。

ヒューバート王子のほうが動揺している。


「俺はね、片付けが目的なの。朱の商人が死ねばハイ終わり、って訳にはいかないじゃん?」


言いながら、マオはじりじりと距離を詰めていた。

暗殺者との対峙は、普通の戦闘とは勝手が違う。マルセルも油断せず、マオの攻撃を防ぐことに集中した。


「あいつと手を組んでたんなら、余計な情報をその男が知ったかもしれないでしょ?真意の読みにくいおっさんだけど……だからこそ、確実にその口は封じておかないと。でなきゃ、安心してエンジェリクでの商売を再開できないよ」

「またエンジェリクに来るつもりなのか……!?」

「当たり前じゃん。商売なんだよ?金のあるところに売り付けないでどーすんのさ。最も、今度はアンタらには近付かないよ。王族……貴族社会……そういう巨悪の影に紛れてこっそりやるのが、俺たちのやり方なんでね――おっと!アンタもいたのか」


不意打ちを避けながら、マオはララの姿を確認した。


「どこまでいっても、王候貴族が闇だらけなのは認めるがな。あんま関わり合いたくないもんだぜ」

「ははっ、俺も同意。臭くて汚い場所だから、昔から大っ嫌いさ」


ララ、マルセルの二人を敵に回してもマオの余裕と優勢は崩れない。だがこの状況でレミントン侯爵を始末するのは無理か――そう判断し、マオは逃げ出そうとした。

ララやマルセルすら囮だったことは、そこでようやく気付いた。


「やって、くれるね……!」


逃げ出すことも計算されていた。完全に、謀られた。

王国騎士団団長の強烈な一撃にマオは倒れ込む。


自分の血が流れていくのをどこか他人事のような表情で眺めながら、マオは伏せていた。


「やっぱ貴族ってのは、ろくでもねーな……」


その呟きを最後に、マオは動かなくなった。

気味が悪いほど愛想のよかった顔からはスッと人間らしい表情が消え去り、目を開いたまま絶命するその亡骸は、人形のようだった。


「助かりました、殿下」


にこにこと礼を述べるレミントン侯爵に、ヒューバート王子は複雑な面持ちだ。

侯爵を助けることに異議はなかった。まんまと利用されて悔しいとか、そういうわけじゃない。

ただ何とも表しがたい感情が、ヒューバート王子の心を占めていた。




「……といった感じで、とりあえずリチャード・レミントンは無事だ。殿下もレミントンの抜け目のなさを実感しただろうし、ま、ぼちぼちな結果におさまったんじゃないか」


マリアは、ウォルトン団長から結末を聞かされた。


マオは始末しなければならない――あの後、宰相はそう話し、ドレイク卿はすぐさまウォルトン団長に頼んでマオの動向を見張ってもらっていた。


朱の商人が片付いたことで、再び組織とやらはエンジェリクに商売にやってくる。純精阿片を目玉商品などと言って取り扱うような連中、二度と国に入れるわけにはいかない。

マオの口を封じ、連中の警戒心はあえて解かないままにしておく――それが、宰相たちの出した結論だった。


「王国騎士団が担当する仕事かどうかは微妙なところなんだが……今夜の番を譲ってやるとまで言われてはな。張り切ってやらせてもらったよ」


マリアを抱き寄せ、ウォルトン団長が額に口付けて来る。


今夜の約束はドレイク卿だったのだが、ウォルトン団長を動かすため、渋々約束を譲ったのだ。

朱の商人のことはいまの近衛騎士隊長は知らないそうで、ウォルトン団長に頼むしかなかったし……実を言えば、宰相と共に後始末をしなければならないので、ドレイク卿は今夜、マリアのところへ来れるはずもなかった。


このままウォルトン団長と共に城を出て屋敷へ戻る……前に、マリアは別の人とも約束があった。


「私、キャロライン様にお会いすることになっておりまして。少々お待ち頂いてよろしいでしょうか」


キャロライン・プラント侯爵夫人は、プラント領へ戻る。王子の召集と再婚の報告のために城へ来ただけだ。


チャールズ王子を前に平然と誤魔化したが、エヴェリー候が生きていることはやはり公にできない。

キャロラインは別人になり替わった父親と共にプラント領へ引っ込み、なるべく城や王都には近づかないようにするつもりであった。

領地へ帰る前に、キャロラインはマリアに挨拶がしたいと申し出た。




黒い衣装に身を包んだままのキャロラインは、マリアと対面すると顔を覆うヴェールを外す。

真っ直ぐに見つめ、キャロラインは静かに頭を下げた。


「私はこれで、プラント侯爵領へ戻ります。城を訪れる機会はほとんどなくなるかと。その前に、オルディス公爵とお話をしたかったのです。お時間をくださったこと、ありがとうございます」

