見捨てられたお姫様 (3)
急ごしらえの結婚式。
身にまとうドレスはやたらと派手なだけで品がなく、安っぽい。キャロラインのような、聡明で誇り高い令嬢が着るようなものではなかった。
花嫁には相応しくない悲壮な表情を浮かべて控え室で待機するキャロラインを、ジュリエット王女とチャールズ王子が訪ねる。
キャロラインを見つめる二人の表情も、花嫁を祝福するそれではない。
「……見損なったわ、キャロライン。あなたが、そんな人だったなんて」
侮蔑の眼差しできつく睨みつける王女に、キャロラインは訳が分からないといった様子で見つめ返す。
「父親の罪状を恥じるどころか、保身に走るとはな」
チャールズ王子が嘲笑う。キャロラインの裏切りに怒りの炎を燃やす彼は、またもや自分の決めつけた結論で彼女に辛辣に当たった。
「おまえは地位と財産を持つ男なら誰でも良かったのだろう!女としての矜持があるのなら、ジャイルズ・プラントなどという男に嫁げるはずがない!親子どころか、祖父と孫ほどに年が離れているというのに!」
ジャイルズ・プラント侯爵。
潤沢な財産を持って領地に引っ込み、贅沢三昧を繰り返す貴族。その男に、キャロラインが喜んで嫁いでいくと思っているのか、彼らは。
「私が、地位と財産に目がくらむ女だと……。そう思われていたのですね」
キャロラインも嘲笑の笑みを返す。
プラント侯爵の結婚回数は数十回を超え、そのどれもが妻との死別――結婚して数か月としない内に、彼と結婚した女は命を落としていた。
表向きは病死となっているが、その原因は誰もが知っている。
――プラント侯爵の、異常な性癖。口に出すことすら憚られるような行為に耐えきれずに、歴代の妻たちは命を落としたのだ。
その有名な嗜逆趣味により、まともな女性が嫁ぐことはない。事実、妻たちのほとんどは身売りも同然に侯爵に嫁ぐしかなかった女性ばかり……身寄りがなく、命を落としても誰にも不審を感じてもらえないような、弱い立場の女ばかり。
そんな男に嫁ぐこと――憐れむどころか、侮蔑されるとは。自分は見くびられていたらしい。
それなりに交流もあったのに……彼らは、キャロラインのことなどまともに見てくれていなかった……。
「……確かに私は、その肩書きに目がくらむ愚か者だったのかもしれません」
チャールズ王子の人となりに引っかかるものがあったのに、それでも自分は彼のそばにいたかった。それはやはり、彼が王子様だったからかもしれない。
エンジェリクの王子。
そのような立派な立場のある者の、特別な存在。それに選ばれたことが誇らしかった。
いずれ王子様に愛され、王子様を支える――女の子なら、誰もが憧れるお姫様……チャールズという男を愛したわけではなく、そんなお姫様になれるかもしれない自分。
キャロラインが目指していたものは、それだったのかもしれない。
「出て行ってください。私は、もう殿下たちとお話しすることはございません」
「フン、言われなくてもそうするさ。ジュリエットがどうしてもおまえと話がしたいと言うから付き添ったまで――妹の信頼すら踏みにじる女に、僕も用などない」
ジュリエット王女とチャールズ王子は、振り返ることなく部屋を出て行く。残されたキャロラインは目を瞑り、手を握りしめていた。
みっともなく泣き喚く姿を見られてなるものか――と言わんばかりに。
「これで満足ですか」
わずかに残ったプライドを守ろうと、キャロラインはマリアを睨む。マリアは、くすりと笑うだけだった。
王子たちが来る前から、マリアはこの部屋にいた。
彼らのやり取りに興味があって部屋の片隅に隠れていたのだが……なかなか愉快な茶番を目撃できた。
相変わらず、短慮で自分の信じたいことしか目に入れようとしない男だ。
「あなたの望み通り、私はプラント侯爵に嫁ぎます。その代わり、父を――」
「何を言っているの。私の望みは叶えられていないわ。結婚させることが目的ではないのよ」
キャロラインの懇願を一蹴し、マリアが言った。
再び控え室のドアがノックされる。若者が一人、部屋に入って来た――酒を持って。
「紹介するわね。彼はセドリック。ジャイルズ・プラント侯爵の庶子よ」
セドリックはキャロラインにわずかに頭を下げ、一応の敬意を払って見せた。
キャロラインは困惑したように、マリアとセドリックの顔を交互に見る。
「これは、あの男の好きな酒だ。医者からは止められてるんだがな……不摂生が過ぎて、命に関わる恐れがあると。だが若く美しい新妻との初夜ぐらいなら、浮かれて飲むこともあるだろう」
そう言って、セドリックは持っていた酒をキャロラインに渡す。
思わずそれを受け取ってしまったキャロラインは、何も言わなかった――何を命じられているのか、すでに察したのだろう。酒の瓶を見つめる目には、恐怖の色が浮かんでいた。
「心配しなくても、後始末は上手くやってあげるわ」
プラント侯爵も関わるキシリアへの武器流出の件を明らかにしたいマリア。
横暴なプラント侯爵への反逆を企てるセドリック。
ジャイルズ・プラントが邪魔だ――互いの利害は一致していた。
ジャイルズ・プラントをよく知るセドリックなら彼の弱点も熟知していたし、ドレイク警視総監とも親しいマリアなら彼の死をどうにでも偽装できる。
ただ、大きな障壁が二人の前に立ちはだかっていた。
マリアもセドリックも、プラント侯爵から警戒されやすい。二人に代わって、手を下してくれる駒が必要だ。
キャロラインなら、二人の目的を同時に果たすことができる。
だからマリアは、エヴェリー侯爵を助ける代わりに彼女を利用することにした――頼りになる父親を喪い、寄る辺を失ってしまった憐れな令嬢。新しい生贄を求めるプラント侯爵が、彼女に近づけるよう取り計らった。
若く、美しく、生まれも育ちも一流の少女。そんな女が、金を払うことすらなく手に入る。これまでの女とは格の違う彼女に、プラント侯爵はすぐさま飛びついた。
「キャロライン。お父様を助けるためなら何でもすると言ったあなたの言葉、期待しているわね」
マリアはにっこり笑って言った。
まだ手に持った酒瓶を見つめるキャロラインの瞳には恐怖の色が揺れていたが、それでも、ぎゅっと唇を結ぶ彼女の表情には強い決意が現れていた。
マリアはその後、キャロラインたちとは接触しなかった。
プラント侯爵の死の偽装を行うのだから、迂闊に接触すれば疑惑をもたれてしまう。だから彼女たちの行動はあえて追わなかった。
ただ、上手くいったことだけはマリアにも伝わった。そうでなければ、マリアたちに召集がかかるわけがない。
その日呼び出されたのは、キャロライン・プラント侯爵夫人、アルフレッド・マクファーレン判事、ジェラルド・ドレイク警視総監、ヒューバート王子、そしてマリア・オルディス公爵――そうそうたる顔ぶれである。
マリアも、オルディス領の責任者として呼び出されていた。
招集を提唱したのはチャールズ王子とリチャード・レミントン侯爵――ただ、侯爵はさほどマリアたちに興味を示しておらず。恐らくは、チャールズ王子が騒がしいので仕方なく同席したのだろう。
仲裁役として、エンジェリク王と宰相も居合わせている。
「マクファーレン、エヴェリー候の処刑について貴様にその真偽を問い合わせたい。本当にコンラッド・エヴェリーの刑は執行されたのか!?」
すでに眉を吊り上げて問い詰めるチャールズ王子に対し、マクファーレン判事は涼しい表情で、もちろんです、と答えた。
「私の署名が入った執行書類もございますし、刑の執行には規定通り警視総監殿も立ち会っております。コンラッド・エヴェリー侯爵は、間違いなく死刑となりました」
「では、あの男は何だ!?」
チャールズ王子が、プラント侯爵夫人の後ろに控える男を指差す。
夫を亡くしたばかりの侯爵夫人は黒いドレスに身を包み、黒いヴェールで顔を覆っていた。その表情は見え辛いが……その口調は至って冷静であった。
「もちろん、コンラッド・エヴェリーによく似た他人です。私も、父にそっくりな彼に驚かされたほどですわ、殿下」
「他人の空似だと……!?そんな、都合のいい話が……」
「世の中には存在するのですね。彼はオルディスで生まれ育った、私たちとは無関係の男。オルディス領に問い合わせてみればよろしいではありませんか。そのために、オルディス公爵にまでわざわざ声をかけたのでしょう」
チャールズ王子に睨まれても、マリアは動じることなく素知らぬ顔で無視する。マリアがチャールズ王子たちに都合の良い証言をするはずがないことは、さすがに王子のほうも理解しているらしい。
オルディス領への問い合わせは主張しなかった。
「……なら。ならば!コンラッド・エヴェリーの墓を調べろ!ドレイク!王子の命令だ!いますぐやつの死体を確認しろ!」
「それは僕が許さない」
ヒューバート王子が、即座にチャールズ王子の命令を撤回させる。
「エヴェリー候が埋葬されたのは、僕の母も眠る僧院だ。確証もない話で踏みこんでくるなど、僕が許さない」
「余も、王妃への侮辱は認めぬ」
エンジェリク王が同意した。
名ばかりの王妃ではあったが、ヒューバート王子の母親は正式な王の妃。いくら王子の権限を振りかざそうとも、王の妻のほうが格上である。
「なぜ、王妃の墓がある場所にエヴェリーが埋葬されているのだ!奴は、犯罪者だぞ――!」
「おっしゃるとおりです。罪を犯した父の遺体を引き取ってくださるところなどなく……エヴェリー家は取り潰されてしまい、祖先の墓への埋葬も拒否されました。私はヒューバート殿下の御慈悲にすがるしかなかったのです」
キャロラインが言った。黒いヴェール越しにも分かるほど、強い敵意と恨みを募らせて。
チャールズ王子は反論する言葉も失っていた。
「……チャールズ。もう良いだろう。どんなに問い詰めたところで、この一件はどうにもならない。私としても、そろそろこの不毛な議論を打ち切りたいと思っている」
レミントン侯爵は、朗らかなほどに笑って話す。
チャールズ王子はなおも食い下がろうとしたが、伯父の笑顔に圧され、沈黙した。
「とは言え、相手を勝ち誇らせたままにしておくのは私も面白くない。少しぐらいはこちらからもやり込めておこう――君は行きたまえ」
納得していないチャールズ王子は、レミントン侯爵の合図で部屋から追い出されて行った。
残された一同は、レミントン侯爵を見る。
侯爵にとってあまり好ましくない状況だと言うのに、リチャード・レミントンは動じる様子がない。味方はいないのに、それでも悠然と微笑む彼に、マリアは背筋が寒くなった。
「まずは彼を紹介しておこう」
室内に、大きな棺が運び込まれてくる。
運んだ使用人はすぐに部屋を出て行った。王子を追い払い、自分の使用人すら追い払い……自ら味方を遠ざけて、レミントン侯爵が棺の蓋を開ける。
棺の中には、男が横たわっていた。
セイランの民族衣装を着た男――その衣は、赤と金で統一されている。