「新しい領主殿を歓迎しますわ。城でお会いする機会がなくなると言っても、領地はお隣同士。オルディスの領主代理を務める私のおじとも、仲良くしてくださいませ」


はい、とキャロラインが頷き、短い沈黙が落ちる。

そわそわと視線をさ迷わせるキャロラインに、マリアは首を傾げた。


「……どうかされました?明らかに目が泳いでいらっしゃいますけれど」

「その……公爵に相談したいことが……公爵様は男の方のことをよくご存知だとうかがっておりますので……助言が頂けたら……」


マリアは目をぱちくりと瞬かせた。

人払いをして二人きりで話がしたいと言われていたが……そんな内容だとは思わなかった。

キャロラインから、そんな色っぽい相談を持ちかけられるとは。


「私の場合はまともな恋愛ではありませんから、果たして参考になるかどうか」


苦笑しながらマリアが言えば、キャロラインは顔を真っ赤にし、さらにそわそわとし出した。

あまりからかわないほうがよさそうだ。どうやら彼女のほうも、恋愛に関してはかなり初心らしい。


「あの、男性を……さ、誘う場合、どのように声をかければよろしいのでしょうか」

「男性。それはもしや、セドリックのこと?」


耳まで赤くなったキャロラインは俯いてしまう。ずばり正解だった。


キャロラインはジャイルズ・プラントの死後、彼の実子セドリックをプラント家の養子に迎え、自分の婿にした。後継ぎのいない未亡人が夫の息子と再婚するのは時折ある話だ。

特にプラント家は名家。実子は独身――となれば、割と自然な流れである。


マリアはそこまで指示はしていなかったのだが、キャロラインやセドリックがそのまま実権を握ってくれるのはありがたい。

プラント侯爵家当主は倒れたが、その一族は健在だ。このままキャロラインが当主の座におさまり、セドリックと共にうるさい一族をおさえていてくれれば、隣接するオルディス領としても安心である。


しかし……キャロラインとセドリックは、そういう政略的な意味合いで再婚したものだと思っていたのに。


「セドリックは、私を守るために結婚してくださったのです。父を喪い、後ろ盾のない私は、前夫の死後、プラント一族からこの身や命を狙われております。そんな私を守るために……私に向けられる攻撃を自分に引きつけるために、セドリックは再婚を申し出てくれたのです。ぶっきらぼうで誤解されやすい人ですが、本当はとても心優しく、情に厚い人なんです……」


セドリックのことを語るキャロラインは、まさに恋する乙女そのものだった。チャールズ王子のことを、褒めながらも複雑な表情をしていた時とはまったく違う。

たぶんこの様子だと、セドリックのほうもキャロラインを憎からず想っているのだろう。だがプラント侯爵への反抗に巻き込んでしまった負い目から、結婚後も清い関係を続けていて。

キャロラインは、そんな関係を打破したくてマリアに相談を持ちかけた。そんなところか。


「とりあえず、後ろから抱きついて、あなたのものにしてくださいって迫ってみたら?」

「そのようなことを……私が、ですか……?はしたなくはありませんか……?」

「はしたないと分かってはいるけれど、あなたに求められたいんですって上目遣いで謝っておけばいいのよ。だいたいの男性は喜んでくれるわ」


実体験を思い出しながらマリアが言えば、キャロラインは顔を赤くしながらも何やら決意したようだ。


「申し訳ありません、このようなことを……。母のいない私には、身近に相談できる女性がいなくて。まさか父に相談するわけにも参りませんし」

「それは……そうね。お父様に相談するのは止めてあげたほうがいいと思うわ。娘のそういう話はきっと聞きたくないでしょう」


マルセルを通じて、セドリックのほうにもマリアから釘をさしておこう。

勇気を出して女性が誘惑したのだから、恥を掻かせるな男を見せろ、と。


不本意な結婚話のはずだったが、何やら意外な結果になりそうだ――当人同士が幸福を見出せたのなら、これで良かったのだとマリアも思うことにした。


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